2012年9月30日日曜日

楽しみなニュース

村上春樹がノーベル賞の受賞予想で一位だったそうです。
これはもうこの人をさしおいて誰もいないです。
ノーベル平和賞でもいいと思います。
それで僕は考えました。
外国人に村上春樹の良さをどう伝えたらいいのかと。

Technicality, He can use metaphor.
Mentality, He haves Love.
Reader can open Hes door.
But the riter is nowhere.
It is a prime frame,
To sled in to cream pudding.

クリームプリンに滑り込む、
なんてていうのはさすがに甘ったるいんですけど、
韻を踏む以上しょうがないです。
短い文章をおもしろくしようと思ったらライムが欠かせません。
おもしろさは別に望まれないか、
そんなことはないはずです。
国際交流ですから、サービスが大事です。

春樹村上は甘いもの好きじゃないそうですけど、
登場人物はドーナツばっかり食べてますからね。
たしかに、中年もとうに過ぎた人の小説を、
クリームプリンと形容するのも微妙ですが。

それか他に良い言い回しがありますか。
prime frame/pram farm というのはどうですか?
いーや、すもも園なんて、なおさら意味が分からない。
それかこうです。
prime frame/forgotten clime。

It is a prime frame,
To sled in to forgotten clime.
最上の枠から、忘れられた国へ滑り込む。
韻が弱くなりますけど、
こっちのが文学者がちゃんと讃えられてる感じです。

僕も将来は賞が欲しいですね。
僕はモンベル賞の寝袋部門とかが狙えそうだと睨んでます。
「すばやく、丁寧に丸めて、きちんと仕舞えることを讃えます」
みたいなのだったらけっこう自信あるんですけど。

2012年9月29日土曜日

ましな行き方

こないだからポール・セローの旅行記、
『ゴースト・トレインは東の星へ』を読んでます。
今は色んな本が読みかけになってます。

本を買うときは4、5冊まとめて買うので、
読みはじめても1冊ずつ終わるのががまんできずに、
ちょっと他の本の冒頭だけ読んでみようと思って手を出して、
結局どれも気になって全部をちょっとずつ読み進むことになります。
セローは冒頭でこう書いてます。

「旅人にとって、国家的危機はチャンスであり、
天の恵みである。よそ者にとって、
トラブルほどその国の真の姿を見せてくれるものはないからだ。
たとえ何がどう危機的なのか分からなくても
(実際わからないことが多い)、
とにかくその一日は盛り上がるし、
旅人は危機の生き証人となることができる。
確かにそのせいで煉獄の苦しみを味わわされることもあるが、
それでも祝日よりはましだ」

特にこの「それでも祝日よりはましだ」
ってとこがキマってます。
一体どんな煉獄の苦しみがあったんだろう、
冒頭にこんな言葉があったら先を読まずにはおられなくなります。
もう一つこういう文章もありました。

「もちろん家にとどまり、人には礼儀正しく、
逃げずに物事に立ち向かう方が難しいに決まっている。
しかし、そのどこに本の生まれる余地があるだろう?
それならばいっそ冒険家を気取ってほらを吹き、
大見得切ってみせる方がましではないだろうか」

また「まし」です。
セローのましだっていう言い方に、
ワクワクさせられるのは僕だけですか?

「お前に付き合って脂身たっぷりのステーキを食うより、
帰ってしなびた干物でも焼いたほうがましだぜ」

「壊れない新車買って快適に過ごせば、
何の不便もなしに生活できるに決まってる。
でも安全安心がなんだっていうんだ。
苦労とリスクは買ってでもしろって言葉にならったほうが、
まだましなんじゃねえか」

……どうも僕が言うとぜんぜんサマになりませんけど、
諦めと自分を知るっていうのが入り混じったような感じの、
「理想の選択」とは反対の、
「ましな選択」ができることは大事なんじゃないかと思いました。

2012年9月28日金曜日

次々とやってくる定食

・今週から餡かけパスタをはじめてます。
葛と生姜を使ってますから身体を温めます。
そして生姜は胡椒と共にピリッと感を出してます。
野菜は揚げたゴボウや空心菜が乗ります。

今週は酒粕クリームシチューもやっています。
里芋にじゃがいも、蓮根など、根菜芋類盛りだくさんです。
酒粕は身体温め食材の殿堂ですし、
味にコクも出ておまけに栄養価も高いです。

・僕の今週のハッと言葉はこれでした。

「私たちが定式的な言葉を嫌うのは、
それが「生きていない」からではない。
それが「死なない」からである」
(内田樹『街場の読書論』)

昨日オーシャンに現れた海辺のトランぺッターは、
「考えながら書いてるんじゃない。
考えがそのまま書かれるんだから」
と自分が書くブログ風日記について言ってました。

共通することを言ってる気がしましたけど、
何が共通するんでしょうか。
たしかによくあるのは、
「うーん」と腕を組んで散々悩んだ挙げ句出てくる言葉が、
お決まりパターンだったりすることです。

