2013年8月31日土曜日

かき氷の冷やし度合いはどこまでいっていいのか

オーシャンでは色んな議論が毎日立ち上がりますけど、
昨日のトピックはかき氷の甘味料についてでした。
こんな夏も終盤というか、
人によっては終わったという人もいる中、
いまだかき氷について話し合っているのは
だいぶズレてるんじゃないか、
というご指摘もきっとあるでしょう。

しかしかき氷については夏序盤は序盤で、
中盤は中盤で、
なんやかんやとやってました。
氷をサラサラにするにはどうしたらいいかとか、
なんやかんや。

そしてこんな終盤に来て立ち上がった問題は、
「シロップの甘味料をどうするか?」です。
砂糖は砂糖ですけど、
きび糖にするか甜菜糖にするかで議論が分かれました。

これまではずっと当たり前のようにきび糖でやってましたけど、
何が問題になったかというと、
かき氷を食べることによってカラダの冷え具合はどうなんだ、
ということです。

カラダを温めるためにかき氷を食べるなんて話しは
聞いたことありません。
当然かき氷は炎天下の夏に、
火照ったカラダを涼めるために食べることを目的としています。

だけど冷やし過ぎはいかがなものか?
というところのイシューです。
現代の夏は色んな場面で、
カラダを冷やし過ぎてしまうことがある。

そこで甘味料です。
きび糖の原料であるサトウキビの生産地はだいたい南国です。
暑い国でサトウキビは育ちます。
それに対して甜菜糖の原料であるテンサイは
寒冷地の作物です。

暑い国の作物はカラダを冷やすものが多く、
寒い国のものはカラダを温めるものが多い。
その考えをもとにすると、
かき氷はただでさえザ・氷で冷やしますという食べ物なので、
そこにさらにサトウキビでカラダを冷やす作用を持たすよりは、
テンサイでバランスを取ったほうが、
カラダの調子が良いのではないか?
ということです。

冷やす×冷やすで行くのか、
冷やす×温めるで行くのか、です。
かき氷を食べてカラダを温めるなんて話しになると
おかしくなってきます。
テンサイ糖を使うからって温まるなんてことはありません
(ないはず)。

問題はバランスです。
もしかしてどっちでもあんまり影響ないかもしれません。
でもそこに議論が立ち上がってしまうのがオーシャンです。

「冷やすならとことん冷やそうよ!」と、
「いやいや、冷やしすぎはどうかと思う」
結論、いまだ出ず、です。

2013年8月30日金曜日

夜営業は残すところ二日間

・夜営業も残すところ今日を入れて二日となりました。
ピザ&ビアガーデンに来て頂いて
どうもありがとうございます。
来月からピッツェリアは夜七時までの
カフェと同じ営業時間になります。

来年の夏はまたサマータイムを企画してますので、
一年後の夜をお楽しみに。

・タランティーノの『ジャンゴ』を見ました。
いちばん印象に残ったシーンは、
酒場でキングが生ビールをジョッキにそそいで、
厚紙のような棒で泡切りするところで、
ビール好きには西部劇の対決よりも、
殺人的な誘惑を感じる場面です。

それからサミュエル・L・ジャクソンは
いつにも増して悪そうな顔をしています。


2013年8月29日木曜日

豫園の圧勝

昨日は名古屋オーシャンズがタイのチームに
七対二で勝ちました。
ただ圧勝だったのは[中国上海料理 豫園]でした。

試合観戦の前に築地口の辺りに車を停めて、
ご飯屋を探してウロウロ歩き回ったところ、
ここら辺は中華料理屋ばっかりだった。
どこの角を曲がっても
回転灯に赤とか黄色の看板がかかっている。

洋食屋も和食屋も無い。
居酒屋か中華料理屋か、
あとはうどん屋を一軒見つけたぐらいだった。

僕は港区で活気がある場所はここら辺しか知らない。
活気があると言ってもオッサン率の高い活気で、
それはご飯屋のジャンルが物語っている。
しかもこの活気がどこからくるかというと、
[ボートピア名古屋]の場外舟券売場を当てにしてくる、
顔の赤いオッサンによるものです。

港区をこれよりも西に、
ラブホテルが目印の橋を越えると、
もう何もない。
何かがあることはあるけど、
港町としてのロマンとか風情とか文化とか、
そういう港的イメージがゼロです。

いや、ゼロではなくて四あった。
この金城埠頭線にはゼロヨンでかっ飛ばす走り屋がいた。
ただそれじゃ余計女子率を下げる要素にしかならない。

港町的イメージ、これはやっぱり出会いと別れ、
そして恋、悲しみ、キラメキ、闇、パンスケ(映画のイメージ)、
外車、オシャレな舶来品、矢沢永吉、
そういうエネルギーの強いものを想像する。

でもこういうカラフルでビビットなものの代わりに、
冷え冷えと雲に被われたような工業地帯の
グレーゾーンに突入することになる。
飯屋も住居も無い。
そういう場所として埋立てられたんだから、
そういうもんだって言われればそれまでですけど。

そんな中、ギリギリ下町感のある築地口周辺には
オッサン賑わいだとしても人気がある。
そして中華料理屋の豫園は、
外から眺めてピンときた。
「あ、ここはうまい予感がする」というふうに。
他の中華料理屋が周りに何件あっても、
豫園が目を引く。
ご飯屋の味は外観にも現れてくると思う。
そういう雰囲気を感じて入って、
ピッタリ当たると嬉しい。

五目バリそばはイシンバエワの棒高跳びのように
想像を超えた盛り具合で、
レバーとニンニクの芽の炒め物は
バトミントンのコンビネーションのごとく
「これ!」というスマッシュを打ち込んで来ます。

ザーサイはボルトかと思うほど
スタートを切った瞬間胃袋に直行で、
ご飯に付いてきた白いスープはフェンシングの
あの剣みたいなやつで、
ピコーンピコーンピコーンピコーンと、
味覚を突いてくるうまさと滑らかさがあります。

この店には料理が一七〇種類あると書いてありますから、
味のオリンピックや〜。
そんなに高くないというのが良い。

2013年8月28日水曜日

休日活動

・今日明日とピッツェリアは二連休になりますが、
キャッフェのほうは営業してますので、
ぜひキャーフィーを飲みに来てください。

・今宵はフットサルの試合を見てきます。
日本ナンバーワンの[名古屋オーシャンズ]の試合です。
カフェ・オーシャンも一年ほど前に
フットサルチームを結成して、
試合すら見ていないのに勝手に
名古屋オーシャンズに対抗意識を燃やしていました。

・頭の中が騒がしいです。
ピッツェリアがはじまって約一ヶ月半が経ちますけど、
店に必要なものを揃えたり、
どうやって宣伝をすればいいのかとか、
内容が乏しいんじゃないのかとか、
勝手に頭が喋ります。

そういうときはやっぱり何が効くかっていえば、
何かを見に行ったり、
遊びに出かけることですよね、きっと。
そして頭がうるさい自分を遠くから眺める。
そうすると、
「何だ自分、何もしてないのにせかせかしている」
と高ぶった気持ちが治まってきます。

ということで今日の休みは出かけてきます。
午後からはインタヴューに行ってきます。
僕は一年半ほど前から、
西尾市で人権活動家として外国人を助けている
元市議会議員の谷田部さんに話しを聞いて
記録を付けています。
そのうち記事がまとまったらブログに上げたいです。

