2016年11月16日水曜日

メニューのタイトルで悩む

大きな飲食店ではどうか知りませんけど、
小さな飲食店をやっていると料理だけにかぎらず、
商品のポップ作りからストローの発注、ウッドデッキのペンキ塗り、薪割りなど
無限に仕事があります。

その中のメニューのタイトル決めというのでぼくはよく悩みます。
コーヒーひとつとっても
「コーヒー」「ブレンドコーヒー」「ホットコーヒー」
「ドリップコーヒー」「アメリカーノ」「炭焼きコーヒー」
「有機栽培コーヒー」「オリジナルオーガニックブレンド」など選択肢があり、
次は淹れ方で松屋式とかKONO式とか
フレンチプレス式とかサイフォン式とか、
肩書きをつけ始めるとキリがなくなってきます。

で、こだわりをちゃんと説明してアピールしようとすると
オーシャンの場合、
「無農薬栽培の豆(グアテマラ・エチオピア・ケニア・ティモール)
を手焙煎したハンドドリップコーヒー シングル 480円」
というふうに長くなって黒板に収まらなくなりますし、
がんばって書いたところで
「ふつうのホットくれ」と言われます。

ドリンクはまだ短くてすみますけど料理になるとさらに大変です。
「マルゲリータ」とか「クワトロ・フォルマッヂ」なんかはいいです、
すでに一般的にこういうもんだという共通認識があるので。

最近はじめたピザの新メニューで「ポテトチキン」というものがあります。
ポテト。
チキン。
食材の中では、ポテトとチキンには失礼かもしれませんが、単純な部類の食材です。
さらに言えば、単語の響きすら単純です。

その二つの単純な単語をくっつけた「ポテトチキン」なんですけれども、
本当のところもっと複雑な名前にしたいピザです。

トッピングはこうです。
まず伸ばしたピザに生クリームを塗ります。
そしてオーシャン畑で採れたフェンネル、マスタード、
有機ドライトマト、北海道産無農薬栽培のジャガイモと玉ねぎ、
抗生物質不使用・非遺伝子組換え飼料で育てられたつくば鶏、
その上に生モツァレラをトッピングしたピザになります。

だから「ポテトチキン」ではなく、
「オーシャン畑で採れたフェンネル、マスタード、
有機ドライトマト、北海道産無農薬栽培のジャガイモと玉ねぎ、
抗生物質不使用・非遺伝子組換え飼料で育てられたつくば鶏、
生クリームと新鮮モツァレラのピッツァ ¥1350」
と書いてもいいんじゃないかと思ってます。
そして値段も2800円ぐらいにしてもいいんじゃないかと思ってるんですけど、
ぼく自身が単純なのでそのままにしてます。

ちょっと前に行った山梨の〈フォーハーツカフェ〉という店は、
野菜の一品料理が美味しかったんですけど黒板のタイトルはこうでした。

「じゃがいも ¥1000」
「トマト ¥900」
「ブロッコリー ¥1000」
「万願寺とうがらし ¥1200」
「さつまいも ¥1100」

すべての形容詞を排した裸一貫のメニュータイトルです。
これはさすがにもうちょっと何か情報をくれという気持ちになりましたが、
料理が出てきたときの豪快さ、大胆さに打たれました。
「じゃがいも」はちぎりじゃがいもの素揚げが山盛りとなって、
「万願寺とうがらし」は焼いたものがやはり大皿にどっさりと盛られ
踊るかつお節と醤油がまぶしてありいかにも食欲を誘います。
タイトルのシンプルさが物語る、調理のシンプルさです。

こないだ知人に連れられ西麻布の〈HOUSE〉という
ストウブ料理を出す店に行ってきましたがこっちはまるで対極でした。
ここのお店はお通しでストウブで焼いたパンが出てきます。
鍋にパンパンに詰まったパンが「パンだって鍋で焼いちゃうよ」
と言っている気がしてここは単純じゃないぞとまずかまされます。
黒板は〈フォーハーツカフェ〉がA4サイズだったのに対し、
こちらは30インチのテレビ並です。
一つひとつのタイトルがびっしり長々と書き連ねてある。
そのどれもが長くてぼくには覚えられなかったので雰囲気だけでも
書いてみるとこんな感じでした。
「高知県産カツオの炙りと三色レタスにバルサミコソース、素揚げした舞茸、岩塩で焼いた有機栽培のトマト、カリフォルニア産松の実とケーパー ¥1600」
長い名前の通り料理はテクニックが凝らされていて美味しかったです。

長い短いどっちが良いというものでもなく、
どっちも楽しめます。
これはもうタイトルをつける人の趣味ですね。
ぼくは完全に前者のタイプです。

哲学でいうと、デカルトは『方法序説』で
「私は考える、ゆえに私はある」と言いました。
これはつまり「ポテトチキン」ということになります。

そしてサルトルは『存在と無』でこう言いました。
「現象学は一切を意識の内側で考えようとするが、意識へと回収されないものもある。それが『存在』(ある)だ。
フッサールは存在を知覚に基礎づけた。だがそのことは、『不在』(ない)を考えると誤っていることがわかる。何かがそこにないということ自体は確かに存在するからだ。それゆえ、存在を知覚に基礎づけることはできない。存在はそれ自体において『ある』。
意識体系が対策をあらしめているのではない。意識が対象を構成しているのではない。なぜなら、何かが知覚されるためには、それは存在しなければならないからだ。認識は存在を開示することである」

これは
「オーシャン畑で採れたフェンネル、マスタード、有機ドライトマト、北海道産無農薬栽培のジャガイモと玉ねぎ、抗生物質不使用・非遺伝子組換え飼料で育てられたつくば鶏、生クリームと新鮮モツァレラのピッツァ」
と同じ意味です。


2016年10月28日金曜日

ディテールの追求

常連の三浦さんはいつもSUP(スタンドアップパドルボード)の帰りに
モーニングに寄ってくれる。
早朝ひと運動して朝食を食べて、お昼頃までゆっくり読書をして帰るという、
絵に描いたような理想の午前中の過ごし方をしている。

ぼくは毎度三浦さんにディテールを追求する精神にズバリと切られている。
素晴らしい本には必ずディテールが詳しく書かれている。
細部にこそ精霊が宿ると、とある小説家も言っていた。

これは先月のある天気の良い土曜日のことでした。
まだまだ暑くて、
週末にもなるとSUPやカヤックを使って海で遊ぶ人も多い。
この日、早朝は穏やかで日が昇りきって九時ごろになると
突然強い西風が吹きはじめて、
ちょっとしたら三浦さんがやってきた。

「もークタクタ!」ぼくの顔を見るなり三浦さんはいった。
「風が強いですもんね」とぼくが返事をするとすかさず、
「違うんだって!」と制止させられた。
「朝起きたとき、すげーいい天気だったんだわ。
こりゃ絶好の海日和だと思って、ウキウキして車にボードを積み込んでさ、
鼻歌気分で車で走ってきたの。
で海に着くじゃん。そしたらちょっと風が出てきたのを感じたんだよね。
あれ、これどうなっちゃうの?なんて思ったけど、
ボードも車から降ろしたしさ、もう入るしかないでしょ(海に)。
んでヨッシーに(近くの店のツアーガイド)に会いに行こうと思って
西浦のマリーナまで行ったんだわ。
だけど着いたらヨッシー休みじゃん!
なんだよと思って戻ろうとしたらいきなり風が吹いてくんの、
逆風で風超強いじゃん、ぜんぜん進まないからさ、もうクタクタ!」

やっぱり風じゃん!とぼくは内心叫んだ。
しかしすぐに落ち度はぼくにあるかもしれないと考えた。
三浦さんのクタクタ感を
「風が強い」の一言で簡単に表現したのが違ったのかもしれない。

また次の土曜日。
この日早朝から海は凪いでいて、
波のまったく無い水面は寒天のようにぷるんとして平らだった。
朝からお客さんのスナメリ目撃情報でフィーバーしていた。

