朝の仕込み中唐突にネガティブ思考か、
それともポジティブ思考かどっちだという話になりました。
「どっちかと言えばネガティブだと思います」と僕。
「あたしですかー、ネガティブですねー」とヨシエちゃん。
「私はネガティブ中のネガティブだなー」とJ子店長
昨日の朝のシフトは暗いメンツが揃ってました。
でも、瞬間的にはネガティブ同士で同じでも、
その後のリアクションは段々ちがってきます。
ヨシエの場合、
自分が落ち込んでて友達に慰められるとき、
いつも「でも……」と反論しちゃうそうです。
友「大丈夫だよヨシエ、きっとうまくいくよ!」
Y「でも、もし、もしダメだったときはどうしよう」
友「そのときはそのときで考えよう、ね!」
Y「でも、今できることを今しとかないと後悔しそうなの」
友「そっか。じゃ私も手伝う。何でも言って!」
Y「でも私、ダメ、やっぱりできない!」
友「……」
もう付き合うだけ無駄な気がしてくるやり取りです。
J子店長の場合、
一旦落ち込みはじめるとノンストップで、
底の底まで落ちて落ち込むそうです。
話し込めば涙が出て、
慰められれば涙が出て、
救いの手が差し伸べられると涙が出る。
それで解決するかというとそうはいかず、
涙に暮れるばかりだそうです。
じゃ2人ともどうしたら解決できるのか?
と僕が聞くと、
「次の日になったら忘れてるかも」とヨシエ。
「次の日ではないけど、ちょっと経てば戻るかな」とJ子店長。
「時間が解決してくれよねー」
「ねー(×2)」
と2人仲良くポジティブな結論に達する。
どこかのタイミングにポジティブ転換点があるそうです。
時間的に解決が早いか遅いかで。
この調子の波の転換点を早く迎えるために、
カラオケとか飲みに行くとかという気晴らしがある。
でも、気晴らしに行こうと思う時点で、
それはもう前向きな姿勢だといえるでしょう。
「もう忘れよう」というスイッチが入ってる。
つまり、ネガティブかポジティブを分ける要素の一つは、
どれだけ早く「忘れよう」と思うかどうかになります。
前向きな人のことをときに不安に思ったりするのは、
その人が忘れっぽいからまた同じことをしそうだ
という不安がつきまとうから不安になる。
大人の社会では「反省、反省」と口酸っぱく言われる。
「失敗を忘れるな、活かせ」と言われる。
そこでこう気付きます。
「ネガティブ=暗い人」ではない。
大人の社会に入ると強制的に、
失敗を忘れることをできなくさせられるから。
失敗した人がすぐに気を晴らしてると、
うらやましい場合もあり、大丈夫か?と思う場合もある。
こういうときはだいたい、
「おおめに見る」とか「この人はしょうがないか」とか、
ちょっと子供を見る目になる。
「ポジティブ=明るい人」ではなく、
子供っぽい人に見える。
じゃ「ずっとネガティブな人」がいちばん大人になるのか?
言い換えれば「何事も忘れない人」が大人ということか?
それもちがいそうです。
そんな人たちに囲まれたらすごく息が詰まりそうです。
やっぱりポイントは「忘れる転換点」で、
それが人の個性とか性格とか大人とか子供を表現してるのだ。
「じゃ忘れない私たちは大人ってことだねー」
「ねー(×3)」
と3人仲良く論点を忘れてポジティブに達する。
大人とは、大事なものをそっとおさめておくことの出来る人です。
返信削除頭とお腹とココロと魂に、そっと終って(しまって)おくことです。
終ったものも終った事も、忘れてはいないんですよ。
でも、一度終ったもの(事)は何があっても外には持ち出さない。
終うとは、忘れたり破っちゃいけない、自分との約束でもあるんです。
新たな年度のはじまりの月。そのような大人でありたいと決意した次第です。
そうですね。そっとおさめることができる人は大人ですね。
返信削除ぼくも終わったことを蒸し返す大人にはならないようにしたいです。
ただ僕は忘れっぽいのですぐに大事なことを忘れてしまいますけど…。
でも実はどこかに仕舞われていると分かっていれば、蒸し返さずにも済みそうですね。
僕も丁度新たな年度のはじまりに決意がありました。
モノを捨てるぞ、という決意です。
ずっと仕舞ってあったものをほじくり返しています。
するとアルバムとか本とか大事だと思っていたものが、
いらないものに変わっていたりします。
「やっと捨てれる!」と嬉しくなります。
今月の僕は引っ越しを前に、
おさめていたものを整理整頓する時かもしれないです。