2014年8月23日土曜日

軽トラの魚屋

「朝の6時から7時ぐらいに魚屋さんが軽トラで走ってくるんだけど、
うちの前で穫れたての魚が買えるんだよね」

——港町ってこんなシステムがあるのか?
と、僕は幡豆に引っ越してきたときにはじめて知りました。

地物の魚貝が新鮮で、かつお値打ちに買える。
これぞ港町の醍醐味だ!と思いました。
だけどそんな話しを聞いたのはかれこれ一年も前です。
幡豆に来て一年が過ぎましたけど、
これまでその魚屋さんを利用することは一度もありませんでした。

こんな早朝に魚を買うような習慣が僕には無かったのです。
魚貝料理を出す店は市場通いをすると思いますけど、
オーシャンは野菜中心なので早朝の仕入れは畑での収穫と、
近くの農家さんが収穫してきた野菜を夕方見に行くという感じです。

仕事を抜きにして個人的にも、
朝起きて「フワーワ(あくび)よし朝食の前に昼飯の魚を買いにいこう」なんて思ったことはありません。
ご飯時の前に「今日は魚が食べたいな、スーパーに見に行こう」とか、
「魚屋さんに行ってみよう(一日営業している)」とか、
開店時間と閉店時間がはっきりしてるお店に行くのが普通でした。

ところがこの幡豆の軽トラの魚屋さんは、
開店時間も閉店時間もはっきりしていません。
「6時から7時の間に港の通りのどこかに停まってる」
時間だけでなく、場所もはっきりしていません。

その港の前に住むスタッフに聞くと、
「魚だよ〜、魚だよ〜」
という合図があるそうです。
しかもこれ、カセットでもなければ拡声器を使うわけでもなく、
肉声なのです。
たまに「魚だよ〜、魚だよ〜」の間に「あら佐藤さんおはよう!」と同じテンションで挨拶が交わされるそうです。

しかし僕の家からこの港までは車で五分ほどの距離にあり、
遠くはないですけどこの呼声が届くほど近くもありません。

そもそも買い物と言えば、売り手が買い手の都合に合わせる、
というのが現代社会の一般的な考え方です。僕は意識せずそういうふうに考えてます。
だけどこの魚屋さんは上客を選ぶわけではないにしても、
買い手が歩み寄らなければ買うのが困難なシステムです。

まだしも休日は水曜と日曜で決まっています。
場所は港の通りの300メートル圏内のどこかという感じなので、
探すのは難しくありません。
問題は時間です。

6時から7時の間に来る。
ということはもしかしたら6時に行っても早いし、
だからといって7時では良い魚は売れちゃってるかもしれないし、
片付けてもう帰ちゃってるかもしれない。

僕が先日魚を買うと決心した日、
6時に起きてすぐ家を出ました。
港の通りには誰もいません。
トンビが数羽、脇道から海面をにらんで魚を捕獲しようとしてるぐらいでした。
まだ来ていないのか?
それとも今日は来ないのか?
分かりません。

少し待ってみようかなとも思いましたけど、
現代的買い手都合主義が身に染み付いている僕には
来るのか来ないのか分からない人を待っていることができませんでした。
だけど「魚を買う」と決めた以上諦めたくもありません。

そこで一度職場に行くことにしました。
薪割りをしてから戻ってみよう、と。
余談ですが、これが僕に新しい発見をもたらせてくれました。
「薪割りは早朝にかぎる」
夏の間、夕方の涼しくなってきた頃に薪割りをするようにしていましたけど、
早朝の涼しさにはかないません。
涼しい時間にする仕事がどれだけはかどるものなのか、
僕は快適な気持ちで薪をスパスパ割って知ることができました。
それ以来起きてすぐ6時頃に薪割りをして、
一度家に戻ってシャワーを浴びて休憩してから出勤するようになりました。
職場と家が近いとこういうことができます。

