2014年12月31日水曜日

年の瀬まで拷問

今年最後のブログです。
一年を振り返り、
今年自分は何を達成することができたのか思い返すと、
色々思い浮かびます。
うそです、あまり思い浮かびません。

ぼくは達成ということに近いことを何かしたか?
ピザ生地がなんとか狙い通り発酵するようになってきたこと。
三河湾の魚を四季を通して手に取り、
なんとか三枚下ろしと五枚下ろしができるようになったこと。
ブログを週一の更新に変えてなんとかそれを続けたこと。
「なんとか」ばかりで、達成というほど声を大にしても言えません。

その中でも今年最も大きな達成感があったことは、
『24』を一年通して全シリーズ見終わったことです。
つい昨日全話見終わりました。
ジャック・バウアーの拷問につぐ拷問。
ドラマの主役が最も得意とすることが「拷問」なんていいのか?
と思いながら見ていました。

しかも今年は『24』だけじゃりません。
『ブレイキング・バッド』も全話見てしまいました。これも傑作でした。
去年は『フリンジ』で、
一昨年は『ロスト』です。

こんなドラマばかり見ているヒマがあったら仕事や勉強など、
もっと役に立つことをしろと自分を叱りたくなります。
だけどしょうがありません、もう見てしまいましたから。

『24』で一番好きだったのはシリーズ7です。
今までの相棒トニー・アルメイダとの対決、
それからビル・ブキャナンの勇姿、
エンターテイメント満載の回でした。

来年はもうちょっと人に自慢げに言えることを達成したいです。
こんな大晦日にもなって『24』のことしか思いつかないなんて、
タイトルは『文学の海』なのに、
ぜんぜん文学っぽくない締めくくりになってしまいました。

明日はピッツェリアで元旦初日の出営業をします。
朝の四時頃から火を起こして、六時よりオープンします。
ということは三時頃に起きて準備をしないといけません。
ジャック・バウアーに拷問を受けているような気分です。

ともかく今年も一年、ブログを読んでくれた方々ありがとうございます。
オーシャンに来てくれた方々ありがとうございます。
閲覧者あってのぼくで、
来店してくれる方あってのぼくです。

来年もみなさまにとって拷問とかされることも無く、
良い年でありますように。

2014年12月23日火曜日

軍手のサンタ

「これは絶対お父さんにもお母さんにも言っちゃいけないことだけど、
サンタクロースってほんとは誰か知ってる?」
この時期になると、日本の子供同士の間でよくある会話です。
ぼくも子供の頃近所の友達にひそひそ声で言われたことを覚えています。

だけどうちはアメリカ式だったので、
兄弟も親も祖父母も関係なく、
みんながみんなにプレゼントをする習慣でした。
さすがに日本側の祖父母はその交換会には参加しませんでしたけど、
毎年アメリカの祖父母から綺麗に包装されたたくさんのプレゼントが
冷蔵庫ぐらいもある大きな箱に入れられて船便で届きました。
こんなに興奮することはありませんでした。

クリスマスの一、二週間前にそのプレゼントが届くと、
家の中で飾り付けをしたモミの木の下に積み上げます。
祖父母からは一人につき何個も包みがあったりするので、
ぼくは兄妹が四人ですけどそれに両親も含めると膨大な包みの量になります。
だいたい三十から四十個(もっとのときもあった)のキラキラした
プレゼントが山積みになった。

小さいものはボールペンから大きいものは自転車まで、
とにかくあらゆるものが包装されている。
で、子供から親へとなると子供はお金が無いですから、
何をプレゼントしたらいいのか悩む。
そこで母親はぼくらに“感謝の手紙”を書きなさい、と言う。

両親だけなら二枚手紙を書くだけでいいので簡単です。
だけどアメリカからプレゼントを送ってくれる人たちは、
祖父母、曾祖母、叔父、叔母、義理の祖母がいます。
つまりクリスマスには 七枚の手紙(祖父母は合わせて一枚)を書かないといけない。
しかも英語で。

ぼくはこの手紙を書くという仕事がとても嫌で、
中学生になった頃母親に
「アメリカからプレゼントを送ってくれるを断ってほしい」
とお願いしました。だけど断られた。

アメリカからはクリスマスだけではなく、
ぼくの誕生日にまでプレゼントを送ってくれる。
プラス五枚の手紙。
ああ……。なんて素晴らしい親類なんだ!

クリスマスプレゼントという喜びには、
感謝の手紙という憂鬱な仕事がくっついてやってくる。
そういうわけで近所の友達が「サンタクロースってほんとは……」
というような日本式クリスマスの話しをぼくにしてきたとき、
「君たちはもらうだけなの!?そんなのズルい!」
と日本式クリスマスを恨んだ。

せっかくもうすぐクリスマスなので、
クリスマスの話しを書こうと思いました。
こないだ保育士の先生がこんな話しをしてくれました。

「うちの幼稚園では毎年園児のパパにサンタさん役をお願いしてるの。
それで、つい先週お菓子の袋詰めを持ってサンタさんが来てくれたんだけど、
子供たちはサンタさんに名前を呼ばれてプレゼントをもらうのね。
もちろん子供たちは大喜び。

困るのがサンタさん役のパパの子供が呼ばれたとき。
贔屓にしちゃ困るのに、他の子と比べて握手がすっごく長いの。
抱きついちゃうんじゃないかってぐらい。
これは気付かれる、
って思うんだけど相手は子供だからただ喜んでるだけなんだけどね。

だけど一人ませた女の子がいて、すごく頭が良い子なの。
その子の番になってプレゼントを受け取るんだけど、
何度もサンタさんのほう険しい顔でを振り返るの。
あんまり真剣な顔してるから『Kちゃんどうしたの?』聞くと、
『あの人ほんとのサンタさんじゃない』って言うの。
『手袋に黄色い線があった。袖の中に見えたもん。
ほんとのサンタさんは仕事の手袋はつけない』
私は『サンタさんはオシャレなのよ』ってごまかしたけど、
絶対信じてないだろうなー」

みなさん、
サンタさん役を頼まれるようなことがあったら細部には気を付けて、
軍手はやめておきましょう。

2014年12月17日水曜日

ラストオブ夢希望

こないだの日曜日久しぶりに〈夢希望〉に行ってきました。
安城市にあるライブハウスで、
三河に住む三十代前後の人たちにとって
“〈夢希望〉は思い出を秘めた場所”
という人は多いと思います。

ぼく自身は十七から十九歳までの間がそうでした。
その頃はパラパラとhip-hopのイベントが多かったです。
週に一度通って朝方まで遊んでいることも少なくなかった。
それが二十歳を過ぎて行く機会が少なくなり、
十年経ちこないだ店を畳むことを聞きました。

『フュージョン・スラング』というのが今回のイベント名です。
〈夢希望〉の最後を記念する意味も含まれた企画です。
出演者は三十から四十近くでぼくと同年代です。
きっと彼らも自分たちの思い出があるんだろうな、と見ていました。

音楽の演者は八組で、
それぞれが別ジャンルの音楽をやっている人たちです。
たとえば一般的な音楽イベントは同じジャンルの人たちが集まります。
ベリーダンスの発表会ではベリーダンスのみ、
hip-hopのイベントに来る客はみんなアメ車で来る、
というように同じ趣味を持った人たちが集まるのがいわゆる普通のイベントです。
しかし、今回のイベントは「焦点化しない」ということを目指している。
ハードコア、スカ、エレクトロニック、ベリーダンス、テクノという感じで、
多ジャンルの演者が集まりました。

今は音楽のジャンルが細かく枝分かれして、
聞く人は自分の個性にあった音楽を選びます。
もちろん、聞く人にとって選択肢は多いほうが良いに決まっています。
だけど選択肢が多いために自分好みのジャンルに束縛されて、
未知な領域に手が出しづらくなることもあります。
「下手に手を出して失敗してもイヤだし」
というような気持ちはぼく自身思ったりしますので。

『フュージョン・スラング』の企画者は熱い言葉でぼくにこう言いました。
選択肢が多い半面“驚きの出会い”が無くなっている気がする、
ごちゃ混ぜなところに力が生まれる、と。

イベントの最後の演者は『Self Control System』というテクノ音楽の二人組でした。
DJセットのようなデジタル機器をたくさん前に並べて、
二人がそこで機会をいじって音楽を流すという手法です。


ぼくはこういうエレクトロニックな音楽が好きですけど、
生で見ていつも思うのは、
「この人たち何してんだ?」
ということです。

だってギターやピアノやトロンボーンのように
動きを通して楽器を奏でるわけではないし、
ボーカルのように何か喋ったり歌ったりするわけでもない。
していることといったら機械の台の前に立って、
“つまみ”をひねったりたまにイヤホンを耳にあてたりしてるだけです。

これが一人ならまだいいです、そんなに疑問に思ったりしない。
その人が何をしていようがその人がいなきゃ音楽が鳴らないのだから。
だけど『Self Control System』は二人組です。
二人で何をしてるんだ?

ぼくは音楽に耳を傾けながらじっと彼らのことを観察する。
つまみをひねる。たまにイヤホンを耳にあてる。何かスイッチを押す。
足を踏んでリズムを取る。ちょっとだけギターを鳴らす。
スイッチを押す。またイヤホンを耳にあてる。

こういうことが続き今度は、
一人がもう一人の陣地に入っていて機械をひねったりしはじめた。
そしてその陣地の一人のほうは何も気にせず、
パソコンを見てリズムを取っている。

「おい、お前の仕事はどうした?取られているぞ!?」
とぼくは思った。

横槍を入れた一人はちょっとつまみをひねったりして、
パソコンを見て何かを確認したら、
再び自分の陣地に戻って行って、また足を踏んでリズムを取り始める。
陣地に入られた男のほうは何事もなかったかのように仕事に戻る。
つまり、自分でつまみをひねったりしはじめる。

バンドは楽器があって分かりやすい。
ギターが超絶だ、ドラムがパワフルだ、とか見た目でなんとなく感じる。
だけどこのデジタルな人たちは
機械を使ってつまみをひねったりするだけで聴衆者を盛り上げてしまうんです。

ついさっきまでハードコアの人たちが汗を振りまきながら、
拳を突き出して叫びまくっていました。
それがこの後、つまみをひねるだけで会場を盛り上げてしまう人たちもいるんです。

ぼくは隣にいたバンドマンの友達に聞きました。
「彼らは機械をいじってるけど、何してるの?」
「まあ、知らなくていいんじゃない?」
と笑われました。

まあいいです、知らなくても。
どうせ教わっても分からないから。
つまみで十分です。

2014年12月9日火曜日

高級カッターシャツとあられ茶

最近“演出”ということをよく考えます。
店の演出とか、自分の演出、料理の演出などなど。

ぼくはこれまで演出を軽く見てきた、
というかあんまり考えてきませんでした。
飾りは後回しで、本質を磨くこと本物であること、
飾り気を剥いでごくシンプルであることが大事だと、
こう思ってきました。

だけどこの“飾らない”というのも演出の一つになりますよね。
「ありのまま」を演出するということ。
じゃあどこからどこまでが飾りで、
どこからどこまでが素のままなのか?
そもそも境界線があるのか?
と分からなくなってきます。

こういう場面を想像してください。
あなたは名古屋の長者町繊維街を歩いている。
老舗の呉服屋もあれば潰れかけの問屋や洋服屋もある。
その中の一件が店先にカゴを出して、
プラスチック袋に入ったワイシャツを置いていた。
ダンボールの切端しに漫画で使うトゲトゲの吹き出しがあり、
マジックでこう書いてある。

「高級カッターシャツ 540円!」

高級ワイシャツにしては破格の値段です。
だけどまず気付くのはプラスチック袋が若干黄ばんでいることです。
シャツ自体も日焼けてしまってるんじゃないか? と。
このワイシャツが高級物であるのか偽物であるのかどうかよりも、
「高級」と「路上のカゴ」という組み合わせに違和感があります。
それなら「B級商品 大特価540円!」のほうが情景に合います。

ともかく、場面が進む。
繊維街を通り抜けると、歴史を感じさせる塀に囲まれた建物が現れる。
丸の内の老舗料亭〈河文〉だ。
門をくぐると打ち水をした石畳に紅葉が落ちている。
玄関の前に着くと音もなく引き戸がスーと開く。
自動ドアではない。
中で待っていた着物のお姉さんが開けてくれたのだ。
あなたは頭上を見上げて監視カメラがどこにあったのか探す。
だけどそんなものは見つからない。
着物のきれいなお姉さんは妖力かなにかを持っているのか?
そのままお香が漂う廊下を抜け、
個室へ案内されるときにはぼんやりした気分になってくる。

座椅子に座り少し経つとお茶が出てきた。
その着物のお姉さんは「あられ茶でございます」と言う。
見ると湯呑みの中には白湯にあられが浮かんでいる。
一口すすると湯気に移ったあられのなんとも言えない香ばしさ。
「なんと雅なお茶なんだろう」
と風流な気持ちになる。なりますよね?

このあられ茶がもし、
家の汚い台所でおばあちゃんが沸かしたヤカンから出てきたらどうですか?
「ちょっとおばあちゃん変なクズ入ってる!」
「何言ってんの、良いとこのあられ茶なんだから」
「え? そんなのうそだ、残ったお菓子のクズだ!」
とあなたはきっと怒るでしょう。

飾りに重心がかかりすぎると“チャラい”と言われるけど、
本物だからといって雰囲気が伴っていないと
その価値も分かってもらえず損をします。
調和が大切なんですかね。

今このブログを書きながら
温かい緑茶でみかんを食べています。
この組み合わせは冬のイメージで調和していると思う。
(よくありますよねコタツのある部屋の場面なんかで)
だけどお腹的にはこれは水分と水分で合いません。

2014年12月2日火曜日

大人だって歯医者ではみんな子供でありたい

こないだから〈黒部こども歯科〉に通っています。
ぼくの子供ではありません、
ぼくには子供はいませんから。
ぼく自身が通っています。

西幡豆の国道沿いに〈黒部こども歯科〉があります。
子供専門の歯医者があるなんて今まで知りませんでした。
はじめてこの看板を見たときは
もし自分に子供がいたらこういう歯医者に行かせたいなと思いました。
だって、この屋号からすでに滲み出ていませんか?
絶対にここの先生たちは優しくて、和やかな雰囲気だということが。
屋号だけでこんなに安心感を与えれることってありますか。

たとえば西三河の人たちは
〈デンソー〉とか〈アイシン〉という名前に安心感を抱きます。
初めての海外旅行者はきっと
〈マクドナルド〉とか〈スターバックス〉に安心感を抱きそうですよね。

しかしこれらの屋号イメージは企業の仕事から連想するもので、
“安定した品質”みたいなものが元になっています。
だけど〈黒部こども歯科〉に関しては内情も評判も一切知らない。
にも関わらず、言葉の組み合わせだけで安心感がある。
こどもと歯科。
「この歯医者のスタッフに悪人はいない!」と直感的に思えてしまう。
この少子化社会であえて大人マーケットを切り捨てているのです。
これに思想を感じずにいられますでしょうか。

とは言っても、まさかそこに自分が通うことになるとは。
だってぼくは30歳の大人ですからね、ルール違反じゃないか。
だけど違うんです。
ぼくはスタッフの宮本さんに紹介されたのです。
宮本さんは36歳でぼくよりも大人ですけど、こども歯科に通っています。

「大人でも時間によっては大丈夫なんだよ。
あそこの歯医者はほっとする。
和気あいあいとしててね、ぜんぜん圧迫感がないんだ」

休日の朝、ぼくはすぐに予約の電話をかけました。
「9時40分に来れますか?」
「えーと、今9時25分ですから……す、すぐですね」
「そうですね、もうすぐですけど。大丈夫ですか?」
受付の女性はなかなか押しが強そうです。
うむを言わさない態度にぼくは子供になった気分です。

つい先日は虫歯を削ってそこに詰め物を埋めて治療しました。
ドリルのかん高い音も響かず時間はものの数分です。
先生と助手は作業をしながら、のほほんと世間話をしてます。
「はい終わりましたよー。虫歯二本治しましたからね」
と言われたとき、ぼくはまだこれから治療がはじまるんだ、
と身構えていたところです。

それでぼくは思ったんですけど、
大人だって歯医者ではみんな子供でありたいんじゃないか。
大人だったら痛いことにガマンできるなんていうのが、
理不尽に思えてきました。

