2014年7月31日木曜日

等身大かフィギュアか

モ・ホウ・インは香港系アメリカ人のオタクです。
名刺をくれたので、すぐにフルネームで覚えることができました。
名刺にはカリフォルニア大学デービス校デザイン専攻ということが表記されて、
イン個人的なホームページのURLもあります、まだ見てませんけど。

デザイン専攻だけあって、
名刺はちょっと趣向を凝らした作りになってるんですけど、
外見からはオタクにしか見えず、
デザイナーを目指しているようには見えません。

——将来はデザイナーになりたいの?

「専攻を選ばないといけなかったから選んだだけ。
僕は日本で仕事がしたい。
アニメが好きだから」
インはほとんど完璧な日本語を使います。

僕は十代の頃テレビゲームが好きでゲームセンター通いをしており、
オタクの友達が多かったです。
インは小柄で目も髪質もスッと細くてキツネみたいで、
昔そっくりなオタクの友達がいたので彼に親近感を持ちました。

インにどんな日本のアニメが好きか聞くと、
「ワンピースだ」と教えてくれました。
だけどその後に小さな声でポツリとこう付け足しました。
「ほんとはもっと好きなアニメがあるけど……」

タイトルを言ってもみんな分からないから、
日本人ならみんなに通じるワンピースだと答えるようにしてるそうです。
僕は「それじゃほんとは何ていうアニメが好きなの?」
と詳しくもないくせに、つい追求してしまいました。

インは言いました。
『神のみぞ知るセカイ』
僕、知らない。
インは言いました。
『とある魔術の禁書目録』
僕、知らない。
イン、やっぱり、というガッカリした顔をする。
僕、やっぱり聞かなければよかった、と思う。

——ドラゴンボールは見た?

「見たけど、うーん……ドラゴンボールはちょっと古い」
そこで僕はアニメに関する話題は打切りにしました。
インがどれぐらいオタクかというと、
たぶん日本人のオタクの中に入っても上位に入るオタクだと思います。

オーシャンの最初の休日、
インはアニソンのイベントで名古屋に出かけて行きました。
僕は“アニソン”という単語をインから聞くまで知りませんでした。
アニソンとはアニメソングの略です。
インは徹夜でイベントに参加して、朝帰りしてきました。

また別の日、
インはブックオフに行きたいと言ったので
彼を車に乗せて店の前で降ろし、
僕はスーパーに買い物に行きました。
四、五〇分経って戻るとインはアニメコーナーに立って
じっと棚を見つめているところでした。
彼は集中していたので、
僕が横に立って声をかけるまで気が付かないぐらいでした。

——まだ見たいよね?

彼は嬉しそうな顔でうんと頷いたので、
僕はツタヤのほうでDVDを借りようと思い、
いつも以上に時間をかけて吟味しました。
それでも二〇分ぐらいです。
インのところに戻ると移動した形跡が見られません。
たぶん、ほとんど動いてませんでした。

——まだ見たいよね?

彼は真面目な顔でうんと頷いたので、
僕は「どう?後三〇分?一時間?」と聞きました。
インはうーん、と少し考えて、
「自分で電車で帰る」と言いました。
アニメコーナーを端から端まで
一巻ずつ全部チェックしていくつもりなんでしょうか。
インが家に帰ってきたのは十時半で、
ブックオフに到着してから六時間後でした。
彼がずっとブックオフにいたかは知らないですけど、
帰ってきた彼のリュックの中身には漫画が詰まっていました。

インは興奮気味にリュックを開いて見せてくれました。
「サンフランシスコのジャパニーズタウンなら
これ一冊で千円以上するけど、どれも三〇〇円だった」
それから美少女系のフィギュアも三体ぐらい買っていました。

オーシャンでは初めてのオタクウーフーです。
インが来て一週間ほど経ちますけど、
畑仕事が勤まるのかどうか心配になります。

畑仕事初日、インは蚊に刺されて、
“蚊アレルギー”だということが判明しました。
腕にピンポン球が埋め込まれたように膨れて、
曲げることができなくなってしまいました。

翌日、インに虫除けVAPEのリストバンドを渡して、
それからは蚊に刺されことは無くなり、
小さな体で田んぼの草取りをしています。
スペイン人のホセと共に仕事をしていますけど、
対照的な二人で変な組み合わせです。

ホセは名古屋で知り合った日本人の女の子からのメールを
いつも気にしており、
インは日本の美少女アニメのフィギュアを探し求めて、
色んな店にくり出している。

どっちもどっちで、日本に滞在している動機が不純です。
写真はインとホセが打ち解けてきた頃のものです。
最初は真逆な雰囲気にお互いイライラしてる感がありましたけど、
今は兄貴分のホセがインに教えてるといった状況です。





2014年7月22日火曜日

ドントマインドと言うとき、あなたは腹を決めてますか?

