2015年6月30日火曜日

痛み予防

懲りない悪い習慣なんですけど、
ぼくはビールが好きで、
というか酒類全般が好きなんですけど、
だいたい毎日飲みます。
それで、適度な量なら問題ありませんが、
飲みすぎると頭痛をよくおこします。

この悪い習慣は常飲癖ではなく、
頭痛をおこしたときに鎮痛剤を飲まないと
頭痛が治まらないので、
酒を飲む→鎮痛剤を飲む、
という悪循環を繰り返していることです。

しかもこの頭痛を鎮めるために
ロキソニンやバファリンを飲んでも効かず、
試しにアメリカ人の母親が持っていたadvilを飲んでみると
これがよく効いてそれ以来アメリカの鎮痛剤を使っています。

 欧米の薬は成分はどれぐらい違うのか。
見てみるとぼくが使っている鎮痛剤のibuprofenの成分は、
アメリカのものが1カプセル200ミリグラムなのに対して、
たとえばイブA錠は2錠で150ミリグラムです。

ぼくは2粒飲むので400ミリグラムということですから、
倍以上違います。
これは効くわけです。

そんな話しをこないだ弟としていると、
弟の友達はibuprofenを5粒飲んでいると聞きました。
アメリカの大学でアメフトをやっているその友達は試合前にそれを飲むそうです。
確かにibuprofenは筋肉痛などの身体の痛みを和らげる効果もあります。

しかし彼は試合前に飲むというのです。
友達は弟にこう言いました。
「5粒飲むと、試合中にタックルを受けても痛くないんだよ」

まだ痛くないけど、これからの痛みに備えて痛み止めを飲むそうです。
痛み予防ってことですけど、部分麻酔的な感覚なんでしょうか。
薬の使い方が間違っている気がするんですけど、
この友達はタックルを受けすぎて頭がおかしくなったのか?
それに、5粒も飲んだら身体の感覚が鈍くなりそうなんですけど、
スポーツをするのに動きに支障がないんですかね。

ぼくの弟は昔からバスケットボールの練習のし過ぎで、
筋肉痛で眠れないということがよくありました。
それで鎮痛剤に頼ったりもしていたのですが、
しばらく前からトレーニング後は氷風呂に入ることが習慣になっています。

氷風呂(アイスバス)は、
風呂桶に水を張り、そこに氷を入れて10度ていどの温度にして、
13から15分浸かるというものです。
トレーニング後に暖かい湯に浸かると筋肉が緩んで、
トレーニングの意味が無くなってしまうということで。

最初の3、4分は冷たくて死にそうになるそうですが、
それを通り過ぎると気持ちよくなり、
筋肉を締めることでその後の筋肉痛が和らぐというのです。

ぼくは鎮痛剤5粒も、
氷風呂も、
どっちも試したいとは思いませんが、
世の中にはさらに極端な世界がありました。

プロのスポーツ選手の間ではクライオセラピーというものが注目を浴びていて、
これはマイナス150度の冷気を浴びるというものです。
時間的には3分ほど浴びるだけだから、
弟から言わせると時間の節約になるそうです。

だけど時間の節約どうのよりも、
摂氏10度の氷風呂で死にそうになるぐらいなら、
マイナス150度なんて蝋人形みたいに固まってしまうんじゃないかと思うんですけど、
ほんとに生きて出てこれるんですかね。

頭痛には効かないんでしょうかこの冷やす方法は。
氷水に頭を突っ込んで治るなら、
薬を使うよりはオーガニックな感じでいいですよね。
また試してみようと思います。

2015年6月22日月曜日

私、さいきん月が好きなの

しばらくお店の宣伝をしていませんでした。

もうすぐサマータイム営業がはじまります。
7・8・9月は、
昼は11時から夜は9時(LO8:30)まで延長してピザを焼いております。
その間はイベントも色々と企画中でして、
今年は特に満月BARが盛り上がりそうです。

「世界を巡る音楽」というテーマで、
世界各国を旅してきたDJマコトさんを招き、
満月の夜にウッドデッキで音楽を流してもらいます。
7月31日(金)はアジア。
8月29日(日)はアフリカ。
9月27日(日)は中南米。

こないだお店に来てくれたお客さんが
友達とチャイを飲みながら会話をしているときにこんなセリフがありました。

「私、さいきん月が好きなの」

こんなスピリチュアルなセリフがあるのかと思わずメモしてしまいましたが、
もし月がさいきん好きな方がいましたら、
ぜひ満月BARへ遊びにいらしてください。

さらに音楽に加えて、
アジアの音楽にはアジアンなピザや料理やドリンク。
アフリカ音楽にはアフリカン、
中南米音楽にはメキシカンやブラジリアン・ペルビアンというふうに、
音を聞いて世界を感じ、
食べて飲みながら世界を感じる、
幡豆の田舎にいながらにして世界を巡ってしまうようなツアーになる予定です。

