今、幡豆のサイクリングマップを作ってます。
今年の6月ごろからオーシャンでレンタルサイクルを用意して、
幡豆町内を楽しく巡ってもらいたいと考えてはじめた計画です。
オーシャンには遠方から来る方が多くて、
「どうせならどこかに寄っていきたいんだけど
どこかオススメの場所ありますか?」
とよく聞かれる。
そういうときサッと出せるマップがあればなーと。
ぼくは幡豆町には二年住んでいたんですけど、
その間、幡豆らしい場所にはどこも出かけぬまま幡豆を出ました。
弘法山の八八か所巡りも、
町内の干物屋さんにも、
お寺にも神社にも、
ほんとにどこにも出かけず店と家の往復だけでした。
そこでようやく、
幡豆で働らきはじめて六年も経とうという頃になって、
幡豆を知ろうと思い立ちました。
まずは、何はさておき図書館へ出かけました。
例えば幡豆図書館に行くと、
〈幡豆歴史コーナー〉
があってそこには昔の白黒写真が載っている本や、
昔話集、弥生時代から現代に至るまでの道筋が書かれたものなどが読めます。
そういう本から何が分かるかというと、
昔は幡豆の山から切り出される幡豆石がブランドになってよく石が売れたとか、
そのまたはるか昔には崑崙人が漂着して、
持っていた綿の種を植えて幡豆で織布が盛んになったとかいうことが分かります。
この幡豆図書館の敷地内には〈幡豆歴史民俗資料館〉がありまして、
ぼくは六年もこの図書館に通っていてはじめてその存在を知ったんですけど、
ここには漁師や養蚕などで使う古い道具から生活雑貨までを見学できます。
それからガラスケースに昔の書物が保管されています。
この中に1923年に刊行された『愛知県幡豆郡誌』がありました。
この書物はインターネット上で読むことができて、
「幡豆」の名前の起源として二つの説が書かれています。
①南海にわたり、山脈の海中に蓋くる所、その狀笘筈に似たりよりて、
その地方を羽豆の郷と呼んだ。
②宮崎村、幡豆神社の祭神で建稲種命が日本武尊征伐のさい、
褊裨御幡頭となって従軍した。のちに宮崎村に葬られたことで、
そのあたりを幡頭の郷と称えた。
この建稲種命がなぜ宮崎村で葬られたかというと、
駿河の国で水鳥を射ろうとしたらその弾みで船から海に落ちて、
幡豆の宮崎村の岬にドザエモンとして漂着したところによる。
狀笘筈ってどんな形だ?
わかりません、誰か知ってる人がいたら教えてください。
ともかくこういう感じで、
サイクリングマップの役に立つのか立たないのか
よく分かりませんけど横道に逸れながら調べています。
完成を楽しみにお待ちください。
6月にはできるHAZUです。
もし、ここは組み込んで欲しい!
という店や道や場所などあればぜひ教えてください。
0 件のコメント:
コメントを投稿