2012年10月30日火曜日

猫と弁明

スタッフから最近の下ネタ率上昇について質疑が入ったので、
弁明のためにこう記しておきます。
人生にかけがえないもの、そうそれはエロス。
ただ僕がそんなこと言っても変質者にしかなりません。
その汚名は、内田樹が弁明してくれます。

「エロスの根本には享受や権能の語法では
汲み尽くすことのできないものがある。
それは根本的な受動性である。
「私はいま受動的な状態にいる」という記述を行うのは、
能動的な主体である。
だが、その主体自身が、その受動的な経験によって基礎づけられ、
そこを起源に誕生したのだとすれば、
その受動的な状態によってはじめて『私』と発語しうる
足場を確保したのだとしたら、
その受動性は「あらゆる受動性よりもさらに受動的な受動性」
と呼ぶ他ないだろう」
※(『レヴィナスと愛の現象学』より)

一体内田は何が言いたいのか。
僕はこう理解してします。
それイイネ、って相手が思わなければ、
自分もほんとにそれイイネって思えない。
嬉しいってことは、相手も嬉しいと思わなければ、
ほんとに嬉しいと思えない。
好きだってことは、相手も好きだって思わなければ、
ほんとに好きだって思えない。

ウチにはシルベスターという猫がいますけど、
シルベスターが膝に飛び乗って来るまで、
僕は彼のことを忘れてます。
もちろん思い出せば、どこにいるんだろうと思う。
でも膝に乗ってくると、
相手も来たいし自分も来て欲しいってことが、
相互納得の上で(か分かりませんけど)分かった気になります。

自分からのアクションとか相手からのアクションがあると、
ぼんやりしていた気持ちがはっきりした気持ちに変わります。
その中でもエロスに関する話題は、
この膝に飛び乗ってくる感じがいちばん多い話題ですから、
かけがえないってことがはっきりします。

まあそういうのは全部自分の勘違いで、
遠回しに自分が書くことを止められているって可能性も、
検討した方がいいんですけどね。

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