2012年7月31日火曜日

イノナカ君、はいっ!

週末休んで、今日からオーシャン営業です。
仕事を続けていると変な習慣ができあがります。
ちょっと自分の仕事に得意になったり、
自分の毎日には隙がないと思ったり、
レベルが高くなっていると妄想してしまいます。
小学一年生イノナカ・ノカワズ君になってしまいます。

休みで外に出かけると、遠くに行くと、
知らない場所を歩くと、はじめて会う人と話すと、
テーブククロスを引っこ抜く技を失敗したようになります。
人に見せられるように並べた食器を全部ぶちまける。
僕のテーブルに座ってくれた人をもてなすこともできなければ、
誰か人に椅子をすすめることもいやになる。

何だこのテーブルの上をまき散らした感は。
たぶん僕はまた仕事をしながら、
自分のテーブルの上を豪華に見せはじめるんでしょう。
それでまた「見えざる手」によってテーブルクロスを引き抜かれる。
散乱したら、また整えてを、くり返す。
諸行無常の苦情詩行。

2012年7月30日月曜日

熱い空気と大きなパン

国会議事堂前。
長い列。
でも、デモ主催者がしっかりしているようでスムーズ。
ちぎったパンをもらう。

2012年7月29日日曜日

隅田川花火大会

スカイツリーの横から花火。
昨日、四ヶ所の打上げ花火が同時に見えました。
東京花火三昧です。

2012年7月28日土曜日

まそびにいく

・今日と明日はオーシャン臨時休業日になります。
みんなはフジロックへ、僕は東京にスクーリングに行ってきます。
各々色んな経験を積んで帰ってくると思います。
遊びと学びが同義語だということを、
オーシャンでは誰も疑っていません。

僕は始発の電車に乗るために今から出発です。
いつも授業は京都に行きますけど、
今回は日にちの都合で東京になりました。
京都造形大の東京キャンパスである「芸術学舎」に行くのは、
年で数えても2、3回です。
それ以外は月に1回ていどで京都に行きます。

今回受ける講義は「比較文学」です。
硬そうな内容ですけど、
面白い小説のどこが面白いのかを読み比べるわけですから、
面白くないなんてことはないと思います。メイビー

・昨日はDVDで『猿の惑星:創世記』を、
一昨日はテレビで『Mr.インクレディブル』を見ました。
ウィリアム風比較文学的見解を述べるならこうです。
どっちにも、ベッドシーンは、なかった。

2012年7月27日金曜日

バラバランス

「もしちょっとでもバランスをとろうなんて
考えたとたん全部がバラバラになる」
今僕はだいちゃんという人が書いたブログをタイプしていて、
そこにこの言葉がありました。

だいちゃんは僕よりも干支で二周りほど年上の人です。
なぜブログをタイプしているかというと、
だいちゃんのブログは手書きだからです。
このブログノートは、
だいちゃんが去年の冬から三ヶ月かけてネパールを旅したものです。
一日一日休むことなく、
手書きで書かれたけっこうな分量のものを読むのははじめてです。

このブログノートは読んでいてハッと気付くことがあります。
手書きなのに文章の修正がない。
意味があるのかないのか、フラフラっと文章が続いても、
ちゃんと辿り着く。
最初と終わりが不自然なくつながる。


たとえば僕には、書いてる途中で何を書いているか分かんなくなり、
支離滅裂になったりすることがけっこうあります。
横線で消したり、書き直したり、そういう修正をします。
それがたぶん意味を求めて
バランスをとろうとしてることなのかもしれないですね。

文法の問題とはちがう。
だいちゃんの文章はそれこそ自由で、
正しい文章というより、伝わる文章です。
矛盾する言葉の意味の下に、
一貫した意味が込められている。

「ちょっとでもバランスをとろうなんて考えたとたん・・・」
生活に、仕事に、人間関係に、
色んなことにバランスを取ろうとしている僕には、
ズキズキと響きます。

2012年7月26日木曜日

ショッカーVSシーマン

しばらく前から自転車に乗る主婦の間で、
UVカットの黒いサンバイザーを付ける人が出てきました。
はじめは新手の宗教の人かと思いましたけど、
特別気になるほどではありませんでした。

しかしこないだ早朝にこんな人がいました。
定番アイテムの顔面サンバイザーに加えて、競技用のヘルメット。
そして、最近スポーツ選手が着るような全身黒のピチピチスパッツ。
白い部分は首に巻いたタオルと手袋だけで、後は全部黒。
特殊装備をしたスペシャルショッカーです。
でも自転車だけは普通のママチャリ。
そのママチャリを猛烈なスピードでこぐ。