詳しい内容などは7月のはじめにホームページにアップしますので、
またチェックしてみてください。

2015年6月9日火曜日

小麦畑でピクニック

昨日は滋賀県日野町の小麦農家でパン屋さんでもある大地堂が主催する
『小麦畑でピクニック》に参加してきました。
こちらの社長である廣瀬さんが作る小麦は、
9000年前からヨーロッパで栽培がはじまったといわれるスペルト小麦です。

この古代小麦は品種改良が施されていない原種で、
ということは9000年前の狩人たちが食べていたものと同じものです。
そんな古い食べ物が他にあるのか知りませんけど、
古代小麦と聞くとなにか壮大な気分になります。
紀元前七世紀をウィキペディアで調べてみると、
マンモスが絶滅した辺りだということです。

このスペルト小麦を廣瀬さんが日野町で栽培をはじめたのは十六年前で、
現在は十トン近くのスペルト小麦を作っています。
来年は十五トンにするということで、
スペルト小麦を継続して作り続けることに廣瀬さんは情熱を燃やしています。

廣瀬さんの栽培するスペルト小麦は現在東京や広島、
大阪のパンの有名店でも使われていて、
その栄養価の高さ、風味や味わいの価値が見直されています。
栽培面でも麦の殻が頑丈で、
つまり虫にも強いので無農薬または減農薬での生産が可能だということです。

このスペルト小麦畑でピクニックをするというのです。
マンモスときわきわの歴史があるスペルト小麦を使ったパンでサンドイッチという
世界史と現代史をサンドイッチにするようなピクニックです。
壮大でかつ平和です。

しかもこのサンドイッチの中身は猪のパテでした。
この猪は廣瀬さんが鉄砲で打って、
夫婦で川で解体して、
ビストロを経営する川田さん(ピクニックにも参加)がパテにしたものです。
猪の赤身とフォアグラとピスタチオのパテ。
壮大で平和、かつ豪勢です。

小麦畑はきれいな緑色で、
これから色付いていくようです。
「これから黄金色に光る小麦畑になるんですね」と廣瀬さんに聞くと、
「いや、ディンケル小麦(独名)は茶色でそんなにきれいではない」
と言いました。

参加者は十名で、
小麦畑の真ん中に組み立て式のお立ち台のようなものがあり、
そこの上に座ってランチをします。
脚立を立てかけてその広いお立ち台のようなところに上がります。
1・5メートルぐらいの高さでしょうか。

「ここに腰掛けると丁度コンバインに乗った高さになるんだよ」
と廣瀬さん。
ぼくらはそのお立ち台から足をぶらぶらさせて、
コンバインに乗って小麦を刈り取り収穫する風景をイメージする。

「小麦畑を上から見下ろすと風が見えるんだよ」
廣瀬さんに言われてぼくは風を見ようとしました。
均一の高さに揃った穂を風が撫でる。
手前の穂は左に風を受け、
ちょっと視線を先に送ると穂は動かず直立していて、
またさらに遠くの方では風を受けて傾いている。
たしかに、風が流れている場所と、
流れていない場所が見えます。

「あ、雨がきそうだから今のうちに食べよう!」
と廣瀬さんは風を読んで昼食の準備をはじめました。

この後廣瀬さんのお宅に戻り、
玄武岩で作られたドイツ製の特注の石臼を見せてもらいました。
「これがウチの宝だ」と廣瀬さん。

玄武岩は石の中の気泡が大きくて、
摩擦熱がこもらず小麦を劣化させないそうです。
小麦の味の総量を10とすると、
熱によって1か2割損なわれてしまう。
廣瀬さんはこう言います。
「私の仕事はこのスペルト小麦の味をほとんど10に近い状態で、
みなさんに届けることです」

朝から夕方まで小麦にまつわる話しをしっかり聞いて、
ぼくはこの挽いたばかりのスペルト小麦を少量いただき、
早速帰ってピザ生地の酵母を作りました。

ぼくはピザ生地をポーリッシュ法で仕込んでいるんですけど、
その液種にスペルト小麦を使ってみたかったのです。
液種は粉と水とイーストで作ります。
このうちの粉を変えることで、
焼きあがったピザ生地の味と風味に変化があるのかないのか、
という試作です。

今オーシャンで出している生地の液種は無農薬の小麦粉で作っているんですけど、
一般流通の小麦と比べると風味と膨らみが違います。
複雑な発酵臭と、膨らみは1・3倍ていど上がりました。
無農薬の小麦は残留酵素が多いことでこの結果の違いが出るのだと思います。

膨らみが強いとより少ないイーストで同じ量の粉を膨らませることができます。
ぼくが今作っているピザ生地のイースト量は、
10キロの粉に対してイーストは8グラム(0.08%)です。

イーストが多いと菌同士が餌の取り合いになり、
膨らむけど風味が出ない。
だけどイースト菌が少なすぎると今度は食べ過ぎで栄養過多に陥り、
これも膨らまなくなる。
丁度良いイースト菌の量で、餌をたくさん食べて円満な状態を作る。