西尾市にかぎらず愛知県は
外国人労働者が特に多い地域で、
それだけトラブルも多いです。
労働問題で会社とモメたときに
お金の無い外国人が助けを求める機関が日本には少ない。

谷田部さんは無報酬で、
示談やそれで治まらなければ裁判の手続きから決着まで、
違法で働かされた人の手助けをしています。
でも谷田部さんはもう七九歳で、
いつまでもできる年齢でもないので、
もし谷田部さんがいなくなったらどうなるんだろう。

谷田部さんはボランティアですから、
当てにばっかりできないんですけど、
役所の相談窓口とも労働組合とも違う谷田部さんの仕事は
すごく重要です。

人権活動家というポジションは
どこの国でも大きな組織に嫌われる役回りですけど、
こういう人が報われる世界はあるのか?
と、話しを聞くたびに思う。

人権活動家の敵は脱力感だと思う。
何やっても報われないような感じで。
そういう敵と谷田部さんは五〇年も戦い続けて、
そんな人を、
僕はもう完全に尊敬してしまいます。

脱力感を相手にするのは、
欲望とか恐怖と戦うよりも難しいと思う。
そういう相手は普通、
「もうキャーフィーでも飲んで諦めよ」となる。

2013年8月27日火曜日

古川公園怪談

最近僕が不思議現象にはまっていることを
スタッフのたいちくんは知っていて、
友達の話しを僕にしてくれた。

「この話しは友達から聞いたことだから、
ほんとかどうか分からないんだけど、
おれはほんとだと思ってる。
当時中学生ぐらいの頃、
その友達はかなり真剣な顔で言ってたからね。

その友達のお婆ちゃんがいつもの習慣で、
西尾市の古川公園に雨上がりに散歩に出かけた。
その河川敷の散歩道を歩いていると、
犬の吠える声が聞こえてきた。
ふと見ると公園の芝生地帯に人が倒れていて、
忠実そうな日本犬がその人の周りを
ぐるぐる回ってたんだ。

ちなみにその犬はアンマンマっていう名前で、
腹を空かした拾い犬だったんだけど、
ご飯をあげたときに「よしよしたっぷり食べろよ」
と言うと、
口をもぐもぐさせてそれでも返事をしようとして
「アンマンマ」と言ったことに由来するそうだ。

そのアンマンマは倒れた飼い主の周りを、
どうしたらいいのか分からずぐるぐる回りながら、
たまに止まって悲しそうに吠えた。
そこにお婆さんが通りかかった。

その倒れた人に近付くと、
フルチンで仰向けに伸びた男だったことが分かった。
「この人は素っ裸で何をしてんだね?」
とお婆さんは思ったらしい。

朝の雨上がりで日射しが出てきていたけど、
その男はカラダが濡れてびたびただった。
明らかな異変に、
お婆さんは近くの人を呼び止めて救急車を呼んだ。

その後数日経ってから、
お婆さんの家にその男がアンマンマと共に
菓子折りを持ってやってきた。
男はこう言った。

『実はその日早朝に散歩に出たんです。
雲行きがちょっと怪しいなと思ってたんですけど、
雨でも休まず
アンマンマと共に散歩をするのが日課で。
それで公園を歩いていたら
ゴロゴロ雷の鳴るのが聞こえてきました。
あ、これは一雨来るぞと思って
リーシュを離したアンマンマを連れて帰ろうとしました。

アンマンマに近付いたその時です。
普段は大きな声なんてたてないアンマンマが
〈ワン!〉と吠えました。
僕はびっくりして立ち止まりました。
空がゴロゴロ鳴っていました。
ピカッと光ったかと思うと、
丁度僕とアンマンマの間に雷が落ちました。
地面に落ちたのが分かりました。
でもその雷が地面を跳ね返って、
僕のほうに飛んできたんです。

〈パ、パン!〉

と音がして、そこで僕は気を失いました。
気付いたら病院にいました。
図にすると、
雷はたぶんこういうふうに落ちてきたんですね。

↘↗
パ、パン。

というふうに。
それでその跳ね返りの雷を受けて、
たぶん僕の服が全部破れ割かれて、
吹っ飛ばされたんですね。

でもほんとにもう一歩踏み出していたら、
僕は直撃だったわけですから。
アンマンマは危険を察知したんですよね。
今回はこいつが助けてくれたんです。
うーよしよし』

頭をなでられて舌を出したアンマンマは、
へっへっへと嬉しそうな顔でヨダレが垂れそうだった。
と、こういう話しなんだけど、
どう?信じる?

2013年8月26日月曜日

幡豆弾むの日

・今日、八月二六日は何でもない日ではありません。
今日は「ハズムの日」です。
八・二・六、このハズムの日に、
オーシャンがあるこの幡豆町を盛り上げようと、
幡豆ハズム、
「幡豆、弾むの日」として記念したいと思います。

弾むって、どう弾むんだ?
トランポリンで弾みます。
僕が住むシェアハウスには、
大きなトランポリンがあります。
それで弾みたいと思います。

そしてまた、
弾んでもらう人も、
今まさに弾みまくってる人にお願いしました。
先日オーシャンでサーカスをやってもらった、
チュゲさん、Yutaさん、Okotanpeさんです。
では早速。

ボヨーン。
(Okotanpeさん)

ボヨーン。
(Yutaさん)

ボヨヨーン。
 (チュゲさん)

良い弾みです。
腹から弾んでます。
この弾みをぜひとも仕事に活かしたい、
いや、仕事にかぎらず躍動感のある生活を送りたいですね。

弾んでいれば、
そのうち飛んでしまうかもしれません。
この三人みたいに。

シューーー。

オーシャンのサーカスを見逃してしまった人は、
来月静岡の「フロウキャンプ」というイベントで
その弾みを目の当たりにできます。

・今日はカフェは休みになりますけど、
ピザ屋のほうは弾んで営業しています。
涼しくなってきましたから、
デッキでピザしにきてください。

尚、
ウッドデッキの上では壊れますから、
あんまり弾まないようにお願いします。

2013年8月25日日曜日

八月最後の日曜日

昨日はオーシャンでサーカス、
大盛り上がりで終了しました。
クリスタルボールはじめてみましたけど、
命が吹き込まれてました。
次回は未定ですけど、
また機会があったら開催したいです。

今日は八月最後の日曜日です。
涼しいかと思いきや、
ぜんぜん暑いです。

でも海岸沿いにいると、
風の調子が毎日ちょっとちがうということに
敏感になります。

じっとり風、
さらさら風、
むわっと風、
ビュービュー風。

強さと温度と湿度で、
毎日ちがう風が吹いてます。

どういう風の吹き回しでか、
来週から一週間、
九月の一週目は
ピッツェリアのほうを休ませてもらって
僕はピザ勉強旅行に行ってくることになりました。

二日から十一日が休みで、
十二日から新しい風を吹かすべく、
ピザ屋を再開します。
カフェは通常営業してます。

休みの間日々のピザブログもアップしつつ、
フェイスブックのオーシャンのページでも
レポートという形で上げていく予定なので、
またチェックしてみてください。

雨がぱらついてますけど、
風はひゅるひゅると気持ちいい感じになってます。

2013年8月24日土曜日

ニョッキとサーカス

・今日はオーシャンでサーカスの日です!
夕方の六時開場、
七時開演です。
遊びに来れる方はぜひ、
この機会をお見逃しなく。

シルクドソレイユの一員の方が来て
パフォーマンスをしてくれます。
きっと、世界のショーが見れます。
そしてショーと共にピザをどうぞ。

サーカスにピザ。
ちょっとアメリカっぽい組み合わせですけど、
幡豆です。

・昨日はニョッキを作りました。
畑からカボチャが大収穫されています。
四から五種類ぐらいのカボチャがありますけど、
僕が選んだ物は水分量が多いカボチャだったようで、
小麦粉をどれだけ入れても、
ダラダラ状態で硬くなっていきません。

