2013年11月19日火曜日

三国志の博愛主義

横山光輝のマンガ『三国志』を先週から読みはじめて、
やっともうすぐ読み終わります。
面白いんですけど、
みんなの顔が似過ぎていて、
誰が誰だか分からなくなります。

せめてドラゴンボールみたいに
髪型に派手な違いがあると分かりやすいんですけど。
『三国志』ってほとんど帽子(兜)を
被って“いない”人が出てこないんですよね。
被り物を取るときは病気で寝込んでいるときぐらいです。

登場人物は帽子か兜どっちかを被っている。
偉い人はみんな筒みたいな帽子で、
武将はみんな馬の尻尾みたいな毛の付いた兜。

マンガの後半になると関羽とか張飛など
主要な登場人物が入れ替わって、
その息子や後継者になってくるんですけど、
後半になってくると顔の個性はさらになくなって、
みんな目が大きめでキリリとした顔立ちの二枚目になります。

それと味方が二枚目、敵が悪人面ならまだ分かりやすいですけど、
横山光輝はたぶんガンジーのような博愛精神を持っている人です。
僕はそう睨んでる。
敵が同じような二枚目顔になってるのはそのせいだ。
もう誰が誰だか分からない。
会話の文脈か服の色で蜀・魏・呉を理解するしかない。
(蜀=白 魏=黒 呉=グレー)

勧善懲悪と博愛主義はどっちも正義を貫く精神です。
だけど思うにこの違いは、
悪いやつを懲らしめる話しにはジョークがあるんですけど、
悪いやつを平等に扱う話しにはジョークがありません。

だけど、こんなにジョークがなくても笑えるのは、
顔も一緒で、服も帽子も一緒って、
それ自体がもうジョークみたいなものだからですかね?

※ちゃんとストーリーが面白いです。

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