2014年5月19日月曜日

安全ピンという小道具

友達のぽっぽくんがインドに行ってきました。
ぽっぽくんは普段、岡崎市で塾をやっていて、
子供たちを教えています。
普通の学校の勉強とは異なり、
授業は年齢分けせずに
小さい子も大きい子も一緒にできる授業をするのが特徴の塾です。

たとえば漢字の語源を遡って考える問題。
象形文字から何を連想するかみんなで当てるといった、
情報力というよりも、
連想力が求められるような問題です。

そのぽっぽくんのインド旅行の目的は、
NGOで孤児の教育支援を行っている「ヴィシュワラヤ」の活動を
見学に行くというのがメインテーマでした。
ヴィシュワラヤはバンガロールという地域で活動しています。
通常の学校教育ではなく、
演劇を中心としたワークショップによる教育をしているそうです。

演劇による教育って何?
ぽっぽくんはヴィシュワラヤの施設で子供たちと寝起きを共にして
(ゲストは宿泊は無料だけど個室はないから一緒に寝る)、
昼間は一緒に遊んでいました。
そして日本に帰ってきたぽっぽくんは言いました。
「インドの子供たちは頭が良い!」

ぽっぽくんはこういうエピソードを話してくれました。

「ある朝、子供たちに囲まれて遊んでいたとき、
一人の男の子が握った手を出した。
なんだろうと思って手を差し出すと、男の子は僕に安全ピンくれた。
『安全ピン?』
だけど、この子にとっては大事なものかもしれないと思って、
くれたのか預かっといてくれという意味なのか分からなかったので、
僕は“胸のポケット”にピンを刺しておいた。
子供たちに英語は通じないのでジェスチャーでやり取りをしていた。

お昼を済ませて僕らは遠足に出かけることにした。
子供たちは10人ぐらいと共に。
僕らは山に登って川遊びをしたり、
日陰で寝転んだりしていた。
陽が暮れたので僕らは山道を戻りはじめた。
帰り道、森の中はもう真っ暗だった。
それでも子供たちはいつも歩いている場所だったから、
迷うこともなくすたすた遊びながら歩いていた。

すると突然、一人の男の子が泣き出した。
僕はドキッとして駆け寄った。
グループの中でもいちばん小さい男の子が座り込んで、
足を押さえて泣いていた。
『何かに噛まれたのか?』
『何かに刺されたのか?』
子供たちがなにやら僕に言っているけどさっぱり分からない。
僕がおろおろしていると、
一人の子供が僕に何かを訴えかけようとしていた。

その身振り手振りで訴える男の子が、
朝、僕に安全ピンをくれた子だということにすぐ気付いた。
そこで僕は、その子が安全ピンを欲しがっていることが分かった。
ところが僕は安全ピンのことなんてすっかり頭から抜け落ちていて、
もらってからどこに仕舞ったのかまったく思い出せなかった。
ポケットを全部引っくり返した(シャツの胸ポケット以外)。
僕は『ごめん、無くしちゃったみたいだ』と謝った。
男の子はあきれた顔をした。

その男の子は僕をしゃがませて、
胸ポケットに留めてあった安全ピンを取り外して見せた。
僕はやっと思い出した。
その子はちょっと怒っていた。
そして、何か言ったと思ったら背を向けて、
その安全ピンを足下の土の中に埋めてしまった。
申し訳ないと思っていた僕は『あ!』と言って、
すぐに懐中電灯を出して地面を探し、
埋めた形跡のある土の中から安全ピンを見つけた。

怒っていた男の子に僕は
「ごめんね」と言って安全ピンを渡そうとした。
すると男の子はにっこり笑って、
僕が左手に持っていた懐中電灯を取った。
土の中から取り出した安全ピンには見向きもせず。

そしてその男の子が何をしたかと言うと、
懐中電灯を持って、
泣きじゃくっている子の足に刺さっていたトゲを抜いた。
そして懐中電灯を僕に返した。
ちょっとまだ泣きべそかいている子をおぶって、
僕らは無事に山道を戻った。

分かる?
男の子は僕の懐中電灯を手に入れるために一芝居打ったんだ。
男の子は僕が安全ピンをどこにやったか忘れていると分かっていた。
それで、わざと僕を慌てさせて、
目的の懐中電灯を取り出すようなシナリオを作ったんだ。
安全ピンを小道具にして、
その場で即興でね」

ぽっぽくんは静かに語り終えた。

——超頭良い!
僕は感動して叫びました。
これが演劇による教育の効果なんでしょうか。

こういう即興が苦手な日本人は多い気がします。
僕はハーフですけど即興は苦手です。
日本人は交渉下手とかスピーチが下手だとか言われたりしますけど、
これは即興による教育が無いからかもしれないですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