同じ理由で、丁度一年前にも失敗しました。
べたべたで形も何もあったものじゃなくて、
茹でてみるとすいとんみたいに変な形になりました。
低反発のクッションが効かなくなって、
戻ってこない枕のような形です。

「カボチャニョッキは
水分の少ないカボチャを選ぼう」
というのが一回目の教訓でしたけど、
教訓生かされず。
二度に渡る失敗です。

だいたいカボチャの水分量の見極めなんて
わかんねーっす。
切るときは硬いし。
まったくやんなっちゃうっすよー。

2013年8月23日金曜日

上矢田怪談

たいちくんは高校に
サッカーの推薦枠で入ったこともあり、
毎日部活に明け暮れてました。
週末で学校が休みの日にも
自主トレを欠かしませんでした。

ある冬の雨が降る日でした。
たいちくんには
「雨が降っているから今日は休もう」
という概念はありません。

日が暮れた七時から八時ぐらいです。
たいちくんは防水機能のあるセットアップを着て、
ジョギングに出かけました。
上矢田町の家の周りは住宅地と農業地、工業地、
それに商業地までも一緒くたになったような場所で、
昔は町内で経済を回していたような町です。

その上矢田町には細い道が入り組んでいて、
たいちくんはあるY字の通りに差し掛かりました。
街灯が点々と並んだ道で、
決して明るいとは言えませんが、
暗闇でもありません。

遠くから、
その二叉の真ん中に人のシルエットが見えました。
なんだろう?と思ってたいちくんは
走りながら近付いていくと、
それが上半身裸になった大男であることが分かりました。
しかも白人で、スラックスを履いた男です。
たいちくんは言いました。

「ピーター・アーツみたいだった」

元Kー1選手のピーター・アーツのような大男が、
二叉の丁度別れるところに仁王立ちで立っていた。
冬の雨の中、傘も差さず何をしているのか。
たいちくんは近付くにつれて怖くなりました。

「ハイキックを食らうかもしれない、
とかそういう怖さじゃない」

たいちくんは言いました。
はじめたいちくんはピーター・アーツに見られている、
と思ったけど近付いたら違いました。
ただ無表情に明後日の方向を、
ぼーっと見ているだけだった。
雨でずぶ濡れになりながら、
ピクリとも動かずに。

「もしかしたら通り抜けた瞬間に、
追いかけてくるかもしれない」
そう思ったたいちくんは、
その不気味な大男の横を通り過ぎた瞬間、
全速力でダッシュしました。

もう大丈夫であろうと思って、
ちらりと後ろを振り返ったときです。



「わ!!!」



というのは冗談で、
ピーター・アーツは仁王立ちのまま、
明後日のほうを見ているだけでした。

「たいちくんそれほんとの話しー?」
僕は聞きました。
「そんな変なウソつかないよ。
今考えると、やっぱりあれは幽霊としか思えない。
不気味だったなー」

2013年8月22日木曜日

三ケ根怪談

ユリコちゃんと友達を合わせて
十人ほどの若いグループで、
心霊スポット巡りをすることになりました。
三ケ根山の中腹には[片原ラドン温泉]という、
元々温泉施設だった廃墟があります。

ユリコちゃんは小さい頃から霊感を持っていて、
自分が存在しないものを見るだけでなく、
霊的なものを引き寄せてしまい、
周りの人も感知してしまうタイプの霊感を持っている。

深夜、ラドンに着いて、
車から降りたみんなはゾロゾロと、
正面玄関の前に立ちました。
ユリコちゃんが最初に気持ち悪さを感じたのは、
廃墟の上のほうを見ると窓があって、
もちろんどの窓にもガラスは嵌まっていないのに、
カーテンがなびいている窓を一つ見つけたときです。

夏の夜で、風が無くむっとしていました。
にも関わらず、
カーテンはヒラ、ヒラ、と揺れている。
しかもそのカーテンは不自然にも、
内側にのみ揺れていて、
ユリコちゃんはそのカーテンが「おいで、おいで」
と言っているのを感じたそうです。

やめたほうがいいかもしれないよ、
とユリコちゃんは言いましたけど、
みんなノリの良い調子で行こう行こうと言うので、
その声に押されて玄関を入りました。

玄関はどうぞ入ってくださいと言わんばかりに、
開けっぴろげになっています。
その玄関を、中に通り抜けたとき、
遠くのほうで小さく「カシャーン」と、
ガラスが割れるような音がしました。

みんなは気持ちわりー、こえー、
くせー、と騒いでいるので、
そのカシャーンという小さな音ははじめ、
ユリコちゃんにしか聞こえなかった。
でも、また一回カシャーン、
そしてまた一回カシャーン、
と色んな方向から聞こえてきた。
はっと、みんなは黙りました。

ユリコちゃんが戻ったほうがいいと言って、
みんなは従い車に戻りました。
しかし車に戻ると、
せっかくここまで来たんだから最後まで見ていこうよ、
と盛り上がるグループに押されて、
結局進むことになりました。

今度玄関をくぐると、
さっきの物音がウソのように、
みんなの緊張もあってシーンと沈黙が漂っていました。
三階だったか四階まで行って戻るまで、
特に不思議なことはありませんでした。
ただ部屋数が多くて、
暗い中全部を回るのはできなかった。

けっこうな時間、
中をぐるぐる歩き回って帰ろうとして、
そこでみんなは異変に気付きました。

出口があった場所に戻れない。

入ってきた正面玄関はそれなりに広けた場所なので、
見落とすはずなんてなさそうなのに、
十人も人がいて見つけることができない。
少しずつパニックが広がって、
泣き出す女の子もいました。

とうとう男の一人が、
この壁を破って出ようと言いました。
ベニヤ板を壁に貼った場所があったので、
男三人がかりでベニヤを蹴り破って、
引き剥がしました。
そのうちのベニヤを引きはがした友達が
「あ」
と言いました。

どうしたのかと聞くと、
「いや、何でもない」と言って、
早く出ようと言ってみんなはそこから出て、
無事に車に戻ることができました。

街まで戻って、
落ち着いたところでその友達は言いました。

「ベニヤを破ったら、
コック着の男がこっちを見てたんだ。
顔がなかったんだけど、
こっちを見てるのが分かった。
今は言っちゃいけないな、と思って」

深夜の温泉施設の廃墟に、
なぜコックがいたのか。
まだ料理を作りに通ってきているのかもしれない。

2013年8月21日水曜日

理想とリソース

「理想を叶えるためにリソースを割く」
というのはシャレじゃありません。

昨日は夜、
仕事が終わってから、
砂浜から浮島まで泳ぎました。
今日が満月ですけど、
昨日も大きな丸い月がシャンシャンと
海を照らしてました。

そして今日、
筋肉痛です。
体力の資源を使い果たしました。
浮島まで泳ぐという理想叶えるために、
今日の体力にまで手をつけてしまったみたいです。

「書くこと」の資源は、
一日どれだけ書いても今のところ枯れる気配はないので、
僕は良い油田を見つけたと思ってるんですけど、
「泳ぐこと」に対してはまったく未開発です。