「なぜ彼女と別れたの?」とホセに聞くと、
彼は手で目を覆い、
顔をもたげて言いました。
「オーマイゴッド」

「ロンドンで付き合っていた頃、問題は何も無かったんだ。
三ヶ月だけだったけど僕らはハッピーだった。
彼女は三五歳でとてもきれいだった。
彼女が日本に戻らないといけなくなったとき、
僕はずっと彼女といたいと思ったからロンドンの住まいを引き払った。
それで彼女が借りていた神奈川のアパートに移った。
だけど一ヶ月で僕らは別れることになったよ。
日本に来てから彼女はすごく怒りっぽくなったんだ。
何がそんなに彼女を不機嫌にさせるのか分からなかったけど、
彼女は僕がすることなすこと全てに怒りを爆発させるようになった。
僕らは一緒にいるのを諦めて、家を出た。

家を出るにしても僕は日本語が喋れないから、
ほんとに途方に暮れて、どうしていいのかまったく分からなかったよ。
唯一、一人だけFacebookの友達で日本在住のペルー人の知合いがいて、
相談してみると「市役所に行ってみるといい」と言われた。
それも『私が住む西尾市の市役所はすごく助けてくれた』と言われたから、
僕は愛知県に来たんだ」

——相談のためにはるばる神奈川からここまで!?

「他に当ては何もなかったし、
帰りの飛行機はまだ一ヶ月も先で時間だけはあったからね。
とにかく希望のありそうな場所に行きたかった。
落ち着ける場所を早く見つけたかったんだ」

そうやって語るホセは少し悲しく見えました。
僕は人の心の傷みには鈍感なほうなのですけど
(だからこうやって失恋話も追求できる)、
好きな人と、安心して住める場所、
同時に二つを失ったことを想像すると
さすがにホセのことがかわいそうになってきました。

ホセがうちに来てから数日後、
僕が仕事から帰宅して台所にいるとホセが部屋から出てきました。
「どうしても暑くて、冷蔵庫のビールを飲んでしまった。
すまない、必ず明日代わりのものを買ってくる」

僕が家に帰って正直にすぐに言ってきたので、
ラテン系の男にしては律儀な性格だなと思いました。
だから「ああ、いいよ今日は暑かったからね。気にしないで」
と僕は言いました。

気にしないで。
英語で言うとドントマインドです。
これは日本人が全員知っておくべきことだと思いますけど、
外国人にドントマインドと言うとき、腹を決めて言え、ということです。
心の底から「気にするな」と思ってなければ言ってはいけません。

僕は心の底から気にするな、とは思っていませんでした。
小さい男ですけど、
ビールはおれのもんで、
人のものは勝手に飲んではいけない、と思ってました。

しかし、ホセは暑かっただろう。
それに知らない場所にいて不安もあるだろう。
日本で苦労もしているだろう。
僕はつい「ドントマインド」と言ってしまったのです。
言ってすぐ、まずいかな?と考えました。
シェアハウスはルールだ大事だから、明確な線引きが必要です。

だけど翌日ホセは言った通り、
というより言った以上にビールを二缶も買ってきました。
「どれだったか分からなかったけど買ってきて冷蔵庫に入れといたから」
僕は予想を上回るアクションを起こしてきたホセに驚いて、
「ドントマインド、ありがとう」
とまた言いました。

ビールはおれのもんだ、と思っていた自分が恥ずかしくもなりました。
彼は律儀な男で、
余計なルールなど説明する必要はなかったのだ。

翌日、僕が仕事から帰宅すると、
彼が買ってきたビールは二缶とも台所で空になっていました。
きれいさっぱり、飲み尽くされていました。
「……これって、おれに買ってきてくれたやつだよね?
で、結局自分で飲んだってこと?」

「やっぱりだ」僕はふつふつと頭に血が上ってきました。
「やっぱりこうなった!
ホセのことかわいそうだと思ってたけど、ぜんぜんかわいそうじゃない!
ドントマインドなんて、やっぱり言うんじゃなかった!」
僕は途端にまた心が狭くなりました。
シェアハウスのルールを明確にしなければならないな、
と思いました。

