2015年12月27日日曜日

拡張工事の経過

休みの間に着々とピッツェリアの拡張工事は進んでいます。
テーブル席も増えて、
さらにくつろぎのソファー席もできます。
以前はコンテナの中に座れるのは七、八人ていどでしたが、
拡張後にはなんと二十五人まで暖かい室内席に座れます!

ピッツェリア、劇的進歩を迎えました。
居心地の良いモーニング営業ができそうです。
リューアルオープンまでもう少しです。




2015年12月18日金曜日

バナナ林での作業

バナナはいたって日常的な果物ですけど、
バナナが樹木で実っている状態というものを日本で見ることはまずありません。
というかぼくは見たことありません。
きっと九州や沖縄に行けばあるんでしょうけど、
やっぱりバナナは南国でないとうまく作れないんでしょう。

もちろんハワイではバナナが実っている場所をたくさん見ることができます。
オアフではどうか知りませんけど、
ハワイ島のコナ地区では家の庭に大きな葉っぱに
バナナの房を垂らした木を見るのは珍しくありません。

バナナの他には巨大なアボカドの木、
つるに這って実るリリコイに、
パパイヤとマンゴー、
そして果実なのに芋の味がするパンの実。

これらの果物は年中実っているので、
庭に木がある人は朝落ちていればそれを拾い、
熟しているものがぶら下がっていればもいで、
毎日新鮮なフルーツが食べきれないほどテーブルに並びます。

ぼくはこのコナ地区で一週間農業研修のために滞在して、
主にバナナの世話をしていました。
バナナ林の若い木を育てるために鬱蒼とした古い木を切り倒し、
切った木が栄養となって土に還りやすくしてやるために粉砕する作業を行いました。

何が面白いかというと、
バナナの木は太いものでも電柱ぐらいなものですけど、
その幹が何と簡単に切り倒せるか。
ノコギリの刃を当てて引くとサク、サク、サクという音がして、
発泡スチロールを切るように簡単に切れるのです。

そしてこのバナナの木のかわいいところが、
木自体がバナナの実のようなのです。
木の切り口も実と似ていれば、
樹皮がめくれると太いバナナそのものといった中身が現れます。
さらに時間が経つとこの切り口が黒ずんでいくのも実と同じです。

バナナの木は水をふんだんに蓄える性質を持っていて、
ノコギリで切込みを入れるとピューと水が吹き出るほどです。
この切り倒した木をさらに木っ端にするために、
日本から運んでいったワラ切りという道具を使いました。

ワラ切りはギロチンのようなもので、
硬いものでも簡単にスライスできる恐ろしい処刑道具です。
よく日本から運び込めたなと思います。
これでバナナの木を10センチほどにスライスしていきます。
一本の木を切り終わる頃には吹き出てくる水分で手袋がびっしょり濡れます。
ちなみにこの水を舐めてみましたけど無味無臭で、
バナナの味はしませんでした。

バナナはまだ青いうちに収穫して、
黄色く熟れるまで吊るしておきます。
品種はアップルバナナというもので、
日本でよく売っているものよりも半分ほどのサイズで、
アップルというだけに軽い酸味と、
りんごのような香りがあって美味しいです。

昨日コナから日本に帰ってきましたけど、
朝、空港に向かう時も房から二本ちぎって朝食にしました。





2015年12月9日水曜日

シーズン仕事の休暇

す今年一年の営業を終えました。
ピッツェリアの改装工事も間もなく終わるところで、
休みの間に家具を入れ替えたり、
ペンキ塗りをしようと思っています。
イベントにはハワイに一週間の農業研修と、
それから年末年始は家族のいるカリフォルニアに行きます。

今年も楽しみはサンフランシスコの食べ歩きです。
去年と一昨年のメインはバークレーの〈シェ・パニース〉でした。
今年はオークランドの〈CAMINO〉と
ミッション地区の〈Bar Tartine〉を予約してあります。

毎年毎年オーシャンの営業スタイルは変化しながら、
今年は初めての一ヶ月休業をとることになりました。
夏の繁忙期に休みを削って働き、
ヒマな時期に休むというシステムです。
なんとなく欧米式をイメージしますけど、
お店で客さんと話していたらそんなこともありませんでした。

幡豆は漁師町です。
ぼくと同年代の漁師もいます。
幡豆・吉良・一色あたりはあさり漁師が多いです。
あさり漁師は年に半年間しか仕事が無いそうです。

その半年で一年の生計を立てなければいけないので、
仕事をしている時の給料は「そんなにあるの!?」と驚くのですけど、
年間を通したらそんなに多くもありません。
ちゃんと貯金していかないと、
ある時には勢いよく使ってなんて生活をして、
後半はひもじくなる可能性大です。

仕事が無い半年間をどう過ごすかは漁師それぞれだそうで、
二十から三十代あたりの船頭に雇われている若い衆は
建築系の仕事に日雇いで行ったりする人もいるし、
朝から飲みはじめるのもいれば、
パチンコ通いも結構多いです。
船頭はといえばたぶんあさりの養殖のための種まきや
船や仕事道具の管理もしているのでしょう。

そういえばハウス栽培のトマト屋さんに聞いても
冬から夏前頃が収穫時期で、
夏から冬にかけては準備期間になります。
もちろん遊んでいられるわけではなく、
苗作りや土壌作りなどの下準備が行なわれています。
だけど現金収入があるのは一年のうち約半分です。

ぼくはこういう一時期だけ収入があるというような仕事を
幸か不幸かしたことがありません。
だいたいアルバイトか会社員という雇われ人としてここまで来ているので、
一日でがっぽり収入が入ったなんていう経験もなければ、
突然収入が途絶えるという状態に陥ったこともないです。

だけどぼくが月給制だとしても、
オーシャンは実はもうちょっと、
この漁師とかトマト屋さんのように季節仕事の側面が強かったんです。

強かったというか、最初からそうなんです。
だけど年間通して同じ月給をもらっていると、
そういうシーズン仕事という感じが意識しづらくなってきます。
でもどうなんですかね、
日本人的には毎月同じ給料をもらってたほうが、
夏たくさんもらって冬無しというシステムよりも、
慣れと安心感があるからいいんですかね。
うーん、ぼくはどっちがいいかまだよくわかりません。

休みに関しては、
一ヶ月休暇もまだ一週間すら経っていませんが、
すでに良い試みだという気がしてます。
普段の春から秋に休む分を削るのは、
休みを楽しみにしてる人には辛いかもしれませんけど、
季節で仕事にオンオフがあるのはけっこう自然なことなんじゃないかと。

むしろ年間通して同じリズムの仕事をしようとするほうがケガをしそうです。
オーシャンでいえば冬にお客さんを呼び込むとか?
(冬に店が繁盛しそうになったらたぶんこの考えもころっと変わります)

しかしこの一ヶ月休業では
ぼくは野球のシーズンキャンプのように、
素振りをして来年に挑みたいと思います。
きっと来年は今年以上に良くなると信じて。
そう自分に期待します。

2015年11月24日火曜日

文豪札の裏表

いわゆる文豪とは夏目漱石とかドストエフスキーとか、
プルーストとかエミリー・ブロンテとかです。
とくにどこからどこまでとも決めず、完全にぼくの主観です。
ぼくは小説に関してすごく詳しいのかというとそこまででもありませんが、
一般的な人よりは好きでよく読む方だと思います。

その経験を活かして文豪札を作ろうという考えです。
具体的にはフォトフレイムなどを使って表には顔写真、
そして裏にはその作家が小説中で書いた名文章を引用する。

この“名文書”を裏表で載せるというのが画期的です(自分で言う)。
ハンバーガー屋の写真立てのアイデアを発展させて。
ぼくが小説中の心を打たれた文章を引用して、
お客さんが注文を待っている間、
写真立てに引用された一文を読んで時間つぶしなどができるという代物です。

ピザを待っている間に、
ドストエフスキーの小説に現れる個性的な人物が楽しめるような文だったり、
宮沢賢治のファンタジーな言葉の組み合わせを暗唱できるようにしたいと思います。
どうですか?
たまりませんよね?

いや、もしかしたら迷惑かもしれません。
別に小説が好きでも何でもない人にとっては、
トルストイの写真立てなんか渡したら
あの異様なヒゲ面に驚いて突き返したくなるかもしれません。

フィッツジェラルドやヘミングウェイなんかはカッコいいですけど、
だいたいが文豪の写真には色気がないというか、
どうしてもおじいさんの写真が多くなってしまうというのが悩みどころです。
ですが、
写真の問題はさておき注文を待つ間のネタには多少なるんじゃないでしょうか。

ぼくは今この“名文章”を小説から抜き出しているところです。
これまで読んできた小説の中で好きだったものをもう一度読み返して、
これだという心を揺さぶる文章を選びたいと思います。

少なくとも20個は札を作りたいと思うので、
20人の作家を選びます。
一冊目に読み始めたものはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』です。
おそらく20個できるのは、しばらく先、
来年の春には完成させたいです。

音楽の自分のベスト盤のプレイリストを作るのって楽しいと思いますけど、
その文学版みたいなところで、
ぼくは今この作業をけっこう楽しんでいます。

懸念はスタッフのみんなに文豪の顔が覚えてもらえるかどうか、です。
それこそトルストイとドストエフスキーの区別がつくだろうか?
ボルヘスとナボコフの顔の違いは覚えてもらえないだろうからどちらかにしよう。
などと考えて、なるべくスタッフも分かりやすくして、
ピザを届ける前に混乱をきたさないように考えています。

せっかく文豪札をお客さんに渡しても、
スタッフが戸惑って届けるのに時間がかかったら本末転倒ですからね。
まだしばらくかかりそうですけど、
きっとみなさんが楽しめるようなものを作りますので楽しみにしていてください。

2015年11月17日火曜日

文豪札

一ヶ月ほど前から、
「完成してから発表しよう」
と一人で地道に進めている計画があります。
こんなに楽しいアイデアを完成前に言いふらしたりなんかしたら、
誰かに真似されるんじゃないかとぼくは心配でしばらく黙っていました。

しかしよくよく考えたら、
こんなアイデアを実行する物好きはまずいなさそうだし、
むしろ真似なんかだれがするもんかと言われそうで、
ようやく頭の熱も冷めてきました。

どんなアイデアにしてもだいたい思いついたときは興奮して
ヤル気が湧いた状態になりますけど、
時間が経つと落ち着いて現実化に至らなかったということは
自分のことでも思い返してけっこうあります。

しかし今回のことは時間が経っても
「これを完成させるぞ!」という気持ちも薄れず、
できれば自分と同じように完成を楽しみにしてくれる人がいたらいいなと思って、
アイデア実現宣言のためにもブログに書いとくことにしました。

え?
それでどんなアイデアかって?
あー、言いたい。
早く言いたいですけどちょっと待ってください。
しぶっているわけではありません。
ただなぜぼくにとってこのアイデアが画期的に思えたのか、
その過程を知ってもらわなければぼくの気持ちの高ぶりも伝わりません。

これは〈石窯ピッツェリア・オーシャン〉にとっての三年越しの問題です。

ピザが焼けた。
さあお客さんのところに届けよう、火傷するかもしれない熱さのまま、
冷めないうちにまっしぐらにお客さんのところに届けよう!
——伝票にはお客さんの名前と特徴がメモしてある、
それを確認してお客さんを探す——
ピザを持って急ぎ足でデッキに運んだけどここじゃなかった。
このピザのお客さんは……どこだ!?
右往左往する。
ピザ冷める。

未熟な飲食店の典型です。
最近はこういう事態も少なくなってきたものの、
忙しい日は運ぶ場所を間違えて最短時間で届けられなかったりする。
こんなことでピザのいちばん美味しい状態が過ぎてしまうのは残念すぎます。

番号札はどうした?
テーブルの上に数字の入った立札の目印を置いておけば探しやすいじゃないか?
まずはそう考えました。
しかしオーシャンのスタッフの中には
「自分が番号で呼ばれるのは気持ちよくない」
という人が複数人いたこともあって、
この問題を保留にしていました。

ヒントはカリフォルニアのハンバーガーショップにありました。
パティに使う肉にこだわった店で、
チェーン店というほど大きな規模ではありませんが、
カリフォルニア内に何店舗かあります。

ここでぼくはアーティチョークとゴーダチーズのハンバーガー、
フライドポテト付き$9.88を注文しました。
そこで店員に渡されたのが写真立てです。
写真立てにはエルヴィス・プレスリーの顔写真が入っていました。

つまりこの写真立てをテーブルに置いておくと、
「お待たせしました、ミスター・プレスリー」
と若いウェイトレスが肉汁滴るハンバーガーを運んできてくれるというわけです。

周りのテーブルを見渡してみると、
ジミー・ヘンドリックスやマリリン・モンローの写真立てが置いてありました。
安っぽい、なんの変哲もない白いプラスチックの写真立てです。
だけど番号札を渡されるよりは、
テーブルで待っている間もしかしたら話しのタネになるかもしれませんよね。

はじめてのデートがこのハンバーガーショップのランチで、
緊張の沈黙から抜け出る糸口を、
写真立てのマイケル・ジャクソンが担ってくれることもあるはずです。
その写真立てのおかげで、とある男女は仲良くなり結婚して、
産まれてくる子供だっているはずです。