上に書いた言葉がもう、
定式的な言葉になってますから。
次々と出てくる定式。
次々に出てくる定食、みたいな文章だったら楽しそうですけどね。

2012年9月27日木曜日

グローバルなサバ

昨日は仕事帰りに魚屋さんに寄って、
サバを勧められたのでそれを買って帰りました。
二枚におろしてもらって、
一枚は塩をもんで、
もう一枚は竜田揚げ用にそのままもらいました。

でも片栗粉が家になくて、
代わりに小麦粉を使って焼きましたけど、
さっくりとした食感になって
身がこれまた脂が乗っていてふっくらとしている。
こんなにうまかったか、サバよ。
せっかくなんでイタリアの詩人ウンベルト・サバの、
「山羊」という詩から一節。

「おれは 山羊に話しかけた。
たった一匹 草地につながれていた。
草に飽き 雨に
濡れて 啼いていた」

何の変哲もない冒頭部分ですけど、
僕はこの景色を佐久島に行くといつも見るので、
なんとなく引きつけられました。
まだ山羊には話しかけたことないので、
今度行ったときは話しかけてみます。

サバを食べて、サバの詩からヤギを引用する。
なかなかオーシャンにはそぐわない、
動物性タンパク質が全開な感じです。

サバはユダヤ語でパンって意味だそうですけど、
だからトルコ名物のサバパンはグローバル的な視点に立つと、
語義反復でパンパンということになります。

2012年9月26日水曜日

ドル箱メモリー

今日は筋肉痛です。
筋肉が痛いと頭も鈍くなります。
動きは全般的に遅くなり、
ちょっと誤作動も起きる。
パソコンのマウスを操作しようと思ったら、
コーヒーカップを倒す。
まぶたをこすろうと思ったら指が目に入る。
肩を扉にぶつけ、
足は靴に入らずにバランスをくずし、壁にぶつかる。

でも、動き出すとだんだん身体が柔らかくなってくる。

満たされた胃が働き出して、身体に血がまわる。
硬直した太ももが温まって、歩くのにも弾みが出てくる。
人に「おはよう」なんて言っているうちに、
言葉がスロットマシンみたいに回り出す。
カチ、カチ、カチ、と止まって、会話がフィーバーする。
フィーバーは嘘です。僕の会話は、せいぜいチェリー止まりです。
ともかく、言葉が次の言葉を呼び、僕がセリフを口にすると、
相手の口からメダルがばらばら出てくるみたいに、
楽しくなるような返事がある。
僕の日課はそれをドル箱に貯めることです。
黄金のメダルはカフェ・オーシャンの引換所で、
記憶の大海に漕ぎ出るカヤックツアーと交換することができます。
そうだ、ポイントカードだって付きます。
貯まればドリンク券になります。
みなさんもぜひどうぞ。

2012年9月25日火曜日

彩楽

今日の朝見た夢は本を読んでいる夢でした。
読んだこともない司馬遼太郎のエッセイでした。
浮世絵を都市化させたような景色の場所で、
川にかかる橋を渡りながら読んでいました。
アスファルトなのにアーチ状になった橋のつなぎ目は凸部になっていて、
それがバネみたいになっていて踏むたびに僕はジャンプする。
そんな難しい体勢で読んでいる本に、
こんな文学観が書いてありました。

「エッセイは生活の彩楽において役に立つことを基準にしている」
生活の彩楽って、なんだかよく分からないですけど、
司馬遼太郎が使いそうな古風な言い方です。
僕は古風なものは好きなので、
無意識にこういうことを思っていたのか。

そう言われてみると、
生活の役に立たない面白いエッセイはあまり思いつかないです。
リリー・フランキーの本はそういうのかもしれないですけど。
エロテクニックがあるわけでもない、
座右の銘になる格言があるわけでもない。
うんこが漏れたとか、
「ゲロはいい男にかけるべし」とか、
そういうことしか書いてない。

生活の役に立つのと、生活の彩楽における役立ち、
という意味だとこれはこれで違いそうです。
昨日ヤーリーという日本人がこんなふうなことを言ってました。

イベント事に呼ばれてもはじめは断る。
それで当日行くと予想外に思われて自分を印象を上げれる。
ほんとに行かなくてもいいし、
行くと言ってから当日行けなくても印象を下げないから。

人間、時間には限りがあるから、
少ない機会で自分の印象をMAXまで引き上げようという考えです。
ヤーリーは演出好きなので自分の演出をもしてます。
これは生活の彩楽っぽいです。

役に立つだけだと自分のためにしかならないけど、
彩楽の役に立つと人を楽しませれそうです。

2012年9月24日月曜日

精と死

通夜話しと艶話しじゃ、
だいぶ違う話しになりますね。
どっちからしたらいいんでしょうか。

昨日の通夜の話しからにします。
住職が高校のときの担任でした。
父親の代理で参列した親族席で僕が座っていると、
「ニンジーン、カンジーン、ナンマーダーブー、
ナンターラー、カンターラー」
というお経が聞こえてきましたので、
「これほんとかよ!?」と思いました。
ニンジンとカンジンってどんな漢字なんだよ。
楽観的で気さくな担任だったので、
もしかして当てずっぽうに言ってるんじゃないかと、
僕は罰当たりにも疑いの目を向けてしまいました。

