2016年9月6日火曜日

動揺してますか?

みなさんは動揺したとき、
何か良い対処法を持ってますか?

人が一日にどれだけの回数、
どれだけの重さで動揺するのか分かりませんけど、
自分の動揺レベルを解析すると
「回数は多く、中身は軽い」といった感じだと思ってます。

たとえばぼくがどんなことで動揺するかというと、
一言で、対人関係につきます。

ぼくはピザ職人でサービス業ですから
毎日色んなお客さんとも接するし、
十人ほどのスタッフとも接します。
で、動揺するときはどんなときかと考えると、
人と接しているときには動揺はないんですよね。

人との会話などで触れ合った後、
思い返すときに想像の世界の中で動揺しているんです。

自分の振る舞いは正しかったのか?
自分の言い方で誤解を与えてしまったんじゃないか?
面白いと思って言ったけど失礼だったかな?
などなど、過去の自分を振り返って動揺します。

動揺するとどうなるか。
ぼくは独り言を連発してしまう。
「しまった」
「やっぱりな」
「ああーくそー」
「なんでだ、なんでなんだ」
というような単語を
皿洗いやピザ生地を丸めるときみたいな単純作業をするときに、
ブツブツ無意識に口に出してしまうんです。

一応、独り言は無意識に選び抜かれてこれらのものになっています。
周りの人が見てあいつは狂ってると思われないように、
今の作業に当てはめてもおかしくないような抽象的な言葉です。
だから周りのスタッフが「どうかしました?」と声をかけてくれても、
ぼくは「いや、今日の生地が思ったよりも硬くて」とか
「この皿にこびりついたチーズがさー」みたいに誤魔化しています。

実はその二、三時間前のミーティングで自分が怒りに任せて暴言を吐いたり、
二、三ヶ月前に来てくれたお客さんに対して
「もっと違う接客をすれば良かった」ということや、
二、三年前に静かな店内で何枚も重ねた皿やグラス類をぶちまけて、
衝撃的な音を響かせてしまったことなど、
けっこう過去まで遡って動揺してるんです。

は!
今また無意識に「しまったなー」と言ってしまいました。
ぼーとした一瞬の空漠とした感覚に「しまったなー」と言ってしまいました。
何に動揺しているのか分からない。
もしかしてこの動揺って、
集中しているときにその作業(今ならブログを書くこと)から
気持ちが離れてしまったことに対して集中し直そうとする条件反射なのか?

集中の反対語を、動揺というんですか。
だけどそれだとピザ生地を丸めてるときとか皿洗いしてるときにも
独り言をいう意味が分からない。
だって別に集中したいと思ってないのに。
むしろ単純作業に飽きるから他のことを考えたい。

なんだかえらくややこしくなってきた。

フラッシュバックは単純作業のときに多いです。
記憶の中でいちばん鮮明な記憶は、失敗の記憶ですよね。
そう考えれば、
ぼーと浴室でシャンプーなんかしているときに
自分が思い出したくない記憶が脳裏に浮かんで「くそ!」と
反射的に大きな声で吠えてしまったりするんですけど、
納得できる気がしてきます。
居間でテレビを見ている妻が「どうしたの?何があったの?」
というんですけどぼくは「いや、なんもないよ」と苦笑いする。

表現とは記憶のことだというのがピカソの名言ですけど、
記憶とは失敗のことですね。
うまくいった記憶はあまり思い出せません。

よくよく思えば、ぼくはこの失敗という記憶にオープンです。
箱に詰めて押入れに放り込んでしまうこともなく、
いつでも眺めることができるように、
壁に画鋲で貼り付けてあってふとパソコンから目を離すと
周りは失敗をしている自分だらけなのが見える。
「なんでこんなことばっかりなんだ」と自分はいう。

動揺に強くありたいとぼくは望んでましたけど、
その特訓法がこの失敗の記憶を、
壁に画鋲で貼り付けておくことなんだという気がしてきた。
人間は無意識なる特訓を編みだすみたいです。

動揺しそうな場を避けがちのみなさん、
どうですかこの対処法。
色んなことに日々わざと動揺してみてください。
いざってとき、たとえば好みの異性が目の前に現れたとき、
動揺して口も聞けないなんてことがないようにしましょう。

この特訓の難点が一つあります、独り言が多くなることです。
くそっ!

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