薪割りをしてだいたい30分して戻ると、
港の通りになにやら人だかりができてます。
おばあさんやおじいさんの密集です。
その密集が軽トラを囲んでいます。
来た!これだ!僕は車のハンドルを叩きました。
幡豆に来て一年。
こっちが買いたい、あっちが売りたい、
ついにその心が一つになった運命的状態で出会うことができました。

買い手至上主義では愛は生まれないのです。
僕はこの魚屋の夫婦か知りませんけど二人になにやら愛を感じてきました。
相互の歩み寄り。
買い手が階段を一歩下り、売り手が階段を一歩上がる。
そこでシェイクハンド。
ナイストゥーミーチュー、このハマチ、ハウマッチ?
※ハマチは売ってませんでした。

早速魚を物色しました。
木箱に入った鮮魚はトラックから降ろされて道に並んでいます。
車で買いに来ている人もいますけど、
ほとんどは近所から歩いて来ているようです。
僕以外に8人いましたが、皆年配の方々でした。

座布団ぐらいの大きさの木箱が7、8個。
そこに魚、海老、イカ、蟹があります。
「一山いくら」という感じで、
値段を書いたダンボールの切れ端が山の上に置いてあります。

「これ半分ちょうだい」と言うと、
魚屋の奥さんが一山の半分をビニール袋に入れてくれます。
半山買いという買い方もあるようです。
時間はすでに7時前で僕が見ているうちに皆はさっさと買っていきます。

どれにしよう?なんて躊躇しているうちに、
「あたしこれもらってくわ。あたしにはエビちょうだい。こっちわコチをもらっていこう」
とどんどん売れていきます。
こういうとき人は売れたものが欲しくなります。
そして次に「売れる前に買わなきゃ!」
という心理になります。

残すはおばあさんが二人と僕になりました。
僕はまず“ざるえび”を選びました。
揚げたいんですけど、と言うと、
「こうやって頭を取って手を残して、
殻も取って、尻尾はこの尖ってるのだけ取る。
全部取っちゃうと身が無くなっちゃうから」
と教えてくれました。

隣でおばあさんが
「あたし手も味噌も全部取っちゃう」
と言うと、
「味噌が美味しいのよ」
というやり取りがはじまりました。

僕は次に主人の方に言って“アカイカ”をもらいました。
今度はイカのさばき方を教えてもらいました。
九百円ずつでビニール袋一杯です。

先週からピッツェリアではランチセットをはじめましたけど、
この地物の海産物を使っていこうと思ってます。
ちなみに今朝はタコを二杯千円で買ってきました。


2014年8月11日月曜日

鼻をほじってください

レアが戻ってきました。
彼女はオーシャンに一ヶ月滞在して、
伊勢、奈良、京都を観光した後に、
神戸の農園でウーフをしていました。

「そこの農園は“Horrible!!”」だったと
レアは思い出すのも嫌だといったふうに言いました。
何がそんなにひどかったの?僕は聞きました。
「農園主は唖だったの。彼が優しい人だってことはその温かい眼差しからすぐに伝わったわ。
だけどそのワイフが“Evil”だったの!」

つまりそこの奥さんは伝統的な日本の習慣を守っている家だったのです。
少し前にレアのことをブログで書きましたけど、
現代ヨーロッパの女子大生レアと
日本の伝統的な習慣のある家において、
お互いは絶対にぶつかり合うS極N極なのです。

貞節、清楚、奥ゆかしさ、男尊女卑。
その全てでレアは真逆にあります。
下ネタ好き、ブラジャーを平気で風呂場に放っておく。
心の奥に秘めたる強さというよりは間違いだと思ったら徹底的に議論する。
皿洗いなどの家事も男女平等ですること。
これで旧日本式の家で対立せずに生活できるほうがおかしいのかもしれません。

とにかくレアが戻ってきました。
「鼻をほじってください」
と油性マジックで手書きされたリュックを背負って。
何で鼻をほじってくださいなのかと聞いたら、
日本語の勉強をしているときに一番ウケた言葉だったからと言いました。
どんな勉強をしたらそんな文脈が出てくるんだろう。