そんな格好で、どこに向かうのか。
保育園の送り迎えか?
保育園にはそういう人たちがたくさんいて、
また新たなグッズの情報交換会でも行われているかもしれない。

これを、形式にこだわらず目的を追う人だと見ると、
これこそ現代人なのかと思える。
この反対の極みにいる人たちの格好に、
メッセージTシャツを着る人たちがいる。

シーマンというメッセージTシャツ好きがいる。
彼は万里の長城に行きたいという思いから、
「万里长城」(ワンリーチャンチョン)という文章と、
ワンリーチャンチョンのイメージ図が描かれたTシャツを着ていた。
そしてまた別の日には、
聖飢魔Ⅱのような顔をした猿に、角と牙を生やした生き物が、
ワンポイントにでかでかプリントされた不気味なTシャツを着ていた。
おとなしいシーマンは特にこれが気に入っていると言っていた。


僕はシーマンのこの姿勢に感動しました。
「自分はもうそれを手に入れたようなものだ」
になってるじゃありませんか。
ショッカーたちは永久にショッカーとして戦わねばならないところを

2012年7月25日水曜日

幸福の青い鳥

幸福の象徴である青い鳥は、みんなから求められて、
手に入れることができた人たちは青い鳥を大切にケージに入れる。
最初はケージに入ることが怖かった青い鳥も、
毎朝与えられるひまわりの種にだんだんと幸せを感じるようになる。
飼い主は自分の家に青い鳥がやってきて有頂天。
青い鳥が家にいるかぎり自分の将来の幸せはずっと約束されたものだ、と。
気を付けることは、青い鳥の機嫌を損ねないように、
ひまわりの種と水を切らしてはいけないことだけ。
青い鳥は大切にされたり、関心を持ってもらうことが大好き。
だから空のどこからか舞って来た白い鳩が、
ベランダに止まってこっちを見ようものなら、
青い鳥は軽やかにケージの中を飛び跳ねて幸せを見せつける。
白い鳩はプッと糞を落として、またどこかに飛んで行く。

2012年7月24日火曜日

映画選びには映画狂を

僕にとって映画のいちばんのストレスは、
いざ何を見ようかと考えるとなかなか決められないことです。
レンタルショップなんかいっても
あの数の多さに余計混乱します。

映画はたくさんあるけど、
何を基準に選ぶか。
広告の露出が多いからって内容がいいとはかぎらない。
通が好きそうな映画館でやる映画はつまらないという先入観がある。
レンタルショップのランキングとかレヴューを鵜呑みにしたくない。

そんなことを考えてるうちに映画館の上映期間は過ぎる。
そんなことを考えてるうちにレンタルショップの店内を三周ぐらいして、
結局何も借りずに帰る。
そんなことを考えてるうちに、しばらく映画を見ていないことに気付く。

僕は長い間このストレスに苦しめられていました。
ああー、もうなんて人生の無駄遣いをしてるのかおれ!
こうやって優柔不断の自分を責めるなんていうのもまた、
一人二次災害です。
映画も見れない、自分の人生適応能力も自分でおとしめる。

こういう映画の選択に七転八倒してる人には(そんな人いないか)、
「タランティーノ賞」を参考にするのがいいと思いました。
タランティーノが自分のサイトでアップしてるランキングです。
選考にはなんのコメントもありません

僕は2010年のランキングで選ばれたのを全部見て、
「これは損をした」というのがなかった。
タランティーノの好みが僕に合っているだけかもしれませんけど、
選ぶものが偏ってないとこがまたいいんです。

2011年の1位は『ミッドナイト・イン・パリ』ですって。
これを選ぶ監督が悪い人なわけがない、
という勝手な見解です。
ちなみにタランティーノは少なくても1日1本映画を見るらしいです。

2012年7月23日月曜日

トースター炎上

トースターが黒い煙を噴いていたのは、
ランチも終盤戦のときでした。
トースターの戸の隙間から黒い煙がもんもんと上がっています。
尋常じゃない悪魔の化身のような煙です。

何だ?何が起きたのだ?
僕は切りかけのズッキーニを片手に仰天しました。
トースターのガラス戸を見ると中が真っ赤になっています。
そういえば僕はパンをアルミホイルにくるんで焼いていた。
彼を救出せねば!
僕は海猿張りの正義と勇気で、
ズッキーニを放り出してトースターの戸を開けました。
すさまじい勢いで炎が飛び出てくる。
僕は慌てて戸をまた閉める。
救出不可!メーデー、メーデー!