「今日めちゃくちゃスナメリいるじゃん!」
三浦さんは入ってくるなりテンションが高かった。
なのでぼくも「今日は波がないですもんね」と返事をしたのだがすかさず、
「違うんだって!」と制止させられた。
「梶島まで行く間に十匹も二十匹もスナメリが見えたよ、しかも家族で!
朝から曇りだったでしょ?
はー、なんか気分上がんねーなーと思って来たんだわ。
そしたら、もう海ペッタペタじゃん。
一漕ぎで進む進む。だけどこれじゃ簡単すぎるんだよね。
ちょっと波があってバランスを取りながら身体を使うのがいいんだって。
それにしてもさ、スナメリがうじゃうじゃいるね。
波がまったくないから、そこら中で見えるんだって!」

やっぱり波じゃん!ぼくは再び内心で叫んだ。
しかし、これもスナメリで気分が上がっているところを、
ぼくが「波がないですもんね」と
一言で済ませてしまったからいけないのかも知れない。

これから三浦さんに返事をするときはワンセンテンスじゃなく、
びっしり十行分ぐらいの返事をしてみます。

2016年10月19日水曜日

三度のパンク

今年ぼくのスマートは三度目のパンクをしました。
もちろん一年の間に三度パンクするのははじめてで、
まだ今年も数ヶ月あるから四度目の可能性も秘めている。
人から嫌がらせに穴を空けられたわけではないのがせめてもの慰めです。

最初は一月だか二月のまだ寒いときのこと。
仕事が終わって店を出て五分ほど走るとなんの前触れもなく
(パンクに前触れがあるといいんですけど)
「バタバタバタバタ」と音を立てはじめた。
ガソリンスタンドが100メートル付近のところにあったので、
そこまで慎重に動かして停めさせてもらいました。

そこのスタンドには丁度ぼくの学生時代からの先輩がいて給油中でした。
パンクの騒音を立てて乗り付けたぼくに気付きました。
そして地元では顔が売れているその先輩はタイヤ屋さんに電話をしてくれて、
その三十分後にはスマートの右後輪のタイヤが交換されて
ぼくは家路につくことができました。

たまたまその先輩の五分ほどの給油中に乗り付けて、
その先輩が馴染みのタイヤ屋さんを知らなければ
おそらくぼくはスタンドに車を置いて迎えを呼ぶことになっていました。
時間は夜も七時を過ぎてスタンドもタイヤ屋さんも
まもなく店を閉めるところだったのです。

パンクという不運一つに対して、
三十分後には修理まで漕ぎつけることができた幸運は
三つか四つの連鎖状のもので、
むしろラッキーな気持ちで帰ることができました。

次は左後輪でした。
朝、七時ごろ家を出ようと車を発進させると、
すぐに違和感を感じたので見ると左後輪がペシャンコになっていました。
ぼくはすぐに職場に向かわないといけなかったので、
スマートを置いて妻の車で向かい、
同じタイヤ屋さんに連絡をして出張修理をお願いしました。
鉄の破片を前日踏んでいて、
夜の間に空気が抜けていたのです。

三度目の今回が右前輪で、
店からの帰宅途中で家から十分ほどの交差点でタイヤがバーストしました。
大きな破裂音があったわけではなく、
信号待ちをしていて走り出そうとしたら突然またバタバタ言いはじめたので、
このときぼくはもう戸惑うこともなくパンクだと判断し、
歩道の広い場所に寄せてぼくもお馴染みになったタイヤ屋さんに電話をしました。
しかし時間はもう八時を過ぎていて誰も出ません。

仕方なく妻に迎えを頼もうと連絡しても応答がありません。
ついにここで「パンクしてもすぐに誰かに助けてもらえる運」も尽きたと、
荷物を車から運び出してとぼとぼ歩いて帰りました。

翌日、再び出張修理をお願いすると、
「前輪二本はもともと劣化していたので合わせて交換しましょう」
と結局一年も経たないうちに四つのタイヤすべてに
手をかけることになりました。

ところで、ぼくはパンク自慢をしたいわけではなく、
この三度のパンクを書きはじめれば深い関連性をもって
文学的な価値が生まれるんじゃないかと期待していたんですけど、
ダメでした。
ただのバラバラな三度のパンクでした。

しかしまったく無価値なブログでは
アップしないほうがまだマシと言われかねないので、
一つだけパンクタイヤの有益な使い方を教えます。

このパンクタイヤをまず太い丸太の上に置きます。
細い丸太ではタイヤが筒抜けになって乗らないからダメです。
そして丸太の上に薪を置いて斧を使って薪割りをしましょう。
細い薪や歪んだ薪も平気です。
周りのタイヤに立て掛ければ薪が倒れず狙いを定めることができます。
以上、みなさんのお役に立ちますように。

2016年10月11日火曜日

ぼくと歯磨き

最近ココナッツオイルで口をゆすいでます。
朝いちばんにハミガキをしてから大さじ一杯のオイルを五分ほど口に含み、
そのあとは飲み込まずに吐きだす。
流しに吐きだすとココナッツオイルが排水管の中で固まって詰まるから
ゴミ箱に吐きだす。

試してみたことがないと油っこくて気持ち悪いと思うかもしれませんが、
風味の良い油は口に含んでも嫌な感じはしません。
料理をしているとオリーブオイルでも菜種油でも、
色んな油をそのまま味見するせいか、
油だけを口に入れることに抵抗がなくなります。

ココナッツオイルは歯のためではなく、
熱を加えても酸化しにくい油だと聞いたので
これで揚物をしてみようと買ったものがうちに放置されていました。
そこに母親がアメリカから半年ぶりぐらいにやってきて、
しばらく前から母親は歯が悪かったんですけど、
このアメリカで流行っているココナッツオイル健康法を試していたのです。

「歯と歯茎にいいらしい」と言うので、
ぼくもどうせしばらく使いそうにないココナッツオイルを開封して試してます。
だけど、幸運にもぼくは健康な歯を授かったので、
効果があるのかないのかあまり分からなさそうです。

うちの母親は昔から歯に関してはとくべつ気をつかっていて、
小さい頃から歯医者には半年に一度は定期健診に連れて行かれてました。
母親は超自然派志向で、ぼくは四人兄妹ですけど、
兄妹の誰一人として病院に連れて行かれたことはありません。
ぼくが2歳のときドーベルマンに頭を噛まれて血だるまになったときも、
消毒をして絆創膏を貼っておかれただけでした。
妹や弟に関しても、
肩が抜けたとか脱臼したとかで一度ずつ病院に行ったぐらいです。

しかし母親は、こと歯と頭痛に関しては自然治癒を認めていないらしく、
頭が痛いとなるとすぐに鎮痛剤を出し、
歯は悪くなる前に歯医者に連れて行かれる。

うちでは昔、歯磨き粉はいつもナスの真っ黒の
塩っぱい歯磨き粉でぼくはそれが嫌で本物のナスも嫌いになりました。
アクアフレッシュのあのキレイな三色の歯磨き粉に憧れていましたけど、
そんな着色料まみれのペンキみたいな物を
使わせるわけにはいかないと言われました。

旅先でハブラシがないときは、
指に塩をつけてそれで歯茎をこすりなさいと言われました。
妹や弟がハミガキをせずに寝てしまったのを、
母親が口を開けて磨いてやっていた光景をよく覚えています。

自分で歯磨き粉を買うようになってからはどれも変わらないだろうと、
セールになってる安いものを買っていた。
今使っているのは母親が泊まりに来て忘れていった
トムズというアメリカの会社のフェンネル味の歯磨き粉です。

フェンネルがずっと嫌いだったんですけど、
料理をするようになって畑でもフェンネルを育てていて慣れたのか、
このフェンネル味の歯磨き粉が好きになりました。

そういえば三、四年間は歯磨き粉を使っていない時期もありました。
歯医者でハミガキの指導をされたときに、
歯磨き粉を使うと泡立ってすぐに口がいっぱいになってしまうから、
長く磨くために歯磨き粉を使うなと言われてそうしてました。

歯磨きとはちょっと話しが変わりますが、
口内炎ができたときに当時付き合っていた彼女に痛い痛いと言っていたら、
赤く腫れている部位に塩を塗りつけて
ハブラシでゴシゴシこすると良くなるよと言われてやってみました。
今思うと、ぼくは何かダマされて復讐をされていたんですかね?