彼女は合計で五ヶ月日本に滞在して(残り十日ほど)、
ベルリンの大学生活に戻ります。
大学院まで生物学をみっちり勉強したいという彼女は
ドイツに一回戻って交換留学でまた日本に来る方法を考えるそうです。

日本の何がそんなに好きなの?と聞きました。行く先々ですぐもめるのに。
「日本人はドイツみたいにすぐケンカしないところが好き」と彼女は言いました。

ドイツでは例えば皿洗い一つでケンカになる、とレアは言いました。
「使った食器は自分で洗う」というルールがあったとしても、
「おれは洗わない」と宣言する人が出てくる。
「規則は守らなければいけない」と言っても
「洗うにしても自分のタイミングで洗う」と反論される。そしてケンカになる。

僕が、ドイツ人は規則に従うのが国民性だと思っていた、と言うと、
「自分の規則になっていないことには一切従わないわ。
だけど日本ではみんなこう言うの
『私が代わりに洗っといてあげる』
そういう優しさって素晴らしいわ!」

日本のテレビでは美味しそうな料理がたくさん出てきたり、
お笑い番組が多い。
だけどドイツでテレビを点ければどの番組でも激しい議論を戦わせてるの。
私は平和なほうが好き」

こないだレアは薬局でブリーチ剤を買ってきて、
髪の毛を金髪に脱色しました。
一ヶ月前にうちにいたときは「色が抜けてきた」と言って、
焦茶色に染めていたのに、
それが今回は脱色で金髪です。

レアの地毛は真っ金髪です。
それが嫌で三年間濃い色に染めていたのです。
だけど、すぐに髪の毛が伸びてきて、
金髪の根元を美容院で染めてもらうのはお金もかかるし
(プリン逆バージョン)、
手間がかかるからもういじるのはやめようと心変わりしたのです。
ドイツではカットと色染めで70ユーロぐらい。
日本の相場と同じぐらいですかね。

それなら今の茶色も勝手に落ちるまで放っておけば
手間がかからないんじゃないかな、
と僕は思ったですけど、
女性にとって髪の毛は大事な問題ですからね。
首を突っ込むことはしませんでした。

写真はレアが脱色する前の物です。
「鼻をほじってください」のリュックを背負って戻ってきたレア。


2014年8月4日月曜日

ゴザの上のコース料理

フランス人カップルのピエールとサビンは
日本に来て三ヶ月目です。
日本の生活にもだいぶ慣れたようで、
箸もうまく使います。

オーシャンに来る前は広島の農園にいたり、
九州の缶詰工場で働いたと言っていました。
彼らは共にパリでITエンジニアの仕事をしています。
会社に六年在籍すると、
六ヶ月か十一ヶ月どちらかの期間の休暇を取れ、
彼らは六ヶ月の休暇を選びました。

なぜ十一ヶ月ではないのかと聞くと、
休暇中は給料がもらえないから、
半年以上仕事をしないと生活が苦しくなると言いました。
僕なら一ヶ月給料がもらえなかっただけで生活が破綻しそうなので、
半年の休暇でもすごいと思っちゃいますけど。

サビンはパリでマンションを買ってそのローンがまだ残っている、とピエールが言いました。
ピエールはそのマンションでサビンと一緒に住んでいるんですけど、
結婚はしてないです。
フランス、イタリア、スペインといったカトリック教の国は離婚するのに十年二十年単位の時間がかかって、
裁判費用もうん百万円かかるから、
それが嫌でみんな結婚しないそうです。

オーシャンでウーフーをやっているスペイン人のホセは
別れた彼女との間に五歳の子供がいます。
だけど彼も結婚はせずに、
前の恋人とはただ「愛が終わった」のだと言っていました。
その場合子供はどうやって育てるんだ?
チャンスがあったら聞いてみます。

ピエールとサビンは五日間だけオーシャンに滞在して、
その後はニセコに向かいます。
この季節は田んぼの草取りという仕事があり、
労働力は多ければ多いほど良い、という状況なので、
ウーフーは短期でもウェルカムなのです。