遠回しにせずに言うと、僕は泳ぎが苦手です。
なのに理想を現実にするために、
息継ぎを失敗して海水を飲み、
耳には水が入り、
必要以上に手と足を動かして、
身を削って浮島まで行きました。

浮島から砂浜まで戻るのはもっとひどかったです。
死ぬ。
そう思いました。

理想を求める前に、
自分にそれだけ割ける資源があるのかどうか、
見極めが大事だなと、
海に沈みそうになりながら思いました。

「浮輪をくれ」
とは言いたくないし。

2013年8月20日火曜日

ソーダー味ドーナッツ

ポンデリングのカルピスソーダー味を
友達が買ってきた。
飲み物じゃないソーダー味で僕が唯一好きなのは、
青と赤の十円のコーラ味のガムぐらいです。

ガリガリくんのソーダー味も、
チュッパチャップスのコーラ味も、
かき氷のラムネ味もそうですけど、
ブクブク感のないソーダー味はただ甘いだけで、
色彩イメージのみという気がしてなりません。

クッピーラムネなんかは
ソーダーを飲む以上にブクブクするので、
食べるのにちょっと覚悟が必要になって、
あんまり好きじゃありません。

しかしこのポンデリングのカルピスソーダー味、
これは、ブクブク感までいかないにしても、
あのカルピスソーダーを飲んだ後の
舌の後ろのほうにマイルドかつ爽やかに残る感じが出てる。

そういえば、ソーダ味とは関係ないですけど、
こないだ食べた[はらドーナッツ]のドーナッツは、
はらのアイスクリームを先に食べると、
ドーナッツに砂糖を入れ忘れたと思うぐらい薄味なので、
食べる順番に気を付けてください。

2013年8月19日月曜日

ガス欠

二三日前にメンタル的なガス欠のことを
書きました。
下り坂にいるときはガス欠しても
くだっていけるけど、
上り坂の途中のガス欠はピンチだと。

その日僕は幡豆の山を越えるとき、
ほんとにガス欠しました。
僕は書いたことを、
ブログを更新した瞬間忘れてしまうので、
自分がガス欠のことを書いたことを
人に言われるまで忘れていました。
「現実でもガス欠してるじゃん」

メンタルなガス欠のこと。

たとえば仕事で、
トップセールスマンになってやろうと思って、
毎日、決めた売上げを達成することを目標にする。
自分に元気とかヤル気とかエネルギーがあるときは、
目標達成しなくても、
嶮しい坂を上っていける。
明日に供えて準備とか勉強も前向きにできる。

僕が上り坂とか下り坂だというのは、
「売上げ」ではなくて「トップセールスマン」のほうです。
売上目標は計算であるていど設定できますよね。
過去の人がどれだけ売ったかとか、
これだけ契約があったら給料出るなとか。
過去の前例をモデルにできる。

でも「トップセールスマンになる」っていう目標は、
設定が難しいです。
だって、憧れのあの先輩みたいになりたいとか、
休みの日は他の業種の人に会って人脈を作るとか、
連休はビジネスクラスで海外旅行に行くとかは、
自分の理想次第じゃないですか。

売上目標は自分だけの責任じゃない。
会社とか社会との関わりも含まって決まる。
それに対して「トップセールスマン」の目標は、
完全に自分だけの責任になる。

売上げが達成できなくても
色々言い訳もつけれるし会社のせいにできるけど、
トップセールスマンになれないのは、
会社のせいにできない。

そういう意味で、
上り坂で「もう進めない」とガス欠したら、
自分は山頂を向いているのに、
後ろに転がりはじめて、
どんどん理想から遠くなってく。
悲しい。
想像するだけで悲しい光景です。

現実にガス欠をするとき、
僕は山をくだっていた。
でもその先にスタンドが無いことを知ってたから、
Uターンした。
Uターンしてすぐに止まった。

結局何だ?
現実から学ぶならこうです。

「ガス欠したら上りも下りもない。
ただ止まるだけだ。
スタンドのおっさんに電話するしかない」

2013年8月18日日曜日

神様仏様、涼しサマー

もう夕方になると、
夏さよならー、
とでも言いたげな風が吹いてきます。
涼しい夕方。
うん、そうだ。
夏の夕暮れてからは、
外に出るだけで涼めるはずだった。

僕が小学生ぐらいの頃、
七時とか八時の、
陽が落ちる時間になると、
おばあちゃんは僕を連れて散歩に出た。

僕は西尾市内の商店街付近に住んでいて、
二〇年ぐらい前はまだ商店街が生きていた。
中学生ぐらいになって、
バタ、バタ、バタ、と一軒一軒死にはじめた。

家の商店街付近は、
年寄りばっかり住む下町で、
僕がいた中町というところには
僕を入れて十数人ぐらいの子供会があった。
今はもう子供会は無いそうです。

その通りを歩くと、
デカパン一枚で上半身裸の、
首からタオルをかけた風呂上がりのおっさんを
何人も見ることができた。

裸のおっさんたちは
団扇をあおいでいたり、
孫を連れてスイカを食べていたり、
外にパイプ椅子を引っ張り出して
缶ビールを飲んでいたりした。

なぜか?
陽が暮れると涼しかったからです。
うちのおばあさんが散歩に行きたがったのも、
涼みがてらの習慣でした。

いや、いや。これは僕が記憶を粉飾してるだけで、
ただ単にエアコンが無くて、
「外のほうがまだマシ」なレベルにあった、
とも言えますが。

どっちにしても、
涼みに外に出るなんて習慣は、
とんと聞きやせん。
外で涼む習慣に変わって、
外で涼しさを感じたら「夏さよならー」な
気分になってます。

でも、まだ夏はけっこう残ってる。
最近夕方が気持ちがいいです。
今日はスペシャルビール&ピザフェア最終日です。
名鉄沿線の人なら、
電車で来るのも楽しいです。

2013年8月17日土曜日

惰性スクロール

「早く書かないと時間切れだ、
遅刻する!」
と、去年ぐらいは毎日
後ろから猛獣に追いかけられる思いで書いてたけど、
最近はもう焦ることもなくって、
時間切れになったらなったで
じゃ、
「おはよーございます、
今日もがんばります。
みんなも一日を楽しみましょう」
そう書けばいっか、と思ってしまう。

下り坂にいるとき、
ガス欠してもそのまま
惰性で下るだけだから不安もない。

だけど上り坂で、
自分が頂点に登り詰めようとしているときは、
ガス欠したら後ろに転がってくばっかだから怖いです。

このガソリンはモチベーションのことか?
ガソリン=ヤル気とよく例えて言いますからね。
ガス欠したら人間として落ちてくか、
猛獣に食べられて死ぬか、
どっち?
それは怖いことだからガス欠しないどこう、
モチベーションを保っていこう、
と、よくビジネス書は言う。

