2015年4月6日月曜日

フリーモント通りの住人

ぼくはラスベガスにいる間、
ネバダで“一番悪い通り”といわれるフリーモント通りの事情が気になっていました。
気になってはいたけど、
わざわざ自分から危険な目に合うようなことはしたくありません。

最初にフリーモント通りのことを聞いたのはゲーリーからでした。
「なんだってそんな悪い通りを選んだんだ!」
そしてフリーモント通りの二つ目の情報は、
フリーモントのアーケード街で寄付金を募るNPOのあさこさんから聞いたものです。
ラスベガスは全米屈指の人身売買が行われている地域で、
彼女は売春の阻止や、
ピンプと呼ばれる売春斡旋者を撲滅するための活動をしているそうです。

ぼくはあさこさんにフリーモント通りがどんな通りか訪ねた。
「ごめんなさいラスベガスに住んでるんですけど、東側は知らないんです。
メイン通りの西側のアーケード街は観光客も多くて賑わってるんですけど、
東側は、特に女性が一人で行くことは絶対に避けてと言われてて」
ますます興味が湧いてきます。

フリーモント通りはラスベガスの南北に伸びるメイン通りを東西に横切る一本道です。
メイン通りから西側はアーケード街になっていていつも賑わっています。
ストリートパフォーマーが何人も投げ銭を得るために楽器をやったり、
即興のスプレーアートや、
過激な衣装を着て観光客と一緒に写真を撮ったらチップをもらっている。
パフォーマーたちにとってはやりがいのある場所です。
オープンテラスでビールや赤・青・緑の毒毒しいカクテルを売る店も何件もあり、
酔っ払った観光客たちが上機嫌に騒いでいる。

それに対して、メイン通りから東側に延びる通りは、
奥に行くにつれて荒んでいく。
観光客やサービス精神溢れるパフォーマーから、
浮浪者やギャング風の青年たち、麻薬中毒者に変わっていく。

フリーモント通りでは何件もこういうモーテルを目にしました。
外壁がすべてコンパネ張りになっていて窓がない。
窓がない代わりに平らなコンパネ材の上に偽物の窓が描かれていて、
それがまた安っぽさを醸し出している。
それらのモーテルの半分以上は柵を閉めて営業を停止しています。
たぶんどんな安宿を求めている人も
窓の無いモーテルは選ばなかったのでしょう。

ぼくの入ったラスベガス・ホステルはその中でも最もマシな宿だったと思います
(フリーモント通りの一番奥でバス停から遠いということを除いては)。
特にスタッフはみんな友好的でした。
四人部屋でしたけどぼくが滞在していた間はずっと一人だったのもラッキーです。
ユースホステルの朝食システムは一件ごとにそれぞれですけど、
ここはパンケーキの液がジャーに用意されていて、
自分で好きなように焼けるというシステムでした。

このまま何事もなくラスベガスの生活も平和に終えると思っていましたが、
最終日になってついにフリーモント通りの片鱗を垣間見た気がします。

朝、ぼくはいつもと同じようにフリーモント通りとメイン通りの交差するバス停から
コンベンションセンターに向かおうとしていました。
普段よりも遅い時間で十時頃に出発すると、
キップ売場の周りにはすでに何人か並んでいる。
ぼくがキップを買おうとすると、
片杖ついた中年の黒人が「おいそっちは故障してるからこっちを使え」と、
“親切”にもアドバイスをしてくれました。

ぼくは券売機にドル札を差し入れました。
往復券で8ドルです。
ぼくは20ドル札を挿し入れた。
券売機が札を吸い取ると、
「ピー」と音がして札が戻ってきた。
その瞬間、
横からさっと手が伸びてぼくの20ドル札をその黒人の男が取った。
「ちょっと任せてみろ、この機械は癖があるんだよ!」

あ、この男はホームレスだ、とぼくはやっとこのとき気付きました。
これはめんどくさいことになったぞ、と。
その男はぼくの20ドル札を再び差込口に入れました。
だけどまた「ピー」と音が鳴り札が戻ってきた。
ホームレスの男はぼくを横にどけて正面に立っていました。
ぼくが札をあっさり取られたようにはやり返されない位置を守り、
戻ってきた札をまた自分で取り再び入れる。
だけどまた戻ってくる。

そこで男はこう言いました。
「おれのこと見てわかるよな?ホームレスなんだ。
おれには金が必要なんだ」
そしてぼくの20ドル札をポケットに入れるが早いか、
振り向くと、そのまま去って行こうとしました。

ぼくはその男の腕を掴んで、
どこに行くんだ取ったものを返せと言いました。
「何を!?」と男は目をギョロつかせました。
ポケットの中に入れたおれの20ドル札だと言うと、
「ポケットの中には何も入ってない!」と開き直りました。
ぼくはこんな簡単な手口に引っかかったことと、
強引な手口にカッと怒りがこみあげてきて、
男が手を入れているポケットにぼくは手を突っ込んで、
20ドル札を引っ張り出そうとしました。

すると男は「誰か、誰か助けてくれ!警察を呼んでくれー!」と騒ぎはじめました。
アーケード街が賑わいはじめてくる時間帯で、周囲の視線を浴びる。
逃げて行こうとする男の腕を掴み、
いますぐ渡さなきゃ捕まるのはお前だと言うと、
今度は「返したらいくらくれる?」と言いはじめました。
ぼくは一セントたりとも渡すもんかという気持ちになっていた。
「見てみろおれのことを、杖をついているんだぞ!?」
そんなこと関係ないと言う。
やっと男は諦めて20ドルを返しました。
だけど、返してもらったら返してもらったで、かわいそうな感じがして、
2ドルだけやると言って空っぽになった男の手に握らせたました。
男は2ドルをすぐポケットにしまい、
怒りながら「God bless you!」と言って去っていきました。

