2015年7月27日月曜日

西尾産サンマルツァーノ

昨日は西尾市内で自然栽培の農園をやっている
〈VEGETA屋〉さんのトマト畑を見学してきました。
現在〈VEGETA屋〉の矢田さんはトマトだけでも色んな種類を作っていて、
その中の一つのサンマルツァーノ種がぼくの目当てでした。

今オーシャンで作っているピザは、
小麦粉は知多産、
チーズは吉良町、
油は西尾産ということで、
主原料はほぼ県内産です。

ただトマトソースだけはイタリア産の
サンマルツァーノ種を使っています。
この細長いトマトを裏漉しして
皮と種を取り除いたものがソースになります。

サンマルツァーノ種を使いはじめたきっかけは、
最初は、ピッツァ業界の先輩に勧められたから。
次に、どのピザ教本を読んでもサンマルツァーノが一番だと書いてあるからです。
カリフォルニアで何店舗も持つ著名なピザ職人のトニー・ジェミグナニも、
彼の『Pizza bible』という本の中で
「サンマルツァーノがベストだ。それもアメリカやその他の国でもなく、
イタリア産のものを選べ」
と言っている。

サンマルツァーノはサラダで食べる桃太郎やミニトマトと違い、
水分が少ない代わりに果肉の割合いが多く、
熱を加えると味が濃くなるといった特徴があります。

日本ではトマトといったらほとんどサラダなどで使う生食用のものが占めていて、
加熱用のものはほとんどスーパーには並んでいません。
一般家庭に需要はあまりないようです。

ぼくはいつか生トマトで作る自家製ソースに変えたいと思っていて、
そんなところに矢田さんがサンマルツァーノを作っていると知りました。

「栽培は難しくないけどね、だけどこのトマトの良さはなんだろう」
矢田さんは言いました。

矢田さんの畑は周りを住宅地が囲むようにして、
その真ん中の開けた平地にありました。
オクラが何列かきれいに並んでいて、
その奥にトマト畑があります。
トマトは立てられた支柱を這うようにして伸びており、
遠くから見ても赤い斑点がたくさん見えます。

「今年はトマトのできがやたらといい」
と矢田さん。

色んなトマトが植わっている中に
細長い形のサンマルツァーノが実っている一列を見つけました。
自然栽培で自由に育つトマトたちは、
地面に落ちて潰れているものもあれば、
支柱を伝った蔓から垂れ下がっている青いのも赤いのもある。

ぼくは一つ千切ったものをもらいかじってみると、
さくっという音がしました。
はじめて生で食べるサンマルツァーノトマトはトマトというより、
水分の無い西瓜のようです。

かぶりつくとポタポタ垂れるトマトエキスの水分もなければ、
甘くもなければ、酸っぱくもありません。
お世辞にも美味しいとは言えません。

「ほんとにこのトマトがいいの?」
矢田さんは確かめるようにぼくに問います。

「う、うーん…。たぶんこれでいいと思うんですけどー。
火を入れたら美味しくなるんですかねー」
とぼくはだんだん自信がなくなってきました。
ともかく、このトマトを試作用に一キロほどいただきまして、
店に帰ってソース作りをしてみます。

ソース作りといってもごく単純な方法で、
皮を湯むきして、
ムーランという裏漉し器でピューレ状にしたものに塩を1%加えるだけです。
煮詰めたりなどはしていません。

ピザで使うトマトソースは高音の石窯の中に入れたとき、
余計な水分が飛んで味が凝縮されます。
なのでパスタソースのように味付けをして煮詰める過程はありません。
いつもの手順でマルゲリータを焼きます。

生地を伸ばし、
トマトソースを塗ったうえにバジルとモツァレラを載せて、
パーラーという道具を使い石窯の中にピザを投入する。
90秒で焼き上がります。

今回はじめて試してみた国産無農薬のサンマルツァーノソース。
色は赤というよりピンクです。
香りはある、生のトマトの新鮮な香りです。
しかし食べてみると、トマト感が薄い。
イタリア産に比べるとコクと甘み、酸味が全体的に乏しい気がする。

もうちょっと感動的な経験を想像していましたが、
生でかぶりついたときの印象から劇的な変化はない。
なぜだろう?

イタリアでなければ良いサンマルツァーノが育たないのか。
それともぼくのソース作りの手順がいけないのか。
若干青いトマトも混じっていたので、
完全に熟れていたほうがいいのかもしれない。

今週はまた矢田さんにサンマルツァーノを収穫してもらいますので、
二回目の試作をしてみようと思います。

〈矢田さんのこどもがトマトを千切るのを手伝ってくれる〉

〈皮の厚いサンマルツァーノ〉

2015年7月15日水曜日

タイツのシート

ウッドデッキに日除けシートが貼られました。
きれいな、夏の入道雲よりもさらに真っ白なシートです。


毎日海の前の職場に通いはじめて知ったことは、
街と海岸線では風の強さがまるでちがうということです。
店から一本北に入った道は住宅が並んでいますけど、
そこにいても気付かなかった風が、
海岸線に歩み出た途端帽子が飛ばされたりします。

海に面した場所は風を遮るものが何もないので、
ストレートに風が吹きぬけます。
何をするにしても風対策を立てないと突風の餌食になります。
バジルを風が強く当たる場所と、
風を遮る場所に植えたのでは後者の育ちのほうが断然良いです。