今日のブログは
下り坂をシャーと惰性で下るように
スクロールする読み方でどうぞ。












































2013年8月16日金曜日

塩漬けバジル

バジルのトウが立ってきました。
この「トウ」を漢字でドウ書くか知ってますか?
トウは薹と書きます。
黒い塊になってどういう字か読めませんけど、
草かんむりに吉を書いて
室の上のチョンの部分が無いのでトウと書きます。

若い盛りの時期を過ぎて、
葉っぱが硬くなります。
生で使うには今ギリギリな頃です。
硬いのは食べても口に残るので嫌な感じです。

だけどバジルはピザで毎日使うので、
切らしたくない。
そこで塩漬けバジルというものを作ろうと思います。
どういうふうに作るかというと、
バジル、塩、バジル、塩と
交互に重ねて漬けるだけだそうです。

「あいつももう薹が立ってきたな」
と、いつ自分も言われるか分かりません。
だから人間も塩漬けのような状態で、
新鮮な香りをキープできたら最高だと思うんですけど、
人間の塩漬けはどうしたらできるんだ?

人間というバジルに何を重ねていったらいいのか。
それはやっぱしょっぱいイメージがあるものだと思われる。
恋、友情、部活、海に向かって「チクショー!!」と叫ぶこと、
誰かに叱られること、夏目漱石の『坊っちゃん』もしょっぱい。

しょっぱいというと、
僕には「悔し涙」のイメージがあるみたいです。
薹が立ってくにつれて、
悔し涙が少なくなるかもしれん。

僕は小さい頃よくドライバーをオモチャにしていて、
ネジが回せないと悔しくて泣けた。

2013年8月15日木曜日

帰郷する人びと

今週はカフェもピッツェリアも
定休日無しで営業しています。
お店はずっとオープンしてますけど、
スタッフは交替交替でやってます。

このお盆の時期の幡豆町はすごいです。
僕は小さい頃から西尾の市内ですけど、
市内から三〇分離れただけでも
街に漂う雰囲気の違いを感じる。

〈帰郷〉という言葉は僕にとってずっと、
街から人が減っていくほうだった。
でも、幡豆に来ると〈帰郷〉は逆に、
人が増えるほうになった。

街がそわそわしてる。
普段よりも多くの人が通りを歩いている。
僕は自転車で職場まで通う。
その途中の墓地の周りを通るとき、
線香の匂いが辺り一帯むっとするぐらい充満していて、
僕は線香の匂いが好きだから、
ちょっとゆっくりその前を通る。

墓前には十人から二十人の手を合わせる人。
こんなにたくさん
同時に墓参りをしてる人を見るのは、
たぶん小学生とか中学生の頃以来です。

何年も、
お盆は旅行に出かけるか仕事をするかで、
結局お盆が終わってから墓参りに行くことになる。
だから親戚によく怒られます。

その墓参りは〈お祈り〉というより、
〈謝り〉です。
「毎年お参りが遅くなってごめんなさい」と。

人が離れるほうの帰郷があって、
人を迎えるほうの帰郷もある。
墓参りも親戚の家にも行かずに仕事をしてるような人は、
自分が奇矯な行いをしてると思ったほうが
いいかもしれないですね。

2013年8月14日水曜日

牛乳の一気飲み

・ピザ&ビアガーデンフェアでは
スペシャルな地ビールとして、
沼津の[ベアードビール]から五種類、
ハワイのコナビールを三種類用意しています。

どれも特徴的で好きなんですけど、
特に印象に残ったのは
ベアードの『スルガベイ インペリアルIPA』です。
飲んだ瞬間は甘味があって、
後から苦味とともに風味が昇ってくる。

濃いビールの味だけど、
ワインみたいなフルーツっぽさもある。
日本の黄色いラガー系のビールは
一気飲みするとうまいごくごくタイプですけど、
それとは逆のちびちびタイプビールです。

・僕は今シェアハウスをしていますけど、
他人と一緒に住むと普段一緒にいるのとは違って、
習慣のちがいがはっきり出てきます。

一緒に住んでいる太一くんは
ビールはあまり飲まない代わりに、
牛乳をよく飲んでいる。

ビールを一気飲みする光景は見慣れていますけど、
牛乳を一気飲みする光景は中学校の給食以来
あまり見ていません。
だから太一くんがジョッキに牛乳を並々注いで、
ごくごく白い液体を流し込んでる姿を見るのは
なかなか爽快な感じがします。

たぶん太一くんがこんなにも牛乳を飲むのは、
毎日カヤックツアーでついてきた筋肉を
より強化しようという考えがあると思う。
「おれ最近、胸筋がやばいんだよね」
と言っていますので、
もしよかったら触ってみてあげてください。

太一くんが毎日牛乳を飲みまくるおかげで、
共用キッチンは空の牛乳パックだらけです。
こういう場合、
牛乳を樽で入れたほうが経済的かもしれない。

2013年8月13日火曜日

見当ちがい

・一昨日ぐらいのブログに僕は、
「今日からお盆です」
ということを書いていたそうです。
僕は自分の過去のブログを見返すことが
とても恥ずかしいので確認してませんけど。

自分の書いたものを見返すと、
見当ちがいなことばっかり言ってる気がして、
カラダが熱くなってきて段々汗をかいて、
顔がゆでダコみたいに赤くなった挙げ句、
もうブログなんて書くもんかと思って、
パソコンをシャットダウンしてしまうので、
過去の記事は見返さないようにしています。

だから人に指摘されるまで、
自分の失敗にも気付きません。
ともかく、
僕は一昨日ぐらいに「今日からお盆です」と
言っていたそうです。

だけど、日本でお盆と言われるのは、
今日から十五だったり十六日までなのが一般的なようです。
「なようです」というぐらい
僕は日本の風習に無知なことに気付きました。

サラリーマンとかが取る
「お盆の大連休」を丸ごとお盆のことだと
僕はいつからか認識するようになっていました。
大企業などの社内カレンダーが、
大企業に所属すらしていない僕に染み付いていた。

もし僕のブログをそのまま受け止めて、
周りの人に「今日からお盆だよー」なんて言いふらして、
恥ずかしい思いをした方がいたら
ごめんなさい。

・というふうに、
僕は今日の記事を訂正とお詫び文のような形にしましたけど、
「見当ちがい」も悪いもんじゃないな、と思いました。
訂正するようなことを僕がすれば、
一日分のブログネタがそれで出来ることが分かりました。

僕が無知をさらして恥ずかしいだけならともかく、
僕のブログを読んでくれる人に
迷惑をかけるかもしれない。
それはもう先に、ごめんなさい。

「見当ちがい」を恐れずに行こうと思います。
僕は見当ちがいを指摘してくれる人に支えられていますし、
見当ちがいが僕のブログの糧になります。

昨日の夜は一週間ぶりにエアコン無しで寝ました。
でも熱すぎな場所にはみなさん気を付けて。

2013年8月12日月曜日

昭和のあの味を再現

昨日からピザのメニューに
『昭和』が加わりました。
コンセプトは「昔おばあちゃんが作ってくれた
あのピザトースト」です。

トッピングはツナとタマネギ、
コーンとピーマンです。
ツナのピザはイタリアでも人気があるみたいで、
「ピッツァ・トンノ」という名で呼ばれています。

僕がまだナポリピザを知らない幼い頃
家庭で作るピザは、
喫茶店のミックスピザを真似して、
トーストにケチャップを塗り、
トッピングを載せて、
[とろけるチーズ]を一枚敷いて焼いたものでした。

