2013年1月31日木曜日

オリジナルアクセサリーを作る

今週の金曜日からガラス雑貨の展示会がはじまります。
2日と3日はガラス作家の方がオーシャンに来て、
オリジナルアクセサリーを作るワークショップが行われます。

もうすぐバレンタインデーもあることなので、
プレゼントにいいかもしれないです。
数字とかアルファベットを好きに組み合わせれるみたいです。

オリジナルアクセサリーといったら中学生の頃を思い出します。
修学旅行で行った原宿。
原宿の路面店で待ち構える店員どもは僕らのことを
鴨ネギのように見ています。

あるやつは路面店でぼったくられないように
穴場を見つけると言って裏路地に冒険に出て、
即カツアゲ、残り二日間文無しデイズを送ることになりました。

そして別のやつは道に商品を並べた怪しいオッサンから、
2500円の十字架のネックレスを
2300円で買ったといって喜んでました。
それが革ひも50円、十字架200円で、
近くのアクセサリーショップで別々に売っているとも知らずに。

そんな欲望の街・東京をかきわけて、
僕の目的ははただ一つでした。
噂に聞いていたブレスレットに字を彫ってくれるという
アクセサリーショップです。

僕はバスを降りて真っ先にそのショップを探しました。
ハイエナのような路面店の店員を無視して突き進み、
僕はそのショップを見つけると
そこで買ったブレスレットにこう彫ってもらった。

「I LOVE YOU」

誰かにあげるわけでもないので、
今思うと、なんだそれ、です。
ですけど、当時は尾崎豊の影響か分からないですけど、
とにかく彫ってもらうといったらアイラブユーでした。

どうですかみなさんもオーシャンに、
ガラスのアイラブユー、
並べにきませんか?

2013年1月30日水曜日

西幡豆レポート②

昨日は〈幡豆の今と昔〉を調査するインタビューで、
大学4年生の石川活利くんに話を聞いてきました。
活利くんは丁度大学の卒論で
同じようなテーマについて書いていたので、
「地元」について深く語ってくれました。

卒論を見せてもらいましたけど、
ちゃんとしたアンケートをとったりしていて、
それはもう立派な研究となっていました。
幡豆町が西尾市と合併したことによる変化について、
利点と損なわれてしまったことが明確になっている。

しかし、
活利くんにはもしかしたら申し訳ないかもしれないが、
僕がいちばんおもしろかったエピソードは、
活利くんが保育園ぐらいの頃に中学生のお兄ちゃんが、
彼女と風呂に入っているのを母に見つかって怒られた、
という話です。

「ねー、母ちゃん、何で兄ちゃん風呂に入っちゃいけねーの?」

活利くんはもう少し大人になるまで
その原因を理解できませんでした。

2013年1月29日火曜日

冬が二倍冬になる映画

昨日は『竹山ひとり旅』を見ました。
冬の夜に見て、
これほど寒々しい気持ちになる映画もそうはありません。
監督は新藤兼人で1977年の公開。
三味線の名人の実話ストーリーです。

ひたすら雪景色。
95%雪景色です。
冬の青森と冬の北海道、
つい見ているこっちも暖房を強くしてしまう。

三味線弾きの竹山はボサマと呼ばれる業で、
家を一件々々回って玄関の前で演奏して、
それでご飯や芋や汁をもらう。
もらえる頃には体中に雪が積もっている。

それにしても、青森に住む竹山がボサマとして稼ぎに出るとき、
冬の寒い季節にも関わらず南に下るのではなくて、
北海道に上っていく。
なんでわざわざ寒い場所に行くのか?

寒い場所の方がボサマとして食い扶持が稼げるのか。
雪が降ってるからみんな家に閉じこもって、
電気もない陰気な気持ちでヒマを持て余してる。
そこに三味線を鳴らして歌を歌うと、
何かあげたくなったり家に入れてあげたくなったりする、
そういうことでしょうか。

この映画でいちばん引きつけられるのは、
出てくるご飯がやたらと湯気を立ててうまそうに見えることです。
寒いせいであったかいものがまっ白に湯気を立てる。
竹山が浜のボロ小屋で野宿をしているときに、
焚火の上に鍋を置いて米を炊き、
みそ汁を作る場面があります。

鍋の沸いた湯の中に、
腹巻きから取り出した味噌の塊(目視で500g)を放り込んで、
これまた下駄ぐらいの大きさの豆腐を
外で拾ってきた長い木の板でぶつ切りにして、
鍋に放り込む。
これを木の板でぐるぐるかき回す。

できたみそ汁を錆びてまっ黒になった空き缶ですくって飲む。
米は帆立貝の殻のようなものをお椀の代わりにして食う。
この寒々としたボロ小屋に白い湯気がモクモク立って、
数少ないからだのあったまる場面に若干ほっとできる。
でも、そういう食べ物を食べる時間以外の95%は寒そうです。

2013年1月28日月曜日

一年

今日でこのブログを書きはじめて丁度一年が経ちました。
マンネリと、
このブログに意義があるのかないのかという葛藤と、
単純に書くことがないという悩みで、
毎日が格闘です。

今は一日に平均50アクセスあります。
僕としてはビックリです。
スタッフブログとしての情報らしい情報も書いておらず、
批評精神はなく好きだったものしか書かず、
話題になることといったらスタッフの恥ずかしい話ぐらいです。

ヤーマンは年齢は若いけど、
見た目も中身も初老に達しているとか。
りょうちゃんはなぜか仕事で一日五回以上はミスをするという
ミスッテリー(ミス+謎)を抱えていることとか。
宮本さんのマイブームが「東京ドーム一個分」ということとか。
「東京ドーム一個分うまいね!」
「東京ドーム一個分良い女だね!」

でも、一体こういうことを誰が喜んでくれるんだろう。
むしろスタッフは何を書かれるのか心配して、
「ちょっとこれは書かないでよ!」
とよく念を押してくるようになり、
どことなく僕への打ち明け話が減ったような気がします。

数人(片手で数えれる)の方は、
書いたネタについて会話したりするので想像できます。
でもそれ以外は分かりません。
オーシャンに来たときはぜひ声をかけてください。
デザートを一つ無料で進呈・・・
とはいきませんけど、すごく喜びになります。

こうやって誰かが見てくれることは、
僕の励みです。
嬉しいです。ありがとうございます。
今年も続くかぎり続けていくという曖昧な予定ですけど、
また読んでください。

2013年1月27日日曜日

恥ずかしさに耐えて

・昨日は学校の授業に日帰りで東京に行ってきました。
先週受けたトラヴェルライティングの合評会です。
富士屋ホテルを一日見学して、
それを旅行記に1200字から2000字で書いて
まとめるという内容でした。