接骨院だってぼくは一回も行ったことありませんけど、
絶対に行きたくないです。
ポキッバキッメキッとか大人だったらそんなに骨を鳴らしても良いなんて、
受け入れがたいです。
だけどこども接骨院だったら行ってもいいかなと思えます。
こども耳鼻咽喉科とか、こども内科とか、
とりあえず医者の人たちは患者を皆こどもだと見なすのはどうでしょうか。

2014年11月25日火曜日

信玄餅の作法

信玄餅に“正しい食べ方”があるなんて、
ゆめゆめ思いもしませんでした。
これまでぼくは何の疑問を抱くこともなく、
きな粉をこぼしながら信玄餅を食べていました。

きな粉をこぼさずに食べることは不可能だ、最初からそう決めつけていたのです。
信玄餅。
小さい容器の中に団子が二個入っていて、
蓋を開けるとぱんぱんにきな粉が詰まっている土産物の定番。
ぼくは安倍川餅と同じくらい信玄餅が好きですけど、
安倍川餅に比べて信玄餅は比にならないぐらいの慎重さが求められます。

というのは、お菓子の容器の中にはきな粉が極端なほど詰められていて、
その量は蓋を開けた時点でほぼ確実に、
きな粉が周りにこぼれる原因となるからです。
蓋を開けてきな粉で周りを散らかしたとしても、
まだそこに団子は見えません。
見えるのはきな粉ばかりです。

もし信玄餅を知らない外国の人が見たら
「日本人はパウダーを爪楊枝一本で食べろと言うのかい?ファック!」
とキレるにちがいありません。

それに加えて信玄餅は黒蜜ボトルのオプション付きです。
ただでさえ表面張力で若干きな粉がオーバーフロー気味なのに、
その上黒蜜をかけろという示唆が与えられるのです。
黒蜜は無視するにはけっこうな量です。
きっと原価だって馬鹿になりません。
30%、いや40%だとぼくは睨んでいます。
そうなるともう団子だけが主役ではなくなります。

1度ぼくは容器に詰まったきな粉の上にそのまま黒蜜をかけたことがあります。
案の定、黒蜜はきな粉に浸透していかず、
スケートリンクで滑るようにきな粉の上を滑りテーブルに垂れました。
黒蜜を上からかけただけではきな粉と一緒に食べれないのです。

平均して二年に1度ぐらいは信玄餅を食べていると思いますけど、
そうすると、自分なりに食べ方のルールも出来上がってきます。
なるべく美味しく、きれいに食べたい。
そこで僕は信玄餅が二種類の工程を楽しむお菓子だと考えました。

第一に、きな粉団子。
必要以上に詰められたきな粉、
これを一個目の団子にこぼれないように乗せて口に運ぶ。
普通のきな粉団子に比べて多くのきな粉を味わえます。

第二に、一つ目の団子が消えたことにより生じたスペース、
ここに黒蜜を流し入れて食べる黒蜜団子。
黒蜜で団子がひたひたに浸かる。
きな粉は水分を弾きますけど、
さすがにひたひたにした場合はきな粉もダマになってまとまります。
そこでダマになった黒蜜を救うようにすると垂れずに楽しめる。

ということでぼくは信玄餅は工程を踏む食べ物だと思っていた。
最初にきな粉、
それから黒蜜。
逆の工程は不可。
そう思っていました。こないだまで。

それがまさか、
信玄餅の正しい食べ方に風呂敷が必要だとは。
まずぼくは風呂敷があることを認識していませんでした。
信玄餅の包装材、それはただのプラスチックゴミでした。
包装材にしては幅広の包みで、
きな粉が蓋の端からこぼれないように広いだけかと思っていました。
それがまさか、
信玄餅を楽しむ第一歩がまず“風呂敷を広げる”ことだとは。

本質や中身ばかりに目を向けて、
それを包括する全体像に気付かない。
木を見て森を見ず、という状態にぼくはいたのです。
まさか信玄餅に自分の視点の狭さを突きつけられるとは。
悔しい。


2014年11月17日月曜日

ソーセージ・フェス

今までこんなに濃い顔のウーファーたちが集まったことはないです。
先週までうちにはアメリカ人のダラスが一人と、
フランス人が二人、
そしてぼくを合わせると男四人です。

男たちばかりで集まった会はアメリカで
“ソーセージ・フェス”と呼ばれるらしいです。
たとえば飲み会などで男たちばかり集まると
「おいこれじゃソーセージ・フェスじゃないか、誰か女を呼べよ!」
というふうに使われます。

で、うちの話しなんですけど、
いくら一軒家だからといって、
大人の男性が四人も集まるとこれまでに無い密度を感じます。
今まではだいたい三人の宿泊ゲストがいても、
その中にはいつも女性が混じっていました。

ダラスは前回ブログで書きましたけど、
おしゃべり好きで働かないカッコつけ屋の大学生です。
朝は遅刻してでも髪の毛を櫛でといて、
ぴっちりとワックスで横分けにするような男です。

フランス人の一人であるトーマスは一週間だけの滞在です。
三五歳の彼はボルドーで料理人をしています。
冬の間レストランが休みになるのを利用して日本旅行にきました。
ぼくがフランス人はみんなペシミスティックなのか?と聞くと、
「パリではそうかもしれないけど、
ボルドーではそんなことないね!」
と滑り台のような形をしたフランス特有の高い鼻の彼は陽気に言いました。

もう一人はフロリアンという名前のマリ系フランス人です。
ところでフランスの黒人を見るといつも、
アメリカ人のイカつくて大雑把さなのとは別物の、
気を配れる繊細なイメージがあります。

フロリアンもトーマスと同じように陽気で知的です。
彼は大学四年生で図書館にまつわる勉強をしたそうで、
こないだの9月に卒業したばかりです。
どこかの国で図書館の仕事をしようと考えているそうですけど、
まだ決めずに、
日本にいる彼女に会いに来ました。

南フランスのトゥールーズで彼は白人の彼女と同棲していて、
1年前から彼女が日本に語学教師として仕事に来ています。
彼らは8年間付き合っているのですけど、
フロリアンの愛は1℃たりとも冷めないらしく彼女のことが大好きです。
彼女は後半年もすればトゥールーズに戻る予定なのに、
フロリアンは我慢できず日本に来てしまいました。

彼にフランスに戻ったらもうちょっと彼女待っていなきゃねと言うと、
「そうなんだ、ほんとに寂しいよ……」
とほんとに切なく言うので、
彼らのピュアラブはホンモノだと思いました。

フロリアンとは本の話しを色々しました。
彼が一番好きな作家は村上龍だというので驚きました。
村上春樹好きのコロンビア人の次は
村上龍好きのフランス人です。
アメリカと日本のハーフであるぼくはこの二人の本を読んで、
読書が楽しいことだと知りました。
ぼくとフロリアンは『イン ザ・ミソスープ』がベストだ、
と意見が合致しました。

もう少したらカッコつけ屋のダラスが帰国し、
日本おたくのコロンビア人ピラールがお遍路巡りから帰ってきます。
フロリアンは年末までいます。
11月でウーファーの募集は打ち切っているので、
今年はもう誰も来ません。

結局今年何人来たのか計算してみると
男性が12名、女性が8名、計20名が来てくれました。
思い出すのに日記を見直さないといけませんでした。
ぼくはなるべく毎日日記を書くようにしています。
日記って書いているときは日々の当たり前のこと書いてるだけなんですけど、
いざ半年前の記録を見るとどれだけ自分が物事を忘れているのか知れます。

手帳にフレデリックが来ると書いてあって、
二週間ほど滞在したことが記してあるんですけど、
日記を見直すまで彼と何をしたかまったく思い出せませんでした。
ごめんフレディー。
君は穏やかで素朴で親切な青年だったね、日記にそうやって書いてある。

これはソーセージ・フェスの一場面です。
ぼくが作ったカレーライスを食べるときで、
フロリアンは腹が減ったと言って食パン二枚に白米を挟んで食べていました。


2014年11月11日火曜日

日本おたくのコロンビア人

日本おたくのコロンビア人であるピラールは、
この八年間でなんと十二回めの日本です。
彼女は四〇歳にしては笑顔が若く、声も元気で、
エネルギーで満ち溢れています。
大学時代にはコロンビアで建築を学び、
現在はバルセロナで空間演出デザインの仕事をしている。

美術館や博物館、ホール、デパートといった色んな場所で行われる
芸術関係のイベントの会場作りをするのが主な仕事です。
ピラールは現場で作業員に指示を出しながら、
何も無い広い空間に道と壁と扉を付ける。
そして展示物がカッコよく見えるように並べて、
来場者の劇的体験を自由に誘導する。

仕事はバルセロナにかぎらずEU圏内はどこにでも出掛ける。
基本は週休二日制だけど、
仕事が忙しすぎてひと月ふた月は休日返上で働くこともざらだそうです。
月収は3000ユーロ以上になるけど、
仕事だけの人生で終わってしまう!
ピラールはそんなの絶対に嫌だと元気な声で叫んで言いました。

ピラールはこれまでの日本旅行は休暇を取って来ていましたが、
今回の旅行では仕事を辞めてきました。
彼女の友達はみんな口を揃えて、
「辞めるのはもったいないから考え直した方がいい」と言いました。
失業大国スペインで良い仕事にありつくのは簡単ではないのです。

だけどそんな制止も積極性の塊みたいなピラールを止めることはできず、
彼女は日本で“大工修業”をはじめました。
今は週に一回、春日井市にある大工教室に通っています。
生徒数はピラールが会った人だけでも六〇人いる本格的な教室だそうです。
ここの先生は昔ヨーロッパで仕事をしていたことがあり英語が使えたので、
ピラールも安心してメールのやり取りだけで
教室に通うことを決めることができたと言いました。

ピラールはMy鉋、My鑿、My鋸といった、
My大工道具コレクションを専用のバッグに入れて
スペインから持ってきています。
彼女に頼まれてぼくは鉋の替刃と研石をAmazonで注文してあげました。
バルセロナで買うよりも半値以下だと喜びました。

彼女は自分のことを“日本おたく”だと言います。
八年で十二回日本に来たらそりゃ日本おたくだなと思いますけど、
一緒に生活をしていると日本おたくにもほどがある、
と思いはじめるぐらい日本おたくです。

まず彼女は日本酒が大好きで、
ピラールがうちに来てから冷蔵庫に
紙パックの“鬼ころし”が入っているようになりました。
しかしそれは非常用で、
だいたい毎日四合瓶を一本空けるペースで飲む酒豪です。

次に、彼女は梅干しが大好きです。
彼女が口をもぐもぐさせているな、と思うと、
それはだいたい梅干しを食べているからです。
ピラールはいつも寝る前に、
急須に玄米茶とほぐした梅干しに水を注いだものを用意して、
翌朝その水出し茶を飲んでいます。

それから、ピラールは大の村上春樹ファンで、
スペイン語と英語に訳された本はほぼ全て読んだと言いました。
彼女は持ってきていたiPadに入っている本を順番に見せてくれましたけど、
スペイン語が多くて表紙も違うので何の本か分かりませんでした。

『1Q84』がスペインで版行されたとき、
バルセロナの大きな書店でサイン会が行われたそうです。
「私は雨の中の行列に並んだ。
ハルキムラカミは人前に出なくて根くらな人だと思ってた。
だけど違ったの!
私の番が来たとき彼は『雨の中並んで大変だったね』と
英語で声をかけてくれたわ。
それから、実はその日私の誕生日で、
自分へのお祝いとだと思って仕事を休んでサイン会に行ったの。
それを伝えたら、
ムラカミはサインと一緒に“おめでとう”って書いてくれた!」

——村上春樹のどこが好き?
ぼくはガルシア=マルケスを生んだ国の人の意見を聞きたかった。

「ムラカミは生活にとても意識的。それが文章から伝わる。
たとえば『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で
ヘルシンキの空港のことが書かれてるけど、
彼はその場所に何度も出掛けたわけではないと思う。
なのにも関わらず読んでいると、
まるで私がその場に行ったかのような情景を持たせてくれる。
そういう体験を与える作家は少ないと思うわ」

そんなピラールは一度愛知を離れて、
四国へお遍路巡りに出かけて行きました。
彼女は出かけて行くとき
「何で私こんな過酷なことをしなきゃいけないのかしら!」
と自分で立てた計画を呪っていました。

二週間後に戻ってきて、
またオーシャンの畑を手伝ってくれる予定です。


2014年11月6日木曜日

魚屋の銭食い犬

「犬がおると領収書持ってこれんだわ」
魚屋の奥さんが言いました。
西幡豆の軽トラでやってくる魚屋さんで魚を買うときにいつも困るのが、
領収書をなかなかもらえないことです。

魚屋さんはだいたい夫婦でやってきます。
共に六〇代中盤です。
商売相手の多くは近所のおじいさんおばあさんばかりで、
領収書を求めてくるような客はほとんどいません。

だからぼくは毎度「領収書もらえますか?」と言うのが、
自分がめんどくさい客のように思えて気が引けます。
しかもだいたい領収書を持っていないので
「ごめんだよ、次は持っとくでね!」
とおばあさんに言われます。

「昨日は持ってきとったけど今日は置いてきちゃったわー!」
と言われたことは何度もあります。
だいたい四、五回くださいと言って一回もらえるぐらいの割合いです。

で、ぼくが魚屋さんに通いはじめてしばらく経ちますけど、
こないだご主人が手術のためだといって入院してしまいました。
入院中、奥さんが一人で来て仕事をしているんですけど、
一ヶ月ぐらいの間領収書がもらえませんでした。

そのときに奥さんが言ったセリフがこうでした。
「犬がおると領収書持ってこれんだわ」
え、犬?
犬と領収書の組み合わせが頭の中でつながらず一瞬言葉を失いました。
それまで犬が軽トラの助手席にいることに気付きませんでしたけど、
助手席を見るとおとなしく犬が座っています。
けっこう大きな犬で、バーニーズ・マウンテンドッグだと教えてくれました。
雌で三〇キロあるそうです。

「ほら、あたしの手が魚臭いでしょ。
食べ物と間違えて紙を食べちゃうだよ。
領収書も食べちゃってビリビリにされちゃうだわ」
奥さんは続けて言いました。
「お札だってね、なんべん切れ端を銀行に持ってったか分からんよ」

領収書を食べられるうえに、お金も食べてしまうそうです。
魚屋さんはお金をプラスチックのタッパに入れて持ってきているので、
うっかりその蓋を外したまま車の中に置いておくと、
魚の匂いが染みたお札を食べてしまうそうです。

そのたびに奥さんは犬の口からお札を引っ張り出して、
ヨダレまみれの切れ端を銀行に持って行くのだと言いました。
幡豆の銀行員がその犬のヨダレで濡れてビリビリになったお札を
どうやって受け取っているのか気になります。
ちゃんと理由を聞くんですかね?

奥さんの話しはまだ終わっていませんでした。
奥さんはてきぱきとした動きで、
魚をビニール袋に詰めてお客さんに渡しながら、
ぼくが質問をする間もなく続けました。
「まーほんとに銭食い犬で困っちゃうわ。
ハンドルの修理にもなんべん行ったか分からん」

え、ハンドル?
とだけ言って、ぼくはまた言葉に詰まりました。
犬とハンドルの修理?

