ぼくは書くことは行動的でないと思ってる。
と同時に、書くことで記録を残すことは行動的そのものだ、とも思ってる。
「考えをグダグダ書き付けてる暇があったら、身体を動かせ!」
とブログを書いている時、
いつも心の中の住人から厳しい指摘があります。
「部屋の床を見てみろ。意識的な整頓なんかよりも、
現実的な髪の毛やゴミ屑やホコリを掃除機で吸ったほうが、
どれだけ気持ち的に整頓されるか分かっているんだろ?」
と同時に、
「絶対に床なんて見るもんか。
ディスプレイからだって二時間の間目を離すもんか。
そう決めてるんだ。
何か調べたいことを思いついても検索しないし、
Amazonで買いたいものを思い出しても今は絶対注文するもんか。
全て、このブログを書き終わってからに回すんだ」
と硬い気持ちがぶつかり合います。
それで、結局いつも後者が勝つ。
ぼくが最初から「優先するのはブログだ」という考えを持っているので。
今はブログを週に一回の休日に書くことにしましたけど、
一年前まではこれが毎日だったので、弊害がたくさんありました。
ブログを書くことで、
私生活や仕事にも弊害を及ぼす。
前日の夜大筋を書いて、翌朝出勤前に見直してアップするのが日課でした。
でも内容が嫌で全部消して最初から書いたりなんかしはじめていると、
仕事だって遅刻します。
ぼく個人ではブログもピザ焼きも同レベルの仕事なので、
遅刻という感覚になりません。
だけど、ぼくの経済的原動力はピザ焼きのほうにあり、
ブログは無報酬ですから、
やっぱりピザ焼きにあまり支障もきたせません。
それに対して書くことはぼくの人生の精神的原動力なので、
どっちかを優先するなんてことができません。
何かを追求するためには一本の道を選ばなきゃいけないと、
強迫観念的にぼくは思っています。
料理も、大工も、営業も、主婦も、経理も、
その道を追求してこそプロフェッショナルになれるんだ、
道が分岐していたら右か左どちらかを選ばなければいけないんだ、と。
だからぼくはピザ焼きもブログもどっちも手放せないことに劣等感がある。
エネルギーを注げる量が50%ずつになって、
どっちにおいてもプロフェッションが得られない、というふうに。
そう思ってた。今も思ってる。
だけど最近は、
道が分岐していても50%と50%の自分が分裂して進むなんてことはムリで、
今いるぼくが100%でしかないんだと思ってもいます。
一本の道を進むぼくの中にある100%の割合に、
ピザ焼きと書くことの他にも、色んな好きな思いや変なゴミが混ざっている。
それをどんな配分にして生きていくのが良いのか、悩みます。
最高だと思うのは、
起きている間ぜんぶのことが楽しくなることです。
朝起きる時は朝ごはんが楽しみで起きる。
夜寝る時は次の日一日が楽しみで寝る。
こないだこれをスタッフに言ったら欲張りすぎだと言われました。
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