2017年3月7日火曜日

野本弥生「料理教室」②

仕込みのあいまにソファーでくつろいでいた野本さん。
質問者は僕(マキ)がやらせてもらいました。

——野本さんが養生園で働きはじめたきっかけは何ですか?

私はもともと会社員として都内でばりばり働いていました。
新卒で入社した人材派遣会社の営業をやっていたんです。
クレームがつきもので、怒られることが仕事のようなものでしたね。
昼も夜も仕事で、十数年間続けました。

——とても今の弥生さんの姿からは想像ができないです。
ビジネスマインドが強かったということですか?

そうですね。
ちゃんと給料をもらわなければ生きている価値がない、
というぐらいのことは思っていました。
田舎の季節労働者なんてぜったいにやりたくはなかったですね。
だけど、今そういうものになっています(笑)

けっきょく当時の職場で働きつめて身体を壊しました。
精神的にも辛かったですね。
うつっぽくもなっていましたし。
そのときにかかった医者が漢方や森林療法に詳しい方で、
休職をすすめられました。
私は「休んだら会社が困る」と言ったら先生に怒られまして、
しばらく職場を離れてみることなったんです。

そのときに、お客さん側でなんどかお邪魔していた〈穂高養生園〉のことを
思い出してホームページを見てみると、
「体験スタッフ募集」の案内が出ていたのです。
「ちょっと働けばタダで泊まれる」
なんて甘っちょろい想像が膨らみ応募したんですね。

ところがいざ行ってみたら、
ちょうどスタッフの入れ替わりの時期だったらしく、
人手の足りないところを駆けずり回ることになりました。
キッチンの手伝いをしながら温泉をためるタイマーをかけて、
電話がなれば受付に走り、
気がつくと日が暮れていて夜はぐっすり寝てしまう。
いつしか自分が精神的に疲れていたことを忘れるような生活でした。

春の気持ちいい季節だけ一月ほどいて東京に戻ろうと思っていました。
しかし、職場に戻ったところで同じことになるんじゃないかと思い、
いろんな葛藤がありましたが、
上司ともしっかり話しをして退職することにしました。
その後、養生園の調理補助という名目で手伝いはじめることになりました。

ところが一月経つか経たないかのうちに、
立て続けに先輩のキッチンスタッフが辞めていってしまったのです。
そしてある日、経理のご年配のスタッフがやってきて、
「弥生ちゃん料理作って」
と軽いかんじで言われたんですね。

「えええ!そんな突然な話しあり!?」
と私はそんな展開考えてもいなかったので驚いたのですけど、
引き受けました。

——引き受けたんですね(笑)
なんだか決断が豪快というか、自信があったんですか?

はっきりいって自信はなかったです。
ですけど、十数年営業をやってきていましたから、
怖い場所にも飛びこんでいくような勇気が
いつのまにか身についていたのだと思います。

精神的にも、誰かに求められてうれしかったですね。
その期待に応えてみたいという気持ちにもなりました。

それに、やっぱり料理が好きだったんですね。
家で料理もよく作っていましたし、
マクロビオティックの料理教室にも通っていたりしました。
だけどそれがはたして、
お客様にふるまえるようなものかどうかは自信がありませんでした。

つづく。
先日オーシャンにて開催した料理教室の風景。

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