もう一つはタカシさんが昨日してくれた昔話しです。
高校生のとき興味心から、
エロ映画館に友達と二人で出掛けた。
映画館に着くとタカシさんの友達は緊張のあまり、
「ちょっと先にトイレ行っとこうぜ」と言いました。
そこで二人が小便所で横に並んで、用を足しているときのことです。
タカシさんはふと友達の下半身の違和感に気付きました。
友達の太刀魚が(正確にはまだ立っていませんけど)、
ミイラのごとくティッシュでぐるぐる巻きにされていたのでした。
「な!なんで?」とタカシさんは驚いた。
友達は言いました。
「いや、漏れちゃいそうだっらからさ」
(映画館で巻けよなー)
というのがそのときのタカシさんの心境だったそうです。
※後始末については不明。

2012年9月23日日曜日

雨とパセリの若芽

今日は雨の日曜日です。
種を蒔いたパセリが順調に発芽しました。
水やりを忘れてしまう僕には
最近ちょっと降るようになった雨が恵みになってます。

採れたてのハーブを使うようになってから、
パセリはただの飾りじゃなくなりました。
刻んでパスタに絡めたり、
ドレッシングにしたりすると、
ほんのりとした苦味と香りが出て味が。

ファミレスのフライドポテトに付いてくるパセリは、
修飾品のように扱われて、
誰からも無視されて皿の脇に転がされるものとして、
パセリも不毛に思ってることでしょう。
やっぱりパセリは刻まれ千切られパラパラと振りかけられる、
いぶし銀、いや、まぶし緑です。

2012年9月22日土曜日

植物奇譚

今日はシンジさんが冬瓜をたくさん収穫してきました。
「これだけ食べたら冬瓜死するなー」と言うので、
僕は冬瓜死とはどんな死に方かと聞きました。

「飲み込んだ冬瓜が腹の中で成長して、
心臓に蔦が絡み付いた後、
冬瓜の実がなってそのトゲが心臓に刺さって、ウッ!
となって死ぬ」
らしいです。

「それで死ねたら本望だなー!」
とシンジさんは言ってました。

その後ランチタイムで厨房で仕事をしていると、
店長のJ子さんはこう言いました。
「私は昔、髪の毛の中で種が育った」
頭から発芽したのがぴょこんで出ていたのを、
気付いた友達が抜いてあげたみたいです。

何年か前に父親が、
30年間維持した長髪を切ることにしました。
父親は長い髪を一本の太い束にして固めていて、
頭の上で少しずつ伸びていました。
一体何年それが束になっていたか分からないですけど、
切ろうとしたときには太い枝のように固くなっていて、
ハサミで断髪しようとしても、
ちょっと刃が食い込むだけでまるで切れません。
それでカッターナイフを使って、
ノコギリを引くようにするとやっと切れました。
僕らは切り取ったその太い髪の束を不思議にいじっていると、
中から小枝が出てきました。
もうちょっと置いておいたら、
葉っぱが付いたかもしれないと思うと、残念です。

2012年9月21日金曜日

古書ミュージアムに行く

古書ミュージアムの「西尾市岩瀬文庫」に行ってきました。
今は《耕す》という、農業をテーマにした企画展をやっています。
江戸時代の農業書が色々並んでいました。
専門知識のない僕は立ち入ったことは分からないですけど、
田んぼの中を馬とか牛に道具を引かせてたとか、
蜜柑は昔から紀州がすごかったとか、
ははあー、なんて頷きながら見てました。

農業全書とか活字の本が半分ぐらいで、
絵図が入った本もたくさんありました。
A4サイズぐらいの絵でこういうのがありました。
畑を耕してる男とか女の人たちがいて、
収穫した稲をかついでる人とか、天気を見てる人もいる。
それで一人一人に吹き出しが付いている。
なんだこれは、マンガじゃないか!
昔の字で、おまけに滲んでるからよく読めないけど、
何か喋っています。

「何だか雲行き怪しんべよー、はええどご切り上げっか」
「まーた弥助どんがゆっとるわ、けえりてぇばっかやろが!」
「長さんしがだねぇわよー。弥助どんは嫁さんだいすきやっから、
ねーみんな?」
「ガッハッハ、ウフフフ」
おそらくこういうことが書いてあります。

ここの博物館はけっこう豪華な建物です。
展示室が広々としてます。
でも4分の1ぐらいは次回の企画の広告ポスターが貼ってあります。
そういうものは掲示板とかしかるべきとこに貼って、
しかるべき資料がもっと出ると充実するんじゃないか、
なんて思ったりもするんですけど。

2012年9月20日木曜日

秋のなぞなぞ

アリがナシに寄ってたかっていた、
ってちょっと深遠ですよね。
でもちょっと経つとアリもどっか行っちゃいました。
どうしてか知ってますか?
飽きたんです。秋が来たんです。

深いことは不快につき、迂回がいります。
僕は今日はお休みです。

2012年9月19日水曜日

男のニンニク畑

オーシャン畑ではニンニクも育ててます。
手前ども100%自前のニンニクを踏まえて、
毎年そのニンニクのカケラの中から大きいやつを選んで、
それを種にまた植えています。