合評会は一人ずつ自分の作品を読み上げる。
自分の書いたものを人前で読むのは恥ずかしい。
ブログだから書いていられるっていうのもあります。
でも山口由美先生はこう釘を刺す。
「恥ずかしいと思うか思わないかがプロの壁です」

その場で読むまでは「これは誉められるな」と、
かなりの自信を持っていきます。
でも、いざその場で音読すると「これはダメだ」と、
読んでる途中に気持ちが反転して汗が吹き出してきます。

読み終わると先生がコメントをくれます。
自分が良いと思ってたところは悪くて、
悪いと思ってたところが良かったりする。
このギャップを短くしたいと思う授業になりました。

・今日はモーニングヨガの日です。
少し前に出勤したときヨガ中にも関わらず、
大声で「オハヨーゴザイマース!!」と店の扉を開けて、
恥ずかしい上に迷惑なことをしました。
人生は恥ずかしさに耐えないといけない場面がたくさんありますね。

2013年1月25日金曜日

口笛の可能性

みなさんは口笛でドレミファが吹けますか。
僕は吹けません。
その前に、
自分が今どの音階を吹いているのか、
それが音痴の僕にはよく分かりません。
人はカラオケでよく「あ、音外した」と言いますけど、
その正解の音はどうやってみんな理解してるのか、
それもよく分かりません。

ということで今、僕は口笛でドレミファを練習してます。
何でこういうことになったかというと、
音楽をやるスタッフのイサムシくんが
〈口笛の可能性〉について語ったからです。

「最近風呂に行くと口笛を吹いてるんだよね。
それが歌を歌うよりも気持ち良くてさー」

色んな動きや音が複雑にからまる歌よりも、
一本の音となって発せられる口笛の反響音の方が
自分の耳でちゃんと聞くことができるそうです。
リフレクションがダイレクト、だそうです。

イサムシくんは気持ち良さとしての〈口笛の可能性〉でしたけど、
僕にとっては音楽の授業としての〈口笛の可能性〉でした。
口笛で自分の未開発な部分に触れることができそうで、
ワクワクします。

まずはドレミファの七つの階段を、
同じ幅で上り下りすることが目標です。

ひとまずのところ問題は口笛どころか、
まだ空気しか漏れてこないことです。
フー、フー、ピュー・・・フー。

注意したくなる映画

「人はみんな罠にかかっていて、
それから逃れることはできない」

ヒッチコックの『サイコ』を見ました。
主人公と思っていた人物がすぐに死ぬ。
たぶんこれは珍しい型の映画のストーリーです。
物語を作る人は「どうやって主人公に感情移入させるか」
ということを考えながら書くと僕は思ってます。

主人公のいない物語はあんまり見当たらない。
主人公に共感できるからこそ物語に引き込まれて、
泣いたり笑えたりできる。
そういう共感がないとずっと醒めたまま映画を見ることになる。

知らない人の写真アルバムを見てもおもしろくないように、
次々に中心人物が変わる物語は没頭しにくいと思う。
でも『サイコ』は共感ではなくて、
登場人物たちに「気をつけて!」と注意したくなって、
いつのまにか物語に引き込まれる。

「気をつけて!」と言いたくなる場面がとにかく多い。
これが主人公かと思っているとすぐ死ぬし、
悪役にスポットが当てられている。
だけど、その悪役が出てくるまでの前置きも長い。

つまらなくなりそうな要素がたくさんあるにも関わらず、
それ以上に「次にどうなるか分からない」
というサスペンスを常に漂わせている。
爪を切ったりアイロンをかけたりするのも忘れる
「気をつけて!」感を味わえます。

2013年1月24日木曜日

マカロニヌードル

僕はブログに書いたことをぜんぜん覚えられないので、
連載で書き分けようと思って書きはじめた話も
少し期間が空くと忘れてしまいます。
続きを書こうと思っていた話も忘れる。

たとえば、僕は今年の年明けからしばらくずっと、
マカロニのことばかり書いていた。
途中で間を空けてまたマカロニネタを続けようと
思っていたんですけどそれも忘れていました。

それから僕は〈マサルシリーズ〉という大人気連載(自称)も
抱えてましたけどそれもしばらく忘れていました。
あんまり同じ話題を書いていると無意識のうちに飽きるのか、
頭の中からすっぽり抜け落ちて続きを書くことを忘れます。

あるいは、現代人は情報社会に生きており、
記憶する習慣を失っている。
現代人にとって必要な能力は、
情報を記録することではなく情報を引き出すことだ、
ということをテレビか本か忘れましたけど誰か言ってました。

ネットなどで情報を引き出す習慣がついたので、
記憶する必要性がなくなり、
現代人は近代教育を受ける以前と比べて、
記憶力が低下していると言われている。

それは果たしてほんとであろうか、
それともただのデマであろうか。
ところでおれは今日、何を書こうとしたんだ・・・。
あ、そうだマカロニだ。
マカロンでもワカモレでもなく、マカロニについて。

昔、病気になったときは、
母親がよく〈チキンヌードルスープ〉という
野菜や鳥肉がゴロゴロ入ったスープを作ってくれて、
そのヌードルに当たる部分がマカロニでした。

たまにマカロニの代わりに、
ABCDのアルファベットの形をした小さなパスタが入ってました。
どっちにしても麺が主ではないので、
食べるみそ汁のような感覚です。

僕は〈猫まんま〉が好きでたまにみそ汁をぶっかけます。
スープに炭水化物が入っているという点では似てますけど、
でもそこまで〈食う〉という感じでもありません。
スプーンですくうと半分液体で半分具材、
その具材の中が野菜1:肉1:パスタ1ぐらいの配分でした。

だから病気じゃないときこれはメインのおかずとなります。
これをご飯で食うかパンで食うかのどっちかでした。

2013年1月23日水曜日

旅と逃避と攻め時

僕は前に何度か「旅をする意味」について
書かれた言葉を収集していると、
ブログに書きました。
それは今もコンテニューしてます。

何で人は旅をするのか?
先週末の学校の授業は
トラヴェルライティングについてでした。
旅行記をどうやって書くか、について。

旅行記作家である山口由美先生は、
「旅行の本質は〈逃避〉である」
と言っていました。
そして、今僕はポール・セローの旅行記
『ゴースト・トレインは東の星へ』
を読んでいますけど、そこにはこう書かれていました。

「旅はほっつき歩き的逃避術であり、
他人のプライバシーに首を突っ込むための
お粗末な口実に過ぎないということだ」

ということは、旅の反対の日常は攻めることですか?
僕にとって旅は攻める気持ちでないと行けないもので、
日常の中に逃避を探している感じがあります。

2013年1月22日火曜日

暴力とコメディ

1998年公開の『ビッグ・リボウスキ』を見ました。
この映画は何で話題に登ることが少なかったんだろう、
と思うぐらい濃かったです。
登場人物が敵も味方も、とにかく濃い。

