2015年1月7日水曜日

幡豆が実家のアートディレクター

「悪を描くことは深くなりやすくて簡単だけど、
明るく楽しいものを描くことは陳腐になりやすくて難しい。
だけど地獄絵図がどれだけすごいものでも、
その人と一緒にはいられない」

アートディレクターのKさんが言いました。
Kさんはぼくがツマミで出したブルスケッタをかじりながら、
ジム・ビームを飲んでいる。
幡豆とアートディレクター、変な組み合わせです。

ぼくが幡豆に引っ越してきてから一年半ぐらい経ち、
これまで変な組み合わせだなと思うようなことは色々ありました。
これはうちにしばらく滞在していたウィーンの女子大学生の話しですけど、
近所の美容院に行って髪の毛を切ってもらったら、
お土産にヤリイカをビニール袋一杯持って帰ってきました。
港町の美容院ですからイカはありえる話しかもしれませんけど、
髪を切ったらイカをもらうなんてやっぱりおかしな組み合わせです。

それから、ぼくが今住んでいる家は元々庭師のものでした。
その老夫婦が亡くなったので息子が貸しに出したところに
ぼくが入ってきたわけなんですけど、
200坪もある庭の隅に競技用のトランポリンが置いてあります。
庭師の家でしたから植木や果樹などが整然と植わっています。
桃、夏みかん、金柑、南天、水仙など他にも名前を知らない植物多々。
その和風庭園の中にトランポリン。

ぼくは競技用のトランポリンというものを間近ではじめて見ましたけど、
けっこう大きいです。
六畳間には入りません。八畳間ならギリギリ入りそうです。
なぜ庭師の家にこんなものがあるんだ?
息子たちの誰かが器械体操でもしていたのか?
ともかく変な組み合わせです、庭師とトランポリン。

Kさんは高校を卒業してから東京に移り住み、二十数年経つそうです。
でたまに実家に帰ってきて、
ヒマで散歩していたらオーシャンを見つけたという次第です。
「ところでアートディレクターってどんな仕事するんですか?」
ぼくは聞いてみました。
「おれは人を演出することを専門にしてる」
とKさんは言ってメイクの写真などを見せてくれました。
これがすごい、
女の人の裸体に翼とか絵が描かれていてそれが立体的でCGのように見える。
おっぱいも丸見えです。
だけどただのヌード写真とは違ってアートっぽい。

冒頭の話しがどんな会話をしていてそうなったか忘れましたけど、
Kさんのアート観になるほどと思ったので
それをブログで記録しとこうと思って書きはじめました。
ほんの数日前に糸井重里が『今日のダーリン』で、
“苦しいことを書くなら、せめて苦しいことを面白く書け”
というようなことを言っていました。
これがKさんの言うこととぼくの頭の中で繋がり、太宰治が出てきました。

地獄絵図を描くような人でも好感を持てるような人で
ピンときた人は太宰治です。
『人間失格』も苦しい人生体験のようなものですけど、面白みがあります。
苦しいのに笑えてしまう、太宰治はそういう作風で神業的です。

明るく楽しいことを表現するのは、
それが軽かったり根拠が無いせいで陳腐になるのか分からないですけど、
確かに深みがなさそうな感じがします。
何かひねりが入っていればいいのかも、失敗談とか。

苦しいことを言う人と一緒にいたくないけど、
それで笑わせてくれるなら苦しいことを聞いてもいい。
明るく楽しい気持ちになりたいけど、
それをそのまま言われても明るく楽しい気持ちになるとはかぎらない。

教訓、
ポジティブな人がポジティブな影響を人に与えないこともある。
ネガティブな人がネガティブな影響を人に与えないこともある。
最後に笑えるか、笑えないか、ということのほうが大事なようです。

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