「ハンドルを食べちゃうだわ。
ハンドルに匂いが移るでしょ、
よくビリビリにされてね。
最近は歳くってきたで歯も弱くなってきたで、
そういうことも無くなってきたけど。
はいアジね、800円!」

とぼくは買った魚を渡されて1000円札で払うと、
奥さんはプラスチックのタッパにお札を入れておつりをくれました。
このお札が食べられてないといいですけど。

2014年10月27日月曜日

ギブミー・ア・ファック

ダラスはメキシコ系のアメリカ人で20歳、
ぼくの弟と同じ年です。
彼はアリゾナの大学で音楽プロデューサーになるために
作曲や編集を勉強しています。

背が高くてR&Bシンガーのアッシャーみたいなダラスがオーシャンに来て
三週間経ちます。
彼はウーファーの中では珍しく毎日身だしなみを整えています。
髪の毛は毎日ワックスをつけて櫛でといてぴっちりと横分けにセットしているし、
外に出る時はティアーズドロップのサングラスをかけている。
そんなのが幡豆みたいな田舎を自転車で走っていると、ことのほか目立ちます。

だけどそんな派手さとは裏腹に家にいる時は、
今までのウーファー中でも一番存在感を感じさせない同居人です。
家では息を殺してる、というか部屋から出ません。
ずっと部屋で動画を見ているか、音楽を作っているかしている。
持ってきたキーボードでパソコンにトラックの打込みをしています。

メキシコ系アメリカ人で音楽が大好きなんていったら
当然マリファナもセットで好きな若者だと思ったら違いました。
実は真面目でクリーンな若者で
「夢はアメリカで初のマリファナを吸わないメキシコ系音楽プロデューサーになりたい」
と言っていました。

彼の会話の特徴はすぐに「アメリカでは〜」「アリゾナでは〜」と、
アメリカ話しをはじめることです。
ピザの話しをしていると必ず「シカゴピザは〜」という話しでくい込んできます。
お互いのことを知らない最初のうちはいいんですけどね、
会話の糸口を掴むのには良いきっかけですから。
だけどだんだん「お前のアメリカ話しは分かったから!」と
つっこみたくなってきます。

それから彼はアメリカ人の多くがそうであるように個人主義的に、
畑仕事中にもずっと、デジカメの動画で虫を撮っていたりします。
みんなで草むしりをしているときにパッとダラスを見ると、
彼はしゃがみながらデジカメを地面に向けて、
ゆっくり動いています。
しばらく放っておくと彼はぼくのところにやってきて、
そのデジカメの動画を見せてきます。
そこには毛虫とかカタツムリとかクモがアップに映されていて
「すごくないか?こいつらアップで見るとほんと変な生き物だよ!」
と興奮しています。

それをぼく一人に見せて仕事に戻るならともかく、
畑仕事をやっている人全員に順番に見せて行きますから困ります。
「毛虫は分かった!
カタツムリも分かった!
手を動かせ!」
と言いたくなりますけど、放っておきます。
放っておいて行動で教えることにします。
おれの動きを見ろといわんばかりに、
忙しそうにせかせかと草むしりをして見せるとさすがにダラスもちょっと
仕事をやらなきゃと思うみたいで動き出します。
だけどパッと気付くと、
すぐにまた虫を動画で撮っています。

ダラスはうちに来てから毎日ぼくが教えた『進撃の巨人』を動画で見ています。
ぼくはダラスが教えてくれた『氷と炎の歌』を読んでいます。
米ドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作で、
うちに来たウーファーのほとんど全員が面白いと言っていました。
「何で日本では有名じゃないの?」と聞かれますけど、よく知りません。
ということもあってぼくは気になり
「そんなにみんなが面白いというなら読んでみよう」と思って読みはじめました。
ファンタジー小説でまだ冒頭ですけど、
名前がたくさん出てくるので最初の一巻は覚えるのに時間がかかりそうです。

ダラスは十一月末までの滞在予定なので約二ヶ月です。
ウーファーの中では長期ステイの部類です。
下の写真はダラスが薪割りをしているときに
「見てくれこの薪を」と中指を立てた薪を嬉しそうに持ってきた時のことです。
ぼくは「Give me a fack」と言って写してあげました。


2014年10月24日金曜日

個人商店の営業の極意

ぼくが育った西尾市内の実家は元々城下町で、
その歴史があるのか今でも個人商店が並んでいます。
たとえば珍しいお店では鰹節屋、お麩屋、ヘビ屋とかがあります。

鰹節屋さんには鰹節がショーケースに入っているのが外から見えます。
お麩屋さんには入ったことありませんけど、
ガラス戸越しに麩がたくさん並んでいるのが見えます。
ヘビ屋は漢方系のお店で、
ヘビにかぎらず猿の頭、白いカエル、鹿の角などが並んでいます。

バナナ屋というのもあります。
そのお店の95%は普通の住居ですけど、
玄関はガラス戸になっていて、
入ってすぐのところにバナナがザルに入って置いてあります。
ガラス戸には白いプリントで〈橋本バナナ〉と屋号が貼られています。
ぼくが小学生の頃から今に至るまで記憶にある限り、
そのバナナ屋からバナナが消えたことはありません。
同じ場所に同じザルの数だけ十数年も
バナナを品切れさせたことがないところにプロ意識を感じます。

実家のはす向かいに豆腐屋があったんですけど、
15年か20年前か忘れましたけど、
そこは店を畳んでしまいました。
店先のドラム缶のような巨大なバケツにいつもおからが満杯になっていて、
豆腐よりもおからのほうが記憶に残っています。
うちの祖母は豆腐と油揚げによくそのおからを買っていました。

この商店群の中でぼくが今でもお世話になっているのは
〈タマキ洋服店〉です。
洋服店という名称ですけどここで服を買っているわけではありません。
売るよりも直し専門です。
裁縫をしてくれるお店で、裾上げやウェストを細くしてくれたり、
破れたジーンズの補修をしてくれたりなどなど。

ぼくがはじめてこの店のお世話になったのは中学校の卒業式前でした。
当時、卒業式の“晴れ舞台”で
学生服に刺繍を入れた“刺繍ラン”の風習が残っていました。
龍とか虎や、風塵雷神や般若といった刺繍です。
こういった絵柄にかぎらずメッセージもありました。
友だちは「真理子 愛死照流」と肩に縦書きで刺繍したのを覚えています。

この〈タマキ洋服店〉は卒業式直前にはこういった“刺繍ラン”の
駆け込み注文で立て込みます。
みんなギリギリまで悩むのです。
お金が無い、親(又は先生)に怒られる、不良じゃないけど目立ちたい、
といった悩みで。
“刺繍ラン”に本気の中学生たちはだいたい年末頃から通いはじめました。
そしてそこの店主であるおじいさんと打合せをはじめます。
白髪の店主はいつも肌着・腹巻き・モモヒキで、
絵に描いたようなおじいさんです。

二月から三月頃店に行くと、
ハンガーに完成した“刺繍ラン”がたくさん並んでいました。
自分の同級生のものは分かりますけど、
他所の中学校のやつもあるので気になって見せてもらいました。
聞いてみると隣の市から制服を持ってきている人もいました。

刺繍は安い物じゃありません。
ぼくが中学生のときに作った物は三万円でした。
上着だけです。
だけどぼくのものは節約型“刺繍ラン”で、
刺繍はほとんど入れずにワッペンを貼ったものでした。
ぼくが知る中で最も高額な物は同級生の“刺繍ラン”で、
それはいわゆる長ランという足のヒザまである丈の長い学生服です。
刺繍を入れる面積が広い分、高くなります。
友達は上着だけで二〇万円かかったと言っていました。

こないだ久しぶりにジャケットの肩を詰めようと
〈タマキ洋服店〉に行ってきました。
肩と袖を詰めて1000円まけてくれて5000円です。
一週間ほどで完成したので取りに行きました。

「おにいちゃん身長いくつ?」
とおじいさんは言いました。
おじいさんはとっくに白内障で目が灰色がかっていて、
たぶんぼくのことも近所で何回も来ているのに分かっていません。
そんな見えない目でよく刺繍ができるな、と思いました。

ともかくおじいさんはぼくに
「これちょっと着てみて」
とハンガーから紺ブレザーを取ってきました。
唐突に、有無を言わせない押し出しの強さです。

(なんだ?直した人が取りに来ないから貰えるのか?)
とぼくは思いながらブレザーを羽織りました。
そこでタマキの店主は言いました。

「おにいちゃん、それ9000円。
サイズぴったりでしょ?
ジャケット直してるとき合うんじゃないかなーと思ってね
生地がいいでしょ?」

ぼくは生地を触りました。
「いいですね、生地が」
そしてぼくは「考えときます」と言って店を出ました。
みなさんも洋服のお直しがあったら行ってみてください。
〈タマキ洋服店〉良いお店です。

2014年10月14日火曜日

ビールの生樽で打っちゃいまして

いつも配達に来てくれる酒屋のシロウくんが来なくなって、
三週間が経っていました。
若いシロウくんに代わり中年男性が配達に来ました。
シロウくんは一体どうしたんだろう?
仕事辞めたのか?
それとも配達ルートが変わったのか?
僕は考えはじめました。

酒屋さんの配達は毎週水曜のお昼前にあります。
その時間ぼくは仕込みに追われていることがほとんどで、
酒屋さんもビールなどを持ってきてくれて空きビンのケースを回収したら
すぐ次の配送に向かうので会話も多くはありません。
だけどぼくは密かにシロウくんの仕事ぶりを眺めるのを楽しみにしていたので、
彼が来ないことを残念に思ってました。

シロウくんは二十代前半で、
一度見たら記憶に残りやすいビジュアルを持っています。
彼ほど鮮明に頭の中で再現できる人はいないじゃないか、
というぐらい思い出しやすいです。
普通他人の顔を頭の中で再現するのは難しいことです。
恋人にしても両親や兄妹にしても、
顔の細部を思い出すのは簡単じゃありません。

それがシロウくんの姿はなぜか簡単に再現できてしまう。
色っぽい女の人をイメージで再現できたら得した気分になりそうですけど、
シロウくんを鮮明に思い出せたところで損はしても得はありません。

まずシロウくんは顔が大きい。
大きくて丸く、坊主である。
そして目が細長くて眉毛が無い。
笑うとすきっ歯です。
はっきり言えば人相が悪いです。

しかし、
その顔の大きさに対する身長の低さ、そして身体の細さ。
暗闇でシルエットだけを見たら宇宙人と間違えそうです。
空きビンのケースを両手で持つ時は細い腕が曲がりそうで、
歩き方が内股になる。
その非力さのせいで、というかそのおかげで、
人相の悪さがひっくり返りむしろ好感が持てるのです。

シロウくんが再び姿を見せたのは三週目が過ぎた配達でした。
彼は何事も無かったように「おはよーございまーす!」と言って、
注文したビール類を置場に運んでいました。
ぼくは仕込みの手を休めて、
しばらく来なかったけど何かあったのか聞いてみました。

シロウくんは急にもじもじしはじめました。
「いやー、ちょっと、入院しちゃいまして」

——え、大丈夫!?病気でもしたの?

「いやケガなんですけど……、
しばらく歩くのも大変で。
ちょっとたまのほうをやっちゃいまして」

ぼくは最初意味をすんなり理解できず、
たまたま仕事でケガをしたのがどんなものなのかと気になり
「たまにするケガって、どんなケガなの?」
と追求しました。

「打撲系なんですけど、
片側が膨れちゃって。
歩くときの振動だけでも痛かったです」
とシロウくんは腰をちょっと引いて前屈みになり、
人相の悪い顔をさらに苦痛でゆがめて見せるので、
やっとぼくは「たま=睾丸」だということに気付きました。

「ビールの生樽で打っちゃいまして」
とシロウくんは打撲の経緯を語ってくれました。
「空になった大樽はメーカーに返す前に取手を外すんです。
樽の取手を持って底を床に叩きつけて外すんですけど、
床に変なふうに叩きつけちゃった拍子に樽が振り子みたいになって、
ほんとなら取手から樽が外れるところを、
外れずに勢いのついた樽を下半身にぶつけてしまったんです。

そのときの傷みはすぐ引きました。
次の日、配達のためにトラックに積み込みをしようと思って、
ケースを持ち上げようとしたときですけど。
ぐっと力を入れるとたまの毛細血管が切れたみたいで、
猛烈に痛くなってきました。
すぐに片方が2・5倍ぐらいの大きさまで膨れました。
それで大将に相談したら病院に行ってこいと言われて、
結局10日間休みをもらいました」

そこの酒屋の大将いわく、
酒屋組合の集まりで飲んでいてその話しを他の問屋にしたところ、
他の酒屋でも若い衆が同じケガをしたことがあるというのです。
酒屋業界ではたまに起きるたまの事故だそうです。

「ビールの生樽で打っちゃいまして」
という大きな丸顔のシロウくんと、
大きく膨らんでしまった下半身。
この、何かシンメトリーな感じがシロウくんに芸術性を帯びせていました。

2014年10月6日月曜日

シナモンと筋トレが好きなハンガリー人

ハンガリー人のマークは二週間ウーファーとして来ていました。
彼は物静かなうえに日本語がまったく喋れません。
その代わりに自分の筋肉を使ってオーシャンの畑仕事に貢献してくれました。
金髪で茶色の目をしたハンサムな彼は
アクションスターのような筋肉です。

マークは二二歳でブダペストの軍隊学校に通っており、
マーシャルアーツのトレーニングを六年間続けています。
彼の身長は185センチほどで
これぐらいの身長は田舎の幡豆町でもたまに見かけますけど、
この筋肉は幡豆町では見かけないタイプの筋肉です。

アスリートの引き締まったバネのある筋肉とは違って、
マークの筋肉はコンクリートのように固い筋肉です。
彼と二週間住んで分かったことは彼にとって、
生活は筋トレ、地球はジム、食事はタンパク質の補給、
だということです。

旅行の際、マークが絶対に持って出かける物は、
プロテインドリンク用のプラスチック製のボトルだそうです。
蓋とコップの間に網目状の中蓋があるんですけど、
たとえばプロテインの粉末に水を入れてシェイクをすると
ダマにならずに簡単に混ざり合うようになっています。

ぼくが家に帰るとマークはよくこのボトルをシェイクしていました。
ぼくは冷蔵庫からビールを取り、マークに一本勧めても彼は断ります。
「いや、これがあるからいいよ」
と穏やかなスマイルで。

彼は粉末状のプロテインは使わずに、
オリジナルのプロテインドリンクを作ります。
レシピは牛乳、卵、シナモン、以上です。
これにパンを浸せばフレンチトースト、というレシピです。
この材料をまとめてボトルに入れてシェイクして飲む。
「ナチュラルで、チープでヘルシーだよ」とマーク。
メープルシロップも入れたら美味しそうです。

休日の朝、ぼくが洗濯物を干そうと外に出ると、
マークはガレージにある玉ねぎ干場の棒に掴まり、懸垂をしていました。
また別の日に僕が台所に入ると、
うちには飲料水用のポリタンク(20ℓ)を置いているんですけど、
彼は椅子の上で背筋を伸ばして座り
それを片手で上げ下げする筋トレをしていました。

——なぜ軍隊に入ったの?とぼく。

「高校を卒業してコンピュータプログラムの専門学校に入ったんだけど、
ずっとデスクに座っていることに耐えられなかったんだ」とマーク。

——そりゃ……そうだよね。ぼくは彼の大きな身体を見ながら納得しました。

「それで親に相談したら
『軍隊に入れば生活には困らない』
と言うので軍隊学校に入ることにしたんだ。
だけど学校に入ってはじめて軍隊の給料が安いことを知ってショックをうけたよ。
月に400〜450ユーロぐらい。
ハンガリーで生活はできるけど、
貯金はできないし旅行なんてもってのほかさ」

——今回の日本旅行のお金はどうしたの?
ぼくは裕福な国とはいえない東欧からやってきた大学生の経済状況が気になった。

「今大学三年目で、日本に来る直前まぜイギリスの軍学校に一年いた。
そこで休みを利用してオックスフォードの鶏舎で三ヶ月仕事をしたんだ。
卵を回収したり、運んだり、梱包したり。
月の給料は二一万円ぐらいあった」

マークはオーシャンの滞在を終えて、
愛知県の田原へ別のステイ先に移動しました。
合計一ヶ月を日本で、
その後は香港で英語を教えるのと引き換えに宿代無料の場所で過ごし、
マレーシアでは農家の手伝い、
バリでは竹で家を造る手伝いをして、
ネパールを経由してブダペストに帰るそうです。

つまり、宿代がほとんどかからない旅行です。
現地の仕事の手伝いをしながら旅行をする人たち、
こんな幡豆の田舎にですらたくさん来るんですから、
これからも増えそうです。

マークが教えてくれたカクテルのレシピが美味しかったので教えます。
・アブソルートのバニラウォッカ
・ライムカット
・シナモンパウダー
・炭酸

この三つの香りの組み合わせオススメです。
他にスクリュードライバーにシナモンを入れたのも飲ませてくれて、
これも美味しかったです。
それにしてもマーク、よっぽどシナモンが好きなんだね。

2014年9月29日月曜日

パンツのお礼

Rちゃんはオーシャンによく来てくれる子で、
二十代後半のかわいい女の子です。
こないだ来てくれたときに僕が、
「すっかり秋風が吹いてきたねー。
十代の頃は強い秋風で女子のパンツがめくれるのが楽しみだったなー」
と感慨深げにつぶやくと、
Rちゃんはスカートがめくれた思い出話をしてくれました。

「私が高校生だった頃……」とRちゃん。

下校中コンビニに寄ろうとした時に、
強い風が吹いて、
勢いよくスカートがめくれあがったから
パンツ丸出しになったことがあって。

急いでスカートを手で押さえて
『げっ、誰かに見られてないかな』って周りを見渡したら
向かいの歩道からじーっとこっちを見てる人と目が合って。
20代前半の大工の格好をした若い男と。

ガーン見られた、くそう……と思いながら
逃げるように近くのコンビニに入ったら、
その男も後ろから付いて来て。

『何この人、気持ちわる……』って
怖くなってすぐにレジにならんだの。

『◯◯◯円になります。』って店員さんが
言ったから財布をだそうとしたら、
サッとその男が隣に来てね、
なんとね、お金を出してきて。

『え?』ってその人をみるとその人は穏やかな笑顔で
『いいよいいよ。ありがとう』って。
って、言ってないんだけど。
言ってないんだけど、
笑顔から感謝の気持ちが強く伝わってきてね。

それならってことで、
『ありがとうございます』
っておごってもらったの。
そして最後はその人
笑顔でお見送りまでしてくれたんだ。

——ふーん、何を買ってもらったの?