世界各国のユースホステルのどこに行っても、
注意書きがあらゆるところにペタペタ張ってあります。
冷蔵庫のドアに「三日以上入れっ放しのものは捨てます」とか、
流しに「使った食器は洗って、戻して!」とか、
バスルームに「自分で汚したら、自分で掃除」とか、
そういう当たり前のことがホステル中のいたる所に張ってあります。

こんな当たり前の張り紙が必要なのか?
ホステルに泊まる度に僕はそう思ってました。
そんなこと分かりそうな事だけどな、と。
だけど色んな人種がいて、ルールは明確に言葉にしないといけないのだ。
僕はユースホステルの管理人が
電化製品やドアや壁の全てに張り紙を貼りまくる気持ちが分かってきました。

今回はたまたま矛先がホセに向かいましたけど、
ウチは人種の坩堝と化しているので、
「察してほしい」という願いよりも、
言葉で伝えないといけないなと再認識しました。

2014年7月15日火曜日

干されたスペイン人

ホセ・ビセンテがうちにやって来ました。

27歳のスペイン人、ホセには日本人の彼女がいました。
いましたが、過去形となってしまいました。
二人はロンドンで出会って付合いはじめたそうです。
彼女が日本に戻ることになり、
ホセは彼女と共に神奈川県に付いて来ることにしました。

しかし日本に来てすぐ、ホセは干されました。
家から追い出されました。
何が原因かはまだ聞いてません。
彼がうちに来て日が浅いので、会話も少ないのです。
これから聞いてみようと思っています。

そして、なぜ彼が神奈川県から愛知県に移動してきたのかも
まだ知りません。
アニータから電話があったのが二週間ほど前でした。
アニータは昔からの知人で西尾市役所の外国人相談所に長く勤めています。
彼女のところにホセがやって来ました。

「日本語が喋れない、寝る場所がない、どうしていいか分からない」
という相談でした。
おまけに英語も片言です。
それにも関わらず、ホセはおしゃべりな男で、
そこにラテン系を感じさせます。

最初ホセはペルー料理のレストランに住み込みで滞在することが
決まりました。
トラブルは続くもので、
そのレストランのオーナーが急遽変わることになりました。

落ち着くまでレストランは閉店することになり、
ホセもそこで寝泊まりができなくなりました。
そこでアニータが僕に連絡をしてきたのです。
オーシャンがウーフーの受入れをしていて、
僕の家がシェアハウスになっていることを知っていたので。

「今部屋は開いていない?」とアニータから連絡があり、
その日のうちに、夜10時過ぎでしたけどアニータが
リュックを2つとスーツケースを1つ持ったホセを連れてきました。
僕はホセにシーツを二枚と枕カバーを渡して、部屋に案内しました。

翌日、ホセはオーシャンの畑仕事に出ました。
「ガーデン用のズボンとシャツを貸して欲しい」と言うので、
僕が着なくなった服を貸しました。

帰ってきたとき彼が着て行った服は泥だらけになってました。
だけど畑チームのスタッフいわく
「ウーフー至上最速の草むしりだった。
それもずっと片言の英語を喋りながら草むしりをしていた」
と言うので、僕の古着も服の道を全うしてる気がして、
彼が帰る頃には躊躇無く捨てることができそうです。

2014年7月8日火曜日

サムの浜名湖地層調査

先日、地層調査に行ってきました。

ドイツ人のレアと同じ時期にイギリスからサムという、
二十歳の大学生が来ていました(先週帰国)。
彼はイギリスではビーチリゾート地として知られるブライトンという街の
サセックス大学に通っています。

そこでサムは地理学を勉強していて、
彼が卒業論文の題材にしたいと考えたことが
浜名湖の地層調査でした。

——なぜ日本?なぜ浜名湖?僕は聞きました。

サムは大学から日本語のクラスを取りはじめて日本に興味が沸き、
どうせなら日本と地理学が両方関係する題材にしたいと思ったそうです。
1498年におきた明応地震のときに浜名湖は
それまで淡水だけだったところに海水が入り交じった歴史がある。
その前後の年代を地層から検証するために、
土を採取してイギリスに持って帰りたいとサムは言いました。

サムは僕よりも浜名湖に詳しかったです。
僕がサムに教えてあげれたことは
「うなぎパイっていう有名なお菓子があるよ」
ということぐらいでした。
浜松といえば[浜名湖サービスエリア]にしか行ったこともありません。
明応地震があった歴史すら知りませんでした。

——それにしても、どうやって五百年前の土を掘るの?