2016年10月7日金曜日

アパートを貫通する風

ぼくの部屋には北側にひとつ窓があります。
ぼくが好きな、アルミサッシの窓です。

ぼくはアパート住まいなんですけど、
自分の部屋というものがあります。
2LDKのメゾネットタイプで、
一階の玄関を開けるとすぐ階段になっています。
二階がLDKになっていて、
三階の二部屋に寝室とぼくの部屋があります。

妻には自分の部屋はありません。
彼女が居間の飾り付けなどを含めて自由に使うという条件で、
ぼくは自分の部屋を勝ち取りました。
結婚をして引っ越しをする前から
ぼくは自分の部屋が欲しいと主張していました。

しかし今、このアパートに引っ越してきて二年近く経ちますけど、
自分の部屋というものがいつの間にか無くなっていることに気付いた。
ぼくがなぜ自分の部屋に執着しているのかというと「自分の時間の確保」です。
ぼくは自分の部屋をシェルターのような、
内側からしか開けられない密室空間をイメージしていました。

結婚をしても、子供が産まれても、世界がどう転んでも、
「自分の時間の確保」だけは主張したかったんです。
一人の時間=アイデンティティの確保という考えがありました。

しかし子供が産まれた今、
部屋に閉じこもってさえいれば「自分の時間の確保」ができると思ったら
大間違いだということを知りました。
たとえ扉を閉じていたとしても関係なく。

「パパー!パパーー!!」
と大きな声がぼくを呼ぶ。
当然四ヶ月の娘じゃありません。
妻が寝室からぼくのことを呼んでいる。
娘が目覚めたので、娘の代わりに呼んでいる、というのです。

パソコンから振り向いて、南側の部屋の扉を開けると、
まるで外に出たみたいな風を浴びる。
寝室の扉は開いていて、
正面の寝室の奥のベランダにつながる建具も開け放ってある。
ぼくの部屋の扉がせき止めていた風は、
アパート二つの部屋を貫通して部屋中に風が踊りこみ、
これが水なら水浸しというように、風浸しになる。

ぼくはしばらくその風を浴びてボーと立つ。
いつも開けっ放しにしておくと
アパートには屋根も庇も短くて雨が降ったときは、
窓周りがひどく水浸しになるから気を付けないといけない。
ほんとは出かけるときも開けっ放しにして、
いつも空気が流れている状態だったらいいなと思うんですけど、
短い屋根と庇のせいで出かける前には戸締りのチェックが必要です。

ふいにドアが風圧のせいで大きな音を立てて閉まる。
ボーとしていたぼくはそれに驚く。
赤ん坊も驚き、妻も驚くけど、
学習せずに同じことを何度もやってしまう。

これは気密性が高い住居に起きる現象みたいです。
ぼくが好きなアルミサッシも原因の一つです。
これまでぼくはほとんどの人生を木枠の家で過ごしてきました。
木枠の家でこんな現象はありませんでした。
木枠の家にあることは、隙間風と雨漏りです。
ピッツェリア・オーシャンもわざと古木を使って木枠で仕上げてあります。
一見おしゃれなのかもしれませんが、
ぼくからすると「アルミサッシのが快適で楽だよなー」です。

結局、ぼくは何の話しがしたいということもなく、
ドアを閉めているからといって「自分の時間の確保」ができるわけではなく、
ドアを開けているからといって風圧で勝手に閉じられるんです。
ドア一つだって思い通りに開け閉めができないのに、
ブログを書くことやピザを焼くことが思い通りにいくものかと、
これは部屋を貫いていった風神の落としものの啓示なんですかね。

2016年9月26日月曜日

念願のオリジナルビール

念願のオリジナルビールを作ってきました!
オーシャンで扱わせてもらっているビール屋さんの〈Hyappa Brews〉
の力を借りまして、
1タンク180リットル仕込んできました。

〈Hyappa Brews〉の醸造所は蒲郡市西浦の、
オーシャンから車で15分ほどのところにあります。
辞めてしまった酒屋さんを改装して、
昔は牛乳を作るために使っていたタンク設備を改造して
三年ほど前に始動しはじめた醸造所です。

ぼくらオーシャンスタッフ勢は12時に現地集合しまして、
まずアメリカ人オーナーのクレッグとともに働く美人醸造家である
富成さんのビール講義を受けました。
麦芽の作り方、ホップの選び方、熟成による味の変化など。

いろんな麦芽を味見させてもらいました。
大麦から小麦、黒くなるまで炒ったもから炒らないものまで、
(麦芽をローストしたりするのがコーヒー豆のようです)
同じ麦でも風味がぜんぜん違います。
噛んだときに甘味、苦味が滲んでおいしいグラノラという感じです。

ぼくらの作業は麦芽を挽くところからはじまりました。
普段は業務用の電動ミルで挽くそうですけど、
この日は特別に手動のミルを出していただきました。
「機械使ったらすぐ終わっちゃうし、疲れたほうが楽しいでしょ?」
というクレッグの考えで。
日本ではまず見かけないですが、
アメリカでは家庭醸造が一般的に行われているので、
こういう手動のミルは珍しいものではないそうです。

【手動ミルで麦芽を挽く】

オリジナルビールの麦芽配合は
小麦を一割ぐらい、大麦を九割ぐらいです(数量を聞くのを忘れた)。
小麦麦芽は硬くて挽くのに力がいります。
大麦麦芽は軽くてすいすいと簡単に挽けます。

この砕いた麦芽をタンクに入れて水を張り、
かき混ぜつつ一時間か一時間半ぐらい煮ます。
ビールっぽいといえばビールっぽい、甘い匂いが室内に広がります。
これがビールの基となる麦汁です。
タンクの中を覗くと、濁った感じが味噌汁みたいです。
この味噌汁のような麦汁を濾します。
この濾され方も面白くて、
中に沈殿した麦芽自体が自然のフィルターとなって
きれいな麦汁となって出てきます。

【麦汁をかき混ぜる】

作業工程は複雑ではないものの、簡単ではありません。
温度管理や決められた時間煮沸したり、
煮ては冷ましては、材料を入れてまた煮ては冷ましてと続きます。
一、二時間待っては次の作業というように中休みがけっこうあります。
その中休みに持ってきたソーセージをBBQで焼いたり、
ヒャッパのビールを飲んだりして過ごします。

麦汁ができたら今度はホップを入れます。
ホップはドイツのマンダリナ・バーバリアという
オレンジ系の香りのものを選びました。
ホップは煮沸させている麦汁の中に三回に分けて投入しました。
最初にホップを入れて一時間、
煮沸を終える五分前に二回目。
最後に火を止めて残りのホップを入れる。
同じホップでも入れるタイミングで
引き出される苦味や香りが変化するのです。
ここまでの段階を経た液体をウォートといいます。
グリーンビアー(ホップを入れて緑ぽくなったから)ともいうそうです。

【笑顔でホップを入れる】

このあとウォートチラーという設備でウォートを20度まで下げます。
そしてようやくアルコールを作るところまできました。
通常ならここでタンクに酵母を入れて発酵というところですが、
それではオリジナルビールの甲斐がないですから、
ここで用意してきた材料を出します。

今回は容器を分けて4パターン仕込みました。
①レモングラス
②レモングラス+摘果みかん
③パクチー
④青梅黒糖蜜

【レモングラスの収穫】

【雨が降って元気になってきたパクチー】

今の季節の元気なハーブや果実を選びました。
青梅黒糖蜜は入れることで、
糖度が他と比べて高くなるのでしっかりしたボディー、
アルコール度数も高めになるかもしれません。
他のフレッシュハーブ類はどんな特徴が現れるのかぼくにはまだ想像できません。
クレッグも富成さんも「まあいいんじゃない」とはいうんですけど。
フレッシュパクチーをたくさん入れたビールが
飲めるものになるのかどうか心配になります。
摘果みかんのせいで酸っぱくなりすぎたらどうしよう。
できあがりを待つしかありません。

【ウォートを注ぐ】

タンクにこれらのハーブや果実を入れた中にウォートを流し込み、
最後に酵母を入れます。
酵母にもいろんな種類があるそうで、
もうどんな掛け合わせでどうなるのかというのがさっぱりイメージできません。
もう任せますという感じで、
レモングラスやパクチーのほうには胡椒のピリッとした味の出る酵母を、
青梅黒糖蜜のほうにはこの味自体を邪魔しない酵母を選んでくれました。

20度に設定した貯蔵庫の中で十日ほど発酵させたらアルコールができます。
そのあと樽詰めにして砂糖を入れて炭酸を作ります。
計一ヶ月で飲めるところまでいきます。
ものによっては熟成させるとより一層美味しくなるということです。

十月の終わり頃にビール完成パーティーなどできたらと思ってます。
そのときはぜひ飲みに来てください!