そんなふうに、番号札に子供を産ませることができるでしょうか?
きっとできないでしょう。

銀行とか役所の整理番号にもそんな小ネタが仕込んであれば、
「そんなことに経費を使うなら手数料を安くしろ!」と、
批判をするクレーマー同士のとある男女が知り合って、
仲良くなり結婚して子供を産むことだってあるでしょう。
きっとあるでしょう。

そういうわけで、
ぼくは子供の出産率だけにとどまらず、
何かのきっかけになる思索的な奥深さのある札が欲しいと思っていて、
ついに思いつきました。
それは文豪の顔写真を入れた写真立てを渡して、
番号札ならぬ文豪札にしようという目論見です。
〈つづく〉

2015年11月5日木曜日

来年はモーニングはじめます

モーニング営業を計画しています。
今までピッツェリアは11時オープンでしたけど、
来年の1月6日より9時からのオープンに変わる予定です。

9時から11時のメニューはピザではなく、
石窯で焼いたパンやシナモンロール、
他にもタルトなどを用意しようと思っています。

店舗の佇まいも変わります。
ピッツェリアはこれまで露天型というのか海の家風でしたけど、
壁を囲って、もうちょっと店舗らしくなります。
日差しがよく入る場所ですから、
壁で太陽を妨害せずに
明るくてぽかぽかするサンルームのような雰囲気にしたいと考えています。

海岸沿いの冬風は冷たいです。耳がもげるように。
露天型では寒さ対策が大変でした。
すきま風で暖房はききづらいし、
外席中心のピッツェリアは冬休んだほうがまだマシなぐらいでした。

それがちゃんと壁で囲われるとなれば、
居心地の良さはグンと高まるはずです。
冬どころか雨の日だってくつろげます。
今は玄関扉のない店で、
折り畳みの窓に取っ手を付けたのが入口です
(窓といっても1800㎝)。

折り畳みの窓ですから密閉性が悪いです。
日が暮れてあたり一帯が暗くなった夏の夜、
三河湾の虫が一斉にピッツェリアの明かりを目指して、
ガラス窓にぶつかってくるときもあります。

それが、玄関さえつけば、扉を閉ざすことができます。
ぼくはこの歳になってようやく扉にとって大切なことを理解しました。
扉は開けたら閉めなければならない。
これはセットだったのです。
開けたら閉める。

窓はそうじゃありません。
窓は開けっぱなしにしたり閉じっぱなしにしたりすることに向いていて、
海の家には非常にぴったりな出入口です。
海の家に扉は必要ありませんからね。
開けっ放しで、テーブルと砂浜と海がダイレクトにつながっているのが良い。

だけどピッツェリア・オーシャンは海の家としての存在から、
扉を一枚隔てた海の前のピッツァレストランにチェンジします。
外にダイレクトにつながる開放感は失われてしまうかもしれませんけど、
そのかわり、くつろげる居心地の良い店ができそうです。

そのため12月は6日で年内の営業を終了しまして、
改装工事などを含めて1月5日までお休みさせていただきます。
お店はお休みですけど、
ぼくはペンキ塗りや店の工事を手伝ったりしています。
ぼくは昔ペンキ屋でしたから、
こういうときに修繕費などをケチるのに役立っています。

ホームページも今更新中で、
もう少しで詳しい案内なども出せそうです。
よりより店作りができるようにがんばりますので、
今後もご贔屓にしてくださいませ。

2015年10月20日火曜日

コーエン兄弟の撮るドラマ

『ファーゴ』ドラマ版を見ました。
コーエン兄弟が20年前に作った映画をもとにして作られたドラマです。
映画も当時見ましたけど、
特に面白かったという記憶はなく、
コーエン兄弟映画が好きだったわけでもありませんでした。

だけど数年前に『ビッグ・リボウスキ』を見て、
こんなに面白い映画があったなんてなんで今まで知らなかったんだ、
と思いそれからコーエン作品を次から次に見はじめました。

どの映画にも血塗られた冗談が詰まっています。
『バーン・アフター・リーディング』も
『トゥルー・グリット』も
『オー・ブラザー!』も
残酷なのに、笑ってしまいます。
音楽もよくて、
監督の演出なのか俳優が他の映画で見る個性とは
また別の個性を出しているように見える。

映画は2時間そこそこしかないのに、
『ファーゴ』ドラマ版は1話60分で10話で600分です。
600分っていうことは6時間ではありません、
10時間です。
10時間もコーエン兄弟のブラックな笑いとサスペンスが楽しめます。
しかも今アメリカではシーズンⅡが放送されてるそうです。

このドラマの面白さ、というか引き込まれるところは、
ローン・マルヴォという殺し屋の尋常じゃない怖さです。
だんだん、警察がかわいそうになってきます。
警察がマルヴォを追い詰めようとするんですけど、
見ているほうは「早く逃げたほうがいい!」
と警察の心配ばかりしてしまいます。

というのは、
この『ファーゴ』の中のミネソタ州の田舎警察が弱いからです
(副署長のたくましい女性を除いて)。
だけど弱い警官のガスを見ても「警察なのに何してんだよ!」とはならず、
犯人を逃してしまう臆病な自分に悔しがるところなんかは人間味があって、
むしろ好きになります。

このガス・グリムリーという警官(後半は転職して郵便局員)の弱さが、
後半バネになって活躍します。
普通のハリウッド映画だったら弱い警官に変わって強い警官が
登場すると思うんですけどそうじゃないところが秀逸です。
弱いガスが立ち向かうところに拳を握ってしまう。
全部見終わると、ガスの後悔からの活躍にはドラマがあったなと、
魅力的な印象に変わります。
見終わってからウィキペディアで調べてみると、
この俳優はトム・ハンクスの息子でした。

『ファーゴ』は他のドラマと比べると登場人物が少ないと思います(たぶん)。
死ぬ数が多いから少ないと感じるのか?
実際、シーズンの終わりにはほとんどの主要人物が死んでます。
そして物語の中で死んでいく人物にも関わらずそれぞれが印象に残る。

普通、物語の中で死んでいく人物はあまり個性を残さない、
というか死ぬということは生き続ける人物よりも単純に映る時間が短いから、
記憶に残りにくいはずなんです。
だけどコーエン兄弟の手にかかると、数分の登場時間の人物も強く印象に残ります。

たとえば、
何話だったか忘れましたが犯罪組織「ファーゴ」のボスが登場する前、
中華の料理人が大きな魚に小麦粉を振って丸ごと揚げます。
大皿に揚げた魚を載せておたまで餡をたっぷりかけると、
まっすぐ手下と会議中であるそのボスのテーブルに運ぶ。
超凶悪な顔をしたボスは「(マルヴォを)殺せ!」と一言命令して、
大きな魚の頭にフォークをぶっ刺し、
荒っぽく正面からかぶり付きグチューっと吸います。
わずか登場時間10秒でその後すぐに
ボスは乗り込んできたマルヴォに殺されるんですけど、
短い時間に圧縮されたコーエン映像です。

2015年10月7日水曜日

ドリップコーヒーのワークショップ

来週は〈カフェ プレインソレイユ〉による
コーヒーのワークショップ「Journey of coffee」が開催されます。
コーヒーのWSはオーシャンにとっても、
プレインソレイユの宮地さんにとっても初めての試みです。

スタッフ内の勉強会では何度か凄腕のバリスタを招いて、
カプチーノ講習をしていただいたこともありましたが、
今回はドリップコーヒーのワークショップです。

“コーヒーを淹れる”という習慣は今の日本では、
“納豆をかき混ぜる”並みに常習化しているんじゃないでしょうか。
美味しいコーヒーの淹れ方の情報は、
得ようと思えば本でもWeb上からでもいくらでも出てきます。

その、日常にありふれた“コーヒーを淹れる”という行為を、
わざわざワークショップを通して学ぶ意味とは何か?
ぼくは、ワークショップの楽しさは交流だと思ってます。
もちろん参加者同士の交流も生まれれば、
講師である宮地さんという個性との交流を通してコーヒー職人の奥深さを知れる。
どれだけ自分に真剣であるか。
宮地さんという人を見ていると
「自分に真剣であるか?」という問いかけをぼくははじめてしまいます。

「自分がいる業界のことにどれだけ精通しているのかが
その道で成功できるかどうかを分ける」
とこないだ読んでいた本に書いてありました。
宮地さんはコーヒー業界のことを面白く語る。
知識があって、それは足の軽さからやってくるのか、
関東から関西、
名だたるコーヒー職人が淹れたコーヒーを語る。
その活き活きとした話しからはコーヒーの香ばしさが漂ってくるみたいで、
生唾をごくっと飲んでしまう。
毎回宮地さんに会うたびにぼくは勉強させていただき、
自分の仕事への気持ちも奮い立たされます。

宮地さんの個性は、
コーヒー家として生き方を決めているところから滲み出ています。
生き方を決めた人は話しが明快です。
迷いのない言葉は、
聴く人にとってカフェインのように目を覚ます力があります。

今回のワークショップではコーヒーのお供に、
ぼくはシナモンロールを石窯で焼かせていただきます。
ぜひお楽しみにしてご参加ください。

2015年10月2日金曜日

サマータイム営業終わりました

今年のサマータイム営業も九月一杯で終わりました。
長かったー。
毎年この三ヶ月が長くて
「何で営業時間長くしてしまったんだろう」と、
やっぱりやめとけばよかったという気持ちになります。

だけど冬にかけての閑散期を通過するといつも、
「やっぱり夏場に仕事をしなければ!」
といつの間にか目に炎が燃えはじめてるんです。
毎年その繰り返しです。

こないだ東京のイタリアンレストランを経営するシェフの本を読んでいたら
こういうことを言っていました。
「週末の表参道は目が回るほど忙しいのに、
平日は拍子抜けするほどヒマになったりする。
その極端なリズムを変えたくて、
自分の店を出すときはなるべく安定した場所を選ぼうとした」

オーシャンもこの極端なリズムの中にあります。
ぼくはここで働きはじめてから今年で5年になりますけど、
いまだに忙しい日とヒマな日の切り替えで混乱します。
平日と週末は「別の仕事」をしているみたいな。

平日と週末は小さなスパンとして
(もっと細かなスパンでいえば晴と雨)、
大きなスパンでは冬と夏という切り替わりがあります。
海といえば、冬はオフシーズンで夏がハイシーズンのイメージ通り、
オーシャンも季節によって売上が何倍も変動します。

こういう“よめない未来”は不安になりますし、
極端なリズムに疲れますから、
東京のこのレストランが安定した客足を求めて立地を決めたのは
すごく納得がいきます。

ここのシェフの相葉正一郎さんという方は表参道でコックをしてから
代々木で独立して“自然なリズム”を獲得できたようです。
〈LIFE〉というお店で、たまたま本をAmazonで見つけて読みました。
いつか行ってみたいお店です。

それにしても読んでいて思いましたけど、
都心の真ん中の表参道と代々木というちょっとした距離にでも
(ちょっとした距離ですよね?)
こういう極端なリズムで悩むことがあるんですね。
ぼくはオーシャンが田舎立地で辺鄙な場所だから、
来店者の極端な波はもうしょうがないものだと決めつけていました。

だけど幡豆も東京も似たような悩みがあったんだと思うと、
ちょっと解放されます。
どこに行っても一緒なんですね。
まあ解放されてそれで済むかという、何の解決にもなってませんが……。

秋から冬にかけて、居心地の良い店造りをしていこうと思っております。
ピッツェリアはこれまでずっと露天スタイルのお店でしたけど、
「露天」から「お店」に変わる計画を進めています。

今お客さんがピッツェリアにご来店されるとき、
玄関扉を開けるわけでもなく、
暖簾をくぐるわけでもなく、
どうやってお店に入るかというと窓から入っていただいてます。

ピッツェリアの入口は現在折りたたみ窓に無理やり取手をつけた状態です。
二年間、みなさま方には窓から入っていただき、
こういう気持ちを噛み殺していたんじゃないかと推測します。
「おれたちは泥棒じゃねえぞ、客だぞ」

それが今年中には玄関を構えられるかもしれないです。
まだスタッフ同士で話し合いながら、
工事をやってくださる方に相談している段階ですけど、
居心地の良いお店ができるんじゃないかと、楽しみな毎日です。

2015年9月15日火曜日

会社の中で仕事をすること

自分にとって良いことよりも、
会社にとって良いことを選ぶのが従業員の鏡だ、
と思う。

自分の意思を貫くよりも、
経営者の考えを汲み取って行動に移せることが
会社繁栄に必要だと思う。

自分の好き嫌いや得意不得意に関係なく、
色んな役割にチャレンジすることが
自分、ひいては会社の成長に繋がると思う。

だけど反対に、
自分の希望、意思、好き嫌いを置き去りにして取り組む仕事で
“すごく良い仕事”ってできるのか?