うーん……。
あんまり思い出せないけど
確かおにぎりとお茶ぐらいだったから、
私のパンツは数百円ってことか。

上出来だね。

——……うん、良い仕事したね。

2014年9月25日木曜日

一足しか靴を持ってこない旅行者

先週オーストリアから来ていた三人のウーフーが出て行き、
代わりにハンガリー人のマークがやってきました。

色んな人間がうちにやってくるということは
色んな人間がうちの玄関を上がってくるということで、
それは色んな人間の靴を見るということになります。

色んな人間の靴を見ていて分かったことは、
旅行者には二タイプいるんだなということです。
靴を複数持ってくる人間と、
靴を一足しか持ってこない人間です。

みなさんはどうでしょうか。
旅行に行く際に靴は何足持って出かけるんでしょうか。
僕は二足が多いです。
一足は移動用の歩きやすい靴で、
いつもニューバランスの靴擦れしにくいスニーカーを履いて行きます。
もう一足は部屋履き用のビーチサンダルです。
薄いので荷物でかさ張らないところが良いです。

こないだうちに来たオーストリア人たちの三人グループは
平均して一人三足以上持って来てました。
これはとある日の玄関の光景です。



コンバース、H&M、ナイキ、ディーゼル、キーンなどなど。
もう手前の入ってすぐの場所しか空いていないので、
家に上がるためには大股で跨がなければいけません。
これだけ靴があると邪魔です。
だけど邪魔は邪魔ですけど、
靴を一足しか持ってこないウーフーに比べると彼らは、
玄関がごちゃごちゃになるぐらいの迷惑しかかけません。

靴を一足しか持ってこないウーフー。
おい君たち、
とぼくはここで言っておきたいと思います。
一足しか持ってこないのは構わないけど、
人の靴を勝手に履くんじゃない!

ここ最近来たウーフーの中で靴を一足しか持ってこなかったのは三人います。
スペイン人のホセと、
ドイツ人のレアと、
香港系アメリカ人のインです。
今年の春から九月までで十一人うちに来ているので、
約三割が靴を一足しか持ってこないという確率になっています。

スペイン人のホセ。
彼はきれいな白いスニーカーを履いてうちにやって来ました。
底が薄くて先が尖り目のイタリアっぽいスニーカーです。
彼は畑の作業靴が無いために借りたいというので、
僕はメーレルの防水スニーカーを貸してやりました。
平日は僕のスニーカーをドロドロにして畑仕事に精を出し、
休日彼は自分のきれいな白いスニーカーを履いて
名古屋へナンパに出かけていました。
全然構いません。
いいことです。
プライベートを楽しめればこそ仕事も頑張れるというものですから。
それに、ドロドロになって玄関に脱ぎ捨ててあるメーレルを見るたびに、
「ここまで使い込まれたら靴も本望かな」とも思いました。
しかしホセ、
人の靴を履いてスペインに帰るってどういうこと!?
ラテン系はお気楽な性格だというけど、
お気楽にもほどがあるぞホセ!

香港系アメリカ人のインは借りパクほどのことはしていません。
彼はナイキのマジックテープが付いたバッシュ一足で来ました。
身長の低い彼は遠くから見ても近くから見ても中学生ぐらいにしか見えません。
足のサイズも小さく、たぶん25センチぐらいでしょうか。
彼のえらいところは一足しかない靴を汚れたらマメに洗うところです。
しかしスニーカーというものは洗えば日向で干しても
約二日間はかかる代物です。
その間どうするかというと、
僕のゴム長靴とサンダルを履いていました。
僕がそれに気付くのはいつも仕事中の時です。
インがそばを通ったときに違和感があって足下を見ると
それが僕の靴でした。
「それおれの靴じゃん!」と言いかけましたけど、
ピザも焼いてるし、靴ぐらいでグダグダ言うのもなと思い黙りました。
それに、
小さな彼がゴム長靴を履くとまるで釣りに行くみたいに膝上サイズになり、
ぶかぶかのサンダルは脱げないように足を引きずって歩くことになっていたので、
むしろ気持ち的には「見守ってあげたい」そんなものが湧いてきました。

ドイツ人のレア。
ドイツ人は一貫した性格を持っていると言うけど、
彼女はほんとにその通り一貫した行動を取りました。
頑なに、徹底的に、鉄の意思で自分の靴を履き替えることもなく、
履き潰しました。
それだけ頑固な人種にはやっぱりベンツみたいに丈夫な車じゃなきゃ“もたない”か、
というのが感想です。
だけど当然スニーカーはベンツみたいに丈夫じゃありません。
彼女のスニーカーは黒色で、一部に合皮を使ったものでした。
底は薄くて軽そうなスニーカーです。
レアがオーシャンに来た当時靴は健康そのものでした。
合皮には艶があり、黒い布地の部分には張りがありました。
一ヶ月ほど経つと艶は失われて、布地はたるんできました。

ある日僕は玄関先に黒いゴミクズを見つけました。
ウーフーたちは毎日畑から泥も持ち帰ってくるので、
掃き掃除は定期的にしなければいけません。
その黒いゴミクズ、最初は気にも止めませんでした。
だけどその日を境に黒いゴミクズを玄関周辺で頻繁に見るようになったのです。

玄関扉を開いて靴を脱ごうとすると、
足下にその黒いゴミクズが落ちています。
親指大ほどの大きさで「、」のような形で土間に落ちています。
僕は何か考え事をしながら帰宅して
その黒いコンマのような形のゴミクズを見つけると、
ほんとに考え事にもコンマを打たれたような効果がありました。
「ビールを飲んでからシャワーを浴びよう」が、
「ビールを飲んでから、シャワーを浴びよう」に変わるのです。
一瞬、間を、空けられるのです。
「何だこのゴミ?」
一瞬の効果なので、僕はすぐにいつも通りの自分のルーティーンに立ち戻ります。
ビールを飲んでシャワーを浴びる。

しばらく無視してたんですけど、
そんな一瞬の効果も何度か続くといい加減に正体を突き止めたくなります。
いつものように夜九時過ぎに帰宅すると、その日も黒いコンマを見つけました。
僕はしゃがんでその黒い物体を間近で見ることにしました。
黒いゴミクズには泥や砂が付着しています。
その横を見るとレアの黒いスニーカーがありました。
いや、もう黒とは言えません。
泥と砂が何層にもなって乾燥して、
イスラム圏の土壁の家みたいに黄土色がかっています。
その泥と砂の隙間にわずかに残った黒い合皮が見えます。
ひらひらと剥がれている部分、
千切れた部分、
下地が出ちゃってる部分があります。
その黒いコンマは、スニーカーから剥がれた黒い合皮でした。

僕は生まれてこのかた、
スニーカーのパーツがこれほど削り取られて履き潰されるのを
見たことがありませんでした。
無慈悲なるドイツ人、
黒いゴムの切れ端とその横に並んだスニーカーを交互に見てそう思いました。

それからまた一ヶ月ほど経ち
帰国数日前にそのスニーカーは寿命を迎えました。
僕から言わせるとよくぞそこまで耐えたスニーカーよ、です。
靴の先端は穴が開き、
ソールは剥がれて歩行すらままならない状態になりました。
僕の仕事中にレアが現れてこう言いました。
「ごめんなさいイッシン、サンダルちょっと貸してくれる?」
彼女は僕のビーチサンダルを履いていました。
僕は「あげるから履いていていいよ」と言いました。
レアは「そんなの悪いからいいわ、貸してくれるだけでいいの」と言いました。
彼女は遠慮するので僕は「まあどっちでもいいよ」と言いました。

「ちょっとの間借りるわね。ありがとう!」と。
どっちにしろ僕には分かってました、
その後彼女が僕のビーチサンダルを履いてドイツに帰ると。
もちろん彼女はそうしましたし。

2014年9月16日火曜日

ああジュリア、言葉少ななジュリア

しばらくウーフーについて書いていませんでしたけど、
ドイツ人のレアが三週間ほど前に出て行きました。
その後にイタリア人のジュリアと、
オーストリア人の三人グループが来ました。

ジュリアは元々チェンジョという小さな街にいて、
四ヶ月前に日本に来てから、
京都の大学で鳥の研究をしているそうです。
彼女はたった数ヶ月で日本語を覚えて、
なに不自由無くコミュニケーションが取れました。

だけど彼女は一週間だけの滞在で、
何で鳥を勉強しようと思ったのかとか、
どうしたらそんな短期間で日本語を使えるようになったのかとか、
聞こうと思ったことを聞く間もなく去っていってしまいました。

僕とウーフーたちの会話の時間は主に朝食の席と晩の遅い時間です。
真夏時の畑仕事は遅くとも七時頃には開始するので、
だいたい彼らは六時頃に起きはじめて
六時半には自転車で畑に向かって行きます。
うちから畑までは自転車で十分ほどです。

というものの、ほんとんどのウーフーたちに当てはまるのは、
彼らが朝食よりは睡眠を選ぶことです。
彼らは時間ギリギリに起き出してすぐに顔を洗い、ハミガキをして、
「イッテキマース」と急いで家を出て行きます。
僕は台所で朝食をとりながら「行ってらっしゃーい」と送り出します。

昼にウーフーたちは畑から店にまかないを食べにきます。
だけどお昼時、僕は仕事真っただ中なので
挨拶を交わすていどで、
彼らはまた午後の仕事に戻り夕方の五時頃には帰宅します。

僕が仕事を終えて帰宅するのは夜の十時前後で、
このときだいたい彼らは寝床につくところか、
あるいはもう消灯しているので、
一日まるで言葉を交わさないことが普通です。

稀に彼らが朝食に早く起きて来たりとか、
晩にコンビニで買ってきた酒を飲んでいたりするのに遭遇したときに、
僕らは台所でコミュニケーションをとることができます。

ジュリアに関してはそういう遭遇が一度も無く、
職場でも忙しくて挨拶できるていどでした。
彼女は背が僕よりも高く170センチ以上あり、
足は僕のヘソの辺にあるんじゃないかというぐらい足が長かったです。
髪の毛は灰色がかったヘーゼルナッツのような色で、
しっかりと相手を見つめて言葉を交わすところに意思の強さを感じます。
だけどどうやら彼女は奥手らしく、
家では静かに部屋に籠っていました。

ジュリアのいる間、
香港系アメリカ人のインも二ヶ月弱の滞在でまだうちにいました。
ただ彼は完全なオタクで、
部屋でPSヴィータのゲームをやっているか、
家にAmazonから毎日届く漫画の整理をしているかのどっちかです。
オクテとオタク二人の滞在時期、うちはとても静かでした。

先週からウィーン大学の日本語学部に通う三人の
オーストリア人グループがやってきました。
彼らは控えめでありながら社交的なほうで、
日本人っぽいところがあります。

しばらくブログを書いていなかったので、
自分の文章によそよそしさを感じます。
毎日書いていると考えもせずスラスラ書けるんですけど、
運動をせずに体が固くなるのと同じ状態かもしれません。

僕は先月から毎朝魚屋さんに通ってます。
今日は太刀魚とヒラメとヤリイカを買いました。

2014年9月3日水曜日

ブログに取り憑かれた男

「彼女の体からはシャワーと共に流されてしまった何かがあった」

閉店間近にK氏がそうつぶやいた。
夜の九時前、外は雨がしとしと降っていました。
K氏はダークラムのレモンハートをロックで飲み、
僕は皿を洗っていました。

K氏はデリヘル嬢について語りはじめました。
「終わりまで行く必要があった」とK氏。
どんな物語にもエンディングがあるように、
自分の行いにピリオドを打つ必要があった。

K氏が岡崎市のデリヘル店〔ラブ&ジョイ〕の
Aちゃんのブログを読みはじめたのは半年ほど前からでした。
彼女のブログは読者ランキングの上位に入っていて見つけたそうです。
デリヘル嬢の生活への興味心から読みはじめたのだけど、
投稿を読むにつれて益々彼女のことが気になっていき、
とうとう毎日読むのが習慣になってしまったと言うのです。

——何がそんなに魅力的だったんですか?
官能小説みたいに欲情するとか?

「そうじゃない、ぜんぜん違う!」K氏にちょっと力が入りました。
「そういう性的な興奮とかじゃないんだ。
彼女の人柄というのか性格というのか、
文章に自己分析もある、お客さんへの気遣いも伝わってくる。
とにかく純粋に仕事に向かい合ってるんだ。
何でこんな素直な子が風俗嬢をやっているんだ?とおれは疑問に思ったよ。
蔑んでいるわけじゃなく、普通に疑問に思ったんだ。
どうしてこんなに仕事に献身的なんだろう、ってね。
Aちゃんのブログからは意欲が伝わってくるんだ」

——すごいですね、デリヘル嬢の日常のブログから
そこまで感じとることができるのが。

「ブログを読んでると『がんばれ、Aちゃん』って応援したくなるんだ。
それで半年間欠かさず、おれは彼女のブログを読み続けたよ」

——欲情はしないけど応援をしたくなる、
AKBのファンみたいですね。
その間彼女を指名しようという気持ちにはならなかったんですか?

「それが一度も思わなかったんだ」
そう言ってK氏はレモンハートを飲み干した。
話題はともかく、仕種だけはキマっています。

その日僕は店を閉めて帰宅してからも、
そこまで男に好印象を与えるデリヘル嬢Aちゃんのことが気になって
仕方がありませんでした。
僕はすぐK氏から教わった通り、
パソコンから風俗情報サイトのヘブンネットを開き、
Aちゃんのブログを検索してみました。

すぐに見つかりました。
名前で検索するとトップに出て来ました。
22歳のAちゃん。
人気デリヘル嬢です。
一番最近の更新は、今僕がこのブログを書いているのが一日の午後五時ですけど、
つい二時間前に「おはよーございます★」という
お目覚め投稿があったばかりです。
彼女はこれから出勤のようです。

プロフィールを見るとあられもない下着姿の彼女がにっこり微笑み、
色んなポーズの写真が並んでいます。
出勤時間が16時から3時と書いてあり、
スリーサイズや得意技などが表記されている。

早速僕は彼女の過去の投稿記事を読みはじめました。
スクロールしていくと驚くのがそのマメさです。
毎日欠かさず十数件もの投稿があります。
その内容は過激かつかわいくそして謙虚です。
僕も読んでいてついつい気付かぬうちに数十分過ぎていて、
いつのまにか彼女に好印象を持っていました。
例えば彼女の投稿はこういう感じです。

「A今から帰宅しまーす♥
送迎なう♥
今日ははじめてさんに出会えてとってもハッピー♥」

初めてのお客さんのことをはじめてさんと言うそうです。
忙しい日はこんな喜びのコメントが一日に数件あったりする。
常連さんへの感謝のコメントもぬかりがなければ、
たまに来るお客さんへも感謝の気持ちを綴られている。

「いつぶり?ってぐらいの久しぶり具合だったね笑。
Kシティーホテル久しぶり過ぎてびっくりw
今日はAがせめまくった♥
お昼からフットサルってゆってたけど
まだ起きてるかなー?♥笑
早く寝ないと昼暑くて倒れちゃうよ?笑
大丈夫?m(__)m笑
ありがとうございました」

と、このタイムリーな(きっとホテルから出てすぐ)
気遣いと感謝の念をちゃんと言葉にするAちゃんの気の回しように
思わずぐっときます。

さらにブログを読みすすめると、
休日にも関わらずAちゃんは自分の宣伝に余念が無く、
セクシーな自分撮りをして写真をアップしている。

そしてだめ押しは、休日に家族とプールにお出かけをして、
“ちびっこ”二人と母親とはしゃいでいる様子が
アップされている。
どうやらAちゃんには子供がいるようです。

この仕事への献身と無邪気な私生活のバランス。
きっとK氏はこれに胸を突かれて半年もブログを追ってしまったのでしょう。
K氏は「終わりまで行く必要があった」と言いました。

——終わりって、やっぱり電話することにしたんですね?