2016年9月6日火曜日

動揺してますか?

みなさんは動揺したとき、
何か良い対処法を持ってますか?

人が一日にどれだけの回数、
どれだけの重さで動揺するのか分かりませんけど、
自分の動揺レベルを解析すると
「回数は多く、中身は軽い」といった感じだと思ってます。

たとえばぼくがどんなことで動揺するかというと、
一言で、対人関係につきます。

ぼくはピザ職人でサービス業ですから
毎日色んなお客さんとも接するし、
十人ほどのスタッフとも接します。
で、動揺するときはどんなときかと考えると、
人と接しているときには動揺はないんですよね。

人との会話などで触れ合った後、
思い返すときに想像の世界の中で動揺しているんです。

自分の振る舞いは正しかったのか?
自分の言い方で誤解を与えてしまったんじゃないか?
面白いと思って言ったけど失礼だったかな?
などなど、過去の自分を振り返って動揺します。

動揺するとどうなるか。
ぼくは独り言を連発してしまう。
「しまった」
「やっぱりな」
「ああーくそー」
「なんでだ、なんでなんだ」
というような単語を
皿洗いやピザ生地を丸めるときみたいな単純作業をするときに、
ブツブツ無意識に口に出してしまうんです。

一応、独り言は無意識に選び抜かれてこれらのものになっています。
周りの人が見てあいつは狂ってると思われないように、
今の作業に当てはめてもおかしくないような抽象的な言葉です。
だから周りのスタッフが「どうかしました?」と声をかけてくれても、
ぼくは「いや、今日の生地が思ったよりも硬くて」とか
「この皿にこびりついたチーズがさー」みたいに誤魔化しています。

実はその二、三時間前のミーティングで自分が怒りに任せて暴言を吐いたり、
二、三ヶ月前に来てくれたお客さんに対して
「もっと違う接客をすれば良かった」ということや、
二、三年前に静かな店内で何枚も重ねた皿やグラス類をぶちまけて、
衝撃的な音を響かせてしまったことなど、
けっこう過去まで遡って動揺してるんです。

は!
今また無意識に「しまったなー」と言ってしまいました。
ぼーとした一瞬の空漠とした感覚に「しまったなー」と言ってしまいました。
何に動揺しているのか分からない。
もしかしてこの動揺って、
集中しているときにその作業(今ならブログを書くこと)から
気持ちが離れてしまったことに対して集中し直そうとする条件反射なのか?

集中の反対語を、動揺というんですか。
だけどそれだとピザ生地を丸めてるときとか皿洗いしてるときにも
独り言をいう意味が分からない。
だって別に集中したいと思ってないのに。
むしろ単純作業に飽きるから他のことを考えたい。

なんだかえらくややこしくなってきた。

フラッシュバックは単純作業のときに多いです。
記憶の中でいちばん鮮明な記憶は、失敗の記憶ですよね。
そう考えれば、
ぼーと浴室でシャンプーなんかしているときに
自分が思い出したくない記憶が脳裏に浮かんで「くそ!」と
反射的に大きな声で吠えてしまったりするんですけど、
納得できる気がしてきます。
居間でテレビを見ている妻が「どうしたの?何があったの?」
というんですけどぼくは「いや、なんもないよ」と苦笑いする。

表現とは記憶のことだというのがピカソの名言ですけど、
記憶とは失敗のことですね。
うまくいった記憶はあまり思い出せません。

よくよく思えば、ぼくはこの失敗という記憶にオープンです。
箱に詰めて押入れに放り込んでしまうこともなく、
いつでも眺めることができるように、
壁に画鋲で貼り付けてあってふとパソコンから目を離すと
周りは失敗をしている自分だらけなのが見える。
「なんでこんなことばっかりなんだ」と自分はいう。

動揺に強くありたいとぼくは望んでましたけど、
その特訓法がこの失敗の記憶を、
壁に画鋲で貼り付けておくことなんだという気がしてきた。
人間は無意識なる特訓を編みだすみたいです。

動揺しそうな場を避けがちのみなさん、
どうですかこの対処法。
色んなことに日々わざと動揺してみてください。
いざってとき、たとえば好みの異性が目の前に現れたとき、
動揺して口も聞けないなんてことがないようにしましょう。

この特訓の難点が一つあります、独り言が多くなることです。
くそっ!

2016年8月24日水曜日

今週日曜はRIDEALIVE2016

今週の28(日)は名古屋の自転車屋さんサークルズのイベント
『RIEDALIVE2016』開催のため、
ピッツェリアの通常営業は14時までとさせていただき、
それ以降は貸切りとなりますのでよろしくお願いします。

RIEDALIVEは今年で3年目です。
27日より自転車で走る人たちはスタートして
(コースは個人の自由で、到着地点だけが決まっている)、
三河高原でキャンプをした後に、
オーシャンがゴール地点となっています。

毎年、大勢の自転車乗りの方を迎えるのが楽しみです。
ゴール地点で参加者をお出迎えするというのは
特等席で観戦できるようなものなんですけど、
みんながゴールしたら今度はぼくを含めたピッツェリアスタッフが
ピザ100枚を焼くレースがスタートしますので、
ぼくはこのとき緊張しながら、ゴールして安堵する人たちを見ています。

ゴール地点で苦しそうな表情を見せる人は一人も見当たらなくて、
「絶対に楽しむ!」という雰囲気が参加者の笑顔から伝わってきます。
ぼくはこれに刺激を受けつつ、さらに盛り上がりに火をつけれるように、
どしどし最高のピザが焼けるように楽しみたいです。

2016年8月10日水曜日

この人がいるから働きたい

この人がいるから働きたくないとか、
職場の人間関係が辛くて、
という理由で仕事を辞める人がけっこういると思います。

仕事を選ぶときは仕事内容で選ぶんだけど、
仕事を辞めるときは人間関係が理由になる。

自分には人間関係が理由で仕事を辞めた経験はないけど、
色んな職場の人の流れを見ていてそんなふうに思いました。
やりたいと思って選んだ仕事なのに人間関係で辞めるのは本人にとって
良いことなのか、悪いことなのか、仕方がないことなのか?
職場に残る人にとってそういう原因を、
辞めていく人の問題だけにして自分たちの問題にしなくていいのか?
なんてことを考えてます。

ぼくは人間関係での悩みは少ない方だと思っているんですけど、
もしかしたら自分の意識してないところで人に圧迫感を与えて
苦しめたりしてることもあるかもしれない。
または、人間関係で苦しんでいる人がいるのにも関わらず、
自分が余計な悩みを抱えたくないので無意識に敬遠してることも
けっこうある、それはあなた自身で解決してくださいみたいな。

人と接するときに「距離感」という言い方がある。
どこで線引きをするか、ぼくはあんまり干渉をしない方で、
たとえばぼくは二年間シェアハウスの管理人をしていたけど
日本人もヨーロッパ人もラテン系もアジア系の人とも同居してみて、
疲れたという記憶がありません。

