昨日僕はカフェで一日仕事でしたけど、
オーシャンの田んぼのほうでは「田植え祭」が行われてました。
百人近くの家族がいらしたそうで、
そんな数の人を田んぼで僕は見たことないです。
スタッフみんなも田植えをする日があります。
店があるので行ける日はばらばらですけど、
一人ずつ交替で行ったりします。
普段店で使っているお米のはじまりの地点に立とうと思って、
苗を植える。
どこがお米のはじまりかと追求しようとすると
(お米にかぎらないですけど)、
人によってはじまりの地点が変わります。
宮本さんは苗代を作って種を蒔く。
その前にどの種を選ぶか、という問題も出てくる。
すると、どこがはじまりになるんだ?
自分の育てたものから収穫した種からはじめるのか?
それとも、どこか他所から良い種を探してくるのか?
僕はずっと天職のことを、
生まれもった才能とか先天的な技術を備えた人が、
その仕事を探し当てて開花させることだと思ってましたけど、
「はじまりを遡りたい」という気持ちになれることも
同じ天職か? と思いました。
僕は米作りに関しては、
田植え以前のことに遡って考えようとすると有耶無耶に、
グレーゾーンの曖昧模糊状態になってくるので、
やっぱりお米のはじまりは田植えにしとこう、となります。
それでも遡ることと楽しむことはまた別物なので、
参加した子供たちは楽しんでやれたそうで良かったです。
帰ってきた宮本さんも調子が良さそうでした。
「今日の田んぼはどっと人が来てくれたなー、
田んぼドットコム!」
と喜んでました。
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