ぼくはどうせ仕事をするなら“すごく良い仕事”がしたい。
自分の仕事を人が簡単に真似できないレベルまで高めていきたいし、
むしろそう思えなかったら面白みが無いです。
追求できること、
のめり込んでしまうことで楽しみが湧いてくる。

だけど今度は、
自分の道を極めようと邁進することは、
会社にとって良いことばかりじゃなくなってくる。
従業員同士の和を乱すことになったり、
周りの意見を無視して不満が溜まっていったりする。

チームプレーよりも個人プレーの仕事をするなら、
わざわざ会社に所属するよりも独立したほうが
お互いのためになりそうです。

会社で仕事をするメリットは
・安定した給料がある
・一人じゃできない仕事を引き受けれる
・従業員の誰かが休んでも会社は動ける
といったことがある。

デメリットは
・安定した給料と引き換えに会社のルールに従う必要がある
・どんな仕事を引き受けるか意思決定に時間がかかる
・仕事で手を抜けば周りに負担がかかる

ぼくは会社の中で仕事をしている。
それでも自分の希望・意思・好き嫌いを無視したくない。
誰かに与えられた仕事よりも、
自分で選んだ仕事をしたい。
それじゃどうしたら
“自分寄り”と“会社寄り”のバランスを取れるのか。
そういうときこんな言葉を自分に問いかけてみればいいと思った。

「じゃあ独立すればいいじゃん」

それがしっくりきたら独立の道は楽しいだろうし、
いやそれよりもこの場で自分は活きてると思うなら、
スタッフ同士でどう手をつなぐかを考えたほうが仕事の実りも多そうです。

2015年9月1日火曜日

毎日を楽しくする設備投資

働く場所が快適になっていくと、
働いていて仕事も楽しくなります。
今までの仕事に不便を感じながらでもこなしていたけど、
設備が充実することでこれまでよりも仕事がはかどったりする。

今年購入した設備関係の主なものはこれらです。

・中古のホシザキの製氷機 ¥130,000
・屋外用の丸テーブル三脚 ¥23,000/一脚
・作業場のエアコン ¥80,000

製氷機。
今まで20年モノのホシザキの製氷機を使っていました。
大人が二人掛かりでも持ち上げるのに苦しいほどの鉄の塊です。
これが、少し前からうるさいモーターが鳴りはじめて、
一ヶ月近く放置していましたが、
何か手を施すわけでもないので治ることもなくずっとうるさいままでした。

そしてそのでかさとモーター音の豪快さのわりには
まったく氷ができてこないおんぼろ製氷機でした。
夏本番に向けて途中で寿命が尽きてしまっては大変なので、
新しく買うことにしたのです。

それも1サイズ小さくしました。
古い製氷機は日産能力が45キロなのですけど実際は能力が落ちていて、
新しく買った2014年製の日産能力35キロのものは、
それ以上の氷を作ってくれています。

製氷機が無い時代の飲食店はどうやって仕事をしていたんだ、
というほどこれがないと仕事になりません。
なのでなるべく壊れなさそうで新しいものにしました。

しかしエアコン、これはなくても仕事ができます。
二年間ぼくはエアコン無しでやってきました。
暑いです。
しかしもう、ピザ職人は暑いもんだという前提でやってきました。

ところがこの作業場に、
数ヶ月前からピザ職人見習いのかよちゃんという女子がやってきたのです。
はたして、自分の作業環境を見直してみると、
こんなところで女子を働かせていいものかと疑問が付きまといはじめました。

そしてこう考えが変わりました。
「ムリだ、こんな暑い場所で仕事なんかしていたら、
きっと熱中症なんかで倒れてしまうだろう」
そうすると、連鎖的にぼく自身も
「こんな暑さ耐えられない、自分もやばいかもしれない。
今まで自分はどうやってこんな暑さを乗り越えてきたのか、
信じられない!」
と途端に自分の我慢限界レベルが引き下がりました。

ぼくは貧乏性ですから、
こういう我慢すればやり過ごせるという贅沢品には手を出さない傾向にあります。
しかし人が「それは必要なんじゃないかな」と言ったり、
今回の場合のように「これは自分以外の人にも必要なものだ」と思えると、
コロッと考えが変わります。

こないだもぼくは電動ひげそりを買いました。
ブラウンの人工知能付き最新モデルで三万円もしました。
剃り残しを人工知能が探知して剃ってくれるらしいのですけど、
もう何度か使っていますが何が人工知能なのかさっぱり分かりません。
「おはよう」と言ったら
「オハヨウゴザイマス」と返事をしたりするなら分かりやすいのですが。

ともかく、ぼくは今まで高い電動ひげそりなんて買ったことありません。
だいたい家電屋の正月セールで特価ものを選び、
一、二年おきに買い換えるていどです。
だけどこの電動ひげそりはぼくの妻が半分お金を出すと言いました。
結婚式前にどうしてもその青髭をどうにかしたい、と言うのです。

髭が濃いというような生理的個性とアイデンティティーは深く関わっているものなので、
人は反発しがちです。
ぼくは
「おれが青髭を失ったら、おれは誰なんだ!?」
と憤慨しました。

「おれの青髭が無くなったらもっと好きになるとでも言うのか?
じゃあ今は好き度70〜80%だとでも言うのか?
あれ……、そういえばこないだまで“ありの〜ままで〜”とよく歌っていたけど、
その考えはどこにいったんだ?」

すると彼女はこう言います。
「じゃあ好きなほうにすれば」
と今度は突き放します。
「良いやつにするならお金は半分出すっていうだけ」

で最後はぼくも
「じゃあ、まあ……、良いやつにしようかな」
と最後は自我の問題よりも、
金の問題になりました。
ぼくも悔しいですが、背に腹は変えられません。

電動ひげそりは家庭内の設備投資です。
ぼくのプライドは損なわれましたが、
新しい切れ味の良いひげそりは毎日を楽しくします。

2015年8月18日火曜日

4DXの未来

安城コロナにジュラシックワールドを見てきました。
コロナといったら椅子がガタガタ動く
新システムが導入されているらしいと人に聞いて、
早速行ってみることにしました。

新システムは4DXというもので、
この影響によるものか平日の夜だというのにほぼ満席に近く、
最前列の両脇だけが空いているという状況でした。
仕方なくそこをウェブ予約すると、
レイトショーで値段が安いと思っていたのに一人2400円です。

21:30上映開始のところ5分遅刻して入りましたが、
シアターの中はまだ明るく、
眺めてみるとほとんどが若い男女のグループです。
そこを係員が若者客に注意をして回っているところでした。

「椅子が動きますので、
ヒザの上に飲食物を置かないようにお願いします」
「カバンは足下に置いてください」
などということを注意して回っており、
ジェットコースターの出発前の点検さながらで、
やたらと時間がかかっています。

椅子は普通のシアターよりも大きなマッサージチェアのようです。
他には画面のサイズも標準で、特別変わった設備は見当たりません。
電気が消えて、
4DXの体験版の映像が流されたかと思うと、
突然椅子がガクガク揺れだしました。
風が横から吹くと、
霧が前から吹き出し、場内にストロボのようなものが点滅し、
臭いの出る煙が噴射され、
ほんとうにマッサージチェアかと思うような突起物が背中をぐりぐり指圧します。

たしかにこんなに激しく振り回されて
片手にポップコーンなんかを持っていたとしたら、
場内がポップコーンまみれになるところです。
乾物ならまだしも、
ぼくの隣ではソフトクリームやホットドッグを食べている女子男子がいたので、
椅子がガタガタ揺れる拍子にその中身が抜けて飛んできたりなんかしたら
映画どころじゃなくなります。
係員が時間をかけて、
飲食物をホルダーに入れるか椅子の前に置けと注意するわけです。

体験版が終わると横の若い男子は
「想像したよりも五倍すげー……」
と嘆息していました。

ぼくもこの若い男子に共感しました。
ぼくは「どうせ子供騙しみたいなものでしょ」と思っていたので。
それがですね、この4DXには風と振動に不快感がある。
風は寒く、ガタガタ動く椅子で尻が痛い。
足を組んでボーッと見ていたりなんかして突然ガタガタ動くと、
足ががくっと崩れる。

想像を超えるものや不意を突いてくるものには不快感があります。
作り手が客に不快感を味わせないよう気配りをして作ったものは
刺激が少なくて生ぬるい子供騙し的なものになる、とぼくは思う。
極端にいえば、大量生産は感覚に訴えない集大成で、
芸術は細部まで感覚に訴えかけることを目指している。

感覚に訴えかけるものは万人に受けません。
「生理的に受け付けない」
という言葉があるように、
感覚は人それぞれに異なる印象を抱かせますから。

でも、不快感をすべて取り去ったものが“良いもの”であるとは言えない、
というより不快感を取り去ることは人間の感覚を衰えさせるものなのだ、
とぼくは思う。
椅子にガクガク揺さぶられながら、そう思いました。

しかし4DXでここまでやっておきながら物足りなかったのは、
嗅覚に訴えるものが何も無かったことです。
恐竜の臭いがどんなものか分からないにしても、
恐竜が近付いてきたらスカンク臭が漂ってくるとか、
臭いがあれば尚素晴らしいと思う。

別に不快な臭いだけでなく、
お花畑ではお花の臭いが、
ローストポテトが出されたらじゃがいもの臭いが、
きれいな女優が登場したら香水の臭いがしたりとか、
無限の娯楽の余地がありそうじゃないですか。

人間は触覚も味覚も視覚も聴覚も、
数種類の感覚しか得られないそうです。
味覚では甘味・辛味・酸味・苦味・旨味の5種類しかない。
では美味しく感じさせる要素とはそれだけかというとそうではない、
美味しい食べ物には風味があります。
そして風味とは香りを伴うものです。

人間の味覚がこの5種類に対して、
嗅覚は347種類の受容体があるそうです(ウィキペディアいわく)。
ぼくの中では感覚的に、もっと人間は感知してると思う、千種類以上とか。
嗅覚が人の記憶やイメージを呼び起こすスイッチになるということもよく聞きます。
4DXの未来はこの嗅覚へのアプローチにかかっているとぼくは睨んでいます。

クライマックスのTレックスとハイブリット型恐竜が戦うところは
椅子が激しく動きすぎて、
二匹の恐竜の取っ組み合いがどっちがどっちなのか区別がつかなくなった。

戦いの最中、
椅子は左右上下前後に揺れて、
風は吹いてくるし、
霧がばっと噴射されて3Dメガネに水滴が付くし、
もう映像どころじゃなくなります。
あとは獣臭みたいなものがあれば完璧でした。

2015年8月6日木曜日

サンマルツァーノを煮詰める

サンマルツァーノのトマトソース作りを続けています。
前回は湯むきしたトマトを裏漉しして使ったら、
水分が多いせいか味が薄かったです。

なので今回は湯むきはせずにそのまま鍋に入れて、
水も油も敷かずに火にかけました。
ここでトマトの皮を破かないと水分が出ずに皮が焦げてしまう。
一部皮を破いて火にかけるとそこから水分が出て、
トマトの水分だけで煮詰めることができます。

1キロていどを鍋にかけて、
15分ほど中火でぐつぐつと煮る。
火を止めて、ボールに移し粗熱を取ってから、
ムーランで裏漉しをします。

水分が飛んで皮が取り除かれると1キロあったトマトが、
半分の500gていどに減りました。
湯むきだけした場合だと1キロのものが800gていどだったので、
水分量はこれでだいぶ少なくなりました。

色を比べてもぜんぜん違います。
湯むきだけのソースはピンク色なのに対して、
煮詰めたものは赤くなっています。

問題の味ですが、
甘みとコクが増しました。
イタリア産DOPのサンマルツァーノに比べるとまだ若干味が薄いので、
これはミックスして使おうと思います。

缶詰には缶詰の良さもあるのかもしれません。
時間を置くことで旨みのアミノ酸が出るとか?
ツナ缶は缶詰にされてから半年間寝かせて熟成させた後に出荷されるそうです。
トマトにもそういう効果は出るのか?

ミックスさせることでけっこう美味しいソースができたと思います。
ピザを食べるときあまりトマトソースに意識は向けないと思いますが、
また試してみてください。


2015年7月27日月曜日

西尾産サンマルツァーノ

昨日は西尾市内で自然栽培の農園をやっている
〈VEGETA屋〉さんのトマト畑を見学してきました。
現在〈VEGETA屋〉の矢田さんはトマトだけでも色んな種類を作っていて、
その中の一つのサンマルツァーノ種がぼくの目当てでした。

今オーシャンで作っているピザは、
小麦粉は知多産、
チーズは吉良町、
油は西尾産ということで、
主原料はほぼ県内産です。

ただトマトソースだけはイタリア産の
サンマルツァーノ種を使っています。
この細長いトマトを裏漉しして
皮と種を取り除いたものがソースになります。

サンマルツァーノ種を使いはじめたきっかけは、
最初は、ピッツァ業界の先輩に勧められたから。
次に、どのピザ教本を読んでもサンマルツァーノが一番だと書いてあるからです。
カリフォルニアで何店舗も持つ著名なピザ職人のトニー・ジェミグナニも、
彼の『Pizza bible』という本の中で
「サンマルツァーノがベストだ。それもアメリカやその他の国でもなく、
イタリア産のものを選べ」
と言っている。

サンマルツァーノはサラダで食べる桃太郎やミニトマトと違い、
水分が少ない代わりに果肉の割合いが多く、
熱を加えると味が濃くなるといった特徴があります。

日本ではトマトといったらほとんどサラダなどで使う生食用のものが占めていて、
加熱用のものはほとんどスーパーには並んでいません。
一般家庭に需要はあまりないようです。

ぼくはいつか生トマトで作る自家製ソースに変えたいと思っていて、
そんなところに矢田さんがサンマルツァーノを作っていると知りました。

「栽培は難しくないけどね、だけどこのトマトの良さはなんだろう」
矢田さんは言いました。

矢田さんの畑は周りを住宅地が囲むようにして、
その真ん中の開けた平地にありました。
オクラが何列かきれいに並んでいて、
その奥にトマト畑があります。
トマトは立てられた支柱を這うようにして伸びており、
遠くから見ても赤い斑点がたくさん見えます。