今思えば、こんな強引なやり方なんかに、
やっぱりあげなければよかったです。

イベントが終わり、
空港に向かうためにホステルへ迎えのシャトルバスを予約していたんですけど、
いい加減なシャトルバス会社で一時間待ちぼうけをくらわされていました。
ホステルの男性スタッフは何度も催促の電話をして、
「こういうことは前にもあった。このバス会社の人間はバカばっかりなんだ!
苦情のメールを管理会社に送ってやる」
と一泊30ドルとは思えない心強い対応をしてくれていました。

バスを待つ間ぼくはホステルの玄関の外に座って通行人を眺めていました。
ぼくのような東洋系の人間が何もせずぼーと座っているのが珍しいのか、
通行人がみんな声をかけてきます。
「何してるんだ?」とか、
「小銭をくれ」とか、
「電話を貸してくれ」とか。

その中の一人のお洒落な黒人女性に「カートピルはないか?」と聞かれた。
それは何? とぼくは聞き返した。
「カートよ、カート!
噛むとハイになるやつ。
持ってない?」
ぼくはやっと理解して、持ってないと答えた。

カートとは何か?
ぼくはちょうど、アメリカに向かってくる飛行機の中で、
このカートというものを本で読んで知ったばかりでした。
ポール・セローの『ダーク・スター・サファリ』は長編アフリカ旅行記です。
この本は旅行に持ち歩くにはかなり重く、
今メジャーで測ってみたら、厚みが五センチもありました。
だけどまさかこの本がラスベガスのダウンタウンで参考になるとは……。
セローはエチオピアでのカート体験をこう綴っています。

「それは古いインド商人の邸宅で、かつては豪奢だったようだが、
今ではがたが来ており、シーク・ハジ・ブシュマという伝統治療師が住んでいた。
その男は絨毯の上で足を組んですわり、香の煙が立ちこめるなか、
カートを噛んでいた。
口の中はその塊でいっぱいで、
唇と舌は緑色がかったカスで、てかてかしていた。

『喘息、癌、ハンセン病、なんでも治します——神のご加護と薬によって』
治療師は言った。
少し言葉を交わすと、カートの葉をくれた——それが私のカート初体験となった。
舌にぴりっときたかと思うと、噛むほどに味覚が鈍っていく。
バートンはこう記していた。
『その葉には想像力を活性化させ、思考を明晰にし、心を陽気にさせ、
眠気を減らし、食事に取って代わる、類ない効能』があると。

会話を不能にさせる効能もあった。
シーク・ハジ・ブシュマは、治療のあらましを話すあいだ、
どっしりと座して反芻動物のごとくカートを咀嚼しながら、
ときおり私に微笑みかけ、
手にしたカートの束からさらに何枚かつまんで口に押しこんでいた。

給仕係の少年のひとりが私にもカートの束をくれたので、
ひたすら噛んで飲みこみつづけた。
十分か十五分もすると、ほろ酔い機嫌になってきた。
成果を得た感覚があった——なんでも二回は試してみるのが私のモットーだ」

イスラム教では飲酒が禁止されている代わりに、
このカートを常用する人が多いそうです。
それにしても、この黒人女性はなぜぼくがカートを持ってると思ったんだ?
それも葉っぱじゃなくてピル(錠剤)。
ニット帽をかぶって、青白い顔のぼくを売人だとでも思ったのか?

次に通りがかったのは男女四人グループで、
その一人のエイミーが猫撫で声でぼくにしゃべりかけてきた。
ヘソ出しの露出の多い服を着て、一見若そうに見えましたけど、
げっそりとした頬と、四十か五十か年齢不詳のシワで、麻薬中毒者だと分かる。
エイミーは歩道で立ち止まり、
「その腕のタトゥー何て書いてあるの!?」と言いました。
「私のを見てよ」と彼女はシャツをめくりやせ細った腕を見せました。
漢字で「実」と彫ってある。
「“真ん中の部分”っていう意味でしょ?あなたお名前は?」
ぼくはイッシンだと答えるけど、
彼女が口を開くたびに舌の上に刺さった緑色のピアスが気になっていた。

グループの他の三人は歩いて先に行ってしまった。
「あなた名前の綴りは?」ぼくが答えると、
エイミーはぼくの右手をとってキスをした。
するとグループのもう一人の女が戻ってきて
「彼女大丈夫?あなたに危険なことしてない?」と言って、
エイミーを連れていきました。
エイミーは腰をくねくねとふって、途中で振り向きぼくに手を振った。

ピンク色のジャージを着たスキンヘッドの大男は、
五十メートル先からでも目立っていました。
近付いてくるとその異様さが何かわかった。
二メートルもあるその男は中年にも関わらず、
極端なほど猫背で前屈みになっていた。
その男はぼくの前を通り際に
「なんだってこんな時間にぼーとしてんだ?仕事はねえのか」と言われた。
そして少し離れると振り向いて
「おれに仕事をくれ!」と大声でいってまた歩き出しました。

一時間座っていただけでこれだけの印象が与えられるフリーモント通りは、
悪いだけじゃなく、ディープです。

朝食のパンケーキ。
強火でカリッとがぼくは好きです。

 フリーモントのアーケード街のコスプレカップル。
扇子の裏は胸丸出しです。
チップを請求されるのが嫌だったので遠目から。

ぼくの泊まっていたホステルの横の駐車場。

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