「専用の道具を持ってきたんだ」とサムは言って、
ボロボロで土に汚れたリュックを開いて見せてくれました。
鉄の棒です。
テントの骨組みのようなものが、たった4本だけです。
これで三メートルの深さの地層まで調べることができるそうです。
地層は一メートルでおよそ五百年前に遡ることができる。
つまりこの“テントの骨組みみたいな鉄の棒”で
千五百年前のことまで調べることができるのです。


このシンプルな道具からは信じられないような話しです。
僕はここにアドベンチャーを感じました。
「おれも行く」と志願して、
荷物運搬兼運転手として浜名湖の地層調査に付いて行くことにしたのです。

「ここを調べたい」
とサムが僕に紙を渡しました。


おお、サム、グレイト!
僕のアドベンチャー気分はさらに盛り上がりました。
三カ所の★印には地層調査というより、
僕には宝が埋まっている風の地図にしか見えません。
ともかくそんなきっかげがあり、
僕も地層調査見学をすることになりました。

最初の★地点には音羽蒲郡から東名高速で一時間半で到着しました。
浜名湖県立自然公園から近い、西側の沿岸です。
「どこで堆積層を含む土を見つけることができるか」
これが唯一の目的で、僕らのトレジャーハンティングです。
しかし、この堆積層を探すのがいかに大変なことなのか、
浜名湖に着いて歩き回ってから、はじめて知りました。

というのは、
アスファルトで固まっていない地面を掘ればすぐに、
数百年数千年前の土に辿り着くことができる、
という単純な話しではなかったからです。

まず、沿岸の砂浜。
砂浜は深く掘れますけど、
どこまで掘っても砂で、砂は堆積層を残さない。
それに、もしかしたら他から砂を運び込んで、
人工的に作った砂浜かもしれない。

次に湖からなるべく近い陸地帯。
今度は土が堅くて深く掘れないという問題。
トラクターなどの重機で整地してあるような場合、
土が掘り返されたりして、
堆積層が崩れてしまっていて参考にならないのです。




沿岸を諦めて、
内陸の川沿いに行くことにしました。
浜名湖沿いはずっとサイクリングロードとしてしっかり整備されているので、
どこを掘っても同じ結果になりそうだ、とサムは言いました。

たぶん、浜松市民でも来たことのある人は少ないであろうという、
奥地へ奥地へと進みました。
そして、「ここは!」と思う場所にドリルを突き刺す。



この地層調査機具、これは手動ドリルです。
まず主となるポールが二本。
一本はT字の取手が付いていて、もう一本はL字になっている。
このL字の内側に土がくっついて採取できる仕組みです。
これで一メートルの深さまで掘れる。
これに一メートルの補助棒が二本付いて、計三メートルの長さとなる。

それぞれの棒は簡単に繋ぎ合わさるようになっていて、
T字を持ち、L字の方を地面に突き立てる。
そしてここで特殊な掘り方をする、
と、僕は思ってました。

地面に突き立て、
そしてここで特殊な掘り方を……、
しなかった!
そのままぐいぐい地面にねじこむだけ。完全に力任せです。

サムが「ちょっとやってみる?」と言うのでやってみました。
自転車の空気を入れるような姿勢で取手を持ち、
下に力を入れて、左右、左右、とえぐる。
しかし頭よりちょっと低いだけのところに取手があるので、
まったく力が入らない。
息を止めて、顔が真っ赤になるほど力を入れても下がっていかない。

もうダメ、と言ってサムに返しました。
サムはその太い腕でぐいぐいねじこんだ。
懸垂をするように腕を逆にしてねじこむ。
30センチほど掘り下がる。
取手の上に全体重をかけるように前屈みになり、
顎からは汗が垂れ落ち、
腕の筋肉が風船のように膨らむ。

「ううう」とサムは唸って、止まった。
30センチ。
それより下は固くて掘り下げることができませんでした。
この川沿いもダメです。
サムが欲しいのは二から三メートル下層の土です。

不発、不発で、トボトボと車に戻っているときに、
大学で地層調査をしている女性は他にもいるのか?と聞くと、
「うーん、いない」とサムは言いました。
そうだろうな、と思いました。
この仕事は筋肉作業です。

「困った。どこを掘ったらいいんだろう」
サムは言いました。
「こんなに掘る場所が見つからないとは思わなかった」と。
つまり、自然の状態の地面が見つからない。
どこもかしこも人の手によって整地されている。

もうちょっと詳しい地図はないのか、とサムに聞きました。
彼が事前に調べてきた浜名湖のデータを。
宝の地図じゃなくて、普通の地図は、と。
「これ」と彼は言って地図を出しました。