K氏はこくりと頷いた。
「ここまで来て会わずにいたら、
今まで積み重ねてきた感情とか思いが全て無駄になってしまうと思ったんだ。
もしここで会わなかったら
いつか思い返したときに必ず後悔するぞ、とね。
安城のスターライトホテルでおれは彼女を待っていた。
部屋で待っていても性的な興奮はまるで湧いてこなかった。
もちろんドキドキはしたさ、
それにこっちだけが一方的に相手を想像していてることに変な気持ちもあった。
部屋のベルリングが鳴って、
扉を開けた。

“……そりゃそうだよな”

彼女を見た瞬間おれの中にあった謎がすべて解けた気がした。
“そりゃそうだよな”
一目見た瞬間そう頭に浮かんだよ。
何がっていうと難しいけど、
彼女がただの純粋無垢な相手だなんて思ってなかった。
思ってなかったのに、そう思わせるものがあった。
おれはイメージで勝手に妄想を膨らませていた。
だから生身の彼女に会って確認する必要があった。
彼女と会話をはじめて、
酸いも甘いも通り越したスれた言葉使いから
その並大抵ではない経験がひしひしと感じられた。
朝昼晩と何度浴びた分からないシャワーの回数、
Aちゃんのカサついた肌がそれを物語っていた。
だけどそれは表面的なことで、
もっと深いところで、
彼女の体からはシャワーと共に流されてしまった何かがあった。
おれはそう感じたね」

——何か、って何なんですかね?
本当の自分とか?

「ちがう、いや、そう、うーん。
一言では言えない、複雑な感覚だな」

——それでその後は、Aちゃんに仕事をしてもらったんですよね?

「……」

——ねえ、Kさん?

「……」

サーーー(しとしと降る雨の音)。

2014年8月23日土曜日

軽トラの魚屋

「朝の6時から7時ぐらいに魚屋さんが軽トラで走ってくるんだけど、
うちの前で穫れたての魚が買えるんだよね」

——港町ってこんなシステムがあるのか?
と、僕は幡豆に引っ越してきたときにはじめて知りました。

地物の魚貝が新鮮で、かつお値打ちに買える。
これぞ港町の醍醐味だ!と思いました。
だけどそんな話しを聞いたのはかれこれ一年も前です。
幡豆に来て一年が過ぎましたけど、
これまでその魚屋さんを利用することは一度もありませんでした。

こんな早朝に魚を買うような習慣が僕には無かったのです。
魚貝料理を出す店は市場通いをすると思いますけど、
オーシャンは野菜中心なので早朝の仕入れは畑での収穫と、
近くの農家さんが収穫してきた野菜を夕方見に行くという感じです。

仕事を抜きにして個人的にも、
朝起きて「フワーワ(あくび)よし朝食の前に昼飯の魚を買いにいこう」なんて思ったことはありません。
ご飯時の前に「今日は魚が食べたいな、スーパーに見に行こう」とか、
「魚屋さんに行ってみよう(一日営業している)」とか、
開店時間と閉店時間がはっきりしてるお店に行くのが普通でした。

ところがこの幡豆の軽トラの魚屋さんは、
開店時間も閉店時間もはっきりしていません。
「6時から7時の間に港の通りのどこかに停まってる」
時間だけでなく、場所もはっきりしていません。

その港の前に住むスタッフに聞くと、
「魚だよ〜、魚だよ〜」
という合図があるそうです。
しかもこれ、カセットでもなければ拡声器を使うわけでもなく、
肉声なのです。
たまに「魚だよ〜、魚だよ〜」の間に「あら佐藤さんおはよう!」と同じテンションで挨拶が交わされるそうです。

しかし僕の家からこの港までは車で五分ほどの距離にあり、
遠くはないですけどこの呼声が届くほど近くもありません。

そもそも買い物と言えば、売り手が買い手の都合に合わせる、
というのが現代社会の一般的な考え方です。僕は意識せずそういうふうに考えてます。
だけどこの魚屋さんは上客を選ぶわけではないにしても、
買い手が歩み寄らなければ買うのが困難なシステムです。

まだしも休日は水曜と日曜で決まっています。
場所は港の通りの300メートル圏内のどこかという感じなので、
探すのは難しくありません。
問題は時間です。

6時から7時の間に来る。
ということはもしかしたら6時に行っても早いし、
だからといって7時では良い魚は売れちゃってるかもしれないし、
片付けてもう帰ちゃってるかもしれない。

僕が先日魚を買うと決心した日、
6時に起きてすぐ家を出ました。
港の通りには誰もいません。
トンビが数羽、脇道から海面をにらんで魚を捕獲しようとしてるぐらいでした。
まだ来ていないのか?
それとも今日は来ないのか?
分かりません。

少し待ってみようかなとも思いましたけど、
現代的買い手都合主義が身に染み付いている僕には
来るのか来ないのか分からない人を待っていることができませんでした。
だけど「魚を買う」と決めた以上諦めたくもありません。

そこで一度職場に行くことにしました。
薪割りをしてから戻ってみよう、と。
余談ですが、これが僕に新しい発見をもたらせてくれました。
「薪割りは早朝にかぎる」
夏の間、夕方の涼しくなってきた頃に薪割りをするようにしていましたけど、
早朝の涼しさにはかないません。
涼しい時間にする仕事がどれだけはかどるものなのか、
僕は快適な気持ちで薪をスパスパ割って知ることができました。
それ以来起きてすぐ6時頃に薪割りをして、
一度家に戻ってシャワーを浴びて休憩してから出勤するようになりました。
職場と家が近いとこういうことができます。

薪割りをしてだいたい30分して戻ると、
港の通りになにやら人だかりができてます。
おばあさんやおじいさんの密集です。
その密集が軽トラを囲んでいます。
来た!これだ!僕は車のハンドルを叩きました。
幡豆に来て一年。
こっちが買いたい、あっちが売りたい、
ついにその心が一つになった運命的状態で出会うことができました。

買い手至上主義では愛は生まれないのです。
僕はこの魚屋の夫婦か知りませんけど二人になにやら愛を感じてきました。
相互の歩み寄り。
買い手が階段を一歩下り、売り手が階段を一歩上がる。
そこでシェイクハンド。
ナイストゥーミーチュー、このハマチ、ハウマッチ?
※ハマチは売ってませんでした。

早速魚を物色しました。
木箱に入った鮮魚はトラックから降ろされて道に並んでいます。
車で買いに来ている人もいますけど、
ほとんどは近所から歩いて来ているようです。
僕以外に8人いましたが、皆年配の方々でした。

座布団ぐらいの大きさの木箱が7、8個。
そこに魚、海老、イカ、蟹があります。
「一山いくら」という感じで、
値段を書いたダンボールの切れ端が山の上に置いてあります。

「これ半分ちょうだい」と言うと、
魚屋の奥さんが一山の半分をビニール袋に入れてくれます。
半山買いという買い方もあるようです。
時間はすでに7時前で僕が見ているうちに皆はさっさと買っていきます。

どれにしよう?なんて躊躇しているうちに、
「あたしこれもらってくわ。あたしにはエビちょうだい。こっちわコチをもらっていこう」
とどんどん売れていきます。
こういうとき人は売れたものが欲しくなります。
そして次に「売れる前に買わなきゃ!」
という心理になります。

残すはおばあさんが二人と僕になりました。
僕はまず“ざるえび”を選びました。
揚げたいんですけど、と言うと、
「こうやって頭を取って手を残して、
殻も取って、尻尾はこの尖ってるのだけ取る。
全部取っちゃうと身が無くなっちゃうから」
と教えてくれました。

隣でおばあさんが
「あたし手も味噌も全部取っちゃう」
と言うと、
「味噌が美味しいのよ」
というやり取りがはじまりました。

僕は次に主人の方に言って“アカイカ”をもらいました。
今度はイカのさばき方を教えてもらいました。
九百円ずつでビニール袋一杯です。

先週からピッツェリアではランチセットをはじめましたけど、
この地物の海産物を使っていこうと思ってます。
ちなみに今朝はタコを二杯千円で買ってきました。


2014年8月11日月曜日

鼻をほじってください

レアが戻ってきました。
彼女はオーシャンに一ヶ月滞在して、
伊勢、奈良、京都を観光した後に、
神戸の農園でウーフをしていました。

「そこの農園は“Horrible!!”」だったと
レアは思い出すのも嫌だといったふうに言いました。
何がそんなにひどかったの?僕は聞きました。
「農園主は唖だったの。彼が優しい人だってことはその温かい眼差しからすぐに伝わったわ。
だけどそのワイフが“Evil”だったの!」

つまりそこの奥さんは伝統的な日本の習慣を守っている家だったのです。
少し前にレアのことをブログで書きましたけど、
現代ヨーロッパの女子大生レアと
日本の伝統的な習慣のある家において、
お互いは絶対にぶつかり合うS極N極なのです。

貞節、清楚、奥ゆかしさ、男尊女卑。
その全てでレアは真逆にあります。
下ネタ好き、ブラジャーを平気で風呂場に放っておく。
心の奥に秘めたる強さというよりは間違いだと思ったら徹底的に議論する。
皿洗いなどの家事も男女平等ですること。
これで旧日本式の家で対立せずに生活できるほうがおかしいのかもしれません。

とにかくレアが戻ってきました。
「鼻をほじってください」
と油性マジックで手書きされたリュックを背負って。
何で鼻をほじってくださいなのかと聞いたら、
日本語の勉強をしているときに一番ウケた言葉だったからと言いました。
どんな勉強をしたらそんな文脈が出てくるんだろう。

彼女は合計で五ヶ月日本に滞在して(残り十日ほど)、
ベルリンの大学生活に戻ります。
大学院まで生物学をみっちり勉強したいという彼女は
ドイツに一回戻って交換留学でまた日本に来る方法を考えるそうです。

日本の何がそんなに好きなの?と聞きました。行く先々ですぐもめるのに。
「日本人はドイツみたいにすぐケンカしないところが好き」と彼女は言いました。

ドイツでは例えば皿洗い一つでケンカになる、とレアは言いました。
「使った食器は自分で洗う」というルールがあったとしても、
「おれは洗わない」と宣言する人が出てくる。
「規則は守らなければいけない」と言っても
「洗うにしても自分のタイミングで洗う」と反論される。そしてケンカになる。

僕が、ドイツ人は規則に従うのが国民性だと思っていた、と言うと、
「自分の規則になっていないことには一切従わないわ。
だけど日本ではみんなこう言うの
『私が代わりに洗っといてあげる』
そういう優しさって素晴らしいわ!」

日本のテレビでは美味しそうな料理がたくさん出てきたり、
お笑い番組が多い。
だけどドイツでテレビを点ければどの番組でも激しい議論を戦わせてるの。
私は平和なほうが好き」

こないだレアは薬局でブリーチ剤を買ってきて、
髪の毛を金髪に脱色しました。
一ヶ月前にうちにいたときは「色が抜けてきた」と言って、
焦茶色に染めていたのに、
それが今回は脱色で金髪です。

レアの地毛は真っ金髪です。
それが嫌で三年間濃い色に染めていたのです。
だけど、すぐに髪の毛が伸びてきて、
金髪の根元を美容院で染めてもらうのはお金もかかるし
(プリン逆バージョン)、
手間がかかるからもういじるのはやめようと心変わりしたのです。
ドイツではカットと色染めで70ユーロぐらい。
日本の相場と同じぐらいですかね。

それなら今の茶色も勝手に落ちるまで放っておけば
手間がかからないんじゃないかな、
と僕は思ったですけど、
女性にとって髪の毛は大事な問題ですからね。
首を突っ込むことはしませんでした。

写真はレアが脱色する前の物です。
「鼻をほじってください」のリュックを背負って戻ってきたレア。


2014年8月4日月曜日

ゴザの上のコース料理

フランス人カップルのピエールとサビンは
日本に来て三ヶ月目です。
日本の生活にもだいぶ慣れたようで、
箸もうまく使います。

オーシャンに来る前は広島の農園にいたり、
九州の缶詰工場で働いたと言っていました。
彼らは共にパリでITエンジニアの仕事をしています。
会社に六年在籍すると、
六ヶ月か十一ヶ月どちらかの期間の休暇を取れ、
彼らは六ヶ月の休暇を選びました。

なぜ十一ヶ月ではないのかと聞くと、
休暇中は給料がもらえないから、
半年以上仕事をしないと生活が苦しくなると言いました。
僕なら一ヶ月給料がもらえなかっただけで生活が破綻しそうなので、
半年の休暇でもすごいと思っちゃいますけど。

サビンはパリでマンションを買ってそのローンがまだ残っている、とピエールが言いました。
ピエールはそのマンションでサビンと一緒に住んでいるんですけど、
結婚はしてないです。
フランス、イタリア、スペインといったカトリック教の国は離婚するのに十年二十年単位の時間がかかって、
裁判費用もうん百万円かかるから、
それが嫌でみんな結婚しないそうです。

オーシャンでウーフーをやっているスペイン人のホセは
別れた彼女との間に五歳の子供がいます。
だけど彼も結婚はせずに、
前の恋人とはただ「愛が終わった」のだと言っていました。
その場合子供はどうやって育てるんだ?
チャンスがあったら聞いてみます。

ピエールとサビンは五日間だけオーシャンに滞在して、
その後はニセコに向かいます。
この季節は田んぼの草取りという仕事があり、
労働力は多ければ多いほど良い、という状況なので、
ウーフーは短期でもウェルカムなのです。

「日本に来て困ったことは」と聞くと、
ピエールは「花火大会のときにフランス料理をコースで作ってしまったことだ」と言いました。

広島の小さな農園で働いているとき、
そこを経営する夫妻がフランス料理を作ってほしいと二人にお願いした。
ピエールとサビンは引き受けて、半日仕事の休みをもらい、
買い物をして夕暮れまで時間をかけて豪華な食事を作った。

鳥の冷たいスープ、
夏野菜のサラダ、
ビーフシチュー、
米とたまごと砂糖を使ったデザート。
これをコースで、順番に出す用意をした。

料理の準備が整ったことをピエールが伝えるとき、
主人は庭に敷いたゴザの上で、
ビールを何缶かすでに空にしているところでした。

「どこで食べますか?」とピエールが聞くと、
「ここで花火を見ながら食べよう」と主人は上機嫌になっている。
ピエールもサビンも外で、しかもピクニックのように食べるなんて考えてもいなかったので、
「どうしよう?どういうふうに料理を出そう?」と困りました。

だけど結局、最初の予定通りコースで出すことにしました。
庭のゴザの上には主人(黒くて頑健)と奥さん(優しい目)とその息子(三十代で堕落気味)がおり、
ピエールとサビン合わせて五人分の料理です。

まずカトラリーの用意です。
ナプキンが無かったので代わりにキッチンペーパーを使い、
フォークとスプーン、ナイフをくるんだものを五セット。
それから水とグラスのセット。
これらをゴザの上に並べました。
もうすぐ日が落ちて花火が上がりそうな時間でした。
奥さんが「何かお手伝いしましょうか」と言いましたけど、
二人はサービスに徹するつもりで「気にせず座っていてください」と言いました。

