2012年10月16日火曜日

きつい酒

昨日はごん吉で担々麺が来るのを、
中日新聞を読みながら待ってたんですけど、
PSYの曲の歌詞で「人生はきつい酒だ」
という比喩が問題になっていたことを取り上げた記事が載ってました。
未成年には有害であるとかそういうことだったと思います。

それを隣で見ていたヤーリーは
「その比喩の繋がりが見えない」と言いました。
だから僕は、
飲んだときに喉にキツイことと、
人生には飲み込むことのキツイことが次々やってくることを、
重ねてるんじゃないのかと言いました。

ヤーリーはこう言いました。
蒸留するほど度数が高くなることと、
人生もくり返すと中身の濃い考えができるようになることを、
重ねているんじゃないか、と。

ヤーリーは家庭教師をしているだけあって、
道徳的な意味を持たしてきます。
でも酒自体が道徳にそぐわないからおかしいと僕は言いました。
ヤーリーは「きつい酒」自体が人生と結びつかないと言いました。

「人生はきつい酒だな〜」と言う人がいますか?
それなら「人生はきついな〜」だけで伝わります。
たとえば「人生は酒樽みたいだ」なら分かります。
閉じ込められて、それでも発酵していくイメージが出てきます。
「人生は安酒だ」もなんとなくイメージがつきます。
頭が痛くなって、それでも飲まずにはいられない光景があります。
でもきつい酒はイメージがつかない。

僕らが新聞を読んで勝手にその一文を取り上げて、
ああでもないこうでもないと言っていただけなんですけど、
その歌詞の前後の文脈も分からない、
比喩なのかどうかも分からない。

もしかして「人生はきつい酒だ」は比喩じゃないかもしれない。
比喩じゃなくて、省略だったらすぐに説明が付きます。
「人生きつい酒を飲んで嫌なことは忘れよう」
これならラップのために省略していたとすんなり、
大吟醸の清酒みたいに簡単に飲み込める。

というところで担々麺がきました。

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