「あるじゃん詳しい地図。何なの最初の手書きのやつ?」
とは言いませんでした。
手書きの地図で僕のテンションを上げておいて
運転手を捕まえるという演出をするには、
彼はピュアすぎる誠実な青年だと思いましたから。

この地図には過去に日本人が地層調査をしたデータが載っています。
「きっとこの調査ではエンジン付きのドリルを使っていて、
手動のものではダメかもしれない」とサムは元気を失っていました。
イギリスで地層調査をするときはこんな苦労はしなかったようです。

この後も何カ所か移動しながら
色んな場所に棒を突き刺しました。
しかし湖も川も、沿岸はどこもコンクリートで補強してあるか、
人工的に固く埋め立てられたところばかりでした。
日本ではあらゆる沿岸の工事を終えてしまったのか?
むしろ工事をしていない沿岸があるのか?
そんな、今まで考えたこともない疑問を抱きながら、ドリルを突き刺す。



昼に僕らは浜松餃子の店に入りました。
僕が助手をする代わりに彼が昼食を奢るという約束をしていたのです。
僕らは餃子を十五個ずつ食べて店を出ました。
そこでサムは言いました。
「浜名湖はギブアップする。
土を持って帰れなかったら研究も何もできない」

この後も数カ所回りましたけど、
結果は同じでした。
深く掘り下げれる場所が見つからない。

サムはしきりに僕に「興奮するような調査を見せれず申し訳ない」
と謝りました。
僕は「地層調査なんて何一つ知らないのに付いてきたけど、
僕は僕でこのプロセスを知れて十分だよ。
卒論もそんな簡単にできたら底の浅いものになっちゃうかもしれないし」
と、慰めにも笑い話にもならないようなことを言ってました。

悲観することでもないことは、
サムが同学年で一番最初に卒論をはじめた一人であることです。
提出期限は来年の九月らしいのでまだ余裕があります。
「湖周辺の地層調査」というテーマは変えたくない、
イギリス内でまた調査場所を探す、とサムは言いました。

グッドラック、サム。
浜松餃子美味しかったです、ご馳走様です。

2014年7月1日火曜日

サマータイム営業は今日から

今日から[石窯Pizzeria Ocean]の営業時間は
12時〜21時(LO20:30)に変わります。
三ヶ月限定のサマータイム営業ですので、
普段お仕事で来れなかった方も
この機会にぜひ夜の海を楽しみに来てください。

定休日は変わらず、
毎週月曜日と第二・四の火曜日が休みになります。
それから今月は7月5日(土曜)を臨時休業させて頂きます。

今月でピッツェリアはオープンから一周年です。
軌道に乗せよう、乗せよう、
と思いながら毎日仕事をしています。

僕の軌道に乗った状態は、
固定客がいるとか、毎月安定した売上げがあるとか、
そういう客足の問題ではなく、
自分の仕事が安定すれば“軌道に乗った感”が出そうだ、
と思いながらやってます。

ピザ生地の発酵具合とか、
石窯の火力調整とか、
焼き加減とか、
こういうことが自分のイメージと離れているとフラフラして、
ちょっとのことで墜落しそうになります。

作業場のことだけじゃなく、
畑のバジルやルッコラを切らさないようにもしたいです。
水やりをめんどくさがらず、
時期をずらして種を植えたりすることをして、
いつもあるようにしたい。
「今日はルッコラが無いんです」と最近よく言っているので。
暑いとルッコラはすぐ固くなって、辛くなります。
美味しいルッコラ栽培は今の課題の一つです。

バジルの前途は明るいです。
去年の冬は塩漬けバジルで乗り越えました。
色が黒ずんでしまうので、
やっぱりマルゲリータには鮮やかな緑色が必要だと思いました。

今年は温室を借りて、
秋からプランターでバジル栽培をする予定です。
冬の夜でも20℃以下に下がらない場所なら、
きれいな緑色のバジルを取り続けれるだろうと予測してます。

「買ったほうが早い」というのはありますけど、
作り方を知らないだけということもありますからね。
今年温室栽培を試してみて、
ダメならまた考えたいです。

今日はサマータイム営業初日で、
一時間遅く出勤ですから何か得してる気分の朝です。
余裕でブログも書いてます。
この余裕が夏の間ずっと続いたらどうなると思いますか?
夏の間ずっと、得した気分の毎日を味わえますよ。
サマータイム営業って、いいですねー。