最初の一品にはサラダを出しました。
二人も腰を下ろし食べ始めました。
主人はこのとき日本酒を飲んでおり、
ピエールとサビンにもお猪口を渡し注ぎました。

サラダに少し手を付けてから、
今度はフランスパンをスライスしたものとバターの用意で台所の往復です。
続いてスープ。スープボウルが無かったので茶碗によそう。
その辺りで主人も奥さんもこれはコース料理だと気付いたようで、
「大変だから全部一緒にだしてくれればいいよ」と言いました。

「大丈夫」とピエールが言ってるうちに花火が上がりました。
スープを飲み、バターを塗ったパンをかじり、日本酒を飲んでピエールは思いました。
「日本酒とフランス料理は合わない」
主人はいつの間にか焼酎に変わっていたので、
その焼酎をもらうことにしました。

その間にビーフシチューを用意しました。
霜降りの肩ロースを使ったシチューです。
花火はドンドン上がり、
堕落した息子はシチューの中身を特に見もせず
口の周りを汚しながら食べて焼酎を飲んでいました。
ピエールは「焼酎とシチューも合わないな」と思ったそうです。
ショーチューとシチュー。語呂合いはいいんですけどね。

その後はデザートです。
「デザートはみんなあまり食べなかった
甘いお米というのが好みじゃなかったのかもしれない」とピエール。
うちでも作ってくれましたけど、
麦のお粥のポリッジに似ていて僕は好きでした。

花火が終わったのを合図に小太りの息子はひよいと立ち上がり、
口の周りを汚したまま一人で家に戻って行きました。

少しして主人も立ち上がり
「花火を見ながらコース料理が食べれるとは思わなかったな!」
と笑いながら家に戻りました。

ピエールは「花火を見ながら食べるならそうと言ってくれれば良かったのに。
フランスにはピクニックカルチャーがあって、
そうと分かってれば外で美味しく食べれるものを用意したのに」
と不平をこぼしました。
僕は「僕にも同じことをしてほしい」と言うと、
ピエールもサビンも満足気に笑いました。

「台所から畳マットの上にコース料理を運ぶのは一回きりでいいよ。
それに日本酒と焼酎、これは料理を選ぶ酒だね」
と結論をくだしました。

彼らは五日間滞在して、
「サヨナラ」と言って去っていきました。
僕は三個ぐらいしか知らないフランス語の一つ、
ボンボヤージュと言って見送りました。


2014年7月31日木曜日

等身大かフィギュアか

モ・ホウ・インは香港系アメリカ人のオタクです。
名刺をくれたので、すぐにフルネームで覚えることができました。
名刺にはカリフォルニア大学デービス校デザイン専攻ということが表記されて、
イン個人的なホームページのURLもあります、まだ見てませんけど。

デザイン専攻だけあって、
名刺はちょっと趣向を凝らした作りになってるんですけど、
外見からはオタクにしか見えず、
デザイナーを目指しているようには見えません。

——将来はデザイナーになりたいの?

「専攻を選ばないといけなかったから選んだだけ。
僕は日本で仕事がしたい。
アニメが好きだから」
インはほとんど完璧な日本語を使います。

僕は十代の頃テレビゲームが好きでゲームセンター通いをしており、
オタクの友達が多かったです。
インは小柄で目も髪質もスッと細くてキツネみたいで、
昔そっくりなオタクの友達がいたので彼に親近感を持ちました。

インにどんな日本のアニメが好きか聞くと、
「ワンピースだ」と教えてくれました。
だけどその後に小さな声でポツリとこう付け足しました。
「ほんとはもっと好きなアニメがあるけど……」

タイトルを言ってもみんな分からないから、
日本人ならみんなに通じるワンピースだと答えるようにしてるそうです。
僕は「それじゃほんとは何ていうアニメが好きなの?」
と詳しくもないくせに、つい追求してしまいました。

インは言いました。
『神のみぞ知るセカイ』
僕、知らない。
インは言いました。
『とある魔術の禁書目録』
僕、知らない。
イン、やっぱり、というガッカリした顔をする。
僕、やっぱり聞かなければよかった、と思う。

——ドラゴンボールは見た?

「見たけど、うーん……ドラゴンボールはちょっと古い」
そこで僕はアニメに関する話題は打切りにしました。
インがどれぐらいオタクかというと、
たぶん日本人のオタクの中に入っても上位に入るオタクだと思います。

オーシャンの最初の休日、
インはアニソンのイベントで名古屋に出かけて行きました。
僕は“アニソン”という単語をインから聞くまで知りませんでした。
アニソンとはアニメソングの略です。
インは徹夜でイベントに参加して、朝帰りしてきました。

また別の日、
インはブックオフに行きたいと言ったので
彼を車に乗せて店の前で降ろし、
僕はスーパーに買い物に行きました。
四、五〇分経って戻るとインはアニメコーナーに立って
じっと棚を見つめているところでした。
彼は集中していたので、
僕が横に立って声をかけるまで気が付かないぐらいでした。

——まだ見たいよね?

彼は嬉しそうな顔でうんと頷いたので、
僕はツタヤのほうでDVDを借りようと思い、
いつも以上に時間をかけて吟味しました。
それでも二〇分ぐらいです。
インのところに戻ると移動した形跡が見られません。
たぶん、ほとんど動いてませんでした。

——まだ見たいよね?

彼は真面目な顔でうんと頷いたので、
僕は「どう?後三〇分?一時間?」と聞きました。
インはうーん、と少し考えて、
「自分で電車で帰る」と言いました。
アニメコーナーを端から端まで
一巻ずつ全部チェックしていくつもりなんでしょうか。
インが家に帰ってきたのは十時半で、
ブックオフに到着してから六時間後でした。
彼がずっとブックオフにいたかは知らないですけど、
帰ってきた彼のリュックの中身には漫画が詰まっていました。

インは興奮気味にリュックを開いて見せてくれました。
「サンフランシスコのジャパニーズタウンなら
これ一冊で千円以上するけど、どれも三〇〇円だった」
それから美少女系のフィギュアも三体ぐらい買っていました。

オーシャンでは初めてのオタクウーフーです。
インが来て一週間ほど経ちますけど、
畑仕事が勤まるのかどうか心配になります。

畑仕事初日、インは蚊に刺されて、
“蚊アレルギー”だということが判明しました。
腕にピンポン球が埋め込まれたように膨れて、
曲げることができなくなってしまいました。

翌日、インに虫除けVAPEのリストバンドを渡して、
それからは蚊に刺されことは無くなり、
小さな体で田んぼの草取りをしています。
スペイン人のホセと共に仕事をしていますけど、
対照的な二人で変な組み合わせです。

ホセは名古屋で知り合った日本人の女の子からのメールを
いつも気にしており、
インは日本の美少女アニメのフィギュアを探し求めて、
色んな店にくり出している。

どっちもどっちで、日本に滞在している動機が不純です。
写真はインとホセが打ち解けてきた頃のものです。
最初は真逆な雰囲気にお互いイライラしてる感がありましたけど、
今は兄貴分のホセがインに教えてるといった状況です。





2014年7月22日火曜日

ドントマインドと言うとき、あなたは腹を決めてますか?

「なぜ彼女と別れたの?」とホセに聞くと、
彼は手で目を覆い、
顔をもたげて言いました。
「オーマイゴッド」

「ロンドンで付き合っていた頃、問題は何も無かったんだ。
三ヶ月だけだったけど僕らはハッピーだった。
彼女は三五歳でとてもきれいだった。
彼女が日本に戻らないといけなくなったとき、
僕はずっと彼女といたいと思ったからロンドンの住まいを引き払った。
それで彼女が借りていた神奈川のアパートに移った。
だけど一ヶ月で僕らは別れることになったよ。
日本に来てから彼女はすごく怒りっぽくなったんだ。
何がそんなに彼女を不機嫌にさせるのか分からなかったけど、
彼女は僕がすることなすこと全てに怒りを爆発させるようになった。
僕らは一緒にいるのを諦めて、家を出た。

家を出るにしても僕は日本語が喋れないから、
ほんとに途方に暮れて、どうしていいのかまったく分からなかったよ。
唯一、一人だけFacebookの友達で日本在住のペルー人の知合いがいて、
相談してみると「市役所に行ってみるといい」と言われた。
それも『私が住む西尾市の市役所はすごく助けてくれた』と言われたから、
僕は愛知県に来たんだ」

——相談のためにはるばる神奈川からここまで!?

「他に当ては何もなかったし、
帰りの飛行機はまだ一ヶ月も先で時間だけはあったからね。
とにかく希望のありそうな場所に行きたかった。
落ち着ける場所を早く見つけたかったんだ」

そうやって語るホセは少し悲しく見えました。
僕は人の心の傷みには鈍感なほうなのですけど
(だからこうやって失恋話も追求できる)、
好きな人と、安心して住める場所、
同時に二つを失ったことを想像すると
さすがにホセのことがかわいそうになってきました。

ホセがうちに来てから数日後、
僕が仕事から帰宅して台所にいるとホセが部屋から出てきました。
「どうしても暑くて、冷蔵庫のビールを飲んでしまった。
すまない、必ず明日代わりのものを買ってくる」

僕が家に帰って正直にすぐに言ってきたので、
ラテン系の男にしては律儀な性格だなと思いました。
だから「ああ、いいよ今日は暑かったからね。気にしないで」
と僕は言いました。

気にしないで。
英語で言うとドントマインドです。
これは日本人が全員知っておくべきことだと思いますけど、
外国人にドントマインドと言うとき、腹を決めて言え、ということです。
心の底から「気にするな」と思ってなければ言ってはいけません。

僕は心の底から気にするな、とは思っていませんでした。
小さい男ですけど、
ビールはおれのもんで、
人のものは勝手に飲んではいけない、と思ってました。

しかし、ホセは暑かっただろう。
それに知らない場所にいて不安もあるだろう。
日本で苦労もしているだろう。
僕はつい「ドントマインド」と言ってしまったのです。
言ってすぐ、まずいかな?と考えました。
シェアハウスはルールだ大事だから、明確な線引きが必要です。

だけど翌日ホセは言った通り、
というより言った以上にビールを二缶も買ってきました。
「どれだったか分からなかったけど買ってきて冷蔵庫に入れといたから」
僕は予想を上回るアクションを起こしてきたホセに驚いて、
「ドントマインド、ありがとう」
とまた言いました。

ビールはおれのもんだ、と思っていた自分が恥ずかしくもなりました。
彼は律儀な男で、
余計なルールなど説明する必要はなかったのだ。

翌日、僕が仕事から帰宅すると、
彼が買ってきたビールは二缶とも台所で空になっていました。
きれいさっぱり、飲み尽くされていました。
「……これって、おれに買ってきてくれたやつだよね?
で、結局自分で飲んだってこと?」

「やっぱりだ」僕はふつふつと頭に血が上ってきました。
「やっぱりこうなった!
ホセのことかわいそうだと思ってたけど、ぜんぜんかわいそうじゃない!
ドントマインドなんて、やっぱり言うんじゃなかった!」
僕は途端にまた心が狭くなりました。
シェアハウスのルールを明確にしなければならないな、
と思いました。

世界各国のユースホステルのどこに行っても、
注意書きがあらゆるところにペタペタ張ってあります。
冷蔵庫のドアに「三日以上入れっ放しのものは捨てます」とか、
流しに「使った食器は洗って、戻して!」とか、
バスルームに「自分で汚したら、自分で掃除」とか、
そういう当たり前のことがホステル中のいたる所に張ってあります。

こんな当たり前の張り紙が必要なのか?
ホステルに泊まる度に僕はそう思ってました。
そんなこと分かりそうな事だけどな、と。
だけど色んな人種がいて、ルールは明確に言葉にしないといけないのだ。
僕はユースホステルの管理人が
電化製品やドアや壁の全てに張り紙を貼りまくる気持ちが分かってきました。

今回はたまたま矛先がホセに向かいましたけど、
ウチは人種の坩堝と化しているので、
「察してほしい」という願いよりも、
言葉で伝えないといけないなと再認識しました。

2014年7月15日火曜日

干されたスペイン人

ホセ・ビセンテがうちにやって来ました。

27歳のスペイン人、ホセには日本人の彼女がいました。
いましたが、過去形となってしまいました。
二人はロンドンで出会って付合いはじめたそうです。
彼女が日本に戻ることになり、
ホセは彼女と共に神奈川県に付いて来ることにしました。

しかし日本に来てすぐ、ホセは干されました。
家から追い出されました。
何が原因かはまだ聞いてません。
彼がうちに来て日が浅いので、会話も少ないのです。
これから聞いてみようと思っています。

そして、なぜ彼が神奈川県から愛知県に移動してきたのかも
まだ知りません。
アニータから電話があったのが二週間ほど前でした。
アニータは昔からの知人で西尾市役所の外国人相談所に長く勤めています。
彼女のところにホセがやって来ました。

「日本語が喋れない、寝る場所がない、どうしていいか分からない」
という相談でした。
おまけに英語も片言です。
それにも関わらず、ホセはおしゃべりな男で、
そこにラテン系を感じさせます。

最初ホセはペルー料理のレストランに住み込みで滞在することが
決まりました。
トラブルは続くもので、
そのレストランのオーナーが急遽変わることになりました。

落ち着くまでレストランは閉店することになり、
ホセもそこで寝泊まりができなくなりました。
そこでアニータが僕に連絡をしてきたのです。
オーシャンがウーフーの受入れをしていて、
僕の家がシェアハウスになっていることを知っていたので。

「今部屋は開いていない?」とアニータから連絡があり、
その日のうちに、夜10時過ぎでしたけどアニータが
リュックを2つとスーツケースを1つ持ったホセを連れてきました。
僕はホセにシーツを二枚と枕カバーを渡して、部屋に案内しました。

翌日、ホセはオーシャンの畑仕事に出ました。
「ガーデン用のズボンとシャツを貸して欲しい」と言うので、
僕が着なくなった服を貸しました。

帰ってきたとき彼が着て行った服は泥だらけになってました。
だけど畑チームのスタッフいわく
「ウーフー至上最速の草むしりだった。
それもずっと片言の英語を喋りながら草むしりをしていた」
と言うので、僕の古着も服の道を全うしてる気がして、
彼が帰る頃には躊躇無く捨てることができそうです。

2014年7月8日火曜日

サムの浜名湖地層調査

先日、地層調査に行ってきました。

ドイツ人のレアと同じ時期にイギリスからサムという、
二十歳の大学生が来ていました(先週帰国)。
彼はイギリスではビーチリゾート地として知られるブライトンという街の
サセックス大学に通っています。

そこでサムは地理学を勉強していて、
彼が卒業論文の題材にしたいと考えたことが
浜名湖の地層調査でした。

——なぜ日本?なぜ浜名湖?僕は聞きました。

サムは大学から日本語のクラスを取りはじめて日本に興味が沸き、
どうせなら日本と地理学が両方関係する題材にしたいと思ったそうです。
1498年におきた明応地震のときに浜名湖は
それまで淡水だけだったところに海水が入り交じった歴史がある。
その前後の年代を地層から検証するために、
土を採取してイギリスに持って帰りたいとサムは言いました。

サムは僕よりも浜名湖に詳しかったです。
僕がサムに教えてあげれたことは
「うなぎパイっていう有名なお菓子があるよ」
ということぐらいでした。
浜松といえば[浜名湖サービスエリア]にしか行ったこともありません。
明応地震があった歴史すら知りませんでした。

——それにしても、どうやって五百年前の土を掘るの?