「今年はトマトのできがやたらといい」
と矢田さん。

色んなトマトが植わっている中に
細長い形のサンマルツァーノが実っている一列を見つけました。
自然栽培で自由に育つトマトたちは、
地面に落ちて潰れているものもあれば、
支柱を伝った蔓から垂れ下がっている青いのも赤いのもある。

ぼくは一つ千切ったものをもらいかじってみると、
さくっという音がしました。
はじめて生で食べるサンマルツァーノトマトはトマトというより、
水分の無い西瓜のようです。

かぶりつくとポタポタ垂れるトマトエキスの水分もなければ、
甘くもなければ、酸っぱくもありません。
お世辞にも美味しいとは言えません。

「ほんとにこのトマトがいいの?」
矢田さんは確かめるようにぼくに問います。

「う、うーん…。たぶんこれでいいと思うんですけどー。
火を入れたら美味しくなるんですかねー」
とぼくはだんだん自信がなくなってきました。
ともかく、このトマトを試作用に一キロほどいただきまして、
店に帰ってソース作りをしてみます。

ソース作りといってもごく単純な方法で、
皮を湯むきして、
ムーランという裏漉し器でピューレ状にしたものに塩を1%加えるだけです。
煮詰めたりなどはしていません。

ピザで使うトマトソースは高音の石窯の中に入れたとき、
余計な水分が飛んで味が凝縮されます。
なのでパスタソースのように味付けをして煮詰める過程はありません。
いつもの手順でマルゲリータを焼きます。

生地を伸ばし、
トマトソースを塗ったうえにバジルとモツァレラを載せて、
パーラーという道具を使い石窯の中にピザを投入する。
90秒で焼き上がります。

今回はじめて試してみた国産無農薬のサンマルツァーノソース。
色は赤というよりピンクです。
香りはある、生のトマトの新鮮な香りです。
しかし食べてみると、トマト感が薄い。
イタリア産に比べるとコクと甘み、酸味が全体的に乏しい気がする。

もうちょっと感動的な経験を想像していましたが、
生でかぶりついたときの印象から劇的な変化はない。
なぜだろう?

イタリアでなければ良いサンマルツァーノが育たないのか。
それともぼくのソース作りの手順がいけないのか。
若干青いトマトも混じっていたので、
完全に熟れていたほうがいいのかもしれない。

今週はまた矢田さんにサンマルツァーノを収穫してもらいますので、
二回目の試作をしてみようと思います。

〈矢田さんのこどもがトマトを千切るのを手伝ってくれる〉

〈皮の厚いサンマルツァーノ〉

2015年7月15日水曜日

タイツのシート

ウッドデッキに日除けシートが貼られました。
きれいな、夏の入道雲よりもさらに真っ白なシートです。


毎日海の前の職場に通いはじめて知ったことは、
街と海岸線では風の強さがまるでちがうということです。
店から一本北に入った道は住宅が並んでいますけど、
そこにいても気付かなかった風が、
海岸線に歩み出た途端帽子が飛ばされたりします。

海に面した場所は風を遮るものが何もないので、
ストレートに風が吹きぬけます。
何をするにしても風対策を立てないと突風の餌食になります。
バジルを風が強く当たる場所と、
風を遮る場所に植えたのでは後者の育ちのほうが断然良いです。

風は風単独の犯行とはかぎらず、
横殴りの雨風や、
波しぶきから生じる潮風と相まって攻撃力を倍々に高めてきます。

ウッドデッキや椅子、テーブルなどの木材は常に雨風に晒されて、
一年に一度防腐剤を塗っても劣化が激しいです。
鉄骨は半年前に錆止めと上塗り計二度塗りしたところですけど、
最近見たらもう錆びが浮かんでいました。

風による破壊は、
こういった侵食によるじわじわ型破壊と、
無神経に突っ込んでくるズカズカ型破壊の2タイプに分けることができます。

これまでズカズカ型で最も被害を被っているのは、
ウッドデッキの屋根類です。
パラソルもそうだし、
収納式のシート屋根もそうです。

風は空に満遍なく吹くものではなく、
目には映らずとも空を駆ける龍とも思わせるようなうねりで、
パラソルとかに突っ込んできます。
そうすると、パラソルを重りで固定していても飛ばされてしまう。
飛ばされないようにパラソルを鉄柵にロープで括り付けると、
今度は骨組みが折れて使い物にならなくなってしまったこともあります。

今回もこの屋根をどうするか、どうしたら風の影響を抑えれるか、
色んな案が検討されました。
そしてついにこの純白のシートが張られたのです。
このシートの写真を見て思ったかたもおられると思います、
ピンピンに伸ばして張ってるな、と。

この生地はなんとバレリーナのタイツ、
というかレオタードの素材なのです。
体操選手が激しく動き回れるように伸縮性に富んでいるのです。
ゴムのように伸びるので、
風を受けても膨らんで両脇から抜けていくようにシートを貼ってあります。

そしてゴムよりもすごいところは通気性があるところです。
細かい穴から風が抜けるのです。
反対に小雨ていどならしのげて、
水滴は落ちてこずにちょっと角度がつけば滑り落ちます。

このシート張りの作業中も
強い風が吹いているにもかかわらず、
シートはほとんど抵抗を受けずふわりと風を受け流していました。

今週は台風がくるらしいですけど、
安全策をとってシートを外すか、
そのまま張っておいてどれだけ耐久性があるのか実験をするか、
ただいま協議中です。

2015年7月7日火曜日

偶然に運ばれて

「どうしたらピザ屋さんになれるんですか?」

と、お客さんで来てくれたお母さんと小学生ぐらいの男の子に聞かれて、
ぼくは間髪入れずにこう答えました。

「薪割りができるようになったらピザ屋さんになれるよ!」

だけどよくよく考えたら、
薪割りができなくてもピザ屋さんになれます。
薪割りの機械を買えば自分で割る必要もないし、
ガス窯を選べば薪自体いりません。

どうやらぼくは無意識的に、
ピザ作りの仕事と薪割りの仕事が同一化していました。
毎日続けている朝の15分の薪割りにぼくはプライドを持っているのか?
それとも、薪割りによって鍛えられた腕の筋力を自慢したいのか?
いや、違います。そういうわけではありません。

むしろぼくは薪割りの姿を見られるのが恥ずかしくて、
お客さんがいないところでこそこそやっています。
なんとなく、力強さのアピールをしているみたいで恥ずかしいので。
だからいつ見られても恥ずかしくないように、
なるべく最小限の動きで、あんまり力を振り絞らない動きで、
音もバコーン!と響かないように大根を縦にサクリと切るようなイメージで
日々の薪割りを行っているぐらいです。

なのにお母さんと男の子には
「ピザ屋は薪割りだよ」
と自らアピールをしてしまった。
まるで「ピザ屋は男の仕事だぜ」と言っているようなものですよね。
幸いにもこのお母さんは笑ってすませてくれたからよかったものの、
もしこちらのお母さんがフェミニストであったら
ぼくは激しく糾弾されたかもしれません。

ということで、ピザ屋になる秘訣は薪割りではありません。
ピザ屋は男の仕事ではありません。
なかには昔気質の人で男の仕事だという人もいるでしょうが、
現代では日本にかぎらずどこの国でも女性のピザ職人が活躍しています。

ではピザ屋になるためにはどうしたらいいのか?
ぼくはピザが好きなので「ピザが好きならなれるよ」という言葉が浮かびますが、
大成功しているピッツェリアの方がピザを食べることは好きじゃない
という人を知っているので好き嫌いは横に置いておきます。

でも他の人がどうピザ屋さんになったのか知りません。
自分の経験だけを考えみて、
薪割りができるという理由を外すと、
「偶然でした」という返答になってしまいます。

人から「ピザ屋をやったらいいじゃん」と言われて、
はじめて自分がピザを焼く想像をしました。
だいたいぼくは自分にはアイデアがないので、
人のアイデアを実行するほうが得意なのです。
というか、そっちのほうがただ楽なだけというのか。

ぼくは2年前に京都造形芸術大学の通信教育学部を卒業したんですけど、
そこの大学が発信している『アネモメトリ 風の手帳』というWEBページ
でこないだぼくのことを書いてくれました。
学校の卒業生にライターの方がインタヴューをするというもので、
ぼくはどうやってピザ職人になっていったのかを話しました。
よかったら読んでください。

「出会えた仕事を追求し“確信”を探す」

というタイトルで、
結論は偶然ピザ屋になったという話しです。

2015年6月30日火曜日

痛み予防

懲りない悪い習慣なんですけど、
ぼくはビールが好きで、
というか酒類全般が好きなんですけど、
だいたい毎日飲みます。
それで、適度な量なら問題ありませんが、
飲みすぎると頭痛をよくおこします。

この悪い習慣は常飲癖ではなく、
頭痛をおこしたときに鎮痛剤を飲まないと
頭痛が治まらないので、
酒を飲む→鎮痛剤を飲む、
という悪循環を繰り返していることです。

しかもこの頭痛を鎮めるために
ロキソニンやバファリンを飲んでも効かず、
試しにアメリカ人の母親が持っていたadvilを飲んでみると
これがよく効いてそれ以来アメリカの鎮痛剤を使っています。

 欧米の薬は成分はどれぐらい違うのか。
見てみるとぼくが使っている鎮痛剤のibuprofenの成分は、
アメリカのものが1カプセル200ミリグラムなのに対して、
たとえばイブA錠は2錠で150ミリグラムです。

ぼくは2粒飲むので400ミリグラムということですから、
倍以上違います。
これは効くわけです。

そんな話しをこないだ弟としていると、
弟の友達はibuprofenを5粒飲んでいると聞きました。
アメリカの大学でアメフトをやっているその友達は試合前にそれを飲むそうです。
確かにibuprofenは筋肉痛などの身体の痛みを和らげる効果もあります。

しかし彼は試合前に飲むというのです。
友達は弟にこう言いました。
「5粒飲むと、試合中にタックルを受けても痛くないんだよ」

まだ痛くないけど、これからの痛みに備えて痛み止めを飲むそうです。
痛み予防ってことですけど、部分麻酔的な感覚なんでしょうか。
薬の使い方が間違っている気がするんですけど、
この友達はタックルを受けすぎて頭がおかしくなったのか?
それに、5粒も飲んだら身体の感覚が鈍くなりそうなんですけど、
スポーツをするのに動きに支障がないんですかね。

ぼくの弟は昔からバスケットボールの練習のし過ぎで、
筋肉痛で眠れないということがよくありました。
それで鎮痛剤に頼ったりもしていたのですが、
しばらく前からトレーニング後は氷風呂に入ることが習慣になっています。

氷風呂(アイスバス)は、
風呂桶に水を張り、そこに氷を入れて10度ていどの温度にして、
13から15分浸かるというものです。
トレーニング後に暖かい湯に浸かると筋肉が緩んで、
トレーニングの意味が無くなってしまうということで。

最初の3、4分は冷たくて死にそうになるそうですが、
それを通り過ぎると気持ちよくなり、
筋肉を締めることでその後の筋肉痛が和らぐというのです。

ぼくは鎮痛剤5粒も、
氷風呂も、
どっちも試したいとは思いませんが、
世の中にはさらに極端な世界がありました。

プロのスポーツ選手の間ではクライオセラピーというものが注目を浴びていて、
これはマイナス150度の冷気を浴びるというものです。
時間的には3分ほど浴びるだけだから、
弟から言わせると時間の節約になるそうです。

だけど時間の節約どうのよりも、
摂氏10度の氷風呂で死にそうになるぐらいなら、
マイナス150度なんて蝋人形みたいに固まってしまうんじゃないかと思うんですけど、
ほんとに生きて出てこれるんですかね。

頭痛には効かないんでしょうかこの冷やす方法は。
氷水に頭を突っ込んで治るなら、
薬を使うよりはオーガニックな感じでいいですよね。
また試してみようと思います。

2015年6月22日月曜日

私、さいきん月が好きなの

しばらくお店の宣伝をしていませんでした。

もうすぐサマータイム営業がはじまります。
7・8・9月は、
昼は11時から夜は9時(LO8:30)まで延長してピザを焼いております。
その間はイベントも色々と企画中でして、
今年は特に満月BARが盛り上がりそうです。

「世界を巡る音楽」というテーマで、
世界各国を旅してきたDJマコトさんを招き、
満月の夜にウッドデッキで音楽を流してもらいます。
7月31日(金)はアジア。
8月29日(日)はアフリカ。
9月27日(日)は中南米。

こないだお店に来てくれたお客さんが
友達とチャイを飲みながら会話をしているときにこんなセリフがありました。

「私、さいきん月が好きなの」

こんなスピリチュアルなセリフがあるのかと思わずメモしてしまいましたが、
もし月がさいきん好きな方がいましたら、
ぜひ満月BARへ遊びにいらしてください。

さらに音楽に加えて、
アジアの音楽にはアジアンなピザや料理やドリンク。
アフリカ音楽にはアフリカン、
中南米音楽にはメキシカンやブラジリアン・ペルビアンというふうに、
音を聞いて世界を感じ、
食べて飲みながら世界を感じる、
幡豆の田舎にいながらにして世界を巡ってしまうようなツアーになる予定です。