このピザトーストは僕の記憶にかぎらず、
社内アンケートを取った結果、
昭和というイメージがみんなにも合致していました。
たとえ僕がこのピザトーストをはじめて食べたのが
平成元年だとしても、
やっぱり普遍的な昭和のイメージが
このピザトーストにあります。

オーシャンの『昭和』は、
食パンの代わりにこだわりのピザ生地と、
ケチャップの代わりにサンマルツァーノの
トマトソースと、
とろけるチーズの代わりに生モッツァレラを
使っています。
もちろん野菜は自家製の無農薬野菜です。

材料はあんまり昭和らしくないです。
もしかしたらそんなこだわりは自己満足で、
普通に昭和のピザトーストを作った方が
好きな人が多いかも。
だけどそれじゃ元も子もないので、
「オーシャンでピザトーストを作るとこうなります」
という考えです。

ともかく、
「あ、この味食べたことある」みたいな、
ジーさんバーさんから子供まで好きな味です。
僕はこの昔ながらのテイストがかなり好きで、
昨日はすごい勢いでこのオーダーが入るかもしれないと
待ち構えていたんですけど、
そうでもなかったです。

みんなクールに、
マルゲリータとかイタリアンな名前のピザを
選ぶことが多かったです。

今日は朝から薪を割らなきゃいけない。
今日は朝からクールにマキワリーダ。

2013年8月11日日曜日

夏来たりぬ

一昨日よりも昨日のほうが、
ほんの少し風立ちぬ。

日陰のハンモックで揺られていると、
汗や海水も乾きぬ(乾ききらぬこともある)。

ぬばたまの肌の人たち、
砂浜から出発するカヌー。

ツアーは朝か夜にしとかないと、
暑くてシヌー。

昨日からのピザ&ビールフェアで
揃えた沼津地ビールのヌ。

寺部海水浴場には海の家の二階に
監視員室があるが、
繁忙期の今の監視よりも
夏前に行われた雑誌のヌード撮影のほうが、
双眼鏡を離さなかった。ヌー。

2013年8月10日土曜日

ポスティング

昨日はヴィラでボイストレーニングをしてきました。
って言うと何だか響きがカッコいいですけど、
僕がしてきたのはビラのポスティングです。

メッセンジャーバッグを背負って、
幡豆の住宅地を自転車で走り周り、
投函、投函、投函。
四十件ぐらい投函したら、
暑くてもうアカンと思って帰りました。

夏の日中にポスティングはするもんじゃありません。
「しろくまの気持ち」という
首に巻くと涼しくなる
ネッククーラーを巻いて出掛けましたけど、
ぜんぜん効き目が分かりません。

毎日僕は石窯の前でピザを焼いていて、
そこはたぶん四〇度以上あると思いますけど、
それでも日射しの当たる外よりはマシです。

今日から十八日までピッツェリアでは
スペシャルな地ビールを揃えています。
店の前に海を望むカウンターも付きました。
夏のいいところは、
日陰で飲む冷たいビールがうまいところです。
エンジョイ、オーシャン。

2013年8月9日金曜日

PPガーデン

夏のイベント情報をほっぽり出して、
怪談噺に夢中になっていました。

気付けば明日からお盆です。
オーシャンではピザ&ビアガーデン
略してPPガーデンが開催されますので、
海に出かけがてら遊びにきてください。

夜の海をヒチャヒチャ、
ヒチャヒチャ歩く人影の
後ろをなぞる肩の裏側から
濡れた手が覆い被さる。
怪談コーナーもあります。
ヒッヒッヒ。

2013年8月8日木曜日

豊田藤岡怪談

アスカちゃんは高校生の頃、
ブラスバンド部でサックスを吹いていた。
熱心に練習に取り組んでいた部活では、
帰りが夜遅くなってしまうことも日常茶飯事だった。

その帰りの時間が
九時十一分猿投着の電車に乗ったとき、
必ずといっていいほど
不思議な現象に遭遇した。

猿投駅から自宅がある藤岡町まで、
アスカちゃんは自転車で帰った。
人通りも無ければ街灯も無い道で、
田んぼやまばらな家、
小さな寺や墓を抜けて行く一本道だ。

女の子にかぎらず、
誰でも心細くなるような道だった。
はじめてアスカちゃんが
その現象に立ち会ったとき、
何がなんだか分からいほど驚いた。

自転車を漕いでいると、
後ろから近付いてくる音があった。
近付いてくるといっても異常な早さで、
後ろを振り返るヒマもなかった。

「シャッ」
と横を追い越していくものがあった。
そしてまた「シャッ」、
また「シャッ」、
「シャッ」
「シャッ」
「シャッ」
「シャッ」
「シャッ」
「シャッ」
「シャッ」

それは十台前後の
物を言わない人間が乗った自転車だった。
顔を前方に向けて、
アスカちゃんの方を気にするわけでもない。

縦一列に並んだ十台の自転車は、
とても長い。
だけどその長い列が一瞬で、
「シャッシャッシャッ」
最後に
「シャーーーーー」
と、道の先に消えていく。
無言で……。

アスカちゃんは家に帰ってすぐ両親に
一体何が起きたのかを聞いた。
正体が分かった。
トヨタ系の工場で働く中国人たちだった。

正体が分かっても怖かった。
それもそのはずで、
静かな夜道なのにも関わらず、
物音をまったく立てない。
自分の間近まできて存在に気付いたときにはもう
「シャッ」と通り超していく。

だからアスカちゃんはイヤフォンをつけて、
その音が聞こえないように音楽を聴きながら
帰ってみた。
そうしたらもっとびっくりした。

自分の横を通り抜けていく音の替わりに、
「バッバッバッ」という風が吹き抜ける。
ちょっとでも背後から物音が聞こえた方が、
心の準備が出来て、
まだマシだった。

自転車大国の人たち、恐るべし。

2013年8月7日水曜日

日名南怪談

この話しは事実に基づいています。
正確をきするために、
インタビュー内容はそのまま
上げさせて頂きます。
場所はオーシャンで、
話し手であるアッキーさんは
僕のピザ師匠です。

僕「すいません、
こないだの『恐怖のファイヤーパターン』は
どうも怪談というより、
普通に怖い先輩の話しという気がするんですけど……」

アッキー「……田口日勝先生って知ってる?」

僕「え? いや、知らないです」

アッキー「うちの近所に住んでた超能力者だよ」

僕「……」

アッキー「著作だって何冊も出してる。
Amazonで探せば今でも見つかるよ。
おれは日勝先生の息子と同級生だったんだ」

僕「へー」

アッキー「小学生時代に日勝先生の息子に
ちょっと面白半分にイジめたことがあってね。
その次の日、日勝先生の息子は銅像を持ってきた。
日勝先生に渡されたと言っていた」