「専用の道具を持ってきたんだ」とサムは言って、
ボロボロで土に汚れたリュックを開いて見せてくれました。
鉄の棒です。
テントの骨組みのようなものが、たった4本だけです。
これで三メートルの深さの地層まで調べることができるそうです。
地層は一メートルでおよそ五百年前に遡ることができる。
つまりこの“テントの骨組みみたいな鉄の棒”で
千五百年前のことまで調べることができるのです。


このシンプルな道具からは信じられないような話しです。
僕はここにアドベンチャーを感じました。
「おれも行く」と志願して、
荷物運搬兼運転手として浜名湖の地層調査に付いて行くことにしたのです。

「ここを調べたい」
とサムが僕に紙を渡しました。


おお、サム、グレイト!
僕のアドベンチャー気分はさらに盛り上がりました。
三カ所の★印には地層調査というより、
僕には宝が埋まっている風の地図にしか見えません。
ともかくそんなきっかげがあり、
僕も地層調査見学をすることになりました。

最初の★地点には音羽蒲郡から東名高速で一時間半で到着しました。
浜名湖県立自然公園から近い、西側の沿岸です。
「どこで堆積層を含む土を見つけることができるか」
これが唯一の目的で、僕らのトレジャーハンティングです。
しかし、この堆積層を探すのがいかに大変なことなのか、
浜名湖に着いて歩き回ってから、はじめて知りました。

というのは、
アスファルトで固まっていない地面を掘ればすぐに、
数百年数千年前の土に辿り着くことができる、
という単純な話しではなかったからです。

まず、沿岸の砂浜。
砂浜は深く掘れますけど、
どこまで掘っても砂で、砂は堆積層を残さない。
それに、もしかしたら他から砂を運び込んで、
人工的に作った砂浜かもしれない。

次に湖からなるべく近い陸地帯。
今度は土が堅くて深く掘れないという問題。
トラクターなどの重機で整地してあるような場合、
土が掘り返されたりして、
堆積層が崩れてしまっていて参考にならないのです。




沿岸を諦めて、
内陸の川沿いに行くことにしました。
浜名湖沿いはずっとサイクリングロードとしてしっかり整備されているので、
どこを掘っても同じ結果になりそうだ、とサムは言いました。

たぶん、浜松市民でも来たことのある人は少ないであろうという、
奥地へ奥地へと進みました。
そして、「ここは!」と思う場所にドリルを突き刺す。



この地層調査機具、これは手動ドリルです。
まず主となるポールが二本。
一本はT字の取手が付いていて、もう一本はL字になっている。
このL字の内側に土がくっついて採取できる仕組みです。
これで一メートルの深さまで掘れる。
これに一メートルの補助棒が二本付いて、計三メートルの長さとなる。

それぞれの棒は簡単に繋ぎ合わさるようになっていて、
T字を持ち、L字の方を地面に突き立てる。
そしてここで特殊な掘り方をする、
と、僕は思ってました。

地面に突き立て、
そしてここで特殊な掘り方を……、
しなかった!
そのままぐいぐい地面にねじこむだけ。完全に力任せです。

サムが「ちょっとやってみる?」と言うのでやってみました。
自転車の空気を入れるような姿勢で取手を持ち、
下に力を入れて、左右、左右、とえぐる。
しかし頭よりちょっと低いだけのところに取手があるので、
まったく力が入らない。
息を止めて、顔が真っ赤になるほど力を入れても下がっていかない。

もうダメ、と言ってサムに返しました。
サムはその太い腕でぐいぐいねじこんだ。
懸垂をするように腕を逆にしてねじこむ。
30センチほど掘り下がる。
取手の上に全体重をかけるように前屈みになり、
顎からは汗が垂れ落ち、
腕の筋肉が風船のように膨らむ。

「ううう」とサムは唸って、止まった。
30センチ。
それより下は固くて掘り下げることができませんでした。
この川沿いもダメです。
サムが欲しいのは二から三メートル下層の土です。

不発、不発で、トボトボと車に戻っているときに、
大学で地層調査をしている女性は他にもいるのか?と聞くと、
「うーん、いない」とサムは言いました。
そうだろうな、と思いました。
この仕事は筋肉作業です。

「困った。どこを掘ったらいいんだろう」
サムは言いました。
「こんなに掘る場所が見つからないとは思わなかった」と。
つまり、自然の状態の地面が見つからない。
どこもかしこも人の手によって整地されている。

もうちょっと詳しい地図はないのか、とサムに聞きました。
彼が事前に調べてきた浜名湖のデータを。
宝の地図じゃなくて、普通の地図は、と。
「これ」と彼は言って地図を出しました。


「あるじゃん詳しい地図。何なの最初の手書きのやつ?」
とは言いませんでした。
手書きの地図で僕のテンションを上げておいて
運転手を捕まえるという演出をするには、
彼はピュアすぎる誠実な青年だと思いましたから。

この地図には過去に日本人が地層調査をしたデータが載っています。
「きっとこの調査ではエンジン付きのドリルを使っていて、
手動のものではダメかもしれない」とサムは元気を失っていました。
イギリスで地層調査をするときはこんな苦労はしなかったようです。

この後も何カ所か移動しながら
色んな場所に棒を突き刺しました。
しかし湖も川も、沿岸はどこもコンクリートで補強してあるか、
人工的に固く埋め立てられたところばかりでした。
日本ではあらゆる沿岸の工事を終えてしまったのか?
むしろ工事をしていない沿岸があるのか?
そんな、今まで考えたこともない疑問を抱きながら、ドリルを突き刺す。



昼に僕らは浜松餃子の店に入りました。
僕が助手をする代わりに彼が昼食を奢るという約束をしていたのです。
僕らは餃子を十五個ずつ食べて店を出ました。
そこでサムは言いました。
「浜名湖はギブアップする。
土を持って帰れなかったら研究も何もできない」

この後も数カ所回りましたけど、
結果は同じでした。
深く掘り下げれる場所が見つからない。

サムはしきりに僕に「興奮するような調査を見せれず申し訳ない」
と謝りました。
僕は「地層調査なんて何一つ知らないのに付いてきたけど、
僕は僕でこのプロセスを知れて十分だよ。
卒論もそんな簡単にできたら底の浅いものになっちゃうかもしれないし」
と、慰めにも笑い話にもならないようなことを言ってました。

悲観することでもないことは、
サムが同学年で一番最初に卒論をはじめた一人であることです。
提出期限は来年の九月らしいのでまだ余裕があります。
「湖周辺の地層調査」というテーマは変えたくない、
イギリス内でまた調査場所を探す、とサムは言いました。

グッドラック、サム。
浜松餃子美味しかったです、ご馳走様です。

2014年7月1日火曜日

サマータイム営業は今日から

今日から[石窯Pizzeria Ocean]の営業時間は
12時〜21時(LO20:30)に変わります。
三ヶ月限定のサマータイム営業ですので、
普段お仕事で来れなかった方も
この機会にぜひ夜の海を楽しみに来てください。

定休日は変わらず、
毎週月曜日と第二・四の火曜日が休みになります。
それから今月は7月5日(土曜)を臨時休業させて頂きます。

今月でピッツェリアはオープンから一周年です。
軌道に乗せよう、乗せよう、
と思いながら毎日仕事をしています。

僕の軌道に乗った状態は、
固定客がいるとか、毎月安定した売上げがあるとか、
そういう客足の問題ではなく、
自分の仕事が安定すれば“軌道に乗った感”が出そうだ、
と思いながらやってます。

ピザ生地の発酵具合とか、
石窯の火力調整とか、
焼き加減とか、
こういうことが自分のイメージと離れているとフラフラして、
ちょっとのことで墜落しそうになります。

作業場のことだけじゃなく、
畑のバジルやルッコラを切らさないようにもしたいです。
水やりをめんどくさがらず、
時期をずらして種を植えたりすることをして、
いつもあるようにしたい。
「今日はルッコラが無いんです」と最近よく言っているので。
暑いとルッコラはすぐ固くなって、辛くなります。
美味しいルッコラ栽培は今の課題の一つです。

バジルの前途は明るいです。
去年の冬は塩漬けバジルで乗り越えました。
色が黒ずんでしまうので、
やっぱりマルゲリータには鮮やかな緑色が必要だと思いました。

今年は温室を借りて、
秋からプランターでバジル栽培をする予定です。
冬の夜でも20℃以下に下がらない場所なら、
きれいな緑色のバジルを取り続けれるだろうと予測してます。

「買ったほうが早い」というのはありますけど、
作り方を知らないだけということもありますからね。
今年温室栽培を試してみて、
ダメならまた考えたいです。

今日はサマータイム営業初日で、
一時間遅く出勤ですから何か得してる気分の朝です。
余裕でブログも書いてます。
この余裕が夏の間ずっと続いたらどうなると思いますか?
夏の間ずっと、得した気分の毎日を味わえますよ。
サマータイム営業って、いいですねー。

2014年6月24日火曜日

魔女を怒らせる

レアの二件目の滞在先は長野の松本市です。
「次は楽しく一緒に生活できる人たちがいたらいいな」
と思いながら移動したそうです。

だけどその期待は到着した日の晩に、早くも打ち砕かれました。
そこは五〇代の夫婦が経営するリンゴ農園でした。
レアが到着する数日前から、
アレックスという大学院で科学の研究をしている
二八歳のフランス人男性がいました。
「何で博士希望の人が田舎で農業をしてるの」と僕が聞くと、
レアは知らない、と言いました。

到着したその日の晩ご飯の時です。
和食が出されたけど、
詳しいメニューは緊張で忘れてしまったとレアは言いました。
中年夫婦とアレックスとレアの四人は初めて食卓を囲んだものの、
紹介しあうこともなく、ただ沈黙の中で食事が行われました。

それからも毎日そんな感じで沈黙の食事が続きました。
中年夫婦がどちらも英語をほとんど喋らなかったために、
アレックスとばかり英語を喋るわけにもいかず、
それに、下手な日本語を使って中年夫婦に喋りかけても箸を止めるだけで、
まともな会話にならず、
ますます喋りかけるのが難しくなったそうです。

「でも私が納得できなかったのは」
とレアが突然力を込めて言いました。

「ご飯を食べ終わったらお皿を片付けるでしょ。
夫婦の食器も一緒に下げて洗いはじめたわ。
アレックスも食器洗いを手伝ってくれたんだけど、
その奥さん何て言ったと思う?
『食器を洗うのは女の仕事だから、アレックスは座っていなさい』
って言うの。
『え、何を言ってるのこの人?』とよく理解できなかった。
だって私とアレックスは同じウーフーなのに、
何で私一人で片付けをしなきゃいけないの?
奥さんはアレックスに座ってなさいと言ったけど、
アレックスは自分も片付けると言って手伝ってくれたわ」

滞在中はどんな仕事をしていたのかと聞くと、
小さな木に白いペンキを塗った、とレアは言いました。
膝ぐらいまでの小さなリンゴの木で、
ペンキは害虫を寄せ付けないための防虫剤だと思いますけど、
それを400本の木に塗ったそうです。

「その夫婦には息子がいて、
離れの家に一人で住んでいたの。
三〇歳ぐらいだと思うけど、
仕事はしてなくてずっと家の中にいたわ」

——それはニートだね。と僕は言いました。

「だけどたまに、週に1、2回出かけるみたいで、
その時に奥さんは『掃除をしてきて』って言うの。
だから私とアレックスは息子がいない間、
離れの家の掃除をしないといけなかった」

——家事手伝いでもないのに。

「そうだけど、断れないわ!
離れは小さな二階建てで、
家に入るとほこりの臭いがした。
私たちは掃除機をかけたり、
散乱しているゴミを袋にまとめたりして片付けた。
あるていど片付いたところでアレックスが二階に上がっていったんだけど、
彼が大声で私を呼んだわ。
『レア、ちょっと来てみなよ!』って。
私は持っていたゴミ袋を放って二階に上がった。
平凡な毎日でつまらなくて、
何か興奮するようなことに飢えてたのよ。
二階に上がって、そこで見た光景は凄かったわ。何だと思う?」

——女性の大きな人形があった?

「それもあった!しかも一体じゃなく、何体もね。
二階はワンフロアだったけど、
その部屋全部がポルノ系のもので埋め尽くされていたの。
コミックも、
写真集も、
DVDも、
ポルノ関係のものなら全て揃ってたわ。
低い天井だったけど、天井まで積み重なって一杯だった。
アレックスも私もポルノコミックなんて見たことなかったから、
掃除をやめて読みはじめた。
それにしても、何でコミックの女の子はみんな牛みたいに胸が大きいの?」

——うーん、分からない。男の願望?

「次の週も息子が出かけたときに私たちは掃除をしに行ったわ。
それで片付けが一段落して、
また私たちはポルノコミックを読みはじめたの。
日本語の勉強になると思ったし、興味もあったから。
アレックスと二人で『これどういう意味?』何て言いながらね。
分からない文章があって、
私が『これ奥さんに意味聞いてみようかな』って言うと、
彼は『もしほんとに聞けるもんなら50ユーロあげるよ』なんて挑発してきたの。
50ユーロって……、7000円ぐらいよ!
私はすぐアレックスに『約束よ』と念を押したわ。
私はそのコミックを一冊持って離れを出て、
夕食の準備をしている奥さんのところに行って見せた。
アレックスは外で待っていたわ。ほんとに男って臆病なんだから!」

——奥さんはどんなリアクションをしたの?

「彼女すごく怒ったわ。
『そんなものを持ってくるなんて信じられない!
すぐにそれを家から出して!
なんとかかんとか!』
それ以降、まだ数日滞在期間が残っていたけど、
彼女は一言も私に喋らなくなったわ。
全部アレックスに言うの。
ま、いいけどね。私は50ユーロ手に入れたから、うふふ」

——だけど、その奥さんだってきっと、
息子の部屋にポルノ雑誌がたくさんあることを知っていたはずなのに、
怒るぐらいなら何で掃除に行かせたんだろうね?

「分からないわ。
だけどほんと、彼女は魔女だった」

魔女、つまりレアにとっては陰険な相手だったという意味です。
性に寛大なヨーロッパガールと、
日本の昔ながらの考えを持つ農家がウェブ上でやり取りして、
共同生活をするんです。
ウーフーシステムって画期的だなと思いました。

2014年6月16日月曜日

無口な者の愛の告白

ドイツ人の女子大生レアがオーシャンに来て
かれこれ三週間になります。
愛知に来る前には岐阜に二週間、
長野に二週間ウーフーとして農家のお仕事を手伝っていたそうです。

レアは愛知に来る前にすでに気疲れして
「日本でやっていけるか心配だった」
と言っていました。
どうしてかと聞くと二件の滞在中のエピソードを話してくれました。

一件目の滞在先は岐阜の、野菜を中心に作っている農家で、
レアの他にも二人のウーフーが働いていました。
アメリカ人のトッドという40歳の男と、
もう一人は日本人で28歳のDという男でした。

「D、ぜんぜんしゃべらない。わからない」
とレアは首を振りながら言いました。
朝昼晩の食事をみんなで食べるときも、
Dだけは一人黙々と食べ、
食器を片付け、
何を言わず寝床に戻っていくというが普通だったそうです。

小さな飲み会を開くために
レアとトッドがビールを買ってきてDを誘っても、
彼はボソボソっと何か言って部屋に閉じこもっていました。
僕が「彼の写真はないの?」と聞くと
(僕も趣味が悪いですけど)、
レアはデジカメで撮った写真を見せてくれました。

まず目につくのはトッドです。
大柄な金髪坊主の男で、台所でこっちを向いて笑っています。
Dはその隣で横を向いています。
真っ黒で短髪、メガネでうつむき気味の顔は、トッドとは対照的に暗そうです。

トッドは仕事の長期休暇で、
ウーフーシステムを利用して日本旅行中ということでした。
けどDに関しては、まず質問してもあまり答えないので
目的もよく分からない。

結局、レアはまともに会話をすることもなく、
滞在期間が終える二日前になりました。
トッドは次のステイ先に移動していたので、
この日はレアとDの二人になっていました。

朝、レアがいつものように台所でコーヒーを飲んでいると、
Dが入ってきて、
彼はレアの前に無言で立ちました。
彼は黄色い花束を持っていました。
それをレアに渡し、レアが受け取ると、
次に彼はポケットから紙を取り出しました。

折ってあった紙を広げ、
「Dear Lea……」と英語を喋りはじめました。
それは愛の告白でした。
彼は夢を話したわ、とレアは言い、
どんな夢だった!?と僕は身を乗り出して聞きました。

「初めて会った時から僕は君のことが好きだった。
君とドイツに行きたい。
広い畑がやれる家を探そう。
僕は畑を大きくする。君は家で待つ。
子供は10人欲しいな。
きっと幸せな暮らしができると思う」

Dは将来、ドイツで大農園主になり
レアと子沢山の結婚生活を送る夢を語りました。
読み終えるとその手紙をレアに渡しました。
角張っていて几帳面な字だったそうです。

レアは困りました。
Dは返事を待っているかのようにそのまま無言で立っているので、
レアははっきりとこう言ったそうです。
「私はあなたのことを何も知らない。
それなのに結婚なんてできないわ。
私はファームをやるつもりはないの。
ガーデニングは好きじゃないわ。
子供もそんなに欲しくない」