詳しい内容などは7月のはじめにホームページにアップしますので、
またチェックしてみてください。

2015年6月9日火曜日

小麦畑でピクニック

昨日は滋賀県日野町の小麦農家でパン屋さんでもある大地堂が主催する
『小麦畑でピクニック》に参加してきました。
こちらの社長である廣瀬さんが作る小麦は、
9000年前からヨーロッパで栽培がはじまったといわれるスペルト小麦です。

この古代小麦は品種改良が施されていない原種で、
ということは9000年前の狩人たちが食べていたものと同じものです。
そんな古い食べ物が他にあるのか知りませんけど、
古代小麦と聞くとなにか壮大な気分になります。
紀元前七世紀をウィキペディアで調べてみると、
マンモスが絶滅した辺りだということです。

このスペルト小麦を廣瀬さんが日野町で栽培をはじめたのは十六年前で、
現在は十トン近くのスペルト小麦を作っています。
来年は十五トンにするということで、
スペルト小麦を継続して作り続けることに廣瀬さんは情熱を燃やしています。

廣瀬さんの栽培するスペルト小麦は現在東京や広島、
大阪のパンの有名店でも使われていて、
その栄養価の高さ、風味や味わいの価値が見直されています。
栽培面でも麦の殻が頑丈で、
つまり虫にも強いので無農薬または減農薬での生産が可能だということです。

このスペルト小麦畑でピクニックをするというのです。
マンモスときわきわの歴史があるスペルト小麦を使ったパンでサンドイッチという
世界史と現代史をサンドイッチにするようなピクニックです。
壮大でかつ平和です。

しかもこのサンドイッチの中身は猪のパテでした。
この猪は廣瀬さんが鉄砲で打って、
夫婦で川で解体して、
ビストロを経営する川田さん(ピクニックにも参加)がパテにしたものです。
猪の赤身とフォアグラとピスタチオのパテ。
壮大で平和、かつ豪勢です。

小麦畑はきれいな緑色で、
これから色付いていくようです。
「これから黄金色に光る小麦畑になるんですね」と廣瀬さんに聞くと、
「いや、ディンケル小麦(独名)は茶色でそんなにきれいではない」
と言いました。

参加者は十名で、
小麦畑の真ん中に組み立て式のお立ち台のようなものがあり、
そこの上に座ってランチをします。
脚立を立てかけてその広いお立ち台のようなところに上がります。
1・5メートルぐらいの高さでしょうか。

「ここに腰掛けると丁度コンバインに乗った高さになるんだよ」
と廣瀬さん。
ぼくらはそのお立ち台から足をぶらぶらさせて、
コンバインに乗って小麦を刈り取り収穫する風景をイメージする。

「小麦畑を上から見下ろすと風が見えるんだよ」
廣瀬さんに言われてぼくは風を見ようとしました。
均一の高さに揃った穂を風が撫でる。
手前の穂は左に風を受け、
ちょっと視線を先に送ると穂は動かず直立していて、
またさらに遠くの方では風を受けて傾いている。
たしかに、風が流れている場所と、
流れていない場所が見えます。

「あ、雨がきそうだから今のうちに食べよう!」
と廣瀬さんは風を読んで昼食の準備をはじめました。

この後廣瀬さんのお宅に戻り、
玄武岩で作られたドイツ製の特注の石臼を見せてもらいました。
「これがウチの宝だ」と廣瀬さん。

玄武岩は石の中の気泡が大きくて、
摩擦熱がこもらず小麦を劣化させないそうです。
小麦の味の総量を10とすると、
熱によって1か2割損なわれてしまう。
廣瀬さんはこう言います。
「私の仕事はこのスペルト小麦の味をほとんど10に近い状態で、
みなさんに届けることです」

朝から夕方まで小麦にまつわる話しをしっかり聞いて、
ぼくはこの挽いたばかりのスペルト小麦を少量いただき、
早速帰ってピザ生地の酵母を作りました。

ぼくはピザ生地をポーリッシュ法で仕込んでいるんですけど、
その液種にスペルト小麦を使ってみたかったのです。
液種は粉と水とイーストで作ります。
このうちの粉を変えることで、
焼きあがったピザ生地の味と風味に変化があるのかないのか、
という試作です。

今オーシャンで出している生地の液種は無農薬の小麦粉で作っているんですけど、
一般流通の小麦と比べると風味と膨らみが違います。
複雑な発酵臭と、膨らみは1・3倍ていど上がりました。
無農薬の小麦は残留酵素が多いことでこの結果の違いが出るのだと思います。

膨らみが強いとより少ないイーストで同じ量の粉を膨らませることができます。
ぼくが今作っているピザ生地のイースト量は、
10キロの粉に対してイーストは8グラム(0.08%)です。

イーストが多いと菌同士が餌の取り合いになり、
膨らむけど風味が出ない。
だけどイースト菌が少なすぎると今度は食べ過ぎで栄養過多に陥り、
これも膨らまなくなる。
丁度良いイースト菌の量で、餌をたくさん食べて円満な状態を作る。

こういうことに最近は取り組んでるんですけど、
これをスペルト小麦にしたらどう変わるのか、
一味違う生地ができそうで楽しみです。


スペルト小麦畑

超ぶ厚い猪のパテとカンパーニュ

ドイツ製の玄武岩を使った石臼



2015年6月5日金曜日

自信を持つこと

30歳を過ぎて、
ぼくは31歳です。
30歳を過ぎて、
何か変わったか聞かれても
「20代と何も変わらないんだけど」
と答えました。
何か変わった部分があるのか。
昔の写真を見て比べてみると、眉毛が太くなりました。

それから30歳を過ぎて、
自信という言葉が気になっています。
これまでの人生でずっと、
自信を持とうなんて考えたことありませんでした。
自信という気持ちが大事だと思ったことがありません。
むしろ自信家は恥ずかしい、とさえ思っていました。
それよりも日本人的に謙遜への美徳が強いです。

日本では自信家は傲慢に見られやすいということも、
自信を口に出すことへの抵抗になっていそうです。
それに比べて欧米人も中国人もインド人も、
日本人に比べると明らかに自信を口に出すことへの抵抗がなさそうです。

ピザを焼きはじめてからはイタリア人との関わりも出てきて、
ナポリのピッツェリアを巡っていたとき、
ここのピッツァがナンバーワンだという店主は何人もいました。
そんな専門のピッツェリアにかぎらず、
ナポリで雑貨屋に入ったときそこに中年の店主がいて、
土産物の唐辛子やスパイスを売りながらこう言いました。
「おれの焼くピッツァがナンバーワンだ。
もうすぐ店を開くから絶対に来い」

雑貨屋の店主ですら自分のピッツァがナンバーワンだと言っている。
こないだは、
名古屋の本山〈クスクス・リパブリック〉でシェフをやっている
チュニジア人のラディヴィーという方に会って喋っていたんですけど、
その人は「おれは誰にも真似できないピザが焼ける。
次の店ではそれをやるけど絶対流行る」
と自信満々に言いました。
ピザに関しては国にかぎらず誰でも自分のピザがナンバーワンだと
思いやすいんでしょうか。

そしてラディヴィーは突然こう質問をしました。
「君はピザの腕に自信があるか?」
「ぼくは自信の塊だ」
と、試しに返事をしてみました。

実はつい先日オーシャンのチーズを作ってくれているサントルチオのオーナーの
ルイスさんが店に来たときカウンターでビールを飲みながらこう言ったのです。
「マキ、お客さんにこう言ってください。
『愛知で一番じゃない、
日本で一番のピッツァ』って。わかった?」

みんなそんなに自信をアピールして一体何になるんだ?
と腑に落ちないので、
自ら自信をアピールして自信家を体験してみようと思った次第です。

この自信についてハッとさせられることを言ったのは、
三島由紀夫先生でした。
『不道徳教育講座』という本を今読んでいるんですけど
ここには“自信”についてのエッセンスが語られていると思いました。
ここに引用させていただきます。

「先生にあわれみをもつがよろしい。
薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、
一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、
最悪の教師の何万倍も手強いのです。

そう思ったら、教師をいたわって、
内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。
人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、
自分で解決しなければならぬと覚悟なさい。

先生をバカにすることは、本当は、ファイトのある少年だけにできることで、
彼は自分の敵はもっともっと手強いのだが、
それと戦う覚悟ができていると予感しています。
これがエラ物になる条件です。
この世の中で、先生ほどえらい、何でも知っている、
完全無欠な人間はいない、と思い込んでいる少年は、一寸心細い」

ぼくはこれを読みながらすぐに
「三島由紀夫は何でも知っている、
こんな完全無欠な文学者はいない、
えらい偉人がいたもんだ」
と思いました。

三島由紀夫は自信という単語は使っていませんけど、
「あわれみをもつこと」
「内心相手をバカにすること」
というような相手の上に立った状態のことを言っていて、
自分に自信がある状態のことを置き換えています。

つまり自分に自信をもっているからこそ、
目の前の敵を敵とせず、
もっと強い相手に備えて吸収できることをすべて吸収しようとする。
そしてもっと強い敵が現れても、
また敵を敵とせず学ぶべきことを学んで、
さらに強い敵に備える。

じゃいつ戦うのか?
戦わないのです。
自信を持つとは非戦の連続で、
あるのは目の前の相手から吸収することばかりなのです。

そう考えると、
自信を持つことが大事なような気がしてきます。
しかし、と三島先生は続ける。

「しかし一方、『内心』ではなく、
やたらに行動にあらわして、先生をバカにするオッチョコチョイ少年も、
やっぱり甘えん坊なのだと言って、まずまちがいはありますまい」

やっぱり自信は内心にとどめておくべきものなのか、
それとも多少は言葉にするべきものなのか。
そういえばラドウィンプスが
「自信がないという自信があるんだ」
という歌を歌っていました。

もうぼくの自信についての見解は揺れっぱなしです。

2015年5月26日火曜日

石窯に氷を投げ込む

〈石窯ピッツェリア・オーシャン〉は来月で二年目になります。
ぼくは幅広くコース料理を組んだりするほどの実力もないので、
ピザならピザだけのことを掘り下げていくという感じでこれまでやってきました。
しかも創作にはあまり頭が回らず、
メニューのピザが十数種類から増えることもなく、
その細部ばかりに集中していました。

それが成功してるのか失敗してるのかよく分かりませんけど、
褒めてくれたりする人がいるおかげもあって、
気分が良くなって続けることができています。
それからピッツェリアは、
カフェが満席になって入れなかったお客さんを相手に商売する
というところからはじめてますので、
人を呼び込むということに関しては完全に他力本願です。

二年経ってこう思います。
もうちょっとこのブログにピザと向き合う過程を書いといたほうが、
店の歴史を取っておくのにいいんじゃないか、と。
だけど、これは今でも思いますけど、
自分の仕事を書くことが恥ずかしいんですよね。

店がすぐに潰れちゃうかもしれないし、
自分の悩みがレベルの低いことで「これは馬鹿にされるな」とか。
ということで、消えるなら人知れず消えて、
自分の半端な実力を自ら公表してなんになる?という考えになって。

汚点を隠し、
美点を発表。
そういえば国の歴史もこうやって作られるじゃないですか。
それでたまに他国(日本なら韓国とか中国)から汚点を指摘されて、
「そんな指摘はデタラメだ!」と反論する。

歴史はフィクションになっていたほうが愛国精神が人に宿りやすい。
誰も自分の国の汚点は知りたくない、というか、
無かったことにしたい。
従業員も会社の汚点よりは美点を知りたい。
そういう本能が現実から目を逸らし、
同じようにぼくも現実から目を逸らしているのだ、
と考えました。

ぼくはこの本能には従いたくなくて、
もうちょっとこの汚点に取り組まねばと。
このブログのタイトルは『文学の海』で、
文学的になろうと思ったら清濁分けたら偽物になりますからね。

じゃここでまず汚点を一つ書いてみよう。
……と考えてもなかなか出てこない。
やっぱり自分には汚点は無いのかもしれない……。
残念だ。
自分のピザの良いことしか思いつかない。

すいません、ただの思い上がりです。
たしかに、マルゲリータの上で溶けるモツァレラは果てしなくクリーミーで、
マリナーラの上で千切ったオレガノは草原に横たわるような香りで満たしますけど、
理想に近付いたと思ったらまた遠ざかるといった繰り返しです。

長年悩み続けたことがありました。
石窯の温度です。
今の石窯と付き合って二年ですけど、
いまだにこの窯の特性を知り尽くしたとは言い難い。

石窯には温度計が付いているわけではないので、
正確な温度が今どれぐらいなのか、デジタルのようには分かりません。
放射線の温度計でも床面の石の温度は400何度とかは分かりますけど、
薪からのぼる炎もありますし、
ドーム全体のレンガに蓄えられた熱もあるので、
だいたい450から500度の間ぐらいで焼いている感じです。

温度を上げるのは簡単です。
薪を燃やし続ければいいので。
問題は熱くなりすぎたときのことで、
ピザを入れてもすぐに焦げてしまうときです。

90秒というのが基準となる時間で、
これ以上長く焼くと硬くなったり、
これ以下で取り出してしまうと生地が生焼けになってしまう。
窯が熱くなりすぎてしまうという温度は、
ピザを入れた瞬間に底が焦げて、
60秒で表面が焼き上がってしまう状態でたぶん500度に近い。

皿に盛った見た目は良いんですけど、
底の焦げが苦くて、
膨らんだ生地の縁の中がまだ焼けてなくて、おいしくない。

忙しい日だと薪をずっと焚くことになるので、
温度がどんどん上がっていきます。
こないだ忙しかった日にこれはマズいと思い、
とっさに製氷機から氷をすくって窯に投げ込みました。

石の上で氷がスケートをするように滑り回って、
溶けた水分は玉のように転がって広がる間も無く、
シューーーーという音ともに水蒸気をあげる。
そして次にピザを入れて焼いてみると、
きっちり90秒間石の上で焼いても底は焦げることなく温度は下がり、
表面も丁度良くきつね色になりました。

店がオープンして以来の悩みが、
とっさに思いついたこんな簡単な方法で解決か?
悩みが一つ減った!
この後、温度が上がったときにまた氷を投げ入れた。
温度下がる。
丁度よく焼ける。
解決だ!