僕は叫ぼうとしました。
「誰か!えらいことになっとるぞ!!」
でも厨房を見渡しても誰もおらず、
レジのところではスタッフがお客さんと談笑などしながら、
平和にお会計などが行われています。

そこで僕はもう一度勇気を出して、何か道具を使おうと考えました。
すぐ近くに霧吹きがありました。
僕はすかさず霧吹きを取る。
トースターを開けるとまた恐るべき炎が立ち上がりました。
僕はすかさずその憎き炎に向かって、
霧吹きのグリップを全力で振り絞る。
シュコシュコ、シュコシュコ。
ぜんぜん利かない!
僕はまた戸を閉めました。
でも呆然としているうちに炎が弱くなってきて、
中で燃えて真っ黒になったアルミホイルも取り出せました。

火災探知機が鳴ったのは、事も済んでほっと一息ついたときです
スタッフみんなも厨房に戻ってきて、
お客さんも何だ何だというふうに厨房が注目されました。

だから僕は何事もなかったように、
村上春樹ならこうクールに振る舞うだろうといった感じで、
やれやれと苦笑いで肩をすくめてみました。
やれやれ。

2012年7月22日日曜日

混沌トカトントン

昨日はりょうちゃんがホールに掃除機をかけ終えて、
物置きに仕舞おうとしたら、
物置きと勝手口を間違えて掃除機を持ったまま外に出てきました。
僕はトマトの仕分けをしていまして、
掃除機を外に持ってきたりょうちゃんはそこではじめて
間違えたことに気付いたようで、
掃除機と僕を二度見していました。

僕は僕で、
ドライトマトにしようと外に干していたトマトが
悲しくもカビてしまったので、
大丈夫なものとダメなものを選別していました。
これはダメ。左にピッ。
これは良い。右にピッ。
左、右、ピッピ。
左にピッ、右にピ・・・りょうちゃん?
掃除機を外に持ち出したりょうちゃんと、ダメなトマトと良いトマトと。
どれが正しくてどれが間違っているのだ?

外でそんな混乱が起きているとき、
店内では電話が鳴り響き、
ヤーマンが新しくできた電話対応マニュアルを片手に電話に出ました。
電話対応マニュアルを印刷したのは、
オーシャンの誤字脱字王ことタツロー。
彼は自分の会社名を「オーシャル」と書いていました。
かわいいもんです、会社名ですから、一体誰が間違えますか?
ヤーマンだって言いました。
「このままでいいですよ。だって、誰が間違えます?」
そこで彼は律儀にマニュアルを開いて電話に出ました。
「お電話ありがとうございます。カフェ・オーシャルの」
ヤーマンは見事にテンパリました。
次に自分の名前を名乗っていいものかどうなのか分からず絶句して、
もう一度最初から「お電話ありがとうごいざいます」
くり返したのです。

世の中、いたるところに混沌は、見え隠れしています。

2012年7月21日土曜日

壁の言葉

・エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちかなんてないでしょうけど、
僕は空っぽな容器です。
意見とか、
主張とか、
自分の声みたいなものを持っていません。
いや、知らずにワガママを言ってたりして、
十分にあるよと言われるかもしれませんけど、
僕は透明なフィルターみたいで、
特別何かの言葉に反感は持たないです。
僕が知っていることは、全部人が教えてくれたことです。
なのに自分の声があるなんて、どうやって知れるんでしょう。
自分の声だと思ってるものは、誰か人の声なんじゃないですか?
僕の喋る言葉は一から十まで、
誰か他人の言葉。
だから僕は僕じゃなくて、
僕の周りの人を全部集めたところに僕一人が出来上がる、
そんなイメージなんです。

エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちもあるんでしょうけど、
僕はエゴの塊です。
僕には自分だけの経験があります。
それは実体験から得たもので、
人にそれは違うと言われようと、
僕は反論できます。
自分がやってることを信じてますから、
僕は自分が選択してきたことの動機を説明できます。
正しい選択と間違いの選択という、
一日が枝別れ状になっていますけど、
自分には実体験によって形作られたコンパスがあります。
だから頭上からの声に従うときも、
逆らうときも、
どっちで捉えたにしても僕は肯定できます。
僕は一つの筋道に沿って歩いているんだと分かります。

