2014年10月14日火曜日

ビールの生樽で打っちゃいまして

いつも配達に来てくれる酒屋のシロウくんが来なくなって、
三週間が経っていました。
若いシロウくんに代わり中年男性が配達に来ました。
シロウくんは一体どうしたんだろう?
仕事辞めたのか?
それとも配達ルートが変わったのか?
僕は考えはじめました。

酒屋さんの配達は毎週水曜のお昼前にあります。
その時間ぼくは仕込みに追われていることがほとんどで、
酒屋さんもビールなどを持ってきてくれて空きビンのケースを回収したら
すぐ次の配送に向かうので会話も多くはありません。
だけどぼくは密かにシロウくんの仕事ぶりを眺めるのを楽しみにしていたので、
彼が来ないことを残念に思ってました。

シロウくんは二十代前半で、
一度見たら記憶に残りやすいビジュアルを持っています。
彼ほど鮮明に頭の中で再現できる人はいないじゃないか、
というぐらい思い出しやすいです。
普通他人の顔を頭の中で再現するのは難しいことです。
恋人にしても両親や兄妹にしても、
顔の細部を思い出すのは簡単じゃありません。

それがシロウくんの姿はなぜか簡単に再現できてしまう。
色っぽい女の人をイメージで再現できたら得した気分になりそうですけど、
シロウくんを鮮明に思い出せたところで損はしても得はありません。

まずシロウくんは顔が大きい。
大きくて丸く、坊主である。
そして目が細長くて眉毛が無い。
笑うとすきっ歯です。
はっきり言えば人相が悪いです。

しかし、
その顔の大きさに対する身長の低さ、そして身体の細さ。
暗闇でシルエットだけを見たら宇宙人と間違えそうです。
空きビンのケースを両手で持つ時は細い腕が曲がりそうで、
歩き方が内股になる。
その非力さのせいで、というかそのおかげで、
人相の悪さがひっくり返りむしろ好感が持てるのです。

シロウくんが再び姿を見せたのは三週目が過ぎた配達でした。
彼は何事も無かったように「おはよーございまーす!」と言って、
注文したビール類を置場に運んでいました。
ぼくは仕込みの手を休めて、
しばらく来なかったけど何かあったのか聞いてみました。

シロウくんは急にもじもじしはじめました。
「いやー、ちょっと、入院しちゃいまして」

——え、大丈夫!?病気でもしたの?

「いやケガなんですけど……、
しばらく歩くのも大変で。
ちょっとたまのほうをやっちゃいまして」

ぼくは最初意味をすんなり理解できず、
たまたま仕事でケガをしたのがどんなものなのかと気になり
「たまにするケガって、どんなケガなの?」
と追求しました。

「打撲系なんですけど、
片側が膨れちゃって。
歩くときの振動だけでも痛かったです」
とシロウくんは腰をちょっと引いて前屈みになり、
人相の悪い顔をさらに苦痛でゆがめて見せるので、
やっとぼくは「たま=睾丸」だということに気付きました。

「ビールの生樽で打っちゃいまして」
とシロウくんは打撲の経緯を語ってくれました。
「空になった大樽はメーカーに返す前に取手を外すんです。
樽の取手を持って底を床に叩きつけて外すんですけど、
床に変なふうに叩きつけちゃった拍子に樽が振り子みたいになって、
ほんとなら取手から樽が外れるところを、
外れずに勢いのついた樽を下半身にぶつけてしまったんです。

そのときの傷みはすぐ引きました。
次の日、配達のためにトラックに積み込みをしようと思って、
ケースを持ち上げようとしたときですけど。
ぐっと力を入れるとたまの毛細血管が切れたみたいで、
猛烈に痛くなってきました。
すぐに片方が2・5倍ぐらいの大きさまで膨れました。
それで大将に相談したら病院に行ってこいと言われて、
結局10日間休みをもらいました」

そこの酒屋の大将いわく、
酒屋組合の集まりで飲んでいてその話しを他の問屋にしたところ、
他の酒屋でも若い衆が同じケガをしたことがあるというのです。
酒屋業界ではたまに起きるたまの事故だそうです。

「ビールの生樽で打っちゃいまして」
という大きな丸顔のシロウくんと、
大きく膨らんでしまった下半身。
この、何かシンメトリーな感じがシロウくんに芸術性を帯びせていました。

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