「それに、色の中で黄色が一番嫌いで、
黄色の花束はまったく嬉しくないわ!」
ということはDには伝えなかったそうです。

その日と翌日、
Dは目を合わせることもなく過ごし、
お互い次の目的地に向かって家を出たそうです。

「話しもしてないのに何で私のこと好きだって思えるの?
ぜんぜん分からないわ!」
缶ビールをぐびぐび飲みながらレアは言いました。

この次のレアのステイ先は長野です。
「She was a witch」
とホスト先の奥さんのことを言っていました。

2014年6月10日火曜日

ドイツ人のシェアメイト

・レアが何かドイツ料理を作ってくれると言いました。

最初、僕はザワークラウトが食べてみたいと言ったんですけど、
レアは「あんな臭いものは食べれない。
おばあちゃんがザワークラウトを作る日は、
妹と外に逃げ出して、近くにピザを食べに行くの」
と渋い顔をするので、
「それじゃいつもママが作ってくれるものがいいな」
と僕は強要するのも悪いと思って話題を変えました。

結局彼女は“カクフェ プファ”を作ると言いました。
朝、昼、夜の時間に関係なくいつでも食べれて、
もっとも身近な家庭料理にレアはこれを思い浮かべるそうです。
カクフェ プファはおやきとチヂミとハッシュドポテトの親類です。

材料はこのようになってます。
①じゃがいも
②小麦粉
③卵
④ベーコン
⑤塩

シュレッダーでじゃがいもを細く削り、
以下の材料をすべて混ぜ合わせて、
油を敷いて熱したフライパンで薄くカリッと焼いて完成という料理です。
カクフェ プファの焼きたては外側が焦げでカリッと、
中はもっちりとした食感になっている。
おかずでもいけそうだし、主食でもいけそうです。

この日は晩ご飯に、
ビールを飲みながらカクフェ プファを食べましたけど、
酒のつまみにもなります。
そして、翌日に残ったものを朝に食べましたけど朝食でもいけます。

レアに「朝はいつもこれ食べるの?」と聞くと、
「朝ご飯はいつも食べない」と言いました。
朝食の席で僕はこのドイツ風おやきを4枚も5枚も食べている間に、
レアはずっとテーブルに立てた肘の上に頭を載せて、
フォークで一枚目のカクフェ プファをいじり回していました。

・レアは現在ベルリンの大学に通っていて、
同じ大学に通う男性二人とアパートをシェアしているそうです。
男と共同生活するのはどうなのかと聞くと、
「彼らは二人共ゲイで、
一人には彼氏がいるし、
そこら辺の女の子よりよっぽど繊細だから私は楽だわ」と言ってました。

僕の住処も一応シェアハウスみたいなもので、
オーシャンにウーフーとして手伝いに来てくれる人たちが
泊まれるようになってます。
それでも、ウーフーの方たちが滞在している期間よりは、
僕一人の期間のほうが多いので半シェアハウスです。

特にシェアハウス内のルールみたいなものもありませんけど、
参考に、何かシェアハウスのルールを設けたほうがいいかレアに聞いてみると、
「靴下をドアノブに引っ掛けとくのは大事だと思うわ」
と彼女は言いました。

これはホテルにある「起こさないでください」とか
「掃除をしてください」という掛け札と同じ役割を果たすもので、
「ただいまSEX中です」という意味を伝えるためのサインだそうです。
たぶんこれはSOXとSEXを掛けているんだと思います。

このSOXの使い方としては他に、
共同で利用する場所、例えばキッチンのテーブルの上に置いておけば、
「今夜は彼氏(彼女)と二人で過ごしたい」
というメッセージになります。

・こうやって話していると、
やっぱりヨーロッパは日本よりも性にオープンだなと思います。

レアに「日本人のここがおかしいと思うところはどんなところ?」と聞くと、
「誰もハグをしなくて、お辞儀ばっかりしてるから変だわ。
好きな相手にとか、仲良くなるためにとか、
ハグしたくならないの?」と言いました。

——ハグなんて家族でも恥ずかしくてほとんどしないよ。
日本育ちの僕は思わず腕を硬く組みました。

反対に「ドイツ人でおかしいと思うところはどんなところ?」と聞くと、
「ドイツ人の男の悪いところは体中触ってくるところ!」
と彼女は激しく首を振って言いました。
「すぐに胸とかおしりを触ってくるし、
抱きついてちょっかいかけてくるのよ!」

——そういうハグはダメなの?

「それとこれとは全然違うわ!
そういう触られ方はしたくないの」

ヨーロッパ人は性にオープンだけど、
その境界線がどの辺りなのか際どいところです。
「じゃドイツの女性でおかしいと思うところはどんなところ?」
と僕は再び質問しました。

彼女は目を伏せて、
ドイツ人らしく正確な答えを導き出すかのように考え、
そして一つ頷いてこう言いました。
「あまり無いわ、おかしいところなんて」

僕は「うっそだー!」と叫びそうになりましたけど、
その代わりにふむふむと相づちを打ちました。

世界中のどこの国にいっても女性におかしいところはなくて、
男はたいていおかしいんです。
そうやって考えれば女の人とケンカにならないことを僕は知ってます。
丁度今、高橋秀実の『男は邪魔!』という本を読んでましたから。

2014年6月2日月曜日

メビウスのお辞儀

先月は「控えめなフレディー」というタイトルで、
ウーフーとして農業を手伝いに来てくれていた
アメリカ人の大学生のことを書きました。

入れ替わるようなタイミングで今度は二人のウーフーが来てくれました。
一人はドイツ人の二十歳の女子大生で、
生物学を勉強しているレアという金髪のかわいらしい子です。
僕よりもちょっと背が低いですけど(ドイツではかなり小柄)、
ビールはだいたい3リッターぐらい飲めるそうです(ドイツでは標準)。

もう一人は某航空会社のキャビンアテンダントとして約十年働き、
「これまで仕事のことしか考えてこなかったから、
しばらく旅をしてみようと思ってケリをつけた」と言う、
四〇代女性のKさんが来てくれました。

Kさんが只者でないことは、
彼女にお辞儀をされるときに分かります。
彼女はプロフェッショナルだ、と直観的に感じます。
スタッフの一人はこう言いました。
「Kさんにお辞儀をされると優越感を感じるんだよね」

そこでKさんのお辞儀についてみんなで話し合い、
一つの結論を導き出しました。
彼女のお辞儀はサラリーマンのお辞儀ではないのです。

サラリーマンのお辞儀とはどんなものか。
先週僕は『半沢直樹』のDVD全巻を一日で見通したばかりなので、
サラリーマン的お辞儀を鮮明にイメージできます。

堺雅人は両腕を指先までぴっしり伸ばし、
お尻を突き出し気味に(後ろに人がいたら突き飛ばすぐらい)、
頭は75度の角度まで下げ
(対面でお互い同じお辞儀をしたら確実に頭をぶつけあう)、
ブーメランのような形です。

それに対してKさんのお辞儀はなんというか、
直線上のラインだけでは説明できません。
ひねりが加わっているんです。
メビウスの輪を思い出してください。
直線上のラインに一ひねり加えることによって、
二次元から三次元の世界に飛躍しています。

Kさんのひねりはどこにあるのか。
スタッフの一人がKさんのお辞儀のマネをしているときに
これか!?という動きを発見しました。
それは肩の動きです。

Kさんの肩はお辞儀をするとき、
右肩のほうが若干前に出ているのです。
左肩を引き、右肩が前に出るようにして頭を下げる。
両手は丹田の辺りに重ねて、
頭を下げる角度は状況に応じて軽めのときもあれば深い時もある。
だけどどんな時にも、
頭を下げると同時に、軽く上半身をひねっているのです。

これは航空業界のノウハウなのか?
このお辞儀がなんと呼ばれているのか知りませんが、
仮称“メビウスのお辞儀”ということにしたいと思います。

このメビウスのお辞儀は奥深さを持っていますが、
マネをするときに気を付けなければいけないことがあります。
女性がこのお辞儀をすると特別な優越感を相手に与えることができますが、
男性がこのお辞儀をするとオカマにしか見えません。

今日このブログを書いている日の一日前に、
三週間ほどオーシャンの仕事を手伝ってくれたKさんは
次なる目的地に向かって旅立って行きました。
お辞儀のことについて質問する機会を逃してしまいましたが、
またお会いできた時に訊ねてみようと思います。

次回のブログではレアちゃんが作ってくれた、
ドイツ料理の“カクフェ プファ”について。
それと、彼女もドイツでシェアハウスをしているそうですが(ゲイ二人と)、
部屋のドアノブに靴下をぶら下げとくことは大事、
と話しをしてくれたことについて書こうと思います。

2014年5月26日月曜日

シャンプーはたまにで大丈夫説

最近シャンプーの回数を減らしてます。
今は三日に一回ぐらいです。

リンスをやめたのはもう三、四年前です。
当時付き合っていた彼女から、
「私のお父さん、体を洗う石鹸でそのまま頭まで洗うの」
という話しを聞いて僕はそれに男気を感じました。

「そうだ!男は髪の毛をサラサラにする必要なんてないんだ!」
と思って、それ以来リンスを使わなくなりました。
リンス・イン・シャンプーにしました。
石鹸は躊躇して、いまだ試したことはありません。

中学、高校ぐらいまでは、
男でもサラッとした髪の毛で良い匂いがするのがカッコよかったです。
憧れの不良の先輩がパンテーンなんかを使ってるのを知ると、
僕もそれまで使っていたシーブリーズを放って、
すぐにパンテーンに切り替えたりしました。

「2001」というシャンプーも一時高校時代に流行りました。
髪の毛が早く伸びるようになるというシャンプーです。
結局そのシャンプーに効果があったのかどうか
よく分からなかったですけど、
とにかく使いまくっていました
(ティーンエイジャーは髪型を短くしたと思ったら、
すぐに長くしたくなりますから)。

それが二十歳を過ぎてから、
最初はリンスインシャンプーに変えて、
それから「シャンプーのみ」というふうに段階を経て、
とうとう今では「シャンプー、三日に一回」です。
三日に一回と言っても、洗うのは毎日洗っています。

シャンプーをしてないと「不潔だ」ということもありそうですけど、
洗う時間はむしろ、
シャンプーのときよりもかかっています。
マッサージっぽく手揉みで念入りです。

まだ二ヶ月ぐらいですけど、
今のところ人から臭いとも言われてません。
僕はこの「シャンプーはたまにで大丈夫説」を勝手にはじめましたけど、
最近、この説を後押ししてくれる声が二つありました。

一つは、
最近Podcastで『バイリンガルニュース』を聞いてるんですけど
(英語を勉強したいと思ってる人にオススメです。
僕はニュースのチョイスが面白くて聞いてます)、
その番組の話し手であるマミが「シャンプーはあんまりしてないよー」
と言っていました。
彼女は普通のシャンプーからオーガニックシャンプー、
そしてたまにシャンプーという段階で移行したそうです。

もう一つは、
オーシャンのお客さんで来てくれる美容師の方です。
僕がこの話しを彼女にすると、
「実は私、昨日二週間ぶりにシャンプーしたの」
と言いました。
彼女も敏感肌で色んなシャンプーを試したけど、
肌のためにはシャンプーのしすぎは良くないかも、
という考えになったそうです。
だけど、まだお客さんにはすすめれず、
自分を実験台にして試しているそうです。

こういう、経済圏から逸脱するマインドはしばし、
タコの触手にからめとられ、
情報という吸盤に縛り付けられて身動きが取れなくなりがちです。
そういう情報を振りほどき、
僕も自分を実験台にしたいと思います。
そして、
未来の子供たちの頭皮に少しでも貢献できればと思います。

チアーズ、頭皮。

2014年5月19日月曜日

安全ピンという小道具

友達のぽっぽくんがインドに行ってきました。
ぽっぽくんは普段、岡崎市で塾をやっていて、
子供たちを教えています。
普通の学校の勉強とは異なり、
授業は年齢分けせずに
小さい子も大きい子も一緒にできる授業をするのが特徴の塾です。

たとえば漢字の語源を遡って考える問題。
象形文字から何を連想するかみんなで当てるといった、
情報力というよりも、
連想力が求められるような問題です。

そのぽっぽくんのインド旅行の目的は、
NGOで孤児の教育支援を行っている「ヴィシュワラヤ」の活動を
見学に行くというのがメインテーマでした。
ヴィシュワラヤはバンガロールという地域で活動しています。
通常の学校教育ではなく、
演劇を中心としたワークショップによる教育をしているそうです。

演劇による教育って何?
ぽっぽくんはヴィシュワラヤの施設で子供たちと寝起きを共にして
(ゲストは宿泊は無料だけど個室はないから一緒に寝る)、
昼間は一緒に遊んでいました。
そして日本に帰ってきたぽっぽくんは言いました。
「インドの子供たちは頭が良い!」

ぽっぽくんはこういうエピソードを話してくれました。

「ある朝、子供たちに囲まれて遊んでいたとき、
一人の男の子が握った手を出した。
なんだろうと思って手を差し出すと、男の子は僕に安全ピンくれた。
『安全ピン?』
だけど、この子にとっては大事なものかもしれないと思って、
くれたのか預かっといてくれという意味なのか分からなかったので、
僕は“胸のポケット”にピンを刺しておいた。
子供たちに英語は通じないのでジェスチャーでやり取りをしていた。

お昼を済ませて僕らは遠足に出かけることにした。
子供たちは10人ぐらいと共に。
僕らは山に登って川遊びをしたり、
日陰で寝転んだりしていた。
陽が暮れたので僕らは山道を戻りはじめた。
帰り道、森の中はもう真っ暗だった。
それでも子供たちはいつも歩いている場所だったから、
迷うこともなくすたすた遊びながら歩いていた。

すると突然、一人の男の子が泣き出した。
僕はドキッとして駆け寄った。
グループの中でもいちばん小さい男の子が座り込んで、
足を押さえて泣いていた。
『何かに噛まれたのか?』
『何かに刺されたのか?』
子供たちがなにやら僕に言っているけどさっぱり分からない。
僕がおろおろしていると、
一人の子供が僕に何かを訴えかけようとしていた。

その身振り手振りで訴える男の子が、
朝、僕に安全ピンをくれた子だということにすぐ気付いた。
そこで僕は、その子が安全ピンを欲しがっていることが分かった。
ところが僕は安全ピンのことなんてすっかり頭から抜け落ちていて、
もらってからどこに仕舞ったのかまったく思い出せなかった。
ポケットを全部引っくり返した(シャツの胸ポケット以外)。
僕は『ごめん、無くしちゃったみたいだ』と謝った。
男の子はあきれた顔をした。

その男の子は僕をしゃがませて、
胸ポケットに留めてあった安全ピンを取り外して見せた。
僕はやっと思い出した。
その子はちょっと怒っていた。
そして、何か言ったと思ったら背を向けて、
その安全ピンを足下の土の中に埋めてしまった。
申し訳ないと思っていた僕は『あ!』と言って、
すぐに懐中電灯を出して地面を探し、
埋めた形跡のある土の中から安全ピンを見つけた。

怒っていた男の子に僕は
「ごめんね」と言って安全ピンを渡そうとした。
すると男の子はにっこり笑って、
僕が左手に持っていた懐中電灯を取った。
土の中から取り出した安全ピンには見向きもせず。

そしてその男の子が何をしたかと言うと、
懐中電灯を持って、
泣きじゃくっている子の足に刺さっていたトゲを抜いた。
そして懐中電灯を僕に返した。
ちょっとまだ泣きべそかいている子をおぶって、
僕らは無事に山道を戻った。

分かる?
男の子は僕の懐中電灯を手に入れるために一芝居打ったんだ。
男の子は僕が安全ピンをどこにやったか忘れていると分かっていた。
それで、わざと僕を慌てさせて、
目的の懐中電灯を取り出すようなシナリオを作ったんだ。
安全ピンを小道具にして、
その場で即興でね」

ぽっぽくんは静かに語り終えた。

——超頭良い!
僕は感動して叫びました。
これが演劇による教育の効果なんでしょうか。

こういう即興が苦手な日本人は多い気がします。
僕はハーフですけど即興は苦手です。
日本人は交渉下手とかスピーチが下手だとか言われたりしますけど、
これは即興による教育が無いからかもしれないですね。