僕がこの映画のことを知ったのは
「最高の映画キャラクター100人」というランキングでです。
8位のジャック・スパロウよりも一つ上、
6位のインディー・ジョーンズよりも一つ下、
7位で『ビッグ・リボウスキ』の主人公「デュード」という
聞いたことも見たこともない人が入っていたからです。

コーエン兄弟が監督のこのサスペンス・コメディ映画は、
他の映画と同じように暴力的です。
コーエン兄弟は色んな暴力を映画にしてます。
『ノー・カントリー』が独創的で不気味な暴力なら、
『トゥルー・グリッド』は暴力のしっぺ返しという暴力で、
『バーン・アフター・リーディング』は突拍子もない暴力です。

この『ビッグ・リボウスキ』という映画の暴力は、
ひどいけど若干可愛げのある暴力です。
もちろん暴力なので痛そうなことをされて、
それを受ける人は全力ですごい苦しみの演技をします。
だけど、その暴力と演技にどこかズレたギャップがあって、
つい笑ってしまう。

引きつりながら笑いたいという人にオススメです。

2013年1月21日月曜日

立ち食いそば

豊橋駅で電車の待ち時間があるとき、
そしてそれがご飯の時間帯のとき、
ぼくは改札口をくぐった奥にある
立ち食いそば屋に行きます。

10分の待ち時間じゃ行けないです。
15分ならそばだけです。
20分あればそば一杯にいなり寿司を一コ付けれます。
30分あればどっか他に座れる店を探します。

そばが一杯300円です。
販売機で食券を買い、
カウンター越しにおじいさんかおばあさんに渡すと、
麺を一塊つかんで鍋に放りこむと30秒ほどゆがいて、
どんぶりにあける。

ネギとかまぼこに、
甘い細切れの油揚げを多めに入れてくれる。
これがいいんです、
この細切れの油揚げが。

油揚げといったらあの一枚ものの大きなのが一般的です。
たしかにあれは見栄えがいいです。
どんぶりの上にしっかりと掛け布団のようにかぶっていて、
〈きつねそば〉と名乗ることができる。

それに対して細切れの油揚げは四角くないせいで、
〈きつね〉という冠をもつことができない。
あの四角い面積と同じ量の油揚げが入っていても
名称は単なる〈そば〉なのです。

このそばには細切れの油揚げともう一つ特徴があります。
それは、黒い汁だというとこです。
これは東三河風なのか?
ふつうのかけそばの汁にくらべて黒い。
たぶんしょう油を多めに入れてるんだと思うんですけど、
でもしょう油辛いとまではいかない。
甘辛めの汁です。
この二つがつい寄りたくなるポイントになってます。

もしそばに一枚ものの油揚げが乗っているとしましょう。
そうすると、油揚げと個人的に付き合う時間が必要になる。
なぜなら四角い油揚げは、
麺といっしょにつかんで口にいれるのが難しい。
細切れなら一切れずつ麺の中にまぎれこませて
すすることができます。

つまり、そば、そば、そば、でいけてた量が、
そば、油揚げ、そば、油揚げ、そば、というふうに、
一杯のそばを食べる作業工程に大幅な遅れが出てしまう。
トヨタの工場でそんな余計なことをしていたら、
間違いなくクビになってしまう。

なにもそんなに急いで食べる必要はないのに、
とスローライフ推進派はいうかもしれません。
立ち食いそば屋好きはこういうでしょう。
ああ、残念ですね、立ち食いの醍醐味を楽しめないなんて。

基本的な体勢は左ヒジをつき、
(ふだんは行儀がわるいけど、
立ち食いの場合それをかっこいいと考える)
フーフーフーフーフー、としてから、
ずるずるずるずるずる、といく。
立ち食いそば屋のそばはすぐに出てくるからとにかく熱い。

3〜4度その上下運動をくり返し、
左手でどんぶりを口にもっていき、
箸で麺を向こう側に押しやって、
ズズズズズズズズズズと汁をすする。
レンゲはない。

フーフーフーフーフー。
ずるずるずるずるずる。
ズズズズズズズズズズ。

とにかく自分がうるさい。
でもこの騒がしいのが、
おなじ食べ物でもちがう食べ物を食べるぐらい、
おいしくなったりするんです。

2013年1月20日日曜日

箱根の朝陽をドロドロしながら

書くことがありそうで見つからない朝です。
見知らぬところにやってくると、
色んなことが書けそうですけど。
色彩は鮮明なのに、
ピンボケして具体的な像が浮かんでこない状態です。

今日は朝6時50分に起きました。
ホテルの窓の外から箱根の山が見えます。
ちょうどそこから朝陽が登ってきました。
二日酔いの頭をすっきりさせてくれます。
それと、熱い温泉も頭をすっきりさせてくれました。

あと一つか二つすっきりすることが起きれば、
頭がもう少しまともになりそうです。

と、思っていたら、ありました。
窓の外に見える山に大きく雪で「大」が描いてあります。
大文字焼きならぬ、
大文字焼雪です!

2013年1月18日金曜日

西幡豆レポート①

今、「西幡豆の今と昔」というテーマで、
西幡豆に住んでいる人から話を聞いて、
どんな変化があるのか調べることをしてます。

ただ場所が時間によって変わることだけではなくて、
そこに住む人にとっての変化を特に気にして、
話を聞こうと思ってます。

昨日は西幡豆で生まれ、
西幡豆で育った、
56歳の原田さんに話をしてもらいました。

原田さんはオーシャンにもよくきてくれる方で、
たまにウッドデッキでトランペットを吹いてます。
ジャズ演奏者でもある原田さんは
ばりばりの三河弁奏者でもあります。

第一回目のインタヴューは、
午後3時から4時までの1時間だけでしたけど、
最初からおもしろい話ができました。
この日原田さんは4時から歯医者だったので、
次回、思い出の場所を散歩しようという話になりました。

思い出の場所はどこかと訪ねたら、
ぼくらは原田さんの家の居間のコタツに入ってましたけど、
原田さんは自分が座る床を指差してこう答えました。

「おれはこの場所で生まれて、ここで育った。
外に出れば、思い出のない場所なんかない」

原田さんは文字通りこのぼくらが座る場所で、
(家は建て変わりましたけど)
自宅でお産婆さんにとりあげられたのです。
60年ほど前の幡豆ではそれが一般的でした。

話の時間はあっという間にすぎて、
原田さんは「さあ、敗者復活戦だ」
と言って歯医者に出かけていきました。
またインタヴューがまとまったら
ブログにアップしたいと思います。

