自分の思いを喋ることの恥ずかしさ。
伝わらないことのもどかしさ。
間違って伝わってしまうことの歯痒さ。
考えてることと言葉にしたことが違ったズレ。
文学を好きになる人は、
言葉を使うときにこれらのどれかに当てはまる人だと思う。
より正確な言葉を使うことができれば
自分の思いは説明できるという考えから。
ということを考えていたら、
ブログを書いているとき自分は、
正確な言葉よりも、
曖昧な言葉を無意識に選んでることに気づきました。
と、そういうことを考えていたら、
言葉を使うことの恥ずかしさから逃げるために、
どんどん〈自分〉と言葉の間の距離を離していってるんだ、
ということにふと気づきました。
ふと、そんなことを考えていたら・・・。
というふうに、
えんえんとくり返していったら、
〈自分〉は言葉から遠ざかって恥ずかしさが減ります。
言葉を使うことからのストレスから逃れるために、
余計な言葉は使わないというのも一つの手ですけど、
そうすると言葉を使うことの楽しさがなくなるから、
それもイヤです。
あれもイヤだ、
これもイヤだという、
ガラスのイヤリングが展示会に並んでるかもしれません。
今日から「光のダンス」です。
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