2013年10月22日火曜日

さだお先生の舞台

優れた小説の条件には、
冒頭に読書を引き込む力があるといいます。
東海林さだおの小説ではないけどエッセイは、
いつも食べ物のことを書いているだけなのに、
掴まれるものがある。

『キャベツの丸かじり』の中の「素朴な芋たち」の冒頭はこうです。

“テーブルの上に、三種類の芋が並んで湯気を上げている。
じゃが芋、さつま芋、里芋である。
いずれも茹でたりふかしたりしただけで、味はついていない。
これからこの連中を食べようというのである”

普通のことを書いているのに、
何か普通じゃない。
芋をふかすのも、テーブルの上で食べるのも普通です。
普通ではないのは、人はわざわざ三種類も芋を並べない。
そこにこれからどんな話しが進むのか興味を引く。
突然、東海林さだおは先生になって、
芋たちは生徒になる。

“三人を並べてみると、
エコヒイキは教育者としていけないことだと思いつつも、
じゃが芋君はかわいい。
さつま芋君は、容姿のびのびと育って健康的でいい。
里芋君は何だか憎たらしい。
性格的にも暗いところがあり、少しいじけているような気もする”

たとえば、
釣人が釣りのことを知らない人に趣味をペラペラ語っても
聞いてるほうはつまらなかったりする。
だけど東海林さだおはまず舞台を学校に置く。
自分は先生という役者を演じて、
じゃが芋君、さつま芋君、里芋君を舞台に上げる。

よっぽど芋好きでもなければ、
人の芋の好みなんて知ったこっちゃありません(ですよね?)。
だけど舞台が置かれると、
なんだか突然ストーリーが身近に感じられるようになる。

さだお先生はこの後芋君たちに進路指導をはじめる。
すると自分も何か芋君たちに言いたいことが出てきたり、
「山芋君や菊芋君が仲間外れにされているのはなぜですか!?」
と芋側のPTA的な立場として意見の一つも言いたくなってくる。
その時点でさだお先生の術中にはまっているとも気付かずに。

冒頭の段階ではまだ僕は、
「こういう話しが展開しそうだな」みたいな先読みをします。
芋を食べて、比較をして、それぞれの美味しさを書くんだな、とか。
ところがさだお先生のエッセイで中盤を過ぎた頃になってくると、
自分が先読みしていていたことは簡単に飛び越えて、
想像もしてなかった舞台になっています。

“さつま芋君は、ホクホク性が身上だ。
こういう生徒は進路指導が楽だ。
先生としては、
『ホクホク性に進路をとれ』と指導していきたいと考えている”

ここでホクホク性がヒッチコックの『北北西に進路を取れ』と
重ねられるところに、
さだお先生に口出ししようとした自分が恥ずかしくなる。
PTAは黙って先生に一任しよう、という気持ちになります。

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