これはぼくが人と接するのが上手いとか、
コミュニケーションがしっかり取れてるとかではまったくなく、
むしろその逆で、
相手に干渉しなかったからです。

ホセというがさつなスペイン人が同居人で来ていたとき、
彼はきれい好きではなかったので部屋がどんどん荒れていった。
土足でベッドに寝転ぶし、
畑から泥だらけの足で帰ってきてそのまま部屋に上るという感じで、
日本のルールを無視する人がいても、
ぼくはそういうことを一つも気にせず、
たまに遊びに来たスタッフがひどい有様を見て
やっと注意をしてもらったぐらいです。

たぶんぼくは管理人としてはダメな人で、
グループ内のルールを決めたりすることがめんどくさいと思ってしまいます。
ぼくの対人関係での悩みの少なさは、
相手に干渉しないところから来ていそうです。
別の見方では、対人関係を築こうとしないから悩まないだけとも。

お互いに干渉さえしなければ平和が保たれますよね。
だけどそれは、
周りがどんどん崩落していって自分の足場が崩れるまでの
つかの間の平和だけかもしれない。

そこで話しを戻すと、
職場内の人間関係で辛くなったり苦しくなったりする人は、
こんな二つの理由があるんじゃないか。
一つが周囲の人から仕事のことで干渉されること。
「効率が悪い」「そのやり方は間違ってる」「何で教えたことができないのか」
など、自分の仕事を認められずにできてないことばかり指摘される。
またもう一つが対人関係を築きたいのに築けないこと。
グループから仲間外れにされるような疎外感、孤独感で、
「自分はこの場に合わない、受け入れられない」というような感覚。

もちろん人間関係の悩みは千差万別でしょうけど、
周りから認めてもらって輪に加わってる安心感が人には必要かもしれない。

強者揃いの会社にはそんな安心感はぬるま湯以外の何物でもない
っていうふうにも言えます。
自分の居場所は自分で勝ち取るものだと。
相手に干渉されるような仕事しかできてないんじゃダメだよねと。

会社がオーケストラで、職場がコンサートの舞台だとしたら、
自分の担当のヴァイオリンならヴァイオリン、
ピアノならピアノをさっと演奏して舞台が終わったらささっと帰る。
そこで必要なことは個人の能力に磨きをかけることで、
楽団員同士の円満な関係ではないですよね。

それは分かるんです。
楽団員同士の好き嫌いで自分の演奏を振り回されるのは、
そもそも自分の演奏能力がプロレベルに達していないからだと。
出直してきなさい、と。
だけど、そこで人は簡単に自分が頑張ってきたヴァイオリンを嫌いになる。

反対に、好きでも嫌いでもなく就職した職場で、
尊敬できる先輩が出来てはじめて仕事が好きになる人もいる。

こんなコンセプトのもとで働きたい、よりも、
この人がいるから働きたい、
という理由で選ばれる職場のほうが良い職場だという気がするんですけど、
どう思います?

2016年8月1日月曜日

鳩の占拠

うちの実家は築80年だそうで、
宮大工が釘を一本も使わずに作ったしっかりした家だけど
けっこうガタがきている。

今年の冬のことだった。
実家の玄関の外に立っていたら
鳩がやたらと上空を飛んでいることに気付いた。
上空といっても空までいかない。
実家の二階の屋根に何羽か並んでいたり、
そしてその鳩の出処はうちの破れた軒下からだった。

古い板張りの軒下が割れて鳩が入れるほどの隙間で、
そこから次々に、
マジックショーかと思うぐらい五羽も六羽も飛び出していた。
飛び出していく鳩もいれば帰ってくる鳩もいて、
我が物顔でするっと入っていきちょっとだけ顔を出して、
道路沿いから見上げるぼくのことを怪しい人かのように見る。

よくよく足元を見ると、
白や黄色が混じった糞で道が汚れている。
思わずぼくは後ずさった、今にも頭の上に落とされそうだ。
「ここはいつから鳩に乗っ取られたのか?」
ぼくはすぐ家の中にいる父親にこの事態を伝えに言った。

「昼寝してるとよく屋根裏からクルルル、クルルルなんて音がするわ」
と鳩がいることは知っていた。
早めに対策を取らなきゃ家がひどいことになるんじゃないかとぼくは言った。
「おれが鳩を追い出すか、鳩におれが追い出されるか、だな」
とゆっくり構えている。

考えが実行に移されるまでに時間のかかる父親であるけれど、
今回は想像以上に対応が早かった。
(それでも春まではかかったけど)
暖かくなって父親がコタツから出れるようになった頃、
父親は鳩を追い出す作戦に乗りだした。
知人の協力のもと天井を剥がして、
鳩を全部追い出してから、破れた軒天を修復するという計画だ。

鳩がどれだけの期間うちの実家の屋根裏を占拠していたのか、
ぼくは正確には知らないけど、
その天井を剥がそうと手をかけた途端メリメリ音がしたと思ったら、
天井の一部が丸ごとどっさり落下した。
粉塵でモクモクしたものを見るとそれは100キロ近くもある鳩の糞だった。
それは粉塵ではなく、糞塵だった。

これは普段父親が寝起きしている部屋の天井のことで、
つまり仰向けになって見える天井越しには100キロの鳩糞があり、
それが日増しに増えていっているということで、
おそらくもう少しのところで父親は寝ているところを
重さで耐えきれなくなり天井を突き破った鳩糞に埋もれて死ぬところだった。

ともかくその鳩糞は軽トラでゴミセンターに二往復分の量があった。
そして屋根裏をのぞくとそこにはまだ飛べない鳩の子供がいた。
一ヶ月後父親に会うと
「今、鳩の子供が飛ぶ練習をしてるから、たぶんもうすぐ出て行くわ。
そうしたら軒天を修理すればいい」
と言う。
これを人に話すとなんだか優しい気持ちになるわーと言っていたけど、
ぼくはここまで、生死ギリギリのところまで人間が鳩に追い詰められた
話しを聞いたことがない。


2016年7月12日火曜日

三周年記念特典

・7月14日でピッツェリアは三周年になります。
スタッフに教えてもらわなければ何事もなく過ごしていたところです。
しかし知ったからには記念日を祝して何か特典を付けたいと思います。
来てくれてピザを頼んでくれた方には、
ドリンクメニューからどれでも一杯無料でサービスします!
もちろん地元ヒャッパ・ブリューズの生ビールも選んでもらえますので、
平日ですけどぜひお越しください。
そのさい条件といたしまして注文のときこう言ってください。

「三周年おめでとう!」と。
ビックリマークはできれば付けてもらいたいですけど無くてもいいです。

・また、今週の17(日)18(月)の二日間は〈和cafe千草〉が
オーシャンでかき氷屋さんを出店してくれます!
かき氷を食べれば梅雨も明けて夏本番な気持ちが味わえますので、
こちらもぜひ体冷ましにいらしてください。
当日のかき氷は氷がなくなり次第終了です。
去年はたしか三〜四時頃で終了しました。

・こないだの七夕では毎年恒例になっていますが、
笹竹を用意しまして来てくれた方が短冊に願い事を書いていってくれました。
ぼくも願い事を朝から夕方まで考えていましたけど、
願い事って難しいですね。
結局願い事の定番「商売繁盛家内安全」を祈りました。

うちにも子供が産まれまして、
守ってあげなきゃという人が一人増えると、
こういう定番の願い事も使い古された感じを意識せず、
むしろ気持ちがこもっていい願い事をした気持ちになります。
「商売繁盛家内安全」
昔からみんなが願い事にしてきただけあって、
願い漏れがありませんね。


2016年6月23日木曜日

夏営業のお知らせ

・夏の営業時間について、
これまでオーシャンでは毎年サマータイム営業を行ってきましたが、
今年は営業時間の延長をしないことを決めました。
夏の夜の涼しい時間を楽しみにしてくれてる方もいるので心苦しいです。
しかし今年は人手不足と、
生地の仕込みに限りがあり、
夜までもたないと判断しました。