こういうことに最近は取り組んでるんですけど、
これをスペルト小麦にしたらどう変わるのか、
一味違う生地ができそうで楽しみです。


スペルト小麦畑

超ぶ厚い猪のパテとカンパーニュ

ドイツ製の玄武岩を使った石臼



2015年6月5日金曜日

自信を持つこと

30歳を過ぎて、
ぼくは31歳です。
30歳を過ぎて、
何か変わったか聞かれても
「20代と何も変わらないんだけど」
と答えました。
何か変わった部分があるのか。
昔の写真を見て比べてみると、眉毛が太くなりました。

それから30歳を過ぎて、
自信という言葉が気になっています。
これまでの人生でずっと、
自信を持とうなんて考えたことありませんでした。
自信という気持ちが大事だと思ったことがありません。
むしろ自信家は恥ずかしい、とさえ思っていました。
それよりも日本人的に謙遜への美徳が強いです。

日本では自信家は傲慢に見られやすいということも、
自信を口に出すことへの抵抗になっていそうです。
それに比べて欧米人も中国人もインド人も、
日本人に比べると明らかに自信を口に出すことへの抵抗がなさそうです。

ピザを焼きはじめてからはイタリア人との関わりも出てきて、
ナポリのピッツェリアを巡っていたとき、
ここのピッツァがナンバーワンだという店主は何人もいました。
そんな専門のピッツェリアにかぎらず、
ナポリで雑貨屋に入ったときそこに中年の店主がいて、
土産物の唐辛子やスパイスを売りながらこう言いました。
「おれの焼くピッツァがナンバーワンだ。
もうすぐ店を開くから絶対に来い」

雑貨屋の店主ですら自分のピッツァがナンバーワンだと言っている。
こないだは、
名古屋の本山〈クスクス・リパブリック〉でシェフをやっている
チュニジア人のラディヴィーという方に会って喋っていたんですけど、
その人は「おれは誰にも真似できないピザが焼ける。
次の店ではそれをやるけど絶対流行る」
と自信満々に言いました。
ピザに関しては国にかぎらず誰でも自分のピザがナンバーワンだと
思いやすいんでしょうか。

そしてラディヴィーは突然こう質問をしました。
「君はピザの腕に自信があるか?」
「ぼくは自信の塊だ」
と、試しに返事をしてみました。

実はつい先日オーシャンのチーズを作ってくれているサントルチオのオーナーの
ルイスさんが店に来たときカウンターでビールを飲みながらこう言ったのです。
「マキ、お客さんにこう言ってください。
『愛知で一番じゃない、
日本で一番のピッツァ』って。わかった?」

みんなそんなに自信をアピールして一体何になるんだ?
と腑に落ちないので、
自ら自信をアピールして自信家を体験してみようと思った次第です。

この自信についてハッとさせられることを言ったのは、
三島由紀夫先生でした。
『不道徳教育講座』という本を今読んでいるんですけど
ここには“自信”についてのエッセンスが語られていると思いました。
ここに引用させていただきます。

「先生にあわれみをもつがよろしい。
薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、
一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、
最悪の教師の何万倍も手強いのです。

そう思ったら、教師をいたわって、
内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。
人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、
自分で解決しなければならぬと覚悟なさい。

先生をバカにすることは、本当は、ファイトのある少年だけにできることで、
彼は自分の敵はもっともっと手強いのだが、
それと戦う覚悟ができていると予感しています。
これがエラ物になる条件です。
この世の中で、先生ほどえらい、何でも知っている、
完全無欠な人間はいない、と思い込んでいる少年は、一寸心細い」

ぼくはこれを読みながらすぐに
「三島由紀夫は何でも知っている、
こんな完全無欠な文学者はいない、
えらい偉人がいたもんだ」
と思いました。

三島由紀夫は自信という単語は使っていませんけど、
「あわれみをもつこと」
「内心相手をバカにすること」
というような相手の上に立った状態のことを言っていて、
自分に自信がある状態のことを置き換えています。

つまり自分に自信をもっているからこそ、
目の前の敵を敵とせず、
もっと強い相手に備えて吸収できることをすべて吸収しようとする。
そしてもっと強い敵が現れても、
また敵を敵とせず学ぶべきことを学んで、
さらに強い敵に備える。

じゃいつ戦うのか?
戦わないのです。
自信を持つとは非戦の連続で、
あるのは目の前の相手から吸収することばかりなのです。

そう考えると、
自信を持つことが大事なような気がしてきます。
しかし、と三島先生は続ける。

「しかし一方、『内心』ではなく、
やたらに行動にあらわして、先生をバカにするオッチョコチョイ少年も、
やっぱり甘えん坊なのだと言って、まずまちがいはありますまい」

やっぱり自信は内心にとどめておくべきものなのか、
それとも多少は言葉にするべきものなのか。
そういえばラドウィンプスが
「自信がないという自信があるんだ」
という歌を歌っていました。

もうぼくの自信についての見解は揺れっぱなしです。