僕「銅像、ですか?」

アッキー「それでその銅像をおれの前に突き出して、
ぶつぶつ何か言うんだ。
ぶつぶつ言うのが終わってこう言った。
『あっくんの邪気を封じ込めたからもう大丈夫だよ』
おれはその日以来、邪気を封じ込められたんだ。
日勝先生が住んでた日名南町の
マンションの敷地内にその銅像は今も埋められている。

僕「アッキーさんの邪気と共に、ですか?」

アッキー「そう。共に。
日勝先生の超能力の一つだね。
それから、ケーキの味を変える、
という超能力もあったよ。
おれと息子に同じケーキが一切れずつ渡された。
それを持ってマンションの外に出た。
日勝先生は三階のマンションの部屋から
超能力を使って味を変えるっていうんだ。

僕「どうですか? 味変わりましたか?」

アッキー「まあ、ちょっと分かりにくいというか。
後、醤油の味を変える、という術もあったね。
おれと息子に同じ醤油を垂らした小皿が渡された。
それでまたマンションの外で超能力がかかるのを待った。

僕「それはどうですか? 変わりましたか?」

アッキー「変わったか、と問われれば、
変わっていない、とも言えない。
とにかく日勝先生は業界じゃ有名な人だったんだけどね、
テレビに出たこともあるんだよ。
『世にも怪しい不思議な超能力者』っていう番組だった」

僕「あ、そういうことなんですか?
〈怖い話し〉の怪談じゃなくて、
〈怪しい話し〉って言葉通りの意味で怪談という
ことなんですね」

アッキー「もう亡くなっちゃったんだけど、
惜しい人をなくしたなー」

2013年8月6日火曜日

八ツ面怪談

今から十年数年前の話しです。
車の免許を取ってすぐの若いカップルは、
深夜のドライブを楽しんでいました。

まだ飲酒運転が厳しく取り締まられていないときで、
二人は共に酔っ払っていました。
西尾市の山の周りを走っていて、
八ツ面の麓のカーブに差し掛かったときです。

助手席に乗っていた彼女のKちゃんがビールの空缶を
酔って気分の良い勢いで窓から投げると、
「カラーン」と音が鳴りました。
ふと投げた方向を見ると、
丁度カーブの真ん中辺りに地蔵が立っていて、
その脇の草むらに空缶が転がっていました。

その後ドライブを終えて家に着き、
Kちゃんは車を降りるのにドアを開けようとすると、
腕がズキッと痛みました。
何だろうと思ってシャツをめくると、
腕が真っ青になっていました。
そのまま二人は別れて家に帰りました。

翌日、彼氏であるJくんは心配になって
電話をかけましたけどKちゃんは出ませんでした。
二日たっても三日たっても電話に出ません。
その三日目の夜、
Jくんが部屋にいると、
廊下のほうから音が聞こえてきました。
はじめは虫の音のようでしたけど、
近付くにつれて音がはっきり
「シャリーン、シャリーン」
と聞こえてきました。

コツ、コツ、という硬い音も一緒に聞こえてくると、
Jくんの部屋の前でピタッと音がやみ、
その後はただ沈黙があるだけです。
Jくんは部屋から出るに出られず、
結局朝になってやっと部屋から出れました。

Jくんは電話が繋がらないままなので、
Kちゃんの家に行ってみることにしました。
あのドライブの日以来、
Kちゃんはずっと熱を出して寝込んでいたのです。
もしかしたらと思ってKちゃんの腕を見ると、
まだ痛々しいぐらい青くなったままでした。

そこでJくんはKちゃんの母親に
ドライブをした夜の顛末を話すと、
県内の除霊で有名なお寺に問い合わせて、
お祓いをしてもらうことに決まりました。

その間Jくんの家では、
深夜過ぎの決まった時刻になると必ず、
「シャリーン、シャリーン」という物音が
部屋の外から聞こえてくる日が続きました。

お祓いをしてもらって数日経つと、
Kちゃんの意識が戻り、
少しずつ体調を戻していきました。
Jくんの部屋の外を徘徊する物音もなくなりました。

二人は結婚して今も仲良く暮らしています。

2013年8月5日月曜日

東京メトロ怪談

仕事を終えたトモコさんはいつも通り
家に帰るために地下鉄に乗った。
残業で遅くなり、
いつもは混んでいる東西線も席が空いていた。

溜まっていたメールを返すには丁度いい時間なので、
フェイスブックを開いた。
少し立つと、
隣に誰か座る気配があった。
革靴にスラックスが見えた。
たぶん仕事帰りのサラリーマンだろう。

駅に着くまで
コメントへの返信を続けた。
駅からアパートに向かう帰り道で、
iPhoneが鳴った。
友達リクエストだった。
知らない名前だったのでそのまま保留にした。

するとまたすぐに、
今度はメッセージが届いた。
メールを開くとこう書いてあった。

「さっき隣に座ったものですけど、
友達になってくれませんか?」

2013年8月4日日曜日

岡崎怪談

この話しは事実に基づいています。
正確をきするために、
インタビュー内容はそのまま
上げさせて頂きます。
場所はオーシャンで、
話し手であるアッキーさんは
僕のピザ師匠です。

僕「今、怪談話を集めてるんですけど、
何かありますかね?」
アッキー「『恐怖のファイヤーパターン』って
知ってるか?」
僕「いや、聞いたことないです……」
アッキー「おれが十代後半のときだけどね。
その頃おれの周りではみんなバイクに乗っていて、
一人の友達にファイヤーパターンが大好きなやつがいた。
そいつは大金をはたいてピカピカのバイクを買って、
それを早速、ファイヤーパターンの塗装をかけたんだ。
夢にまで見たことだから
嬉しくてしょうがなかった。
それで、地元の岡崎の先輩に見せに行くことになった。
『どうですか?良くないですか?』
とそいつは嬉しくてバイクを撫でていたよ。
だけど、何かの拍子で先輩に火が点いちゃったんだろうね。
その先輩はこう言ったんだ。

『本当のファイヤーパターンが
どんなものか知ってるか?』

突然先輩の声のトーンが変わった。
何が起きたと思う?
先輩はいきなりそのバイクを蹴り倒したんだ。
それでどうしてそんなものを持っているのか、
持運び用のタンクからガソリンを撒きはじめた。

『おれが見せてやらぁ!』

と言うと、ライターで紙を燃やして、
火のついた紙をガソリンまみれになったバイクに放り投げた。
どでかい火が点いて、
バイクから炎が吹き上がった。
大きなファイヤーパターンができたよ。
どうだ?怖いだろ」
僕「……こ、怖いですね。
いや、怖いことは間違いないんですけど……」

2013年8月3日土曜日

阿久比怪談

阿久比町に病院の廃墟がある。
知多半島高速道路を走ると、
遠目からでもその朽ち果てた建物を
眺めることが出来る。

隣町に住む山本くんは
この廃墟が地元の間で心霊スポットとして、
結構危ないと噂になっている話を聞いた。
その廃墟で戦利品を持って帰ってくれば、
若い者同士の間ではステータスにもなる、と。

山本くんは嫌がる友達を無理やり連れて、
その廃墟に行った。
割りと最近まで人の出入りがあった病院だけに、
散乱しているものにもまだ人間味が染み付いていた。

受付けの周辺には空っぽになった棚が散乱して、
診療室のような部屋には古くなった機具が
壊れたのか壊されたのか、そのまま転がっていた。
涼しい夜で、夜の廃墟を散策する山本くんは
気味悪さよりも冒険心で、
戦利品探しに夢中になっていた。