ショップカードなどでも夏季営業は午後九時までの
表記となっておりますが、
午後七時までに訂正しております。
ホームページやメディア関連などでも夏季営業を宣伝しておりましたので、
お間違えないようにお願いします。
遊びに来てくれる計画を立てていた方、
今年は行ってやろうかなと思ってくださっていた方、
大変申し訳ありません。

ですが〈ピッツェリア・オーシャン〉のほうでは
10名様以上のご予約で貸切りディナー営業を受付けいたします。
機会があればぜひ使ってください。
詳細はお電話くださいませ。

そして毎年「満月BAR」というイベントをやっていますが、
こちらは9、10月の満月の夜に開催を予定していますので
またおって告知をさせていただきます。

・一昨年はオーシャンにウーファーとして来た人たちが20人いました。
(ウーファーについてはこちらを見てください)
去年は少なくて3人ほどで、
今年も3〜5人ぐらいになりそうです。

先月から一人来ているイスラエル人のクッパは21歳で、
神奈川から幡豆町までヒッチハイクで来た元気な青年です。
口癖は「イモヤロー」と「イカレテル」です。
朝や夜には部屋着としてどこで手に入れたのか浴衣を着ているんですけど、
帯がないので入場前のボクサーみたいです。

来月からは去年ハワイ島で知り合った日本人の女の子が来てくれる予定です。
その子はコナコーヒー農園のピックを手伝っていると言っていました。
色んな人が訪ねてきては去り、
血の巡りが良い身体のようで、
いつも新鮮で健康な職場だと感じます。

2016年5月30日月曜日

さとの玉子がオーシャンに来る

来月から〈とりのさと農園〉さんの卵を使わせていただくことが決まりました。
先日スタッフのみんなで見学にお邪魔しました。
社会科見学です。
ぼくは鶏舎についてはまったく詳しくありませんけど、
ここの南知多町の鶏舎はなんとも風通しが良くて快適そうな場所でした。

ニワトリが驚くといけないのであんまり近付くことはできません。
事前に「赤いものは身につけないように」とも言われてました。
赤色に気を付けないといけないのは牛だけかと思ってましたけど、
ニワトリは赤色を見ると興奮して玉子を産まなくなるそうです。

こちらの農園では鶏が平飼いされております。
平飼いとはケージに入れられず広い場所で飼われていることを言います。
サッカーグラウンドぐらいの広さに鶏舎が並んでいて、
ぜんぶで500羽いるそうです。

ぼくらは7人でしたけど、
鶏舎の周りを歩くのに「一塊になって移動するように」とのこと。
ばらばらに多人数が歩き回ると
ニワトリが外敵だと反応して興奮するのでこれも精神衛生上よくないのです。
そして、大きな声を出さずに声を小さく。

そんなふうに気をつけていることもあって
たくさんニワトリがいるのに水を打ったように静かです。
緑の芝生の上をさらさら流れる風の音と、
ニワトリがもぞもぞ動く音が聞こえるだけの静けさです。
ニワトリとはコケコケ騒がしくするものだとばかり思ってましたが、
静かなのが正常な状態のようです。

「ここの鶏舎には、他の鶏舎ならどこでもあるものがありません。
なんだか分かりますか?」

とガイドをしてくれた若奥さんの由岐穂さんがぼくらに質問を出しました。
鶏糞の山がない、というのが答えでした。
これだけのニワトリがいると必ず蓄積する鶏糞。
では毎日たくさん出る鶏糞はどこにいくのか。

これがなんと、どこにもいきません。
どこにもいかないというか、
ニワトリは糞をしたらそのままだというのです。
するとその糞がどうなるのかというと、
土の中にいるバクテリアが分解してくれて土と一緒になるのです。

その結果ぐちょぐちょの糞は分解されて、
さらさらの土になり、
その土がたまったら畑での野菜作りに使われるのです。
このとてつもなくすごい循環型の玉子・野菜の生産方式の詳しいことは
こちらのホームページでご覧ください。

こちらの「さとの玉子」は貴重で数にかぎりがありますけど、
キッチンでは手打ちパスタに、
ピッツェリアでは玉子がのったピザのビスマルクに使う予定です。
ぜひ食べてみてください!






2016年5月11日水曜日

人情が商売のはじまり

昨日と一昨日は二連休を取らしていただきました。

休みは瀬戸市のマルミツ陶器に買い物に行ってきました。
店のものと、ついでに家のものも一緒に。
ピザ皿と取皿、それからドリンクグラス。

食器類は割れたりもして少なくなっていたんですけど、
それ以上に去年の12月に店を改装してから席数が30席から50席へと増えまして、
全席埋まると食器が足らなくなるということに、
GW中にやっと気付きました。

私物ではずっと欲しかった急須と、
皿を数枚買いました。
最近よく緑茶を飲むようになって、
ちゃんとした良い急須が欲しいと思っていたのです。

しかしこのカッコイイと思った急須を家に帰って早速使ってみると、
ちょっと使いづらい。
そそぎ口から液が垂れてしまう。
使い方の問題か?
もう少し使ってみようと思います。


夜は、最近はまっている『あさが来た』をDVDで借りて見てます。
ぼくはこの時代の商人の仕事を想像するのが大好きです。
堅物の番頭とか、のれんを守るとか、仕事をしない若旦那とかが好きです。
落語も「千両蜜柑」とか「百年目」の商人物語が好きです。
どの物語も人情が深く関わっていて、
商売がはじまる前には必ず人情がからんでいるんですよね。
そしていちばん面白いところがこの人情のいざこざです。

そこでいざ自分の仕事の中で、
日常ではどんなときに人情いざこざがあるんだろう、
と振り返ってみると、
ピッツェリア・オーシャンではけっこう日常的に勃発してるなと思いました。

オーシャン内の他の部門ではどうなのか把握してませんけど、
自分がいる場所ではちゃんといざこざが起こっています。
ぼく自身が上辺を取り繕った言い方ができなかったり、
不自然な人間関係に耐えられなかったりするので、
苦しみから解放されるためにもなるべく思ったことを言うようにしてます。

思ったことを言う=人情ではないかもしれませんけど、
思ったことを言える場は人の感情も伝わる場になりますからね。

職場で周りに色んな人がいるのに、
周りの人が何を考えているのか分からないのは、
すごく居心地が悪いです。

自分がいる職場はそういうふうにはしたくなくて、
ぼくと誰かが、あるいは誰かと誰かが、性格が合う合わない関係なく、
思ったことを言える職場でありたいと思っております。

だけどこの思ったことを言うのと、
感情的にぶつけるというのはまた違うので、
ぼくは感情に流されないように気をつけたいです。

すぐ頭に血がのぼる人には思ったことも言いづらいですから、
「この人には何を言っても平気だな」
と肩の力が抜けるような軽薄?な人になりたいです。

2016年4月27日水曜日

板チョコ、アンチョビ、マカダミア

半年ほど前からiPhoneの付箋アプリを使っているんですけど、
これがぼくには使いやすくて日常の便利アイテムになっています。
アプリなのに便利アイテムなんて変な言い方ですよね?
だってアプリはただの電気で光る画面なのに。

アイテムはちゃんと掴めて触れるものなはずです。
宝箱を開けると剣とかポーションが入っている、というようものがアイテムです。
なのにぼくはもう、
掴めて触れてめくれる現実の紙の付箋よりも、
ディスプレイ上の付箋の形をした電気信号のほうが便利アイテムだと思ってるんです。
これはもう現実世界の何分の一かはヴァーチャル世界になってるということですね。

ともかく、
この付箋アプリに気付いたことを書いていて、
一日のうちに何回も開いてはチェックしてます。
買物リストとか、
やることリストとか、
読んだ本から良いと思った文章をメモしたりとか。