今日はぼくはお休みで、
学校のスクーリングで東京と箱根に行ってきます。
トラヴェル・ライティングという授業で、
箱根の富士屋ホテルに行って記事を書くような内容でした。

パセリの茂み

何を書き出してもしっくりこない日があります。
だいたいそれでも書いてるうちに楽しくなるんですけど。
これを書いてるのはアップする前日の夜の寝る前で、
日付が変わる前にはだいたい書き終わります。
でも昨日は延々とだらだらと書いても、
森は深く、
我の前に茂み、
立ちふさがらん、です。

だいたい書いてるうちにモコ、モコモコモコと、
パセリみたいに三つ又に別れて
もさっと話も膨らむんですけどね。

あ、今年は春になったらパセリを大量に植えようと思います。
日本ではパセリの地位がかなり低いこともあり、
ぼくは普及活動に燃えています。
夏ごろにはなるでしょうけど、
パセリをふんだんに使ったパスタや、
サラダドレッシングを作ります。

パセリはセリ科ですけど、だからといって、
セセリがセリーグ代表のセリ科でないのと同じように、
パセリがパリーグを代表するセリ科というわけではありません。

英語でパセリを発音すると「パースリー」になります。
セリは漢字で書くと芹なので、
つまりパセリは「葉芹」をカタカナにしたものなのだ!
と思ったらちがいました。

パセリは日本語ではありません。
ギリシャ語の岩石とセロリの合成語でパセリになったそうです。

2013年1月17日木曜日

股間がみかん

今日はオーシャン総出でみかんの皮むきをしました。
かなりの量でした。
爪の中にみかんが食い込んできました。
染みました。
握力もなくなりました。
左手と右手を交互に使いました。

通称「インドみかん」という名前がついたみかんは、
特に皮が硬かったので、
後半そいつに当たると爪が折れそうになりました。
皮がふかふかのでかいのは
きれいにむけるので気持ちがいいです。

今日はぼくに課題が与えられました。
オーシャンの営業が終わって、
みんなでみかんを囲んで皮をむいているときです。
みんなそれぞれの皮むきスタイルがあります。

深く椅子に腰かけて淡々こなす人。
皮むき用の専門道具を使いこなしてる人。
姿勢も気持ち落ち着かずに揺れながら皮をむく人(ぼく)。
その中の女性の一人でりょうちゃんがいました。

彼女はみかんをむいた皮を捨てるのにひとまず、
足を広げてピンと張った自分のエプロンの上に貯めて、
いっぱいになったところでゴミ箱に捨てていました。
それを見た宮本さんはこう言いました。

「股間がネーブルだね」

それが周りにウケて笑いに包まれました。
ぼくはその意味がよくわからないまま、
周りに合わせて笑っていると、
みんなから「今日のブログのネタができてよかったね、
どうやってオチまでもってくんだろー」
と課題を与えられました。

ぼくはまず「股間がネーブルだね」の
笑いのポイントをつかまなければならないと思い、
こう考えました。

りょうちゃんは本来女のとしての色気漂わせる年齢でありながら、
色気どころか性的空気、女性フェロモン、
そういうものがまったくみられない。
だからそれがネーブル、
ネーブル、ねーぶる、ないぶる。
つまり、股間がない、と解釈しました。

ははーなるほど。
股間とネーブルがつながったので、
ぼくはこう切り返しました。

「三ヶ日のほうならもっと若々しくなるよ。
だって、股間がミッカッピー(三ヶ日)だから!」
ミッカッピー、みっかったー、見つかった。
つまり、股間が見つかった、と。

しかし結果は、
「意味がわからん!」プラス失笑でした。

でも、ちゃんと対応してますよね、
「股間がネーブル」と、
「股間がミッカッピー(三ヶ日)」。

2013年1月16日水曜日

冬季限定のランチセット

・冬季限定でランチセットを今週から出してます。
平日限定ですけど、
ドリンクとデザート付きでお得になっております。
昨日がセットメニューの初日でしたけど、
想像以上に頼んでもらえたのでよかったです。

・最近ぼくの周りの人たちが「おれは希望に満ちあふれている!」
と言っています。
なんかいいことがあったのか? と聞くと、
「特になにもないけど!」と言っていました。
反対に、希望に満ちあふれる理由があっても、
忘れていることがあります。

少し前にオーシャンで仕事が終わってから、
タルトをもってきてくださる方がいまして、
フランスで伝統的に行われているというゲームをしました。
人数分にタルトを切り分けて、
タルトを食べた人の中に陶製の人形が入っていると、
その人は一年を幸運のもとに過ごせるそうです。
くじ運のわるいぼくが当てました。
小指の爪サイズの小さな陶製の猫を甘噛みしました。
どこに置いてもなくしそうなほどの小ささなのですけど、
ずっと上着のポケットに入れっぱなしで忘れていました。
それをついに財布の小銭入れに入れました。
今年は幸運のもとに過ごせそうです。

せっかく縁起のいいことがあったんだから、
忘れてるっていうのももったいないです。
逆に厄年とかの演技のわるいことでも、
覚えていたほうが色々都合がよかったりします。
嫌なことがおきても自分のせいじゃなくて、
厄年のせいにできますから、
しょうがないか、と気が楽になります。

だから、縁起のいいことも覚えておいたほうが、
ふだん見過ごしてるような、〈実はいいこと〉も、
ちゃんと「いいことあった!」というかんじで、
ラッキーな気分にもなりやすいかもしれないです。

縁起のいい証明を、
目に見える場所におこう、
と思う日でした。

2013年1月15日火曜日

蒸し饅頭の豚まん

学校の昼休憩にビルの地下にある成城石井に行ったら、
同じ学校の方から豚まんを勧められたので買ってみました。
〈大阪なんば フレッシュ豚まん〉
蓬莱本館の3個入で472円のものです。

帰り道に買い食いしたいところでしたけど、
どこにも寄らず、
ブタマンブタマンブタマンブタマン・・・
ナンマンダブナンマンダブナンマンダブ・・・
と信念を守るためにお経を唱えながらまっすぐ帰りました。

〈お召し上がり方〉
①に蒸し器を使う方法と、
②に電子レンジであっためる方法がある。
とにかく一つ電子レンジに入れる。
「水で湿らせて」と書いてあったので、
霧吹きで吹いてからあっためる。

サイズは野球ボールぐらいですけど、
重量感がけっこうあってずっしりしてます。
背も高い。
ほふほふ。一口食べてわかりました。
餡がつまっていて背が高くなっていたのです。