・昨日ブログを書こうと思って、
ビールを飲みながら無闇にキーボードを叩いていたら、
こんな変な文章になりました。

それで今日朝起きて
「何でこんなこと書いたんだろう」と思っていたら、
あ、そうだ分かりました。
僕の居間には吉本隆明の言葉を飾ってまして、
その言葉はこういうものです。

「ほんとうの考えと
嘘の考えを
分けることができれば
その実験の方法さえ決まれば
 宮澤賢治より
 
壁にかかってると、
色んなときに目に入ります。
それが無意識のうちでも、
じっと見入ってしまうときでも、
色んな見方をしています。
それで今日、この言葉が基になっていたんじゃないかと、
思ったわけなんです。
今日は「空っぽな容器」が優勢なだけかもしれないですけど。

でも、僕はずっと壁に何かを貼るのがいやでしたけど、
こないだは壁に世界地図を貼りました。
最近、壁に何かあるのが楽しいです。

2012年7月20日金曜日

田んぼの草取り

今日の朝はほんのり涼しい風が吹いています。
しかしそんな爽やかな書き出しの裏で僕のカラダは、
下半身から腰にかけて襲ってくる筋肉痛によって
節々がロボット張りにギシギシいっています。

というのも、昨日は田んぼの草取りをしてきたのです。
オーシャンのお米は完全無農薬です。
だから色んな手間がかかります。

稲は20から30センチぐらいに育っています。
田んぼに素足で入ると、ふくらはぎの当たりまで踏ん込みます。
田んぼの中で歩くと、ズポッズポッ、という音がします。
草取りは列毎にやっていきます。
腰をかがめて、稲の周りに両手を突っ込む。
草は水の表面には見えないので、
手探りで稲の周りの泥を指でかき分けていく。
すると雑草の根っこが指にからまって抜ける。
水の中で泥をしごくので、抜けた雑草が水の表面に浮かんでくる。

見えない雑草との闘いは、一時間だけです。
それでも一時間、やっただけでフラフラになりました。
サッカーとはぜんぜん違う足筋の使い方です。
田んぼから出た後の一日は、
ずっとふくらはぎと腿がツリそうでした。

たかしさんは6月からお盆の頃まで毎日この作業を続けています。
気が遠くなりすぎて田んぼに頭を突っ込みそうになりました。
ともあれ、グッドモーニング、エブリバディー、ジジジジ。
ロボットは出動体制に入ります、ピポパポパ。

2012年7月19日木曜日

酷暑へへん文体病

連日酷暑が続いています。
外に出るときは気を付けないといけません。
いつ頭が熱でヤラれるか分かりませんので、
アホ防止のホゴ帽子が大切になります。

お店のことも自分のことも、
書くことが思いつかないときはどうしたらへへんでしょうか。
そういうとき何について書けばへへんでしょう。
そういへへば、昨日のおへへるは、
とてもおへへがしくて、
でもへへートダッシュが済むとすぐにへへまになりました。
午後からはチャヘへを仕込むために、
へへょうがをスライスして、
香へへん料をすり鉢ですりまして、
ぐへぐへ煮立たせることへへんじゅっ分。
でもまだ完へへいじゃありません。
寝かせることへへん日、
味が染み出したところでへぼりまして、やっとOKです。
あ、じゃなくて、おっへへいです。

こう見えてもやっつけへへ仕事じゃありません。
へへん境地の開拓民と呼んでください。

2012年7月18日水曜日

ドイツ製のものもの

昨日はとても暑かった。
外はむっと暑くて、
厨房の中もむっとくる暑さでした。
氷水をがぶがぶ飲みました。
休憩のときドイツ製の巻きタバコを少しもらって吸ってみると、
香りも味も良かった。
「MANITOU」という名前でした。
僕はふだんタバコを吸わないですけど、
お酒を飲むときにもらいタバコをするという
ケチなことをしています。
そういえば最近オーシャンで買った胡椒挽きもドイツ製でした。
「ROSLE」というキッチン用品のところのやつです。
ステンレスで重量があって、
挽くときに手応えがあるので気持ちいい。
ドイツといえば、今名古屋でドイツビールフェアをやってますね。
行きたい。
ドイツビールはあまり飲んだことがない。
うーん、行きたい。
そしてケース買いとかしてきたい。
たぶんドイツビールはどんだけたくさん買っても、
ジャーマニーなりませんよね。
ハッハッハー。