風は風単独の犯行とはかぎらず、
横殴りの雨風や、
波しぶきから生じる潮風と相まって攻撃力を倍々に高めてきます。

ウッドデッキや椅子、テーブルなどの木材は常に雨風に晒されて、
一年に一度防腐剤を塗っても劣化が激しいです。
鉄骨は半年前に錆止めと上塗り計二度塗りしたところですけど、
最近見たらもう錆びが浮かんでいました。

風による破壊は、
こういった侵食によるじわじわ型破壊と、
無神経に突っ込んでくるズカズカ型破壊の2タイプに分けることができます。

これまでズカズカ型で最も被害を被っているのは、
ウッドデッキの屋根類です。
パラソルもそうだし、
収納式のシート屋根もそうです。

風は空に満遍なく吹くものではなく、
目には映らずとも空を駆ける龍とも思わせるようなうねりで、
パラソルとかに突っ込んできます。
そうすると、パラソルを重りで固定していても飛ばされてしまう。
飛ばされないようにパラソルを鉄柵にロープで括り付けると、
今度は骨組みが折れて使い物にならなくなってしまったこともあります。

今回もこの屋根をどうするか、どうしたら風の影響を抑えれるか、
色んな案が検討されました。
そしてついにこの純白のシートが張られたのです。
このシートの写真を見て思ったかたもおられると思います、
ピンピンに伸ばして張ってるな、と。

この生地はなんとバレリーナのタイツ、
というかレオタードの素材なのです。
体操選手が激しく動き回れるように伸縮性に富んでいるのです。
ゴムのように伸びるので、
風を受けても膨らんで両脇から抜けていくようにシートを貼ってあります。

そしてゴムよりもすごいところは通気性があるところです。
細かい穴から風が抜けるのです。
反対に小雨ていどならしのげて、
水滴は落ちてこずにちょっと角度がつけば滑り落ちます。

このシート張りの作業中も
強い風が吹いているにもかかわらず、
シートはほとんど抵抗を受けずふわりと風を受け流していました。

今週は台風がくるらしいですけど、
安全策をとってシートを外すか、
そのまま張っておいてどれだけ耐久性があるのか実験をするか、
ただいま協議中です。

2015年7月7日火曜日

偶然に運ばれて

「どうしたらピザ屋さんになれるんですか?」

と、お客さんで来てくれたお母さんと小学生ぐらいの男の子に聞かれて、
ぼくは間髪入れずにこう答えました。

「薪割りができるようになったらピザ屋さんになれるよ!」

だけどよくよく考えたら、
薪割りができなくてもピザ屋さんになれます。
薪割りの機械を買えば自分で割る必要もないし、
ガス窯を選べば薪自体いりません。

どうやらぼくは無意識的に、
ピザ作りの仕事と薪割りの仕事が同一化していました。
毎日続けている朝の15分の薪割りにぼくはプライドを持っているのか?
それとも、薪割りによって鍛えられた腕の筋力を自慢したいのか?
いや、違います。そういうわけではありません。

むしろぼくは薪割りの姿を見られるのが恥ずかしくて、
お客さんがいないところでこそこそやっています。
なんとなく、力強さのアピールをしているみたいで恥ずかしいので。
だからいつ見られても恥ずかしくないように、
なるべく最小限の動きで、あんまり力を振り絞らない動きで、
音もバコーン!と響かないように大根を縦にサクリと切るようなイメージで
日々の薪割りを行っているぐらいです。

なのにお母さんと男の子には
「ピザ屋は薪割りだよ」
と自らアピールをしてしまった。
まるで「ピザ屋は男の仕事だぜ」と言っているようなものですよね。
幸いにもこのお母さんは笑ってすませてくれたからよかったものの、
もしこちらのお母さんがフェミニストであったら
ぼくは激しく糾弾されたかもしれません。

ということで、ピザ屋になる秘訣は薪割りではありません。
ピザ屋は男の仕事ではありません。
なかには昔気質の人で男の仕事だという人もいるでしょうが、
現代では日本にかぎらずどこの国でも女性のピザ職人が活躍しています。

ではピザ屋になるためにはどうしたらいいのか?
ぼくはピザが好きなので「ピザが好きならなれるよ」という言葉が浮かびますが、
大成功しているピッツェリアの方がピザを食べることは好きじゃない
という人を知っているので好き嫌いは横に置いておきます。

でも他の人がどうピザ屋さんになったのか知りません。
自分の経験だけを考えみて、
薪割りができるという理由を外すと、
「偶然でした」という返答になってしまいます。

人から「ピザ屋をやったらいいじゃん」と言われて、
はじめて自分がピザを焼く想像をしました。
だいたいぼくは自分にはアイデアがないので、
人のアイデアを実行するほうが得意なのです。
というか、そっちのほうがただ楽なだけというのか。

ぼくは2年前に京都造形芸術大学の通信教育学部を卒業したんですけど、
そこの大学が発信している『アネモメトリ 風の手帳』というWEBページ
でこないだぼくのことを書いてくれました。
学校の卒業生にライターの方がインタヴューをするというもので、
ぼくはどうやってピザ職人になっていったのかを話しました。
よかったら読んでください。

「出会えた仕事を追求し“確信”を探す」

というタイトルで、
結論は偶然ピザ屋になったという話しです。