翌日までぼくは充実感に満たされていました。
この悩みの抜本的解決を報告するべく、
石窯を作ってくれたぼくの先生である長尾さんに電話をしました。

「氷はやめて」

ぼくの嬉々とした報告を聞いたあと長尾さんはずばり言いました。
石が割れるから。
せめて水を含ませたタオルで拭くぐらいならいい。
あるいは、ピザを焼いていない間、
石の表面にアルミ箔かアルミ板をかぶせて温度を上げないようにするか。

そうか。やっぱりそうか。
そんな簡単に悩みは解決しないか。
氷を投げ込んだら窯に悪いかも、
という内なる声もちょっとはありましたけど、
やっぱりダメだったかー。

2015年5月12日火曜日

ハタチからの瞑想

ここ数ヶ月瞑想ができなくなってしまいました。
ぼくの瞑想歴はかれこれ十年近くになると思います。

瞑想にのめり込んだのは二十歳ぐらいのとき、
たしか七田眞の右脳開発の本を読んだことがきっかけでした。
“潜在能力”というテーマにぼくは超敏感だったのです。
で、このとき読んだ本に「イメージ能力を養う」訓練として、
暗闇のなかで目の前に巨大な滝を作り出すというものがありました。

その訓練をぼくは電気を消した真っ暗な風呂に浸かりながら行いました。
背筋を伸ばして、
腹式呼吸をする。
その腹式呼吸は八秒間鼻から空気を吸い込み、
腹に八秒間ためて、
八秒間かけて吐き出すのを1セットとして繰り返す呼吸法でした。

七田眞いわくこの間隔になれたら今度は倍の十六秒に、
次は三十二秒にと、
倍々で増やしていくと超人の境地にいたるというようなことを言っており、
ぼくは十六秒まで試しましたけど苦しくなってやめました。

一ヶ月ほど続けましたが、滝は現れませんでした。
だけどこのときから瞑想を続けて、
ジョーゼフ・キャンベルの『生きるよすがとしての神話』ではチャクラの考えを、
ユングの『黄金の華の秘密』ではチベット密教の呼吸を知り、
瞑想とは呼吸のことだと考えるように至りました。
今では薄暗がりの温かい風呂に浸かりながら深呼吸をするだけになっています。

この十年、風呂で三十分だろうが一時間だろうが、
目をつむって眠ってしまうなんてことはほとんどありませんでした。
いや二、三度は寝たかもしれません。
だけど十年間ほぼ毎日続けてるようなことですから、
それはもう、皆無という感じです。

それがここ数ヶ月は必ず、絶対に、毎日欠かさず寝てしまうようになりました。
二、三回深呼吸すると、
バタンと底が抜ける落とし穴のような睡魔です。
その度に途中でハッと目覚めるんですけど、
やっぱり逆らうことはできずにがくっと意識が落ち、
しかたないから瞑想は諦めてカラダを洗って出るというふうになっています。

これを人に話すと
「仕事で疲れてるんだよ」とか、
「寝不足なんじゃないの?」とか言われますけど、
そんなはずはないと思います。
現場の肉体作業でへとへとになっていたときは過去にいくらでもあるし、
睡眠時間も平均して六時間半から七時間でそこまで大きな変化もありません。

この現象は何を意味しているのだ?
ぼくのカラダは何を訴えているのだ?
そこであらためてぼくは自分に、
なぜ瞑想が必要だったかを考え直してみました。

まず最初に書いた「(瞑想で)潜在能力を引き出したい」ということ。
これはもういつからかどうでもよくなりました。
ありもしない埋蔵金を掘り続けているようで、ただの徒労です。
自分の能力は、自分が好きなもの以外からは引き出せません。

他には
「自分と向き合う」
「リフレッシュする」
「嫌な気分を整理する」
というようなことを瞑想頼りにしていました。

だけど今、三十一歳のぼくには
これらのことも以前と比べるとあまり重要ごとではなくなっています。
よく人は歳を取るにつれて頑固になると言いますよね。
エゴが強くなっていくというのか、
自分の考えを曲げれなくなるというふうに。

こういうネガティブな要素の反面、
相手の顔色を伺わずにズケズケものが言えるようになるという、
図々しさが身につきます。
そして人から批判されても論理的に反論もできるようになる。
生存本能からなのか、
歳を経るにつれて自分を有利に、傷付きにくい思考に変わっていくようです。

そう考えると、
もしかしたら反省しない人間に瞑想はできないのかもしれません。
ぼくは最近反省してないか?と自問すると、
反省よりも、自己正当化のほうが多い気がしてきます。

おれはおれのままでいいのだ。
ゴールデンウイーク中は忙しかったから、
ブログを書けなくてもしょうがないのだ、
とたしかに自己正当化しています。

二〇代は「自分のこんなところが悪かった」と毎夜が反省でしたが、
三〇代は「悪いのはあいつだ」とよく他人のせいにしている。
さらに四〇代を過ぎてくると「悪いのは国だ」と言う人も多くなってくると思う。
人間はだんだんと責任をなすりつけるのが上手くなるようです。

つまり瞑想は内側に向かっていく精神でなければうまくいかない。
内省的であることが瞑想の条件かもしれません。

ぼくはこの文章を結婚した相手に点検してもらおうと読んでもらいました。
ぼくのこの瞑想に対する考察はなかなか鋭いんじゃないかと、
ちょっと得意げな気持ちで。

まず彼女はぼくを睨み、そしてこう言いました。
「これって、結婚が理由で瞑想ができなくなったって遠回しに言ってるよね。
私が原因だってこと?」

突然の指摘にぼくは慌てました。
「ち、ちがう。そんなことはないよ。
きみのせいなんてことは間違いなくない、ほんとに……」
「ふーん」彼女は言いました。
「なんか瞑想の話しも矛盾してるし、意味が通ってない」
「そ、そうかな?」とぼく。

「だってこの話しだと結局瞑想で寝ちゃうってことも、
瞑想がただの深呼吸に変わったから寝ちゃうってことになるんじゃないの?
ていうか、
何で結婚して満たされてるから瞑想が必要無くなったって言えないの?」
「……」
それとこれとは別の話しでもごもご
と意味の分からないことをつぶやきぼくは絶句しました。

結局、瞑想が出来なくなるということは、
不幸なことではなく、
むしろいいことなのです。
もごもご。

2015年4月27日月曜日

地球で立ち上がる筋トレ

アメリカの大学生の間でアデラルという薬が流行っていると、
アメリカの大学に通う弟が教えてくれました。
アンフェタミンが主成分の薬で、
日本では覚醒剤の一種で持っていると捕まりますが、
アメリカではADHDとして診断されると処方される薬です。

大学生の間で流行っているというのは、
病気ではなく健全な学生たちの間でのことです。
ぼくの弟も学校のテスト前に使ったことがあると言っていました。

弟はテスト前日勉強しないといけないにも関わらず、
二日酔いでテキストに向かってもまったく頭に入らなかった。
そこで周りのみんなが常用しているのを知っていたので、
友達から一粒もらって飲んだ。
夕方薬を飲んでから、
翌午前2時までひとときも休むことなく勉強を続けて、
テストでは高成績を取ったそうです。

眠気をすっ飛ばして、
記憶力はカメラで写真を撮ったように鮮明になる。
気分は若干ハイになって気持ちいい。
たとえば、そんな薬が図書館のトイレで一錠千円で売ってたらどうしますか?
というか売ってるみたいですけど。

もしぼくが良い大学に入るために猛勉強しなきゃいけなかったら、
これは買ってしまいそうです。
だって実際に良い点数が取れるんですからね。
周りにこのアデラルを使って良い成績をとるやつばかりがいて、
自分だけ使わずに望みの大学に行けなかったりしたらなんて考えたら、
「みんなばっかりズルいじゃないか」
となってそれなら自分もということになりそうです、きっと。

だけど同時に、
潜在能力を引き出すことや、
普段以上の力を出したいという願望はあるんですけど、
ノーマルの自分じゃないときに出した“良い結果”は気持ちよくはあるんですけど、
充実感がない気もします。

ぼくにとってこれは酒で、
ぼくは酒を飲むとよく喋れるようになります。
面白いことを言えるようになるし、
ズケズケと物怖じせず何でも言えるようになる。
解放的で良い気持ちなんですけど、
翌日シラフに戻ると喋りすぎた自分に恥ずかしくなる。
普段以上の自分が面白いことを言って人を笑わせても、
自分の実力ではない気がして充実感に欠けます。

最近はぼくの内臓のアルコール分解能力が低下してきたせいか、
これまでと変わらない量の飲酒で二日酔いをするようになってきました。
ますます、自分の実力以上のものを求めるな、
という声が聞こえてくるようです。

それに対して、
自分が悪い状態のときに、普段と同じ仕事ができたとき。
たとえば二日酔いだとしたら気持ち悪くて吐きそうなんですけど、
それでも一日ピザを焼き終わって、掃き掃除まで終わると、
充実感や達成感で、ヤッター!と喜べます。

例が極端なのでもっと日常的には、
朝起きて出勤して車を駐車場に停めて降りようとしたときに
「ああ、なんだか今日は身体が重いなー。辛いなー」
とぼくはよく感じてゆううつになります。

だけどある日を境に、
身体は重いのが普通なんだ、
羽が生えたように軽い身体なんて幻想なんだ、
地球には重力があるんだから重いに決まってる、と覚悟しました。

つまり、立つことそれ自体が筋トレなんだ。
車から降りようとするとき、
椅子から立ち上がること自体が重力に逆らうという筋トレなんだ。
そう思うと、ちょっと自分の足腰がたくましく思えてきます。
ぐっと力を入れて、ピクピク(ふくらはぎら辺)。
いいねー、今日も一日やるか。みたいな。

もし車から降りるときゆううつを感じる方がいたら、
ぜひこう思ってみてください。
地球で立ち上がること自体が筋トレなのだ、と。
するとふくらはぎに力が入りますから。

2015年4月17日金曜日

発芽洗濯機

汚い話しで申し訳ありませんが、
二、三週間洗濯機の糸くずフィルターの掃除を忘れていました。
久しぶりに取り出してみると、
溜まった糸くずの中から何やら緑色の細いものが伸びている。
何かが発芽していました。
ぼくのポケットから種が落ちたのか?

オーシャンの理念は「農のある生活」です。
ぼくはこの理念にそって新芽を見守る義務があるような気がします。
糸くずのまま鉢に入れようかと思います。
どうしよう、金のなる木が育ったら。
わくわく。


2015年4月6日月曜日

フリーモント通りの住人

ぼくはラスベガスにいる間、
ネバダで“一番悪い通り”といわれるフリーモント通りの事情が気になっていました。
気になってはいたけど、
わざわざ自分から危険な目に合うようなことはしたくありません。

最初にフリーモント通りのことを聞いたのはゲーリーからでした。
「なんだってそんな悪い通りを選んだんだ!」
そしてフリーモント通りの二つ目の情報は、
フリーモントのアーケード街で寄付金を募るNPOのあさこさんから聞いたものです。
ラスベガスは全米屈指の人身売買が行われている地域で、
彼女は売春の阻止や、
ピンプと呼ばれる売春斡旋者を撲滅するための活動をしているそうです。

ぼくはあさこさんにフリーモント通りがどんな通りか訪ねた。
「ごめんなさいラスベガスに住んでるんですけど、東側は知らないんです。
メイン通りの西側のアーケード街は観光客も多くて賑わってるんですけど、
東側は、特に女性が一人で行くことは絶対に避けてと言われてて」
ますます興味が湧いてきます。

フリーモント通りはラスベガスの南北に伸びるメイン通りを東西に横切る一本道です。
メイン通りから西側はアーケード街になっていていつも賑わっています。
ストリートパフォーマーが何人も投げ銭を得るために楽器をやったり、
即興のスプレーアートや、
過激な衣装を着て観光客と一緒に写真を撮ったらチップをもらっている。
パフォーマーたちにとってはやりがいのある場所です。
オープンテラスでビールや赤・青・緑の毒毒しいカクテルを売る店も何件もあり、
酔っ払った観光客たちが上機嫌に騒いでいる。

それに対して、メイン通りから東側に延びる通りは、
奥に行くにつれて荒んでいく。
観光客やサービス精神溢れるパフォーマーから、
浮浪者やギャング風の青年たち、麻薬中毒者に変わっていく。