勧めてくれた人は「皮が病みつきになる」と言ってました。
もぐもぐ。なるほど皮は厚めです。
弾力があって饅頭という皮のかんじがします。

餡に達すると歯ごたえがある。
恥ずかしながら中身をのぞいてみると
歯ごたえの正体がわかる。
大きめに刻んだタマネギと椎茸が、
右大臣と左大臣のように相並び候奉っている。

それを豚肉が王者の風格でもって餡の城を築いている。
餡だけどゴロゴロとしたゴシック建築系の餡で、
だけど古びてぱさついてはいないという餡配です。
あ、いや、案配です。

一個食べて心を落ち着かせてから、
今度は蒸し器を使いました。
「10分〜15分蒸してください」
と書いてあるので13分蒸しました。

ほくほく。白いお肌から湯気が立っております。
電子レンジであっためるときなぜ水で湿らせるか、
蒸したものを食べてはじめて、
蓬莱本館の説明書きを記した方の意図が伝わります。

この蓬莱の豚まんは皮に弾力があって厚い。
およそ1センチはある。
それが蒸すことにより皮の内部にまで蒸気が達して、
弾力にしっとりとした柔らかさが加わります。

豚まんとはなんであるか?
ゼラチン状の餡と口溶けする皮ではないのである。
豚肉を蒸し饅頭でくるんだものである。
という認識の変更を迫る豚まんです。

2013年1月14日月曜日

ソース串カツ

大阪でなにを食べるか。
前回はたこ焼きと寿司でした。
串カツは盲点でした。
我らが愛知ではみそ串カツが権威をもっているということもあって、
大阪で串カツは考えてませんでした。

ソースで串カツはさびしそうだなー、
という気持ちも前からありました。
あのみりんや砂糖で煮こんだリッチなテイストの甘みそに比べて、
ソースは「さらっ」です。
中濃ソースでもなければ、
デミグラスソースでもない。
さらっとした「二度付け禁止ソース」

そう思いながら串カツ屋を何軒も通りすぎていました。
入りました。
通りすぎているうちに食べたくなりました。

7時半ごろでしたけど、
店内には二組お客さんがいるだけでした。
揚げたてを食べるためにカウンターのまん前に座る。

各席には銀のトレイが二つある。
一つは「二度付け禁止ソース」が、
もう一つにはキャベツが山盛りに盛られています。

串カツ屋だけあって色んな串がある。
肉類8、魚貝8、野菜10、創作6、デザート串3。
計37種類。

創作系はチーズ、ウィンナー、シュウマイなど。
デザート串はチョコバナナ(すでに売り切れ)、練乳イチゴ、アイスなど。

牛串、ホルモン串から頼む。
それからチーズ、豚バラ、チーズしそ巻き、
鮭ハラス、白身魚。
その間に生ビールを三杯飲む。

けっこうずっしりきたなと、
まだいきたいという気持ちがせめぎ合う。
鳥のささみと熱燗一合で食べ終わる。
あっさりめの串カツだから、
半分の種類ぐらいまでいくぞ、
と思ってましたけどカツはカツでした。

みそ串カツがどっぷりと衣に吸いこんでくるのとちがい、
食べる直前にソースに付けるのでサクサク
感が満喫できます。

店を出る頃には席がいっぱいになってました。
帰ってから練乳イチゴを食べるのを忘れていたことに気づきました。

2013年1月13日日曜日

湿気を保つ方法

ビジネスホテルに泊まっています。
昔勤めていた職場の社長から、
加湿器のないホテルで安眠できる教えをうけたことがあります。
それは「寝る前に水をまけ」
ということでした。

社長が実践して見せてくれたことがありますけど、
水を巻いたあと部屋が水びたしになりました。
なので夜中に目が覚めてトイレに行こうとするとき、
水をまいたことを忘れて裸足でベッドから降りると、
ひたっとなってかなり気持ちわるいです。

なにかちがう方法でのどがカラカラになるのを
防ぐ方法をないものかと考えていました。
見つけました。

まずこの方法は入浴とセットです。
お風呂に入るとき換気扇をかけない。
大切な湿気をみすみす逃すわけにはいかない。
外に逃がすかわりに湿気には部屋にきてもらわないといけません。
風呂場のドアは開けておく。

というか、換気扇と電気がセットになってることが多いので、
部屋の電気で風呂場を照らすために、
けっきょく開けておかなければ何も見えなくなる。

お風呂からでたあと部屋のガラス窓が
びっしりと曇っているのがわかるでしょう。
あ、お風呂の湯を抜いてはいけません!
これがいちばん大切です。
ここまでが準備のようなものです。
お風呂の湯を張ったまま、
ドアを開けておくこと、これです。

このあったかいお湯が寝ている間、
湿気を供給してくれる。
朝起きても、のど痛くありません。

この方法も気をつけないといけないことがあります。
朝シャワーするときです。
風呂を張ったままにしてあることを忘れて、
冷たくなった湯船に足を突っこんでしまい、
かなりびっくりして心臓が止まりそうになります。

ぜひ試してみてください。

2013年1月11日金曜日

野菜を寝かせたスープ

今日から三日間ぼくはおやすみで、
大阪にスクーリングに行ってきます。
「日本史通覧」という講義です。
邪馬台国から近代日本の歴史をたどる内容です。

スクーリングに行くといつも夜に時間が空くので、
だいたい映画に行きます。
今日は『レ・ミゼラブル』を見てきます。
歴史づくめの一日です。

オーシャンは今日も元気よく営業してます。
最近スープに力を入れてます。
色んな野菜の出汁をとって寝かせて、
深海のように深い味を出すようにがんばってます。
からだに野菜が足りてないと感じたら、、
オーシャンのスープを飲みにきてください。

大きなパンツを買いにいく

・昨日は大学で男子寮に入っていたという人の話を聞いていました。
その東北の大学の寮には伝統で先輩にしごかれるという、
大変な生活で寮を逃げ出す新入生もけっこういたそうです。
いつどこですれちがっても挨拶が「押忍!」だそうです。

ある儀式で女装をして
講堂の壇上にあがって歌を熱唱するというものがあった。
女装は下着まで身につけなければならない。
ということはランジェリーショップに行って、
パンツを買わないといけない。

そのランジェリーショップの女性店員のほうは
そういう行事が毎年あることを知っているので、
二つのタイプの新入生を見分けるそうです。

第一のタイプは大学の女の子と友だちになり、
付いてきてもらって代わりにいちばん大きなパンツを買ってもらう人。
第二のタイプは女の子と友だちになれず、
男子のグループでお店にパンツを買いにくるものたち。