このアプリが日常の便利アイテムになっただけあって、
ひんぱんに使っているので見返すと古い書き込みが消去せずに残っていたりします。
その中で、消してもいいんですけどなんか気になって消せないメモ書きが、
「板チョコ、アンチョビ、マカダミア」
というものです。

これは去年の十二月にハワイに行ったときのことで、
滞在していた家の近くにオーガニックものを扱うスーパーマーケットがあって、
その外にテラス席の飲食スペースがあります。
そこにはファミリーやカップル、仕事の休憩中でお昼ご飯をしている人たちがいる。

みんなサンドイッチやこのスーパーのオリジナルスムージーや、
流行りのコンブチャを飲んでいたりする。
その中の一人の金髪の青年が一人黙々と食べていたものがこの
板チョコ、アンチョビ、マカダミアナッツでした。

テーブルの上に銀紙を破ったチョコレートと、
小瓶のフタを開けて油に浸かったアンチョビと、
缶詰のマウナロア・マカダミアナッツを広げて順番に食べている。

あなたにとってこれはおやつなのかそれとも食事なのか、
どっちなのかと聞きたかったですけど聞けませんでした。
その組み合わせは美味しいのか?
僕なら胃もたれしそうだけど大丈夫なのか?
と声をかけたかったですけどかけれませんでした。

何を食べようがその人の自由ですからね。
食事の邪魔はできませんでした。

なにはともあれ、ブログに書いたということで、
半年間もディスプレイ上に張り付いていた
「板チョコ、アンチョビ、マカダミア」
をゴミ箱にいれて消去できそうです。

2016年3月28日月曜日

四月から月曜営業はじめます

【営業日変更のお知らせ】
来月から〈ピッツェリア・オーシャン〉は週一休みに切り替えます。
これまで月火休みでしたけど、
四月からは火曜休み(祝日は振替え)に変更します!

これはなによりスタッフの成長のおかげです。
一緒に働きはじめて一年のかよこちゃんが腕を上げて、
良いピザを焼くようになりました。
これからは交代で焼くようにして、
少しでも多くのお客さんにぼくらのピザを食べてもらいたいと思ってます。

今年は一月に9時からのモーニング営業をはじめて、
二度目の変更となります。
本当は交代制で、一気に無休営業に切り替えようと思ったんですけど、
無理をきたして「やっぱり週一休みにしよう」というふうにならないように、
ちょっとずつ変えていこうと決めました。

営業日と営業時間の変更でお客さんのほうには
混乱を招いたりすることもあるかもしれませんのでごめんなさい。
より良いお店造りをしていこうと思ってますのでよろしくお願いします。

【余談】
文豪札はセルバンテスの『ドン・キホーテ』で止まってます。
文庫で六巻を読むのはなかなか時間がかかります。
しかし四月中には二十個完成する予定です(今は八個)。
そうやってみんなに宣言しています。
頻繁に宣言をしていないと進まなさそうで。

【余談2】
インターネットラジオの「学問のすすめ」を
noteというアプリで聞いているんですけど、
新しい更新で佐渡島庸平という人のインタヴューを聞いて興味が湧いて、
『ぼくらの仮説が世界をつくる』を読みました。
成長論としてチョウ面白かったのでおすすめします。

2016年3月11日金曜日

幡豆サイクリングマップ製作中

今、幡豆のサイクリングマップを作ってます。
今年の6月ごろからオーシャンでレンタルサイクルを用意して、
幡豆町内を楽しく巡ってもらいたいと考えてはじめた計画です。

オーシャンには遠方から来る方が多くて、
「どうせならどこかに寄っていきたいんだけど
どこかオススメの場所ありますか?」
とよく聞かれる。
そういうときサッと出せるマップがあればなーと。

ぼくは幡豆町には二年住んでいたんですけど、
その間、幡豆らしい場所にはどこも出かけぬまま幡豆を出ました。
弘法山の八八か所巡りも、
町内の干物屋さんにも、
お寺にも神社にも、
ほんとにどこにも出かけず店と家の往復だけでした。

そこでようやく、
幡豆で働らきはじめて六年も経とうという頃になって、
幡豆を知ろうと思い立ちました。
まずは、何はさておき図書館へ出かけました。
例えば幡豆図書館に行くと、
〈幡豆歴史コーナー〉
があってそこには昔の白黒写真が載っている本や、
昔話集、弥生時代から現代に至るまでの道筋が書かれたものなどが読めます。

そういう本から何が分かるかというと、
昔は幡豆の山から切り出される幡豆石がブランドになってよく石が売れたとか、
そのまたはるか昔には崑崙人が漂着して、
持っていた綿の種を植えて幡豆で織布が盛んになったとかいうことが分かります。

この幡豆図書館の敷地内には〈幡豆歴史民俗資料館〉がありまして、
ぼくは六年もこの図書館に通っていてはじめてその存在を知ったんですけど、
ここには漁師や養蚕などで使う古い道具から生活雑貨までを見学できます。
それからガラスケースに昔の書物が保管されています。
この中に1923年に刊行された『愛知県幡豆郡誌』がありました。
この書物はインターネット上で読むことができて、
「幡豆」の名前の起源として二つの説が書かれています。

①南海にわたり、山脈の海中に蓋くる所、その狀笘筈に似たりよりて、
その地方を羽豆の郷と呼んだ。
②宮崎村、幡豆神社の祭神で建稲種命が日本武尊征伐のさい、
褊裨御幡頭となって従軍した。のちに宮崎村に葬られたことで、
そのあたりを幡頭の郷と称えた。
この建稲種命がなぜ宮崎村で葬られたかというと、
駿河の国で水鳥を射ろうとしたらその弾みで船から海に落ちて、
幡豆の宮崎村の岬にドザエモンとして漂着したところによる。

狀笘筈ってどんな形だ?
わかりません、誰か知ってる人がいたら教えてください。
ともかくこういう感じで、
サイクリングマップの役に立つのか立たないのか
よく分かりませんけど横道に逸れながら調べています。

完成を楽しみにお待ちください。
6月にはできるHAZUです。
もし、ここは組み込んで欲しい!
という店や道や場所などあればぜひ教えてください。

2016年2月10日水曜日

犬の開きのサステナブルさ

文豪札の製作は進んでいます。
今、8個できています。
最近また良いアイデアを思いついてしまいました。
これまで作ろうとしていたのは両面のサイン立てに、
 表:文豪の顔写真
 裏:代表的な小説からの引用文
という内容でしたが、
これに加えて表の顔写真+国旗も入れたいと思います!

ぼく以外のスタッフは文豪の顔の区別ができないだろう、
というのが最初から気がかりの種になってました。
しかし、渋い文豪の顔の横にカラフルな国旗が翻っていたら、
ピザを届けるときに遠目からでもテーブルに置かれた札を探しやすいです。
きっと探しやすくなるはずです。

番号札にしとけばこんな面倒なことをしなくてもいいのに、
内容を盛り込み過ぎな気がしてきました。
が、はじめたからには後戻りができません。

ところで具体的に、
ぼくがどういうふうに小説の引用文を入れようとしているのか、
ここに一つサンプルをあげてみたいと思います。
篠原勝之の『骨風』は文豪札には入れてませんけど、
もし入れるなら「花喰い」という短編の文章を入れたいです。

(日本人札には太宰治と村上春樹と最初に決めてしまったので、
もう定員になってしまいました。
ぼくの中でのルールは一国から二人選出にしています。
同じ国旗が店内に二つ以上出回ると混乱することが予想されますが、
どうしても一国一人というのが決めきれませんので)