今年は丁稚奉行のヤーマンがニンニク畑をやると言って、
こないだから土を耕したりしてます。
男たるもの、自分のシマ(極道?)を持つとヤル気も出ますからね。

僕だってこのブログという、
デジタルなディスプレイ上にシマを持ってます。
問題は毎日、真っ白なところからはじめないといけないので、
何が育って、何が腐っているのか、ぱっと目に付かないことです。
野菜の芽を抜いて、
雑草を育てていたなんてことが、
数年後とかに発見される場合もあるでしょうね。
そういうとき人はこう言います。
「ああかわいそうに。あの人は精神がおかしいのね」
耕作人はこう答えます。
「ということは僕は利益になるアメリカを出し抜いて、
雑草の陰に隠れていたアフガンの工作員みたいなもんですね。
ハッハッハ」

2012年9月18日火曜日

酒蔵開きとつまみ

そういえば一昨日、幡豆の友引市に出店したとき、
はじめて酒蔵開きというものに行きました。
これだけおっさん率が高かった場所は、
浅草ホッピー通り以来です。

浅草のその通りは両側にずらっと大きな鍋を構えたお店が並んで、
どのお店もグツグツと牛スジを煮込んでいる。
そしてどのお店も外からテレビが設置されてるのが見えて、
客全員が競馬の中継を見ている。
僕らはそのうちの一件に入って(どの店も違いがよく分からない)、
牛スジとビールを頼みました。
少しするとお店の客が一斉にお勘定で立ち上がり出して、
外の通りを見るとおっさんの行列ができていた。
何事かと思ったら競馬中継が終わったのでした。
それで僕らは人気のなくなった店に取り残された。
すごい場所です、浅草ホッピー通り。

話しを幡豆に戻すと、
酒蔵開きでもつまみを出すお店が色々ありました。
珍味とかキムチ屋さんが店を出して、
テーブルやゴザを敷いた所でみんな輪になって、
尊皇のお酒を飲んでいました。
中には七輪でスルメイカを焼いてたりして、
それをつまみにしてる人もいます。
利き酒コーナーがあったり、
無料の試飲ができたり(それだけで酔っ払う)、
上等のお酒は200円とか300円で試飲できる。

僕はプラスチックのコップに並々の冷酒を注いでもらって、
キムチ屋で韓国唐辛子のキムチを食べさせてもらい、
酔っぱらいのおっさんの話しを聞いていました。
世界のトヨタで、世界を驚かす論文を書いたと言ってました。
口癖は「このバッカヤロ、ボンクラ!」でした。
口が悪い人の話しはだいたい面白いという印象があります。
身の回りに一人、毒舌とか大声で悪口を言う人がいると、
仲間内のわだかまりがハッキリして良いと思います。
小声の悪口とか、面と向わない毒舌はただせこいだけですけど。

2012年9月17日月曜日

ぼけた

頭の働き何もなし、
手の動きやたらと勝手だし、
心は文句を言うだけ。
何でこんなにコントロールが利かないのだカラダ。

オムレツはフライパンからはみ出し、
傾いたコップからコーヒーこぼれシャツに染み作る。
首は苦しい体制を直そうともせず、
寝違えたカラダは心のせいにする。

昨日の幡豆の友引市の出店は、
オーシャンに忘れもので3往復しました。
頭の働き、何もなし。

2012年9月16日日曜日

顔貌

誰かと会話をするときどこに眼を向けるでしょうか。
僕は「眼を見て話しをしなさい」という言葉が頭にあるので、
できるだけ眼を見て話しをするようにしてました。

眼を見ずに話しをするということは、
自分に自信がないからだと、よく恋愛マニュアルにも書いてあります。
つまり嘘を付いてるとか、心ここにあらずとか、
そんな印象をもたれるというわけです。

でも逆のことを言う人がいました。
ユダヤ人哲学者のレヴィナスは『倫理と無限』でこう言ってました。
「他人と会うときの最上の対し方、
それはまさに相手の眼の色に注意を払わないようにすることなのです!」

僕の場合こういう実践してきたことを覆されると驚いて、
眼から鱗が落ちて眼が良くなって、益々眼を見てしまいそうです。
レヴィナスは相手の「顔貌」を見ろと言います。
眼を見ることは自分の言葉の反応を伺うときで、
顔を見ることは相手の状態を知るために見る、
こういう違いを言っているんだと思います。

眼の色を伺う、っていう表現はよく分かります。
そういうとき僕は自分中心の言葉選びになってそうです。
でも顔を見ろって言っても難しいですね。
耳とかあごとかだけじゃなく、
肌の色で体調も見るってことですから。
左、右、下、裏。一人あっちむいてほいです。

でもそのほうが自分も楽かもしれないですね。
真っ直ぐ相手の眼を見るのって、意識しないとできないです。
見るぞって、強く念じないと。
で、念じてるうちに相手の言葉とか聞き漏らしたりする。
何のための「眼を見る」だったんだってことになりますし。