2012年7月17日火曜日

お〜旬

先週からオーシャンではピーチフェアが開催されてます。
ピーチタルトやピーチスムージーで、
ピチピチピーチがこれでもかっていうほど投入されています。


それと先週からハーブオイルで食べるパスタもやっています。
貝殻形のコンキリエを使い、
夏野菜を色々とコロコロ入れまして、
仕上げにハーブオイルで絡めます。
オイルはセージ、タイム、ミントなどを漬け込んでありまして、
さわやかに喉につるっときます。


お惣菜のプレートで圧倒的な存在感を出しているのは、
丸ごと皮ごと出てくるタマネギです。
じっくりグリルしたタマネギは皮の中でトロッとうま味が凝縮して、
味付けなしでいけます。

オーシャンは今、「お〜旬」になってます。
海の日が過ぎて、急に蝉がミンミン言い出した感じがします。
夏の暑い日には、おいし癒しなご飯を食べに来てください。

2012年7月16日月曜日

27年目のオープン宴会

今日は海の日です。
オーシャンも休みです。
海の日にオーシャンが休み、
いいですね、休み感も二倍ぐらいあります

昨日は西尾祭りでして、
久しぶりに普段会わない人たちに会ってきました。
前にバイトをしていた居酒屋の人たち、
同級生のお母さんが出してるお店の同級生周り、
そして「飯田農機商会」の恒例オープン宴会。

宴会で、オープンなんです。
家の向かいが人通りの多い道なんですけど、
シャッターを全開にして、道の外の植木沿いも椅子と机を並べる。
普段は色んな農機を置いているを広間にゴザを敷いて、
ビールのサーバーが設置される。

サーバーの横には焼酎と水割り用のセットが置かれている。
そして壁には張り紙で、
「焼酎は各自で作ってください」とか、
「カップを取ったら名前を書いてください」とか、
システムがかなり確立している。

主催者の娘いわくこれだけ用意したみたいです。
生ビール10リッター×4樽。
串カツ135本。
鶏皮3キロ。
いなり寿司120個。
ちまき10合。
これは代表的なメニューですけど、
これ以外にもなんやかんやのすごい振る舞いです。

飯田さんちではこの宴会が二日間続くんですけど、
それはもう数知れない人たちが立ち寄っていきます。
通りすがりの人、あんた誰という人、友達の友達、
知らない子供とおじいちゃんおばあちゃん。

この行事はかれこれ27年目になるそうです。
いちばん最初は、この家の曾祖母が祭りを見るために、
外に椅子を置いたところからはじまったようです。
椅子を置いたからせっかくだから寿司でも食べながら見よう。
それには机がいるね。なんなら飲み物も色々出そう。
そんな具合な拡張を想像します。

この日にここに行けば誰かに会える、
続いてきた行事だけが持つ引力です。

そういえばオーシャンの「舌を肥やす会」も、
開催日がバラバラですけど続いています。
丁度今日の夜もあります。
今日は「メキシカンピッツァの夜」です。

2012年7月15日日曜日

攻め際

吉良町にある手作りチーズ屋にはじめて行きました。
パルミジャーノとおつまみ用の種付きオリーブと、
ゴルゴンゾーラのクリームチーズを買いました。

お店に入るとイタリア人のおっさんが
今まさにチーズ製作中という格好白い服、白い帽子)で、
イラッシャイマセーとうまい日本語で出てくる。

それにしてもオリーブは絶対的に種付きがおいしいですよね。
ただ、種付きがおいしいからといって、
種付きのオリーブを自分で種抜きをしたものはどうかというと、
味に変わりはないものの、
何か足りない感じになります。

それなら梅干しはどうなんでしょうか。
種有りか種無しか、どっちが人気なんでしょうか。
僕は、お茶漬けを食べるなら種無しがいいです。
お茶漬けはお米が主役だと思いますから種は余計です。
梅干しはあくまで風味付けにしたい。
でも、銀シャリの付け合わせの梅干しには、種有りがいい。
梅干しをおかずとして、自立した存在として味わうためには、
中心に核が残っていたほうが味を歯で削ぎ落とせる気がします。

この違いはなんなのでしょう。
種があると噛んだときにブレーキがかかるからいいんでしょうか。
つまり、すぐ飲み込めず舌に実が残るから、味わえるのか?
それとも種の周りに付着した実にうま味が凝縮されてるんでしょうか。
肉はそうですよね。
骨際がおいしいって言いますから。

オリーブも同じ意味で種有りがおいしいです。
食べやすいように種を抜いたのは噛んだときにプニョッとして、
肩すかしな感が否めない。
それよりも一粒口に放り込んでガリガリ種の周りをかじりたい。

