2016年8月24日水曜日

今週日曜はRIDEALIVE2016

今週の28(日)は名古屋の自転車屋さんサークルズのイベント
『RIEDALIVE2016』開催のため、
ピッツェリアの通常営業は14時までとさせていただき、
それ以降は貸切りとなりますのでよろしくお願いします。

RIEDALIVEは今年で3年目です。
27日より自転車で走る人たちはスタートして
(コースは個人の自由で、到着地点だけが決まっている)、
三河高原でキャンプをした後に、
オーシャンがゴール地点となっています。

毎年、大勢の自転車乗りの方を迎えるのが楽しみです。
ゴール地点で参加者をお出迎えするというのは
特等席で観戦できるようなものなんですけど、
みんながゴールしたら今度はぼくを含めたピッツェリアスタッフが
ピザ100枚を焼くレースがスタートしますので、
ぼくはこのとき緊張しながら、ゴールして安堵する人たちを見ています。

ゴール地点で苦しそうな表情を見せる人は一人も見当たらなくて、
「絶対に楽しむ!」という雰囲気が参加者の笑顔から伝わってきます。
ぼくはこれに刺激を受けつつ、さらに盛り上がりに火をつけれるように、
どしどし最高のピザが焼けるように楽しみたいです。

2016年8月10日水曜日

この人がいるから働きたい

この人がいるから働きたくないとか、
職場の人間関係が辛くて、
という理由で仕事を辞める人がけっこういると思います。

仕事を選ぶときは仕事内容で選ぶんだけど、
仕事を辞めるときは人間関係が理由になる。

自分には人間関係が理由で仕事を辞めた経験はないけど、
色んな職場の人の流れを見ていてそんなふうに思いました。
やりたいと思って選んだ仕事なのに人間関係で辞めるのは本人にとって
良いことなのか、悪いことなのか、仕方がないことなのか?
職場に残る人にとってそういう原因を、
辞めていく人の問題だけにして自分たちの問題にしなくていいのか?
なんてことを考えてます。

ぼくは人間関係での悩みは少ない方だと思っているんですけど、
もしかしたら自分の意識してないところで人に圧迫感を与えて
苦しめたりしてることもあるかもしれない。
または、人間関係で苦しんでいる人がいるのにも関わらず、
自分が余計な悩みを抱えたくないので無意識に敬遠してることも
けっこうある、それはあなた自身で解決してくださいみたいな。

人と接するときに「距離感」という言い方がある。
どこで線引きをするか、ぼくはあんまり干渉をしない方で、
たとえばぼくは二年間シェアハウスの管理人をしていたけど
日本人もヨーロッパ人もラテン系もアジア系の人とも同居してみて、
疲れたという記憶がありません。

これはぼくが人と接するのが上手いとか、
コミュニケーションがしっかり取れてるとかではまったくなく、
むしろその逆で、
相手に干渉しなかったからです。

ホセというがさつなスペイン人が同居人で来ていたとき、
彼はきれい好きではなかったので部屋がどんどん荒れていった。
土足でベッドに寝転ぶし、
畑から泥だらけの足で帰ってきてそのまま部屋に上るという感じで、
日本のルールを無視する人がいても、
ぼくはそういうことを一つも気にせず、
たまに遊びに来たスタッフがひどい有様を見て
やっと注意をしてもらったぐらいです。

たぶんぼくは管理人としてはダメな人で、
グループ内のルールを決めたりすることがめんどくさいと思ってしまいます。
ぼくの対人関係での悩みの少なさは、
相手に干渉しないところから来ていそうです。
別の見方では、対人関係を築こうとしないから悩まないだけとも。

お互いに干渉さえしなければ平和が保たれますよね。
だけどそれは、
周りがどんどん崩落していって自分の足場が崩れるまでの
つかの間の平和だけかもしれない。

そこで話しを戻すと、
職場内の人間関係で辛くなったり苦しくなったりする人は、
こんな二つの理由があるんじゃないか。
一つが周囲の人から仕事のことで干渉されること。
「効率が悪い」「そのやり方は間違ってる」「何で教えたことができないのか」
など、自分の仕事を認められずにできてないことばかり指摘される。
またもう一つが対人関係を築きたいのに築けないこと。
グループから仲間外れにされるような疎外感、孤独感で、
「自分はこの場に合わない、受け入れられない」というような感覚。