今日は幡豆の友引市へ出店に行ってきます。
いろんな人たちの顔を見てこようと思います。

2012年9月15日土曜日

夜から朝

昨日は夜から朝にかけて、
オーシャンでナイトパーティーがありました。
僕は夜の9時開始から行きましたけど、
12時前には眠たくて眠たくて帰りました。

今日は通常営業ですけど、
明日は西尾駅の向かいの公園と、
幡豆の友引市で出店があります。
西尾ではお菓子やドリンク、幡豆では生パスタをやります。

今月は僕の周りで子供が生まれる率がかなりアップしてます。
調べてみるとやっぱりです。
8月から10月の間はオギャー率が上昇するらしいです。
それと反対にポックリ率は1月から3月がいちばん高いみたいです。

オーシャンはパーティーから引き続きモーニングで24時間稼動です!

2012年9月14日金曜日

仲間はずれのジャック

大分長くかかって『LOST』はシーズン3まで来ました。
ジャックの腕にはタイ語の刺青が入ってるんですけど、
ここまで来るまでそれには何も触れられてませんでした。

その刺青はジャックがタイを旅行中に、
人間の本性を見れるセクシー占い師と知り合って、
彼女に彫ってもらったものです。

それでジャックは無人島で敵に捕まって、
檻に入れられるんですけど、
そこの一味に腕の刺青を指摘されるんです。
「あなたその刺青の意味分かってるの?」

ジャックは自分の本性を占い師に見てもらって、
意味を聞かずに彫ってもらいました。
すると翌日、ジャックの宿にチンピラが押し寄せてきて、
「国に帰りやがれ」とボコボコにされてしまいます。
この時点でリンチされる意味は分かってないんです。

でもジャックは強がって答えます。
「ああ。分かってるさ」
「ほんとに?そこにはこう書いてあるわよ。
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉ってね」
ジャックはニヤリとしてこう言う。
「そうさ。でも違う意味があるんだ」

ここで僕は混乱しました。
ジャックは強がってるのか?
それともほんとにちがう意味があるのか?
自信満々だから強がっているようには見えない。
でも実際、刺青の意味通りボコボコにされた。

僕はDVDをポーズして考え込みました。
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉
この言葉がジャックにとって何かポジティブな意味があるのか?
そこで僕はハッと気付きました。
僕の腕にも同じ刺青があるじゃないか。
〈OUTSIDER〉
外部の人、部外者、端くれもの、仲間はずれ。

「ジャック!僕も君と同じ意味の刺青があるぞ!」
勝手な解釈でジャックと友達になった気がしました。

でもちょっと待てよ(DVDが終わってから)。
僕のゼロに近い記憶力が珍しくピキーンピキーンと言いました。
そういえば『LOST』の監督はアメリカ生まれのユダヤ人です。
ユダヤ人と言えば、ノーベル賞受賞者の約20%がユダヤ人という、
世にも変わった血を持つ人たちです。
内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』を読むとそれがよく分かります。

その本には、ユダヤ人にとって生きることは仲間はずれそのものだ、
ということがみっちりと書いてあります。
『LOST』風解釈をするとまさに、
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉となります。

なんで、周りにいる人を仲間ではないと考えるがいいのかを、
僕が説明すると言い方を間違えて、
日本人の仲間はずれにされそうのでやめときます。
僕は間の子ですからね。
こないだ父親に言われました。
「お前がもし50年前の日本に住んでたら、
間の子だって言われて石をぶつけられてたぞ。
今の時代ハーフだとか言うとチヤホヤされるかもしれんけどな」と。
ちょっと待ってよ、と僕は言い返しました。
「確かに石はぶつけられない。それにチヤホヤもされる。
でもアメリカンジョークを言っても親父ギャグとしか思われないなら、
もう日本人としてもアメリカ人としても終わってるってことじゃないか!
おれのアイデンティティはどこにあるんだよ!え!?」

すいません横道に逸れました。
仲間はずれの話しです。
ともかく、仲間はずれはユダヤ人だけの問題じゃないです。
「この呪いは本来すべての人間にかけられたものだ」
というのが内田樹の言い方です。
仲間はずれという状況が「一人で考える」ことを教える、
ジャックはきっとそういう意味でニヤリとしたんだ。
僕はここまできてやっと合点承知できました。

僕も常に呪いに向き合いたいですね。
成長はノロいかもしれませんけど。
アメリカンジョークです。
アッハッハー!

2012年9月13日木曜日

秋の食材が盛りだくさん

かぼちゃのプリンと、
黒小豆のプリンが最近のプチデザートになってます。
あー、あと天然成分の美容液がお店に並びました。
うー、それとかぼちゃの豆乳クリームパスタもやってます。
えっとー、秋収穫のズッキーニもたくさん使ってます。

久しぶりの仕事だと慣れてた動きができなくなって、
考える前に、やることが迫って来るので、
何かを記憶する間がないです。
忙しいうちに時間が過ぎるのもいいんですけど、
記憶が引き換えになってます。
今日はヒマを生むために冷製カツカクテキな動きで行こう。
いや、性生活厳格な動きがいいのだろうか。
いやいや、チン快活は明確である。

どうも今日の方針が定まりません。
それにしても、パドルボードツアーが大人気!