男子たちは自分らの手でパンツを買うのを恥として、
その屈辱から逃れるために女の子と友だちになることが目標になった。
この話をしてくれた人は、
パンツを代わりに買ってもらったことをきっかけに仲良くなり、
結婚したそうです。

やりたくないこととか無理やりやらされることとかは、
ほんとにいやですけど、
でもそういうことを誰かと共同作業でやるとき、
パートナーを応援したり助けたりするアクションがある。

それで相手の良いところが見えてきたりするんですかね。
楽しいことをするときはどうしなくても楽しいですけど、
いやなことは一人でやるよりも、
迷惑がられるなんて無視して誰かを引きこむ、
これは誰かと仲良くなれる秘訣かもしれないですね。

・今日の夜は「ソウルモーション」という、
ワークショップが開催されます。
動きをとりいれたヨガみたいなものだとぼくは想像してます。

モーションは動きとか動作の意味です。
どんなことをして魂を動かすのか。
「さいきん魂、動かしてないなー」
という人はぜひ遊びにきてください。

2013年1月10日木曜日

悩ましいじたばた感

〈ヒマ〉も〈忙しい〉もないなと思ってきました。
ヒマだったらヒマで、
自分を忙しくしようとする。
忙しかったら忙しかったで、
ともかく忙しくなる。

ヒマをどうしたらいいかと、
いつも〈じたばた〉して考えてます。
たとえば、厨房の中を意味もなく一周したり、
しなくてもいい仕事をとにかく探してしまう。

なぜそんなに〈じたばた〉してしまうのか。
たぶん「苦痛を感じたくない」とか、
「満足感を得たい」とか無意識に思っている。

そう思ってるところ、
『脳はこんなに悩ましい』という
池谷裕二と中村うさぎの本を読んでいると、
「人はなにをしているときに幸福を感じるか」
というデータがありました。

さっそく順位を発表したいと思います。
第一位は、100点満点中90点の「セックス」でダントツです。
第二位以下は僅差で、76点が「エクササイズ」。
第三位、75点で「おしゃべり・会話」。
第四位、74点で「遊ぶ」。
第五位、73点で「歩行・散歩」と並んで、
「考えごとをしない」です。

そこで〈じたばた〉という行為を考えてみると、
第二位と第五位の両方が含まれていませんか。
自分がじたばたしたくても周囲に手にとるものがなかったり、
やることがなかったりすると、
自分のからだを動かしてしまう。
その場でスクワットをしてみたり、
アキレス腱を伸ばしたりしてみる。

そういうエクササイズのようなことをすればすっきりするし、
(スクワットはとくにすっきりしないけど)
からだが動くのにまかせていれば考えごとをしなくなる。
つまり人は〈じたばた〉しているとき幸福を得ている。

話をもどしますと、
つまり〈じたばた〉しているとき、
何も慌てることはなさそうです。
「あーじたばたしてる、どうしよう」
ではなく、
「おっと、からだがじたばたしてきたぞ。
しかしじたばたするにまかせよう。
幸福を得るためにじたばたしているのだからな」
とじたばたと向き合えば幸福感が高まるでしょうから。
だからみなさんもどうぞ、
いらない心配は抜きに〈じたばた〉してみてください。

2013年1月9日水曜日

あったかい大根おろし

大根おろしは熱を通すとまたうまうくなる。

数年前に中日新聞で紹介されていた
江戸前料理特集(だったか?)の大根おろしパスタを見て、
作ってみたらこれがうまかったので、
たまにやるようになりました。

パスタのゆで汁と大根おろしをフライパンに投入して、
しょう油とみりんを加えたところに麺を入れて、
火を通して食べるパスタです。
つまりあったかい大根おろしです。

ゆで汁と大根おろしが合わさるので、
けっこう液体状になります。
皿の下にかるく〈つゆ状〉になっている。
そこにフォークでパスタをくるくる巻きとりもちあげると、
ポタポタと水分がよく落ちる。
これがこのパスタのミソの部分です。
つゆ状に溶けたかと思われていた大根おろしが
3重の働きをしている。

まず、つゆに漂う大根の繊維が麺に引っかかるので、
皿上のどの麺からも平等に大根おろしが味わえる。
冷たい大根おろしは麺を食べるときにとりわけるため、
大根おろしがあるところとないところが出てくる。
ところが、このあったかい大根おろしは全体にいきわたる。

ただこれは次の働きの前提です。
これだけなら大根おろしが薄くなるだけじゃないか、
ということになります。
でもそうじゃない。
パスタにからんだ大根おろしがつゆを含んでいた。
わかりますでしょう、あの大根おろしの吸水率を。

たとえば、秋刀魚など焼魚を食べるとき、
大根おろしの横にしょう油スポットを作ろうと思う。
でも、少し目を離すとすべて大根おろしが吸い込んで、
やたらとまっ黒になって辛い大根おろしになってしまう。

しかしこの大根おろしパスタの場合そうはいきません。
全体の調味料がほどよく馴染んだつゆとなっているので、
麺に色んなうま味をからめている。
それがポタポタと垂れていたんです。

これだけでも大根おろしの貢献度はけっこうありますけど、
これだけじゃありません。
大根は熱を加えると甘味がでる。
大根おろしだっておなじことだったんです。

昨日、ぼくは寿がきやのみそ煮込みうどんをゆでるときに、
いっしょに大根おろしを煮てみました。
麺をすすったときパスタとおなじ効果がありました。
つゆが引っかかってきて、
全体をおろし基調で楽しめる。
この上にさらに冷たい大根おろしものせました。
上から下からたたみかけるような、
2ハーモニーの大根おろし、これもまたいいです。

あったかい大根おろし、
フロンティアが広がってます。

2013年1月8日火曜日

パンの逆さ旅行

昨日はオーシャンのみんなで、
パンの勉強会をしました。
パンの勉強会でいちばん楽しいことは、
焼きたてのパンが食べれることです。

午前中はパンをこねて焼いて食べて、
午後からは畑にいって麦の種まきをしました。
麦ざんまいの一日です。

麦の終着点からはじまって、
麦の出発点で終わるという、
パンの運命をさかのぼる不思議な一日でした。

2013年1月7日月曜日

書き初め会

一昨日オーシャンで書き初め会をやりました。
お客さんも何組か書いていかれました。
ふだんよく会う人もたまに会う人も、
身の回りの人たちが集まり筆をとりました。

ぼくは書けてません。
何もこうしたいというものがなかった。
毎年年末には翌年にやりたいことを考えてましたけど、
今年はずっと思いつかずにきました。

でも昨日DVDで『100年インタビュー 小澤征爾
〜西洋音楽と格闘した半世紀〜』
を見ていたらこういう話がありました。
インタビュアーが指揮者にとっていちばんだいじなことは
何かと聞いてそれに小澤さんはこう答えました。

