2015年6月5日金曜日

自信を持つこと

30歳を過ぎて、
ぼくは31歳です。
30歳を過ぎて、
何か変わったか聞かれても
「20代と何も変わらないんだけど」
と答えました。
何か変わった部分があるのか。
昔の写真を見て比べてみると、眉毛が太くなりました。

それから30歳を過ぎて、
自信という言葉が気になっています。
これまでの人生でずっと、
自信を持とうなんて考えたことありませんでした。
自信という気持ちが大事だと思ったことがありません。
むしろ自信家は恥ずかしい、とさえ思っていました。
それよりも日本人的に謙遜への美徳が強いです。

日本では自信家は傲慢に見られやすいということも、
自信を口に出すことへの抵抗になっていそうです。
それに比べて欧米人も中国人もインド人も、
日本人に比べると明らかに自信を口に出すことへの抵抗がなさそうです。

ピザを焼きはじめてからはイタリア人との関わりも出てきて、
ナポリのピッツェリアを巡っていたとき、
ここのピッツァがナンバーワンだという店主は何人もいました。
そんな専門のピッツェリアにかぎらず、
ナポリで雑貨屋に入ったときそこに中年の店主がいて、
土産物の唐辛子やスパイスを売りながらこう言いました。
「おれの焼くピッツァがナンバーワンだ。
もうすぐ店を開くから絶対に来い」

雑貨屋の店主ですら自分のピッツァがナンバーワンだと言っている。
こないだは、
名古屋の本山〈クスクス・リパブリック〉でシェフをやっている
チュニジア人のラディヴィーという方に会って喋っていたんですけど、
その人は「おれは誰にも真似できないピザが焼ける。
次の店ではそれをやるけど絶対流行る」
と自信満々に言いました。
ピザに関しては国にかぎらず誰でも自分のピザがナンバーワンだと
思いやすいんでしょうか。

そしてラディヴィーは突然こう質問をしました。
「君はピザの腕に自信があるか?」
「ぼくは自信の塊だ」
と、試しに返事をしてみました。

実はつい先日オーシャンのチーズを作ってくれているサントルチオのオーナーの
ルイスさんが店に来たときカウンターでビールを飲みながらこう言ったのです。
「マキ、お客さんにこう言ってください。
『愛知で一番じゃない、
日本で一番のピッツァ』って。わかった?」

みんなそんなに自信をアピールして一体何になるんだ?
と腑に落ちないので、
自ら自信をアピールして自信家を体験してみようと思った次第です。

この自信についてハッとさせられることを言ったのは、
三島由紀夫先生でした。
『不道徳教育講座』という本を今読んでいるんですけど
ここには“自信”についてのエッセンスが語られていると思いました。
ここに引用させていただきます。

「先生にあわれみをもつがよろしい。
薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、
一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、
最悪の教師の何万倍も手強いのです。

そう思ったら、教師をいたわって、
内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。
人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、
自分で解決しなければならぬと覚悟なさい。

先生をバカにすることは、本当は、ファイトのある少年だけにできることで、
彼は自分の敵はもっともっと手強いのだが、
それと戦う覚悟ができていると予感しています。
これがエラ物になる条件です。
この世の中で、先生ほどえらい、何でも知っている、
完全無欠な人間はいない、と思い込んでいる少年は、一寸心細い」

ぼくはこれを読みながらすぐに
「三島由紀夫は何でも知っている、
こんな完全無欠な文学者はいない、
えらい偉人がいたもんだ」
と思いました。

三島由紀夫は自信という単語は使っていませんけど、
「あわれみをもつこと」
「内心相手をバカにすること」
というような相手の上に立った状態のことを言っていて、
自分に自信がある状態のことを置き換えています。

つまり自分に自信をもっているからこそ、
目の前の敵を敵とせず、
もっと強い相手に備えて吸収できることをすべて吸収しようとする。
そしてもっと強い敵が現れても、
また敵を敵とせず学ぶべきことを学んで、
さらに強い敵に備える。

じゃいつ戦うのか?
戦わないのです。
自信を持つとは非戦の連続で、
あるのは目の前の相手から吸収することばかりなのです。

そう考えると、
自信を持つことが大事なような気がしてきます。
しかし、と三島先生は続ける。

「しかし一方、『内心』ではなく、
やたらに行動にあらわして、先生をバカにするオッチョコチョイ少年も、
やっぱり甘えん坊なのだと言って、まずまちがいはありますまい」

やっぱり自信は内心にとどめておくべきものなのか、
それとも多少は言葉にするべきものなのか。
そういえばラドウィンプスが
「自信がないという自信があるんだ」
という歌を歌っていました。

もうぼくの自信についての見解は揺れっぱなしです。

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