「日本に来て困ったことは」と聞くと、
ピエールは「花火大会のときにフランス料理をコースで作ってしまったことだ」と言いました。

広島の小さな農園で働いているとき、
そこを経営する夫妻がフランス料理を作ってほしいと二人にお願いした。
ピエールとサビンは引き受けて、半日仕事の休みをもらい、
買い物をして夕暮れまで時間をかけて豪華な食事を作った。

鳥の冷たいスープ、
夏野菜のサラダ、
ビーフシチュー、
米とたまごと砂糖を使ったデザート。
これをコースで、順番に出す用意をした。

料理の準備が整ったことをピエールが伝えるとき、
主人は庭に敷いたゴザの上で、
ビールを何缶かすでに空にしているところでした。

「どこで食べますか?」とピエールが聞くと、
「ここで花火を見ながら食べよう」と主人は上機嫌になっている。
ピエールもサビンも外で、しかもピクニックのように食べるなんて考えてもいなかったので、
「どうしよう?どういうふうに料理を出そう?」と困りました。

だけど結局、最初の予定通りコースで出すことにしました。
庭のゴザの上には主人(黒くて頑健)と奥さん(優しい目)とその息子(三十代で堕落気味)がおり、
ピエールとサビン合わせて五人分の料理です。

まずカトラリーの用意です。
ナプキンが無かったので代わりにキッチンペーパーを使い、
フォークとスプーン、ナイフをくるんだものを五セット。
それから水とグラスのセット。
これらをゴザの上に並べました。
もうすぐ日が落ちて花火が上がりそうな時間でした。
奥さんが「何かお手伝いしましょうか」と言いましたけど、
二人はサービスに徹するつもりで「気にせず座っていてください」と言いました。

最初の一品にはサラダを出しました。
二人も腰を下ろし食べ始めました。
主人はこのとき日本酒を飲んでおり、
ピエールとサビンにもお猪口を渡し注ぎました。

サラダに少し手を付けてから、
今度はフランスパンをスライスしたものとバターの用意で台所の往復です。
続いてスープ。スープボウルが無かったので茶碗によそう。
その辺りで主人も奥さんもこれはコース料理だと気付いたようで、
「大変だから全部一緒にだしてくれればいいよ」と言いました。

「大丈夫」とピエールが言ってるうちに花火が上がりました。
スープを飲み、バターを塗ったパンをかじり、日本酒を飲んでピエールは思いました。
「日本酒とフランス料理は合わない」
主人はいつの間にか焼酎に変わっていたので、
その焼酎をもらうことにしました。

その間にビーフシチューを用意しました。
霜降りの肩ロースを使ったシチューです。
花火はドンドン上がり、
堕落した息子はシチューの中身を特に見もせず
口の周りを汚しながら食べて焼酎を飲んでいました。
ピエールは「焼酎とシチューも合わないな」と思ったそうです。
ショーチューとシチュー。語呂合いはいいんですけどね。

その後はデザートです。
「デザートはみんなあまり食べなかった
甘いお米というのが好みじゃなかったのかもしれない」とピエール。
うちでも作ってくれましたけど、
麦のお粥のポリッジに似ていて僕は好きでした。

花火が終わったのを合図に小太りの息子はひよいと立ち上がり、
口の周りを汚したまま一人で家に戻って行きました。

少しして主人も立ち上がり
「花火を見ながらコース料理が食べれるとは思わなかったな!」
と笑いながら家に戻りました。

ピエールは「花火を見ながら食べるならそうと言ってくれれば良かったのに。
フランスにはピクニックカルチャーがあって、
そうと分かってれば外で美味しく食べれるものを用意したのに」
と不平をこぼしました。
僕は「僕にも同じことをしてほしい」と言うと、
ピエールもサビンも満足気に笑いました。

「台所から畳マットの上にコース料理を運ぶのは一回きりでいいよ。
それに日本酒と焼酎、これは料理を選ぶ酒だね」
と結論をくだしました。

彼らは五日間滞在して、
「サヨナラ」と言って去っていきました。
僕は三個ぐらいしか知らないフランス語の一つ、
ボンボヤージュと言って見送りました。