2012年9月12日水曜日

しつこくマルケス

・昨日書いた『生きて、語り伝える』は、
分厚い本の割になにかと読書を立ち止まらせる本です。
昨日はバーナード・ショーの引用の言葉にぶつかりました。

「ごく幼いころから、私は学校に通わされたせいで
自分の教育を中断せねばならなかった」
僕は二度読みしてしまいました。
子供がこんなこと思ってたらビビりますね。
大人か!?
タカ&トシなら言うでしょう。

ショーの文章(ダジャレじゃありません)で面白いのは、
だいたい誰かの作品に引用された文章です。
ショーの作品はとにかく読みにくい。
1ページにびっしり文字がつまっていて、
「読むぞ!」という気合いが必要です。
ということで、
ショーは引用で楽しみましょー(高度なアシンメトリーダジャレ)。

※「アシンメトリーダジャレ」とは、文章の始点が偽ダジャレで、
終点に普通のダジャレを置く技法である。
[ウィリアム・ダジャレ辞典より]

・スタッフブログのくせに、
最近オーシャンのことをぜんぜん書いてません。
でも今日は6日ぶりの出勤ですから、
明日は何かニュースが書けそうです。

2012年9月11日火曜日

記憶残高

昨日からガルシア=マルケスの『生きて、語り伝える』を
読みはじめました。
読みはじめたと言っても、作品に入る前のページの、
よく詩が引用されてるところに書いてある言葉に釘付けになって、
そこで考えてるうちに満足して、
それから本を閉じて秋刀魚を焼いて晩ご飯にしました。
そこにはこう書いてありました。

「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、
何を記憶しているか、
どのように記憶して語るかである」

僕は10歳ぐらいまでの記憶が少ないと思います。
深刻なトラウマが邪魔をしてるわけじゃないです。
深刻どころか浅はかに、
山の中を走ってたとか、
アメリカに持って行ったコミックボンボンをずっと読んでいたとか、
そういう記憶しかないです。

10代の記憶はなんとかあります。
20過ぎて本を読みはじめて家から出なくなりましたから、
それ以降の僕は死んだようなものです。
そう考えると、
僕はざっと10年間分の生きた記憶を持っていることになる。
ということは、
僕は今日まで249日分のブログを書いてきた。
そこにはそれと同数の249日分の過去の記憶を織り交ぜたから、
残りの僕の記憶は、閏年の2日分を加えて、
3704日分ということになります。
だからまだ9年と少しの間はブログのネタに困らない。
といいなー。
ぽりぽり(じゃがポックルを食べる)。

今朝の雷は1日分の記憶として残りそうです。

2012年9月10日月曜日

MEIKAのお嬢さん

今日は休みで、
ブログを書くのをすっかり忘れていて、
今思い出しました。
思い出しついでに、思い出し言葉について書こうと思います。

僕は名家のお嬢さんと聞くとつい、
銘菓のお嬢さんを想像してしまいます。
メーカーのお嬢さんはあまり想像しません。

あのとき三河で名を馳せる銘菓のお嬢さんは、
花かんむりを被ってきました。
その横で僕は、
ハゲヅラを被って神父のコスプレをしていました。
数年前に結婚式の二次会の幹事を引き受けたときの場面です。

当時働いていた職場の同僚のTのパーティーでした。
新郎側にハゲヅラの僕が付き添い、
新婦側には花かんむりの、銘菓のお嬢さんが付き添いました。
なるほど。家庭環境のちがいとはこういうことか、
と当時思いました。

今度はメーカーのお嬢さんと付き添い役をしてみたいですね。
どんなものを被って来るんだろう。
「DENSO」とか刺繍の入ったキャップで、
ウケを狙って来るようなお嬢さんもいるのかな。

2012年9月9日日曜日

大阪紀行

昨日は『最強のふたり』を見ました。
格闘ものかと思ってたら違いました。
首から下が動かない身体障害者の金持ちの男と、
ユーモアがあるという理由で介護に雇われた貧民街の黒人の若者。

フランス映画だからきっと重くて憂鬱なんだろうなと思ってたら、
それも違いました。
何が最強なのか最後まで分からなかったですけど、
音楽と下ネタがすばらしく良いです。

僕が座る両隣りがカップルだったので、
一人下ネタであんまり笑って変質者だと思われるのも嫌だったので、
笑いをガマンするのが辛かったです。

映画続きでしたけど、
大阪も今日一日で終わりです。
たこ焼きも食べましたし、
寿司屋で関西風の塩漬けガリも食べたっちゅーわけやねん。

2012年9月8日土曜日

フィロソフィー県民

昨日から学校で大阪に来てます。
今回は「哲学」のスクーリングです。
僕は言葉をこねくり回すのが好きなんですけど、
昨日は朝から夕方までずっと眠気に襲われてました。

先生が語るソクラテスとかプラトン談義が催眠術のように響いて、
昨日の記憶が朦朧としてます。
きっとみんなはこう言うでしょう。
「何言ってやがる、授業が分からなかっただけだろ」
まあ、大方、分かりませんでしたけど。