フリーモント通りでは何件もこういうモーテルを目にしました。
外壁がすべてコンパネ張りになっていて窓がない。
窓がない代わりに平らなコンパネ材の上に偽物の窓が描かれていて、
それがまた安っぽさを醸し出している。
それらのモーテルの半分以上は柵を閉めて営業を停止しています。
たぶんどんな安宿を求めている人も
窓の無いモーテルは選ばなかったのでしょう。

ぼくの入ったラスベガス・ホステルはその中でも最もマシな宿だったと思います
(フリーモント通りの一番奥でバス停から遠いということを除いては)。
特にスタッフはみんな友好的でした。
四人部屋でしたけどぼくが滞在していた間はずっと一人だったのもラッキーです。
ユースホステルの朝食システムは一件ごとにそれぞれですけど、
ここはパンケーキの液がジャーに用意されていて、
自分で好きなように焼けるというシステムでした。

このまま何事もなくラスベガスの生活も平和に終えると思っていましたが、
最終日になってついにフリーモント通りの片鱗を垣間見た気がします。

朝、ぼくはいつもと同じようにフリーモント通りとメイン通りの交差するバス停から
コンベンションセンターに向かおうとしていました。
普段よりも遅い時間で十時頃に出発すると、
キップ売場の周りにはすでに何人か並んでいる。
ぼくがキップを買おうとすると、
片杖ついた中年の黒人が「おいそっちは故障してるからこっちを使え」と、
“親切”にもアドバイスをしてくれました。

ぼくは券売機にドル札を差し入れました。
往復券で8ドルです。
ぼくは20ドル札を挿し入れた。
券売機が札を吸い取ると、
「ピー」と音がして札が戻ってきた。
その瞬間、
横からさっと手が伸びてぼくの20ドル札をその黒人の男が取った。
「ちょっと任せてみろ、この機械は癖があるんだよ!」

あ、この男はホームレスだ、とぼくはやっとこのとき気付きました。
これはめんどくさいことになったぞ、と。
その男はぼくの20ドル札を再び差込口に入れました。
だけどまた「ピー」と音が鳴り札が戻ってきた。
ホームレスの男はぼくを横にどけて正面に立っていました。
ぼくが札をあっさり取られたようにはやり返されない位置を守り、
戻ってきた札をまた自分で取り再び入れる。
だけどまた戻ってくる。

そこで男はこう言いました。
「おれのこと見てわかるよな?ホームレスなんだ。
おれには金が必要なんだ」
そしてぼくの20ドル札をポケットに入れるが早いか、
振り向くと、そのまま去って行こうとしました。

ぼくはその男の腕を掴んで、
どこに行くんだ取ったものを返せと言いました。
「何を!?」と男は目をギョロつかせました。
ポケットの中に入れたおれの20ドル札だと言うと、
「ポケットの中には何も入ってない!」と開き直りました。
ぼくはこんな簡単な手口に引っかかったことと、
強引な手口にカッと怒りがこみあげてきて、
男が手を入れているポケットにぼくは手を突っ込んで、
20ドル札を引っ張り出そうとしました。

すると男は「誰か、誰か助けてくれ!警察を呼んでくれー!」と騒ぎはじめました。
アーケード街が賑わいはじめてくる時間帯で、周囲の視線を浴びる。
逃げて行こうとする男の腕を掴み、
いますぐ渡さなきゃ捕まるのはお前だと言うと、
今度は「返したらいくらくれる?」と言いはじめました。
ぼくは一セントたりとも渡すもんかという気持ちになっていた。
「見てみろおれのことを、杖をついているんだぞ!?」
そんなこと関係ないと言う。
やっと男は諦めて20ドルを返しました。
だけど、返してもらったら返してもらったで、かわいそうな感じがして、
2ドルだけやると言って空っぽになった男の手に握らせたました。
男は2ドルをすぐポケットにしまい、
怒りながら「God bless you!」と言って去っていきました。

今思えば、こんな強引なやり方なんかに、
やっぱりあげなければよかったです。

イベントが終わり、
空港に向かうためにホステルへ迎えのシャトルバスを予約していたんですけど、
いい加減なシャトルバス会社で一時間待ちぼうけをくらわされていました。
ホステルの男性スタッフは何度も催促の電話をして、
「こういうことは前にもあった。このバス会社の人間はバカばっかりなんだ!
苦情のメールを管理会社に送ってやる」
と一泊30ドルとは思えない心強い対応をしてくれていました。

バスを待つ間ぼくはホステルの玄関の外に座って通行人を眺めていました。
ぼくのような東洋系の人間が何もせずぼーと座っているのが珍しいのか、
通行人がみんな声をかけてきます。
「何してるんだ?」とか、
「小銭をくれ」とか、
「電話を貸してくれ」とか。

その中の一人のお洒落な黒人女性に「カートピルはないか?」と聞かれた。
それは何? とぼくは聞き返した。
「カートよ、カート!
噛むとハイになるやつ。
持ってない?」
ぼくはやっと理解して、持ってないと答えた。

カートとは何か?
ぼくはちょうど、アメリカに向かってくる飛行機の中で、
このカートというものを本で読んで知ったばかりでした。
ポール・セローの『ダーク・スター・サファリ』は長編アフリカ旅行記です。
この本は旅行に持ち歩くにはかなり重く、
今メジャーで測ってみたら、厚みが五センチもありました。
だけどまさかこの本がラスベガスのダウンタウンで参考になるとは……。
セローはエチオピアでのカート体験をこう綴っています。

「それは古いインド商人の邸宅で、かつては豪奢だったようだが、
今ではがたが来ており、シーク・ハジ・ブシュマという伝統治療師が住んでいた。
その男は絨毯の上で足を組んですわり、香の煙が立ちこめるなか、
カートを噛んでいた。
口の中はその塊でいっぱいで、
唇と舌は緑色がかったカスで、てかてかしていた。

『喘息、癌、ハンセン病、なんでも治します——神のご加護と薬によって』
治療師は言った。
少し言葉を交わすと、カートの葉をくれた——それが私のカート初体験となった。
舌にぴりっときたかと思うと、噛むほどに味覚が鈍っていく。
バートンはこう記していた。
『その葉には想像力を活性化させ、思考を明晰にし、心を陽気にさせ、
眠気を減らし、食事に取って代わる、類ない効能』があると。

会話を不能にさせる効能もあった。
シーク・ハジ・ブシュマは、治療のあらましを話すあいだ、
どっしりと座して反芻動物のごとくカートを咀嚼しながら、
ときおり私に微笑みかけ、
手にしたカートの束からさらに何枚かつまんで口に押しこんでいた。

給仕係の少年のひとりが私にもカートの束をくれたので、
ひたすら噛んで飲みこみつづけた。
十分か十五分もすると、ほろ酔い機嫌になってきた。
成果を得た感覚があった——なんでも二回は試してみるのが私のモットーだ」

イスラム教では飲酒が禁止されている代わりに、
このカートを常用する人が多いそうです。
それにしても、この黒人女性はなぜぼくがカートを持ってると思ったんだ?
それも葉っぱじゃなくてピル(錠剤)。
ニット帽をかぶって、青白い顔のぼくを売人だとでも思ったのか?

次に通りがかったのは男女四人グループで、
その一人のエイミーが猫撫で声でぼくにしゃべりかけてきた。
ヘソ出しの露出の多い服を着て、一見若そうに見えましたけど、
げっそりとした頬と、四十か五十か年齢不詳のシワで、麻薬中毒者だと分かる。
エイミーは歩道で立ち止まり、
「その腕のタトゥー何て書いてあるの!?」と言いました。
「私のを見てよ」と彼女はシャツをめくりやせ細った腕を見せました。
漢字で「実」と彫ってある。
「“真ん中の部分”っていう意味でしょ?あなたお名前は?」
ぼくはイッシンだと答えるけど、
彼女が口を開くたびに舌の上に刺さった緑色のピアスが気になっていた。

グループの他の三人は歩いて先に行ってしまった。
「あなた名前の綴りは?」ぼくが答えると、
エイミーはぼくの右手をとってキスをした。
するとグループのもう一人の女が戻ってきて
「彼女大丈夫?あなたに危険なことしてない?」と言って、
エイミーを連れていきました。
エイミーは腰をくねくねとふって、途中で振り向きぼくに手を振った。

ピンク色のジャージを着たスキンヘッドの大男は、
五十メートル先からでも目立っていました。
近付いてくるとその異様さが何かわかった。
二メートルもあるその男は中年にも関わらず、
極端なほど猫背で前屈みになっていた。
その男はぼくの前を通り際に
「なんだってこんな時間にぼーとしてんだ?仕事はねえのか」と言われた。
そして少し離れると振り向いて
「おれに仕事をくれ!」と大声でいってまた歩き出しました。

一時間座っていただけでこれだけの印象が与えられるフリーモント通りは、
悪いだけじゃなく、ディープです。

朝食のパンケーキ。
強火でカリッとがぼくは好きです。

 フリーモントのアーケード街のコスプレカップル。
扇子の裏は胸丸出しです。
チップを請求されるのが嫌だったので遠目から。

ぼくの泊まっていたホステルの横の駐車場。

2015年4月1日水曜日

バジルの神様ゲイのゲーリー

バジルの神様ゲイのゲーリーは
真っ黒でフルスモークのクライスラーに乗って現れました。
そのときぼくはラスベガス到着初日で、
イベント会場にたどり着けず迷子になっていました。

ぼくが歩道を歩いていると呼び声が聞こえて、
振り向くとピカピカの高級車に乗った男がいました。
近付くと「◯◯通りがどっちか分かるかい?」と訊ねてきたので、
ぼくはさっきラスベガスに着いたばかりで今自分も迷っていると言いました。

その男は薄くなった白髪をオールバックにした二重あごの腹の出たじいさんでした。
ぼくのようなリュックを背負った背の低い半東洋人に道を訪ねるのもおかしな話しです。
何か別の目的があるのか。

どこから来たのかのと聞かれたので日本からだと答えると、
彼は「コンニチハー」と言いました。
「私は日本の会社で働いていたんだ。
うちには日本人のホームステイがたくさん来たよ。
見てくれこの写真を」
男はサンバイザーの裏から写真を何枚か取るとその一枚を見せました。
黒くて丸いものが四つ写っていて、
男は「お好み焼きだよ!」と嬉しそうに言いました。

日本の話しを一通りして男は言いました。
「ところで、どこに向かっているんだい?」
ぼくはコンベンションセンターだと言いました。
男は人の良さそうな顔でにっと笑うと、
親指で助手席に乗れよと促しました。

助かった!とぼくはもう汗まみれで歩くのが嫌になっていました。
相手が何の目的でぼくを助けてくれるのかという動機は、
そもまま人助けとして受け取り車に乗り込みました。
男は力強い握手をしてゲーリーだと名乗りました。

コンベンションセンターには十分ほどで着きました。
歩いていたらゆうに一時間はかかる距離です。
その間ゲーリーは〈三和銀行〉のアメリカ支社で二五年働いていたこと、
仕事で東京に五回行ったこと、
旅行好きでこれまでに五八国旅をしたこと、
今は週に二回銀行で働いていることを話しました。

ほとんどゲーリーがしゃべっているうちにコンベンションセンターに着きました。
ぼくはゲーリーに興味が湧いてきたこともあり、
ラスベガス在住ならバジルのありかを知っているだろう。
そこで、予定がなければ今夜ビールでも飲もうと持ちかけると、
ゲーリーは待っていたと言わんばかりに二つ返事で迎えに来ると言いました。

午後八時、ゲーリーは約束の時間ぴったりに現れました。
車に乗りぼくは今夜中にバジルを買っておきたいのだけど、
どこかに寄ってもらえないかと伝えると、
「まったく問題ないさ。私にまかしてくれ!」と頼もしく言い、
ゲーリーはまっすぐ自宅へと向かい十五分で着きました。

ラスベガスの喧騒を離れたきれいな住宅地で、
ゲーリーの家も新しく、住みはじめて一年だと言いました。
ガレージの電動シャッターを開けて車を入れるとき、
そこに頭の無い兵士の像が立っていました。
中国始皇帝の兵馬俑です。
ゲーリーにこれは本物かと聞いたら中国で買った本物だと言いました。

家の中に招かれるとあらゆる国の美術品のガイドがはじまりました。
スカンジナビアの古いティーポットのコレクション、
ギリシャのトロイ戦争が描かれた陶器、
中国製の周囲を何百個という真珠で埋めて
中に美しい絵を手描きで一年かけて制作したという壁一面の巨大な板の掛軸、
日本の刀、
ペプシのCEOからプレゼントされたというサイン入りの壺。

一通り見物が終わるとビールを持って裏庭に通されました。
玉砂利を敷き、黒竹が植わって日本庭園風のはずなんですが、
カンボジアで発掘された大きな仏像が二体置かれている。
これだけ高価なお土産物オンパレードが続くと疲れてきます

ともかく、ビールを飲みはじめました。
ゲーリーはしきりに何でも質問してくれと言うのでぼくは質問をする。
旅の鉄則は?と聞くとゲーリーは三つあると言う。

⑴Open mind 広い心
⑵Loving heart 愛する心
⑶Good beer drinker ビール飲み

「この三つは百ヶ国以上旅をした親父から教わったことさ。
このことを意識してきたおかげで私は楽しい旅ができたよ。
ところで君はビール飲みだと言った割にはぜんぜん飲んでいないじゃないか!」