以下引用文。

 終戦直後、裏山には腹を空かせた野犬が群れていて、時どき住宅街の子どもを襲ったので、鍬の柄や心張り棒を持ち寄って野犬狩りがはじまった。投げてやった小さなビスケットほどの乾パンに夢中になって喰らいつく野犬を、隠し持った棒切れで叩き殺していくのだ。戦争から戻って間もないオトコたちが、力任せに棒切れを振り回すのを見るだけでオレは震えていた。
 狩りがはじまると、オレはドングリの樹の二股に上がって、あちこちから響き渡ってくる甲高い吠え声を恐る恐る聞いていた。野犬に威かされたことが原因で今でも犬は苦手だけれど、あの日だけは追い回される野犬の味方だった。
 しかし夕方には叩き殺されて、倍ぐらい伸びきった野犬が何匹も地べたに積まれていた。血だらけの棍棒が転がったその場で解体され、毛皮と肉に分けられた。
 親父が山分けされた野犬の肉と毛皮を持ち帰ることもあった。味は全く憶えていないが食糧難だったオレたちのタンパク源になったのは確かだ。親父は黄色い脂肪を出刃で刮ぎ、毛の方を裏にして物置の板壁に釘で打ちつけて鞣した。赤や青の糸くずみたいな血管がところどころに貼りついたまま犬の開きは干涸びていった。
 ゴワゴワした毛皮は母親がチョッキに仕立て、厳しい寒さの地吹雪の日に着せられた。温かいけれど目立つそのチョッキを着るのは、絶望的な一日の始まりだった。

心張り棒というのが何だか分からないのに、
ぼくにはすごい武器だと思えて強烈なイメージが立ち上がって、
ウィキペディアで調べたらただのつっかえ棒のことだった。

「脂肪を出刃で刮ぎ(こそぎ)」や、
「毛の方を裏にして〜鞣した(なめした)」という動詞で、
バイオレンスな話しからサバイバルな話しに変わる。
最後にはチョッキになって着せられるというところまでくると、
これは最近よく聞く“サステナブル”なことじゃないかと思った。

サステナブルとは持続可能なという意味で使われます。
オーシャンでも人参や大根の皮はむやみにめくらず、
全部食べて香りも味も栄養素も丸ごと取ろうとしています。
食べれる物を捨てるのは地球のエネルギーの消費につながる、
なるべく無駄をなくそうというのがサステナブルな考えでしょうか。

こないだアメリカに行ったときに15ドルのツナ缶を見つけて買ってみました。
ふつうツナ缶といえば二百円そこそこなのに五倍以上高い。
家に帰ってよくよく缶のラベルを読んでみると、
そのオレゴン州にあるツナ会社は一本釣りされたマグロのみ使用、
と書いてあります。
つまり底引網などはまだ成長しきっていない魚貝を丸呑みしてしまうので、
サステナブルな漁ができないというわけです。
(ちなみにこのツナ缶はまだもったいなくて開けれてません)

もう一つ。
アメリカのどこの空港だったか忘れましたけど、
乗り継ぎの間にサンドイッチ屋さんに寄りました。
エッグ、ツナ、ターキー、パストラミなど5〜6ドルぐらいで色々サンドイッチが並んでいました。
が、その中に一つだけ12ドルのサンドイッチがありました。
一つだけ群を抜いて高い。
それはサーモンサンドイッチで、
なぜこれだけ高いんだと思って興味が湧いて買ってみました。
若い黒人の店員がチッと舌打ちしてサンドイッチを渡した。
このサーモンサンドは色も悪くて若干生臭かったです。
あとあと思ったら、ここの空港は海から遠くて海産物は輸送費がかかるし鮮度も落ちるということか?
だとしたらこのサーモンサンドは反サステナブルということになりそうです。
土地の利は活かされてないし、美味しくないし、高い。

サステナブルは循環することが大事なら、
この犬の開きはサーモンサンドに比べたらかなりサステナブルです。

2016年1月19日火曜日

ワトソンビルの朝

ぼくの家族はカリフォルニア州のサンタクルーズ郡
ワトソンビルに住んでいます。
サンタクルーズはサーファーの聖地として知られていますけど、
ワトソンビルは山側に位置する農業地帯です。

特に、車で走っているとりんご樹林が多くて、
マルティネリというオーガニックアップルジュースで有名な会社があります。
日本の結婚式の引出物でこの会社の丸い瓶に入ったアップルジュースをもらい、
産地を見ると家族の家の住所が載っていてはじめてその存在を知りました。

お土産に買ってきてほしいと頼まれて何軒か店を周りましたけど、
地元だからといって特別な値引きはなく、
日本のコストコで買ったほうが安そうだったので買いませんでした。
ぼくが滞在していたのは丁度クリスマスシーズンで、
地元の人たちはこのマルティネリのアップルサイダーを買っていました。

アメリカのクリスマスは朝ゆっくりと動きだし、
飾り付けされたもみの木が置かれたダイニングで
朝食兼昼食のブランチをするのが一般的な習慣です。
うちでは毎年メニューがだいたい決まっていて、
スクランブルエッグにベーコンと、
焼いたベーグルにクリームチーズとスモークサーモン、
アボカドにアルファルファが並びます。

子供はオレンジジュースを、
大人はオレンジジュースとシャンパンを半分に割ったものを飲みます。
日本だとクリスマスにシャンメリーとかよく売れますけど、
たぶんそういう感覚でノンアルコールの泡がある飲み物ということで
このマルティネリのアップルサイダーをみんな買ってくようです。

母親はガーデニングが好きで、
引っ越すたびに庭やベランダを開墾して収穫可能な土地に変えます。
今のワトソンビルに引っ越したのはここ三年ほどで、
海側に比べると家賃も安く、使える土地が広いので母親は満足しています。

海まで歩いて三分のところに住んでいたときは月に2100ドル払っていて、
今のダウンタウンまで車で三十分の場所では1300から1500ドルぐらいです。
日本の感覚ではべらぼうにたけーと感じますけど、
カリフォルニア州の人気がある地域では日本の都心と同じぐらいなんですかね。
アメリカは西側と東側の生活費は同じぐらいで、
中心に向かうほど下がっていきます。

こないだの十二月の下旬は例年よりも寒かったそうで、
毎年暖房を使うことも早朝以外はなかったのに、
今回はぼくが「寒い寒い」と言っていたせいで電気ヒーターを買ってきてくれました。

早朝、ぼくはだいたい夜明け直前に目覚めていました。
外でおしっこをするために霜で白く凍った芝生の上をバリバリ歩き、
村が一つすっぽり入るぐらい広いオレガノガーデンの向こうから昇る
朝陽の光線を浴びるのが日課でした。

母親は家の周りを果樹と沈丁花で埋め尽くすと、
今度は家の中をサラダ工場にするべく窓という窓の前に
プランターを並べはじめました。
トマト、レタス、バジル、ディルは口を開けて整列したひよこのように育っています。

これを真似て先週からピッツェリアの石窯の前に鉢を三つおき、
バジルの種を植えると芽が出てきました。
今週から寒くなるみたいだけどすくすく育ってくれるといいなー。







2016年1月4日月曜日

フライパンシナモンロール

ぼくはアメリカにくるたびにカフェやベーカリーを巡って、
色んなシナモンロールを食べます。
自分でシナモンロールを作りはじめる前から変わらず。

作りはじめてからは意識して自分のものと比べるようになりましたけど、
そんなことを考えなくても
アメリカでシナモンロールを食べるのは楽しいです。

ナポリではどこの店も「うちのピッツァが一番だ」と言いますけど、
アメリカでは「うちのシナモンロールがベストよ」と誇らしげな顔でよく言われます。

今回はアメリカ滞在中に五種類食べました。
印象的だったのはハリウッドの〈トースト・ベーカリー・カフェ〉のもので、
ここのシナモンロールはフライパンに載って出てきました。
そしてアイシングがスキー場の雪みたいに覆いかぶさっていたので、
食べるときには除雪車のように掻き分けながら食べないといけませんでした。
日本人なら誰でもこれはトゥーマッチだと思うぐらいの量です。

一つで8ドルします。
鉄板の上でナイフとフォークを使って食べていると、
アイシングが溶けたモツァレラに見えてきて、
茶色のパンがハンバーグに見えてくるという錯覚も味わえます。

もうすぐで7日の年明け営業になります。
朝の9時からモーニングをはじめますので、
ぜひオーシャンのシナモンロール食べに来てください。

アイシングでロールが見えない。