・エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちかなんてないでしょうけど、
僕は空っぽな容器です。
意見とか、
主張とか、
自分の声みたいなものを持っていません。
いや、知らずにワガママを言ってたりして、
十分にあるよと言われるかもしれませんけど、
僕は透明なフィルターみたいで、
特別何かの言葉に反感は持たないです。
僕が知っていることは、全部人が教えてくれたことです。
なのに自分の声があるなんて、どうやって知れるんでしょう。
自分の声だと思ってるものは、誰か人の声なんじゃないですか?
僕の喋る言葉は一から十まで、
誰か他人の言葉。
だから僕は僕じゃなくて、
僕の周りの人を全部集めたところに僕一人が出来上がる、
そんなイメージなんです。
エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちもあるんでしょうけど、
僕はエゴの塊です。
僕には自分だけの経験があります。
それは実体験から得たもので、
人にそれは違うと言われようと、
僕は反論できます。
自分がやってることを信じてますから、
僕は自分が選択してきたことの動機を説明できます。
正しい選択と間違いの選択という、
一日が枝別れ状になっていますけど、
自分には実体験によって形作られたコンパスがあります。
だから頭上からの声に従うときも、
逆らうときも、
どっちで捉えたにしても僕は肯定できます。
僕は一つの筋道に沿って歩いているんだと分かります。
・昨日ブログを書こうと思って、
ビールを飲みながら無闇にキーボードを叩いていたら、
こんな変な文章になりました。
それで今日朝起きて
「何でこんなこと書いたんだろう」と思っていたら、
あ、そうだ分かりました。
僕の居間には吉本隆明の言葉を飾ってまして、
その言葉はこういうものです。
「ほんとうの考えと
嘘の考えを
分けることができれば
その実験の方法さえ決まれば
宮澤賢治より」
壁にかかってると、
色んなときに目に入ります。
それが無意識のうちでも、
じっと見入ってしまうときでも、
色んな見方をしています。
それで今日、この言葉が基になっていたんじゃないかと、
思ったわけなんです。
今日は「空っぽな容器」が優勢なだけかもしれないですけど。
でも、僕はずっと壁に何かを貼るのがいやでしたけど、
こないだは壁に世界地図を貼りました。
最近、壁に何かあるのが楽しいです。
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