「音楽を解釈して、人間が出てこないといけない」
〈悲しみ〉と言葉で書けば、
だれでもそれを〈かなしみ〉と読みますけど、
そこにこめられる内容は十人いればみんなちがう。
そういう中でどうしたら自分だけの〈悲しみ〉を出せるか、
ということが指揮者にとって大事なのだそうです。

それじゃどうしたら人は自分だけの〈悲しみ〉を得られるか。
電撃的な恋をしたこたがなかったら
恋愛映画が面白くないように、
実体験がなかったら人はその〈悲しみ〉に到達できない、
というふうなことを言ってました。

それからこういうことも言ってました。
音楽にしてもなんらかの創作には実体験からうけた感覚を
通して表現がされることで深さをもつようになる。
そしてもう一つ、他人の〈悲しみ〉を想像することも、
それと同じだけの意味がある、と。

そこでぼくも、そうだそれだと思いました。
人の悲しみや喜びを想像していない、
これが元旦のあとからずっと、
マカロニを話題にしたネタしか書けない原因だと思いました。

最近ぼーっとしてるのか、
人の話は他人の話だとして、
あんまり聞いてないかもしれないです。
正月ボケなのか?

今書き初めするならこう書こうと思います。
「他人の谷んなかを歩く」

2013年1月6日日曜日

マカロニのきな粉和え

気付けば元旦をのぞいて、
ずっとマカロニのことを書いてました。
オーシャンのニュースも色々あるはずなのに、
マカロニ、マカロニ、マカロニ、
そしてマカロニです。
さすがに今日はちがいます。
マカロニのことなんてもう書きません。
書きません、と思ってました。

マカロニ以外のことを書こうと思ってました。
ほんとです。
ところが今日お客さんに教えてもらって、
マカロニの新たな一面を知ってしまったのです。
それは〈マカロニのきな粉和え〉です。
焼きもちにきな粉、
おはぎに欠かせないきな粉、
安倍川餅でおなじみのきな粉、
そして今度は、マカロニと和えるきな粉、です。

お客さんは岐阜出身の方ですけど、
学校の給食でその〈マカロニのきな粉和え〉が出たそうです。
日本におけるマカロニの宿命なのかその給食においても、
メインのおかずに添えられる副おかずだそうです。
さすが小鉢属に分類されているだけあります。
どこまでも目立てない存在。

感覚としては、もちをきな粉で食べるのも、
パスタをきな粉で食べるのも、
そんな変わりはなさそうでおいしそうです。
近いうちにやってみようと思いますので、
また報告します。

これでまたブログ1回分のネタをマカロニで稼げた。
よしよし、マカロニが孝行息子のように思えてきました。

2013年1月5日土曜日

硬い麺と柔らかい麺

いつから日本の麺類は
こんなに硬くなってしまったのか。
博多ラーメンや讃岐うどんの全国展開とともにか。
それとももっと昔になにかきっかけがあったのか。

マカロニ、またの名をコシナシ。
名古屋名物きしめんのもまったく腰なし。
まったくの腰なしでもあの平ペったい麺は、
すすると唇の上でびろびろびらびら踊って、
ソフトタッチ&リップをなでまわす。
どんぶりから箸ですくおうとすると
麺が千切れるほど腰がない。

煮込みうどんも、
田舎そばも、
長崎チャンポンも、
そういう長めに煮る階層の麺類は
不遇の時代をおくっているような気がします。

でも流行りすたりがあるように、
硬い麺もいずれ柔らかい麺にとってかわる日がくるかもしれません。
お店ではあんまり見ないですけど、
最近よく手作り料理でラザニアを見ます。

イタリア人はパスタがアルデンテじゃないと怒ると
伊丹十三が言ってましたけど、
ぜんぶがぜんぶそうじゃないです。
腰がないパスタには腰がない食べ方がある。

たとえばゆでてから焼くという麺類の巨人族ラザニアがある。
デュラムセモリナ100%の昆布かという形状ですけど、
見た目がごついわりに腰はまったくありません。
それでもトマトソースをはさみこんで、
チーズをのせてオーブンでこんがり焼いたものは、
カリカリともちもちの食感が売りの食べものです。

それと同じようにマカロニも、
ゆでたものにホワイトソースをかけて
チーズとパン粉をふりかけてオーブンで焼けば、
一昔前のごちそう〈グラタン〉になります。

ラザニアもグラタンもまったく腰がない。
しかし現代日本社会は柔らかい麺類に冷たい時代です。
ぼくはその一極化にたちむかうために、
まず寿がきやのインスタント〈みそ煮込うどん〉のゆで時間を、
標準5分のところを、
1分長くして6分ゆでてます。

世間のマジョリティを占める硬麺フリークは、
そんな行為を邪道と見なすでしょう。
ぼくだって一年前まではむしろ1分短めにして、
4分ゆでの硬めのうどんを食べてました。

麺は硬めがいいというのは、
かなり偏屈だという気がする今日このごろです。

2013年1月4日金曜日

マカロニの腰ゼロ

みなさんのご自宅にマカロニはありますか?
うちにはあります。
「エルボマカロニ(ゆで時間約4分)300g」という、
早ゆでタイプと表記されてるものがありました。

しばらく前に母親がうちで料理をするために、
買ってきたものの残りです。
はたしてマカロニをどう使ったか。
サラダの上にのせました。
やっぱりマカロニサラダです。
お惣菜コーナーにあるマカロニサラダとはちがいますけど、
やっっぱりマカロニサラダです。

いったいマカロニを主食のパスタとして
使ったことのある人がいるんでしょうか。
パッケージの裏側にはちゃんと
おすすめの料理法がのってます。
「ナスとズッキーニのパスタの作り方」
とてもおいしそうです。
ぼくはズッキーニが大好きです。

作りました。
ただ残念なことにズッキーニがなかったので、
ナスとブロッコリーで作りました。
ソースはニンニクをきかせたトマトソースです。

マカロニのサイズは2センチの長さに、
直径が3ミリです。
これをゆでると3・8センチ×5ミリになります。
並べるとけっこう大きくなったのがわかります。

「ゆであがったらザルにとり、
よく水分を切ってください」
と書いてあるのでその通りにする。
それからソースにからめてお皿に盛る。

とても不思議なかんじがする。
一人前として100gゆでました。
日本で100gのマカロニはそうそうお目にかかれません。
お惣菜コーナーにあるマカロニサラダ、
たぶんあれは10gぐらいの麺の量だと思います。
あれの10倍です。
ふつうのパスタ麺ならなんとも思わないですけど、
マカロニだとどこか「群衆」に見えてしまう。
なぜか反抗的な態度をとられている気がしてくる。