ナースステーションに行き当たると、
その入口付近に看護婦のものだったと思われる
白い上履きが何足も転がっていた。
「これだ!」と思って山本くんがその片っぽを
拾い上げようとしてしゃがんだ。
すると視界に、きらっと光るものが横切った。

目線の先には事務机が並んでいて、
その足下が見えた。
光ったものの正体が何だったのか、
山本くんは懐中電灯を向けると、
一瞬誰かの顔が見えたような気がして、
カラダの血の気が引くのを感じた。
肩をつかまれてハッと山本くんは振り返ると、
友人は青い顔をして「行こう、行こう」と言った。

それでも気になった山本くんが
目線を戻してよく見ると、
事務机の下で懐中電灯が反射していることが分かった。
プラスチックのファイル入れに反射していたのだ。
山本くんはそのファイル入れを手に取ってみると、
中に書類が入っていた。
患者のカルテだった。
たぶん処分しようと思っていたファイルの一部が
机の隙間に滑り込んで、
そのまま置き去りになってしまったのだろう。

病院名も記されていて、
山本くんはこれ以上の戦利品はないと思い、
そのファイルを持ち帰った。

丁度一年が過ぎて、
翌年の同じくらいの時期に、
山本くんは朝の通勤で駅前を歩いていて、
一人の女性に呼び止められた。

「すいません、カルテを返してもらえませんか」

その女の顔には見覚えがあった。
事務机の下で見た顔と同じだった。
気付いた瞬間女の姿は無くなっていた。

2013年8月2日金曜日

西尾怪談

取り壊される前の白薔薇学園に
太一くんは四人の友人と
怖いもの見たさに遊び半分で訪ねた。
夏の暑い夜で、
山の麓で廃墟になっている建物に着いても、
涼しいどころか湿気で暑い。

みんなはバイクを敷地内に停めた。
建物の玄関の前はヒザの上まで雑草が茂っていて、
扉や窓の類いは一つもなくて、
外から見ると真っ暗だ。

太一くんたちが懐中電灯を持って玄関を入ると、
すぐにみんな建物の奥の窓越しに、
「ボワーンボワーン」
と黄色く点滅する光を見た。
現場工事のランプか何かだと思って、
そのまま奥の階段に進もうとした。

階段の手前まで来ると、
横目で見える光の印象が変わったのに気付いた。
「ボワーンボワーン」
と同じように点滅はゆっくりとしたままだけど、
色だけが赤くなっていた。

友人の一人である祢冝田くんは
勇気を試すようなこういう冒険が大好きで、
「上まで行こうぜ」と言った。
でも太一くんは気分が重くなってくるのを感じて、
友人の他の二人と外で待っていることにした。

太一くんたちがバイクの停めてある周りで
待っているとすぐに、
建物の屋上から声が聞こえてきた。
「おーい」
と祢冝田くんともう一人が手を振っていた。
それからパッとフラッシュが焚かれるのが見えて、
記念撮影をしているのが分かった。

二人は平気な顔で建物から出てきた。
「ぜんぜん、何ともなかったよ」
と祢冝田くんは言った。
「誰かライター持ってる?無くしちゃってさ」
祢冝田くんはタバコをくわえながら言った。

ポケットを探ってみると、
どうしてかみんながみんな
ライターが無いことにそこで気付いた。
おかしいと思いながらバイクのある場所に戻った。

バイクのすぐ手前で祢冝田くんがつまづいた。
来るときには気付かなかったけど、
ひざ下ぐらいの高さの石の台が茂みの中にあった。
そこでみんな、一瞬言葉に詰まった。
石の台の上に、
ライターが三つ三角形のような形で置かれていた。
「△」
それはみんなが無くしたと思っていたライターだった。

「ライターはいいから、早く行こうよ」
空気感の違いに敏感な太一くんは言った。
みんなの顔からも笑いが消えて、
バイクを動かそうと思った。

でも、変なことに、
バイクのセルを回してもエンジンがかからない。
キックで何回踏み込んでも、
かかりそうでかからない。
さすがに祢冝田くんも
明らかに事態がおかしくなってることに気付いて、
急いで手でバイクを押して敷地外に出ようとした。
その途中にやっとそれぞれのバイクのエンジンがかかって、
帰ることができた。

数日してから太一くんは祢冝田くんに電話で呼ばれた。
すぐ来て欲しいと言われて家に行くと、
祢冝田くんはどうしていいか分からないんだけど、
と言って記念撮影で撮った写真を出した。

祢冝田くんが屋上の手すりにもたれかかって
ピースをしている両脇に、
男が二人立っていた。
その二人の男は明らかに兵士だった。

2013年8月1日木曜日

橋本治の文章

昨日は人間関係の実験のことを書いて、
実践方法だけを言って、
「何で自分はそんなことを考えはじめんだ?」
ということを書くのを忘れた。

僕が最近、
本とか活字でいちばん楽しめる文章は、
「何でこんなことを書きはじめたのか?」
という部分です。

何でそう思いはじめたのかというと、
橋本治の本を三冊立て続けに読んでそう思いました。
『橋本治という行き方』
『橋本治という考え方』
『橋本治という立ち止まり方』
の三冊です。

これら以外に読んだ橋本治の本は『恋する春画』
だけですけど、
この画集は絵しか見ていないので
読んだうちに入らないから、
ちゃんと読んだのは上の三冊だけです。

『橋本治という立ち止まり方』の中に
「老いと老人」の章にこう書いてある。

〈私が入院してまず思ったのは、
《そうか、老人大国っていうのはこういうことか》
を実感させるような、老人の多さです。
私自身もう六十を過ぎているので不思議はないのですが、
私の入った病室はジーさんだらけで、
まず《お前もジーさんの一人であることを自覚するように》
と言われてるようなものです。
検査やらなんやらで病院内を移動すると、
もう圧倒的なジーさんバーさんです。
患者本人もジーさんバーさんなら、
それに付き添う人間達もジーさんバーさんで、
《このジーさんバーさんがこの先もっと増えるんだ》と思うと、
絶句してしまいます〉

この文章にはまず
「老人大国なのを実感できていなかった自分」がいる。
それが入院したことをきっかけに、
「自分自身の認識を改めさせられる」という反省がある。
面白くないのはここで終わる文章だと思う。

「僕はこう思いました」と言われても、
読むほうは「ふーん、あなたはそうなんですね」
で終わってしまう。
けどそこから「もう一歩踏み込む」と小説になると思うし、
「後ろに一歩後ずさる」とエッセーになると思う。

橋本治のこの文章はエッセーで、
後ろに一歩退いて、
ジーさんバーさんの世界に目が開かれる。

読者である僕はその文書を読んで、
「現実の日本はジーさんバーさんだらけなのか」
という漠然とした情報は入ってくるんですけど、
それはあんまり重要じゃない。
もしその情報が知りたければ統計局のHPがある。

それよりも、
橋本治が入院して、
ジーさんバーさんに埋め尽くされたせいで、
「“ジーさん”がどういうものか確かめておこう」と、
この文章を書きはじめた動機に触れられる。

動機というか、
胸がドキドキするような動悸が言葉にされている感じで、
それが橋本治の文章の面白さでした。