そのかわり、学校が終わってすぐに、
ビルの向かいにあるトーホーシネマに入って、
『アベンジャーズ』をビール片手に見たときは、
すっきり目が覚めました。

君は大阪まできて何をしてるんだ、
と僕は哲学的に自問して、こう答えます。
「分からないことを、分かりにきたんだ」と。

フィロソフィーのフィロは愛。ソフィーは知。
フィロソフィーから愛知を学びにやってきました。ふふふ。
ああおもしろい。

2012年9月7日金曜日

ピーナッツバター・ジャンキーズ

ピーナッツバターに取り憑かれる人たちがいます。
エルヴィス・プレスリーはピーナッツバターを食べ過ぎて
死んだという話しもあるぐらいです。

身近なところでは、オーシャンのしんちゃんがいます。
「おれはピーナッツバターがあれば、
パンなんかなんでもいいんだよねーへっへっへー」
と本当に嬉しそうな顔をして言います。

うちの母親は中学生から高校生の間、
おばあちゃんに隠れて夜中にひっそり冷蔵庫で、
ピーナッツバターとストロベリージャムを取り出して、
食パンにたっぷり塗ってサンドイッチにしたのを食べてたみたいです。

よくテレビのアンビリバボーに、
夜中の冷蔵庫に忍びよる人たちが出ますけど、
僕の母親も一歩間違えたら、
重症の肥満になっていたかもしれないですね。
幸いにも、学校でサッカーをしたり、
おばあちゃんの車を盗んでドライブしたりして、
他にも楽しいことがあったのが救いになったみたいです。
母親の過去の話しを整理すると、
よく食べて、よく遊んだ、という感じになります。

僕個人の好みでは、
ピーナッツバターは好きですけど、
取り憑かれるほどでもないです。
でも、ピーナッツバターを食べる人を見ると、
自分も無性に食べたくなります。

ピーナッツバターといったら、
僕は「ジョー・ブラックをよろしく」を思い出します。
悪魔がブラッド・ピットに乗り移って、
ピーナッツバターを食べるシーンがあります。
悪魔ははじめて食べたピーナッツバターにはまって、
それからというものの、
スプーンですくったピーナッツバターをいつもくわえています。
そうはいっても「ジョー・ブラックをよろしく」は泣ける映画でした。

2012年9月6日木曜日

決死のパスタ

昨日はランチタイム真っただ中、蜂に刺されました。
冬瓜汁の薬味に使う紫蘇がなくなったので、
ハーブガーデンに取りに行き、
柔らかい紫蘇を摘もうと繁みに手を突っ込んだとたん、
ツーン!!です。

紫蘇の繁みの中に蜂の巣がありました。
そこに僕は奇襲をかけてしまった格好です。

はじめて蜂に刺された僕は、それはもう一大事だと思って、
蜂が繁みから飛び出して来るわで、
摘んだ紫蘇も放り投げてお店に走って逃げました。
「刺された!刺されたよ!蜂に刺された!」

でも厨房は、
「大丈夫?痺れてる?もし倒れそうになったら休憩してね!」
とバタバタしてます。
僕もやっぱりパスタ茹でなきゃならないし、
やっぱり紫蘇も必要だし、
もう僕は死ぬかもしれないと思いながらフライパンを振りました。

そこで、心配をしてくれたのかりょうちゃんが声をかけてくれました。
「どこ?ちょっと見せてみて。ああ、赤く腫れてるね」
「いや、そこはさっき油で火傷したとこで、こっちが刺されたとこだよ」
「あ、大丈夫そうだね!アシナガとかスズメバチじゃないもんね」
と、割とあっさり目の診断です。

結局、一時間ぐらいしたら痺れも血管のドクドクも引いていきました。
でもその間に茹でたパスタは、これがもう僕の最後の一皿だ、
という決死の覚悟が込められたので、
麺のコシも強くなったと思います。

そういえば小学生のとき妹が蜂に頭を刺されましたけど、
妹が暴力的になったのはそれが原因なんですかね。

2012年9月5日水曜日

バベルのサントラ

『リアル・スティール』のオープニングの歌がよかったです。
映画を見てるとき、あ、良い曲だと思ってても、
見終わるころには良いと思ってたことも忘れて、
結局思い出さないまま時間が経ってしまい、
どの映画の曲が良かったのかまで忘れてしまいます。

でも良いと思う曲が複数あると忘れる前に、
サントラを買おう、となります。
今でもたまに聞いてるのは映画『バベル』のサントラです。
グスタボ・サンタオラージャのギターの間に、
坂本龍一がいたりリップスライムがいたり、
アメリカンなポップ曲も入ってます。
ふにゃけた感じと寂しくなる音楽が切り替わるのが良いです。
二枚目には(二枚組です)藤井隆の曲も入ってます。
このCDの曲順で聞くと、
これもまた丁度良い感じでフォー!!です。

サントラはいいですね。
映像が浮かんできます。
モロッコとか日本とか、
ぜんぜん別物の風景が音楽と共に切り替わって印象に残り、フォー!!