スプーンかフォークかで迷いスプーンを選ぶ。
スプーンでマカロニをかき回す。
群衆をかき乱す。
ふつうのパスタに比べて抵抗力が弱い。
簡単にかきまざる。
スプーンですくって食べてみる。
口の中がひょろひょろした感触でいっぱいになる。
麺を噛んでみると、なんの弾力もなく噛み切れた。
抵抗力のない「群衆」です。

ふつうの麺のゆで時間はだいたい
芯が若干残るていどの状態を示している。
ところがマカロニには芯どころか腰もない。
ふにゃふにゃである。
ふにゃふにゃ、ふにふに、である。

二口目に一本だけで食べてみる。
ふつうの麺よりも軽い。
短いから当然ですけど、
一本だとかなり口の中が物足りない。

次はスプーンに山盛りを食べてみる。
トマトの欠片とブロッコリーなども入ってくる。
口の中のいろんなところに当たるふにふに感がすさまじい。
何重にもつみかさなったマカロニを歯で圧迫する。
いとも簡単に、
ふにふにふにふにふにふに、
とマカロニを分断してしまう。
これはなんともいえない気持ちよさがある。
また口の中をマカロニで満たしたくなる。

この気持ちよさはここのところ久しい気持ちよさです。
最近は麺類といえばバリカタ、アルデンテで、
どこもかしこも腰、腰、腰です。
そこのところがマカロニはちがう。

腰ゼロ。
筋力ゼロ。
武装解除。
群衆は群衆でもオカマの群衆というかんじですけど、
腰がないのもまたふにふに感を楽しめる。

2013年1月3日木曜日

マカロニと裁き

今日はペンネの魅力、食べ方、将来の行く末、
そういったペンネの全体像に迫ろうと思ってましたけど、
昨日マカロニでヒートアップしたら、
何か付け加えてあげないといけない気がしてきました。

ギリシャ神話ではよく神々の気まぐれで、
人間の危ないとこを助けてくれたり、
願いを叶えてくれたりします。

「ああ、あの子が大好きだけど
ぜんぜん振り向いてくれない。
神さま!なんとかしてください!」
と天を見上げてお願いすると、助けてくれます。

愛しのあの子の胸に、
性愛を司るエロス神が恋の矢を射抜いてくれます。
たちどころにあなたは好きな子を手に入れます。
問題はここからです。

好きな子を手に入れたあなたは、
浮かれ騒ぐでしょう。
ぼくなら浮かれ騒ぎます。
そして人間はうっかりした生き物ですから、
神さまに感謝することをうっかり忘れてしまいます。

そうなったときの神さまほど怖いものはありません。
「人間は感謝の捧げ物として、
牡牛を四頭と牝牛を四頭生贄にするのを忘れた。
神は憤慨した。
だから恋人の足に毒蛇を食らいつかせた死なせた」
そういうことを平気でします。

神々は因果を重んじる。
だから、マカロニの扉を開いたら、
出て行くときには閉じていかないといけない。

お願いをして叶ったら、感謝しないといけない。
誰かに呪いをかけたら、自分も同じだけのダメージをうける。
誰かを助けたら、自分は別の形で報われる。
そしてぼくの場合、
マカロニをパスタの中でも劣るものとして扱った、
だから自分にも別の形で他人から貶められることになる。

できればぼくは誰かに貶められたくない。
回避できるものなら回避したい。
そのためにはどうしたらいいか。
ギリシャ神話で天を見上げて訪ねたらこう言われるでしょう。

「汝、辱められたマカローニを救いたまえ」

だから、今日はペンネのことを書こうとしたんですけど、
神々の裁きをうける前に、
マカロニについて考えないといけないと思いました。

えーと・・・マカロニ。
マカロニにいいとこって、あったっけ。

2013年1月2日水曜日

マカロニという和えもの

ペンネにはどんなソースが合うか。
あの竹槍のように斜め切りされた断面を
どういうふうに活かすか。
短かくて太い筒状になったあのトンネルに、
何をくぐらせるか。
一か月前からぼくはペンネで頭がいっぱいです。

なぜ鉄パイプみたいなマカロニではなく、
竹槍のペンネがいいのか。
給食にしてもお惣菜にしても、
日本では断トツにマカロニ優勢です。

ただマカロニが優勢だとしても、
マカロニ自身「自分はそんな身分じゃないですから、
薄く刻んだハムときゅうりだけで、
あとはマヨネーズをぶちゅっとやってもらえば十分です、へへへ」
と日本的精神変に変なふうに染まって、
必要以上に自分のことを卑下してます。
それではイタリア人としての
アイデンティティを保てるはずもありません。

その点ペンネはまだイデオロギーに毒されてない。
「私は茹でられる、ゆえにパスタである」
というはっきりした意思があり、
イタリア国籍もちゃんともっています。

マカロニがマヨネーズでしか和えてもらえないのも
しかたないかもしれない。
そもそも人は「ペンネを和える」とは言いません。
しかしマカロニは「和えもの」だと認識されてます。

たぶんそれは、
ナポリタンが日本のパスタ界の祖先だとしたら、
マカロニは枝分かれして小鉢属に分類されてしまった。
菜花のおひたし、厚揚げとコンニャク、
かぼちゃの煮物、マカロニサラダ、というふうに。

だからといってマカロニサラダがいけないことはなにもない。
それはそれで、ご飯の〈おかず〉になる。
あくまで〈おかず〉だということで。
悲しいですけどマカロニは、
もう主食という舞台に立つことも、
パスタの看板を出すこともないんでしょうね。

ペンネの話でしたけど、
それはまた明日にします。

2013年1月1日火曜日

のし餅と難民

きのうは餅つきをして、
年越しそばを食べて、
そのうち正月になったので、
鐘つきをしてきました。
食料、水分、DVDと本。
二週間ぐらい家から出なくても生活できそうです。
正月というより、
避難という気分です。
第2013次世界正月商戦の難民キャンプがあったら
教えてください。

一年があっというまにすぎたという人がいますけど、
そういう人はたぶん今ごろ寝てるか武装前線にいるかで、
難民タイプは一年が長かったなーとか考えながら、
餅をどうやって食べようかとか、
しまった小豆を買ってなかったぞとかで悩んでると思います。

元旦を個人プランは無計画で迎えましたけど、
人が集まるところに行くといつのまにか計画ができてきます。
オーシャンではおいしい野菜をおいしく料理するというのが
北極星のような目印なので、
計画を立てるより計画が生まれてくることが多い気がします。
そういう地続きな計画は、
そのまま歩いていけるので楽しいです。

今日はのし餅を切ります。
のし餅のようにずっしりした一年にしたいです。