2012年9月25日火曜日

彩楽

今日の朝見た夢は本を読んでいる夢でした。
読んだこともない司馬遼太郎のエッセイでした。
浮世絵を都市化させたような景色の場所で、
川にかかる橋を渡りながら読んでいました。
アスファルトなのにアーチ状になった橋のつなぎ目は凸部になっていて、
それがバネみたいになっていて踏むたびに僕はジャンプする。
そんな難しい体勢で読んでいる本に、
こんな文学観が書いてありました。

「エッセイは生活の彩楽において役に立つことを基準にしている」
生活の彩楽って、なんだかよく分からないですけど、
司馬遼太郎が使いそうな古風な言い方です。
僕は古風なものは好きなので、
無意識にこういうことを思っていたのか。

そう言われてみると、
生活の役に立たない面白いエッセイはあまり思いつかないです。
リリー・フランキーの本はそういうのかもしれないですけど。
エロテクニックがあるわけでもない、
座右の銘になる格言があるわけでもない。
うんこが漏れたとか、
「ゲロはいい男にかけるべし」とか、
そういうことしか書いてない。

生活の役に立つのと、生活の彩楽における役立ち、
という意味だとこれはこれで違いそうです。
昨日ヤーリーという日本人がこんなふうなことを言ってました。

イベント事に呼ばれてもはじめは断る。
それで当日行くと予想外に思われて自分を印象を上げれる。
ほんとに行かなくてもいいし、
行くと言ってから当日行けなくても印象を下げないから。

人間、時間には限りがあるから、
少ない機会で自分の印象をMAXまで引き上げようという考えです。
ヤーリーは演出好きなので自分の演出をもしてます。
これは生活の彩楽っぽいです。

役に立つだけだと自分のためにしかならないけど、
彩楽の役に立つと人を楽しませれそうです。

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