もちろん人間関係の悩みは千差万別でしょうけど、
周りから認めてもらって輪に加わってる安心感が人には必要かもしれない。

強者揃いの会社にはそんな安心感はぬるま湯以外の何物でもない
っていうふうにも言えます。
自分の居場所は自分で勝ち取るものだと。
相手に干渉されるような仕事しかできてないんじゃダメだよねと。

会社がオーケストラで、職場がコンサートの舞台だとしたら、
自分の担当のヴァイオリンならヴァイオリン、
ピアノならピアノをさっと演奏して舞台が終わったらささっと帰る。
そこで必要なことは個人の能力に磨きをかけることで、
楽団員同士の円満な関係ではないですよね。

それは分かるんです。
楽団員同士の好き嫌いで自分の演奏を振り回されるのは、
そもそも自分の演奏能力がプロレベルに達していないからだと。
出直してきなさい、と。
だけど、そこで人は簡単に自分が頑張ってきたヴァイオリンを嫌いになる。

反対に、好きでも嫌いでもなく就職した職場で、
尊敬できる先輩が出来てはじめて仕事が好きになる人もいる。

こんなコンセプトのもとで働きたい、よりも、
この人がいるから働きたい、
という理由で選ばれる職場のほうが良い職場だという気がするんですけど、
どう思います?

2016年8月1日月曜日

鳩の占拠

うちの実家は築80年だそうで、
宮大工が釘を一本も使わずに作ったしっかりした家だけど
けっこうガタがきている。

今年の冬のことだった。
実家の玄関の外に立っていたら
鳩がやたらと上空を飛んでいることに気付いた。
上空といっても空までいかない。
実家の二階の屋根に何羽か並んでいたり、
そしてその鳩の出処はうちの破れた軒下からだった。

古い板張りの軒下が割れて鳩が入れるほどの隙間で、
そこから次々に、
マジックショーかと思うぐらい五羽も六羽も飛び出していた。
飛び出していく鳩もいれば帰ってくる鳩もいて、
我が物顔でするっと入っていきちょっとだけ顔を出して、
道路沿いから見上げるぼくのことを怪しい人かのように見る。

よくよく足元を見ると、
白や黄色が混じった糞で道が汚れている。
思わずぼくは後ずさった、今にも頭の上に落とされそうだ。
「ここはいつから鳩に乗っ取られたのか?」
ぼくはすぐ家の中にいる父親にこの事態を伝えに言った。

「昼寝してるとよく屋根裏からクルルル、クルルルなんて音がするわ」
と鳩がいることは知っていた。
早めに対策を取らなきゃ家がひどいことになるんじゃないかとぼくは言った。
「おれが鳩を追い出すか、鳩におれが追い出されるか、だな」
とゆっくり構えている。

考えが実行に移されるまでに時間のかかる父親であるけれど、
今回は想像以上に対応が早かった。
(それでも春まではかかったけど)
暖かくなって父親がコタツから出れるようになった頃、
父親は鳩を追い出す作戦に乗りだした。
知人の協力のもと天井を剥がして、
鳩を全部追い出してから、破れた軒天を修復するという計画だ。

鳩がどれだけの期間うちの実家の屋根裏を占拠していたのか、
ぼくは正確には知らないけど、
その天井を剥がそうと手をかけた途端メリメリ音がしたと思ったら、
天井の一部が丸ごとどっさり落下した。
粉塵でモクモクしたものを見るとそれは100キロ近くもある鳩の糞だった。
それは粉塵ではなく、糞塵だった。

これは普段父親が寝起きしている部屋の天井のことで、
つまり仰向けになって見える天井越しには100キロの鳩糞があり、
それが日増しに増えていっているということで、
おそらくもう少しのところで父親は寝ているところを
重さで耐えきれなくなり天井を突き破った鳩糞に埋もれて死ぬところだった。

ともかくその鳩糞は軽トラでゴミセンターに二往復分の量があった。
そして屋根裏をのぞくとそこにはまだ飛べない鳩の子供がいた。
一ヶ月後父親に会うと
「今、鳩の子供が飛ぶ練習をしてるから、たぶんもうすぐ出て行くわ。
そうしたら軒天を修理すればいい」
と言う。
これを人に話すとなんだか優しい気持ちになるわーと言っていたけど、
ぼくはここまで、生死ギリギリのところまで人間が鳩に追い詰められた
話しを聞いたことがない。