ゲーリーはしきりにぼくにビールを勧めてくる。
「君の飲み方はこうだ」
と言ってジョッキに口を付けて、チビッという音を立ててすすった。
「それはビールの飲み方じゃない。見てみろ私の飲み方を」
とジョッキから三口飲み、三分の一の量が減った。
「分かるか?『ゴップゴップゴップ』だ。さあ、やってみろ」

会話に間ができるとビールを飲めと言われるので、
ぼくは家族のことや仕事のことを矢継ぎ早に聞いて会話を途切れないようにした。
それでもかなり酔っ払ってきた。
ゲーリーも酔っ払ってきたようで、彼は力強く手を広げてこう言った。
「絶対に嘘はつかない、なんでも教えてやるから、一つだけ質問をしてみろ!」

ぼくはほんとは「この美術品の中で一番高いものの値段は?」という質問がしたかった。
だけどここら辺ではっきりさせたほうが良さそうで、
きっとゲーリーもそれを聞かれたいのだと思い、
「あなたはゲイか?」と聞いた。

ゲーリーはまた手を広げて言った。
「そうだ、私はゲイだ」
ゲーリーは手を広げたままぼくの反応を伺った。
「もし失望させてしまうなら申し訳ないですけど、ぼくはストレートです」と言った。
ゲーリーはフッと笑い右手でハエを払う仕草をした。

「私はどんなことも正直に答えると言った。
だけどゲイだってことは隠す必要のあることなのか?
私は一度たりとも自分がゲイだってことを隠したことはない。
それとも、ゲイだと言ったら君は気分が悪くなるのか?」

もちろんそんなことはないです、とぼく。
「君の誕生日は六月だろ?」ゲーリーは言った。
ちがいます。
「それなら八月だろ?」
ちがいます。
「分かった、十一月だろ?」
ちがいます。
「もういい!君の誕生日が何月だろうがもう知ったこっちゃない。
君といると私はとても居心地がいい。
私が居心地が良いと感じる人間はみんな六月生まれなんだ」

ぼくは話しを変えようと思って、
ずっと気になっているバジルのことを訊ねた。
「私はだいぶ酔っ払ったよ。
今日はもう運転できない。
明日の朝買いに行こう」

ぼくはこの状況でバジルはなかば諦めていました。
ゲーリーは良ければ一緒にベッドで寝てもいいとオファーを出してくれましたけど、
ぼくはゲストルームで寝させてもらうと言いました。
ジョギングマシンと腹筋マシンが置いてある部屋で、
ぼくはそれにシャツと靴下をかけて、
ズボンだけは履いていたほうがいいような気がしたのでそのまま寝ました。

浅い眠りのまま太陽が昇るのを待ってから出かける用意をすると、
ゲーリーはすでに準備を済ませていました。
「さあ行こうか」

ゲーリーがスーパーマーケットに入るまで、
ぼくはバジルのことを一瞬忘れていました。
朝の七時半で、
まさかアメリカ人がそんなに早くから店を開けているなんて思わなかったのです。

ゲーリーは「私は車で待ってるから探して来なさい」と言いました。
ぼくはドアを開けて出るとき一瞬躊躇しました。
これは仕返しをされはしないか?
ぼくがゲイじゃなかったことに怨みを抱いていて、
スーパーに行っている間にゲーリーはぼくを置いていくんじゃないか、
と疑念が頭をよぎりました。

なのでぼくは荷物を全て持ってスーパーに入りました。
不安と興奮が交錯する中で野菜コーナーで見つけたバジルは、
ほかのどんな野菜よりも緑鮮やかに輝いていました。
こんなにバジルが恋しかったことはありません。
20ドル出してもいい、そう思いましたけど、2ドルで買えました。

ぼくはバジルを持って早歩きで駐車場に戻りました、
そこにはもう誰も待っていないという不安に駆り立てられながら。
しかしゲーリーは待っていました。
「あったかい?良かったじゃないか」と軽く言いました。

こうしてぼくは最後のアイテムを手に入れました。

もし大会の競技に
「いかにして手間をかけて材料を用意したか」という部門があったら、
きっとぼくは優勝していたと思います。

2015年3月26日木曜日

アメリカピザ大会本番

バジルの神様はいました。
バジルの神様はゲイのゲーリーという60歳辺りで太り気味の銀行員です。
ゲーリーのおかげでぼくはイベント会場に辿り着くことができ、
そして彼のおかげでバジルも手に入れることができました。
しかしこの顛末は長くなるのでまたの機会に書ければと思います。

なにはともあれ、これでぼくは全ての材料を揃え、
あとは本番を待つだけとなりました。
大会は10時に開始して、
14番目のぼくは正午あたりの予定です。
順番待ちの間、観客席に座り見学しながら待つことにしました。

イメージトレーニングをしようと思うんですけど
こういうときは小さな欲求が色々と湧いてきます。
トイレに行っとかなきゃとか、
水が飲みたいとか、
靴下を脱いでリラックスしたいとか。

少し経ってからぼくは前日の昼から何も食べていないことを思い出しました。
忙しいせいか、
緊張のせいか、
空腹の回路がプッツリ切れてしまったように食欲がありません。

普段と異なる体の状態。
これは普段と異なる体の動きを招きそうだと思い、
リュックから冷たくなったエッグソーセージバーガーを出しました。
早朝にゲーリーがぼくの朝食にと買ってくれていたのです。
ぼくはこれを半分食べてまた紙に丸めてリュックに仕舞いました。

名前が呼ばれるとぼくはショー会場の裏手に回り、
生地や材料を準備します。
ダイソーで買った108円の小さな番重を持って、
審査員四人の前に立ち会釈をしました。
ほとんどの職人は生地が少なくとも9玉入る容器を持っています。
しかしぼくの番重には2玉しか入っていません。
ギリギリ3玉入ります。
みんな一体どうやってそんな大きな番重を運んできたのでしょうか。
ぼくのスーツケースにはダイソーの番重しか入らなかったというのに。

作業台に材料を並べます。
トマト、モツァレラ、バジル、オイル、塩、生地。
たったこれだけの材料を用意して運ぶのにどれだけ手間がかかったか。
競技以前に準備で消耗しました。

生地を番重から取り出すと、
ふっくらと気持ちの良い触感で指が埋まりました。
良い発酵具合です。
打粉をふった台でナポリ式の手延ばしを行います。
丸い生地を手であるていどまで広げて、
右手で押さえ左手で引っ張るという作業。
この作業で自分のリズム感を指し測ることができます。

普段オーシャンで出している生地は一玉180gですが、
今回はアメリカ仕様で250gで作りました。
この差は想像よりも大きく、
リズムを掴むに手こずりました。

薄く丸く広げてトッピングをはじめる。
トマトソースを先の尖ったスプーンでスパイラル状に塗る。
いつも使う丸いスプーンと尖ったものだとソースの広がる輪郭が違う。
バジルを千切りチーズをのせ、塩をまぶしオイルをかける。

使用される窯はガス窯で、
薪窯に比べると温度の上昇時間によりかかるようです。
競技スタート時点では火力が弱く、
序盤の職人はピッツァを焼き上げるのに時間がかかっていました。
本来の火力なら90秒前後のところ、2分を超えていました。

ぼくが窯に入れた時点では火力が強くなっており、
90秒近くで出せました。
皿に乗せて審査員の前に運ぶと各々のチェックがはじまる。
縁をつまんで底の焦げ具合を見る。
フォークでチーズを持ち上げ溶け具合を見る。
ナイフで縁を叩く人(これは意味が分からない)。

一通り見終わるとぼくは笑顔で会釈をする。
ドイツ人の上品そうな白髪のシェフが笑顔を返した。
作業台に戻って8当分にカットして審査員に渡したら、
作業台の片付けに入る。

片付けも採点範囲内なので手際よくきれいにする。
材料をトレイに載せ、小麦粉をはらい、消毒液の染みたクロスで拭き、最後に乾拭きをする。
ちらりと審査員を見るとスペイン人シェフのルシオという人は、
プラスチックの皿の上のピッツァを、
プラスチックのナイフとフォークで切ろうとしているが切れずに手こずっている。

ぼくは片付けを終えたら会釈をして、
「Thank you」と笑顔でいう。
またドイツ人だけが笑顔を返す。
ルシオはやっと食べれたのか、食べれずに引き上げさせたのか分からない。

以上です。
スコアは769点で30人中12位です。
けっこう平凡です。
だけど、まず喜ぶべきことを探すと、
真ん中よりも上ということでしょうか。
そして次にこの12位の上には本場ナポリ大会で優勝した職人が、
牧島さんを含め5人出場していました。
5位のトリノから美人の妻と来たサルヴァトーレ、
6位はLAにある〈Pizza90〉という店で長年職人をやっている白髪のフランチス。
どちらも尊敬できる職人でした。

その中で12位ですから。
いいですよね?
反省は多いですけど、去年の日本大会よりは良かったです。

本番が終わってからはナポリの小麦粉会社である
カプートのブースのお手伝いをしたり、
300ドル払ってワークショップに参加したりもしました。
またそのことも追って書きたいと思います。
バジルの神様ゲイのゲーリーについても。

スコア#1が味。
スコア#2が見た目。
スコア#3が焼き加減と清潔さ。
14番がぼく。




2015年3月25日水曜日

アメリカピザ大会の本番前日

ラスベガスに到着したのが23日の午前10時頃でした。
この日15時から〈Pizza Expo〉の事前説明会と、
生地作りを行う時間が与えられます。

ぼくはまず荷物を宿泊先に預けるために、
空港のシャトルバスでラスベガス・ホステルに向かいました。
同乗者がみんなサーカス・サーカスやマリオットなどの豪華なカジノホテルで降りていくなか、
シャトルバスにはぼく一人だけが残されました。

派手な街を抜けてダウンタウンまでいくと
安っぽいうらぶれたモーテルやホステルが並ぶ通りに変わっていきます。
ラスベガス・ホステルはフリモント通りの外れにありました。
この後にたまたま知り合ったラスベガス在住の人からは
「なんだってあんな悪い通りを選んだんだ!」
と言われましたけど、安かったのです。

大会参加者には特別値引きがされたホテルのリストがもらえますけど、
最低でも一泊100ドルかかります。
ラスベガスで“一番悪い”フリモント通りの四人部屋ホステルなら一泊30ドルです。
まあ、夜遊びもしないぼくにはゴロツキに襲われる危険性も少ないでしょう。

ここのホステルの冷蔵庫にカリフォルニアのコストコで買ってきた
水牛のモツァレラをしまい、
残りの足りない材料(バジルのみ!)を買いに外に出ました。
大会ではマルゲリータを作るために、
小麦粉、チーズ、トマト缶、オイル、酵母、塩を用意してきました。

酵母はホシノ天然酵母を持ってきていたので、
サンフランシスコで2日前に仕込んでリュックの手荷物で飛行機に乗りました。
液体は没収されるか心配でしたが、
約60ccと少ない量だったので大丈夫でした。

2時間昼のラスベガスを歩いて、
およそ10人の通行人に訪ねて2件のスーパーマーケットを見つけましたが、
バジルは売っていませんでした。
砂漠の上に作られたラスベガスで歩いて買い物をするということほど
非効率なこともありません。

ぼくは汗まみれになりながら
「もしかしたらラスベガスでは新鮮なバジルが貴重で少ないのかもしれない」
と途端に不安に駆られてきました。

もしバジルが無ければマルゲリータの採点もされません。
ここまで準備してきて「バジルが無くて失格になりました」
なんて結末はさすがに誰にも言えません。

とりあえず3時からの説明会に間に合うようにイベント会場に向かいました。
コンベンションセンターではすでに各ブースの出店準備で
人がごたついています。
ぼくが受付で競技参加者のカードをもらい、
説明会の会場に入ると順番に名前が呼ばれて
参加証を受け取っているところでした。
部門は五つです。

①アメリカ伝統
②パン・アメリカ(フライパンや鍋のパン)
③ノントラディショナル(創作)
④ナポレターナ
⑤グルテンフリー

計150人ほどの参加者です。
簡単なルールの説明が行われてから、
明日本番のための生地作りがはじまります。

作業場はショー会場の幕の裏側に設置されていて、
全員が一斉に小麦粉をこねはじめるので、
作業場の視界が若干白くなる気がしました。
気のせいかもしれないですけど。

材料はすべて自前で用意しなければなりませんが、
道具類は運営側が用意してくれるとのことでぼくは何も持ってきませんでした。
幸運なことにぼくは周りの人に貸してもらいながら作れましたけれど、
ボウルやスケールが無くて待たされている人もいました。

参加者はこう分類ができます。
第一にぼくのような個人参加、
そして第二にチーム参加があります。
チーム参加のほうが多いかもしれません。
圧倒的にチームのほうが効率がよくてはかどっています。
道具類やクーラーボックス、材料も豊富で、
ぼくのように一回切りの材料しか持ってきていないのに比べると安心感が違います。

生地作りをはじめて少し経つと声の大きい女性係員がきて
「冷蔵庫の鍵を締めるからあと5分以内にしまうものはしまって」
といいました。
ぼくの作業はまだ30分はかかりそうだったので、
常温で置いておくのもラスベガスの暑さでは発酵が心配で、
持って帰ることにしました。

まさかピザ生地の入った番重を持ってラスベガスの街を歩いたり
バスに乗ったりするとは思いませんでした。
この日結局バジルは手に入らず、
ぼくは悪夢が頭をよぎってまったく眠れませんでした。