2012年9月4日火曜日

バイブ目覚まし

少し前からiPhoneの音が出なくなって、
バイブ目覚ましで起きてます。
微弱な振動を感知するナマズになった気分です。
地震が予知できるようになったらまた報告します。

2012年9月3日月曜日

朝市マーケット

・今日はオーシャンで朝の6時から
「朝市クリエーターズマーケット」を開催しています。
色んな人たちがモノを持ち寄って並べているようです。
そして誰でも自由に物々交換ができるみたいです。
服、本、野菜、作品、とにかくなんでもオッケーだということで、
僕は本を持って行こうかな。
食器もあるな。CDもいいかも。
ブツブツ。

・今朝は起きてすぐにちょっと外を歩きましたけど、
いつの間にか秋の空気です。
涼しい空気が身体を通り抜けて、
身体がオータムモードに切り替わりました。
うちの猫シルベスターも食欲が出てきて、
夏はあんまり食べなかったのが、
最近よく食べています。
そういえば僕は昨日素麺を食べましたけど、
なんだか素麺もフィナーレな気がしました。
そろそろ暖かい麺が食べたくなりそうです。
魚もいいですね、秋刀魚が食べたい。そうだ、魚焼こう。
ブツブツ。

2012年9月2日日曜日

西尾ワイルドターキー

・年代で趣味嗜好が変化するように、
年齢によって「カッコいい酒」も変わります。

十代の頃、バイト先の社長に連れて行ってもらった、
ラウンジやクラブで水割りを水のようにサラッと飲むのを見て、
カッコいいと思いました。

また別の人に居酒屋に連れて行ってもらって、
僕が焼酎は鏡月グリーンしか知らないときに、
ボトルキープしている酒が芋焼酎で、
それもロックで飲んでいる姿がカッコいいなとも思いました。

ヘミングウェイが描く酒もまたカッコよかったです。
キューバが舞台の小説だったと思いますけど、
バーで飲んでた主人公が水筒を出して、
フローズンダイキリをそこに詰めてくれるようバーテンダーに頼んで、
それを持って釣りか何かに出かけるという話しも新鮮でした。

しかし、群を抜いてシビレたのは、
高校生も終わりぐらいの頃の小さなバーでのことでした。
アメリカン好きな先輩に連れて行ってもらった、
はじめて踏み込むアメリカンなバーです。

僕は母親がアメリカ人でも育ちは西尾なので、
そういう革ジャン、リーゼントが当たり前のバーに入るには、
すこぶる緊張しました。

僕が身体を固くして何を頼んでいいのか分からず手当たり次第に
「ショウチュ、いや、生ください」
と言っている横でその先輩はこう言いました。
「おれ、バーボン、ロックでもらおうかな」
バ、バーボン?
なんだそれは?
「ワイルドターキーのね」
よくわからんけどカッコいい!
それがすぐに飲み物だと認識できなかったほどです。
当時の僕の年代からしたら、
バーボンなんてドラゴンボールの登場キャラの一人でしかありません。

「バーボンをロックで」
僕はこの言葉に昔も今も「大人」を感じます。
今も頼むのが恥ずかしいぐらいです。
でもそれに憧れて、アメリカンなバーに行くようになって、
同年代を前にして頼むバーボン・ロックという自分に酔っていました。

あの消毒薬みたいな味の酒をよくガマンして飲む。
元気があればなんでもできるアントニオですけど、
カッコいいと思ったら何でもガマンできるっていうのは、
気をつけたほうがよさそうです。
だいたい、カッコいいと思ってやってるうちは、
サマになりません。

・今日は日帰りで京都に行ってきます。
オーシャンはリニューアルして元気に営業してます!

2012年9月1日土曜日

エロ・クルーズ

欧米人はよくサングラスをかけます。
運転中、
それにサイクリング、
町中を歩く時でも、
太陽が親の仇でもあるかのようにすぐサングラスをかけます。

それに比べて日本人はどうか。
けっこうサングラスかけてると思いますけど、
使う用途が違います。

日本人女性のサングラスの使い方はどっちかです。
彼女たちがスッピンであるときか、
それともほんとにまぶしいのか。

それに対して、日本人男性はこうです。
混浴風呂の脱衣場でメガネをいちいちサングラスに替えたり、
あるいは電車の対面の席にミニスカ女子が座ったとき、
突然まぶしくもない外窓をまぶしそうに見て、
「仕方ないなー」
とでも言わんばかりにサングラスをかけるような場合です。
まあこれは一般的日本人男性というか、
昔僕がいた職場のO専務という人なんですけど。

つまり、おおよそにおいて日本人がサングラスをかけるとき、
それはまぶしいからではないときが多いです。
男女それぞれ動機は違いますけど、
目的は一緒です。
サングラスで顔を隠す、ほぼこれです。
それはでかいサングラスも流行ります。

エロ目を隠すO専務の言い訳はだいたい決まってました。
「おれ『トップガン』に憧れてたんだよねー」
だからO専務はエロ・クルーズと呼ばれていました。