種際、骨際、ライン際、谷間際。
こういう際を攻めているものは、
ツバをごっくんとしてしまうものです。

2012年7月14日土曜日

日本人が書くローマ人情物語

辻邦生の『背教者ユリアヌス』を読みました。
自分では買わないようなタイトルだったんですけど、
オススメされて読みはじめました。
日本にこんなローマ大作があったなんて知りませんでした
おもしろかったです。

昔のローマでまったく別世界のことを書いてるんですけど、
不思議と世界観に遠さがない。
世界観と言ったらいいのか、人情と言ったらいいのか。
昔のローマ人を思い浮かべることは想像でしか無理ですけど、
それでもローマ人同士のやり取りに共感できる部分がたくさんあった。

その人物像を、日本人作家のフィルターを通ってきた人情であり、
あくまでフィクションのローマ人と言ってしまえばそれまでですけど、
それ以上に時代と空間を超えた物語として読めるので、
これはやっぱりすごいフィクションだって思えます。

たとえば日本の歴史物大作といったら『坂の上の雲』があります。
この本のクライマックスのロシア艦隊との戦いを読めば、
これはもう傑作だと思い知らされる感じがあります。
でも人情で言えば、『坂の上の雲』はそこまで表面には現れてこない。
日本人の寡黙に仕事をする心情を表現したのかもしれないし、
歴史的事実がたくさんあるから、勝手に心の問題を差し込んじゃうと、
語弊が出るっていう心配もあったのでしょう。


その点「背教者ユリアヌス』は人情物語です。
誰が裏切ったから殺す。
それは濡れ衣だったから、許せず復讐に走る。
と思ったけど、復讐はせずに我慢する。
こういうところの人情が細かく伝わってきて、
ドラマチックになっていくんです。
ハイブリッドローマ大作です。

2012年7月13日金曜日

おいしいはみ出し方

・今週から冷製パスタをはじめます。
夏野菜とハーブをはーぶりよく使ったオイルで、
喉元過ぎれば涼しさ残るようなパスタになります。

・オーシャンでは今週一杯までガラスの展示会をやってます。
かわいい食器とかイヤリングとか色々ありますよー。
ぼくもいくつか持っています。
お気に入りは、エスプレッソカップ並みに小さい、
ガラスのカップです。

でもガラスですから熱いエスプレッソなどは入れられません。
だからといってコーラを飲むには小さすぎて、
氷を入れるにも中身が溢れてしまう。
それなら何がいいのかという、ちょっと飲みたいもの、
ウィスキーとかワインとか焼酎をストレートで飲む用にいいです。
取手の付いたおちょこみたいなイメージになりますね。

・フランス料理みたいにやたらと大きな食器を使うのも、
食器を楽しむというのがあるのでしょうが、
極端に小さい食器もおもしろいです。

取手に指が通らないので、取手をつまむ。
小さな茶碗からご飯の面積が50%溢れる。
一人前の土鍋に二人前の具材を入れて蓋が浮いてしまう。
目玉焼き一枚分のサイズのフライパン。

大は小を兼ねると言っていてはこういう道具は揃わないです。
小は小のためにあるといった感じで、
ピッタリと収まるところに収まったり、
もしくは行き過ぎてはみ出してしまったところに嬉しくなります。
そういえば服にしても、ダブダブで引きずりそうなのより、
くるぶしが出ちゃうほど短いズボンのほうが好きです。

はみ出る、魅力。はみ出て、おいしく見える。
そういうサイズも色々あると食卓が楽しくなります。

2012年7月12日木曜日

ハワイで買ったフランス製のスライサー

夏野菜がぐんぐん育っています。
トマト、キュウリ、それにズッキーニは今も成長株。
ナスはもう少しのようです。
ジャガイモは豊作でたくさん使っています。

そういえばハワイで買ってきたキッチングッズが活躍してます。
ハワイで買うのもおかしいですけど、
フランス製の野菜スライサーを買いました。

すべり台のような形になっていて、
下のほうに刃が付いているんですけど、
そのすべり台の上に野菜をはめ込む容器が付いています。
容器といっても底がないのでスライドさせれば刃に当たるように
なっています。
なおかつ野菜を押さえつけて固定できる蓋が付いている。
丁度容器と雄雌になってるので、
野菜を容器に入れたら蓋みたいなものを被せて、
それを上下にスライドさせる動きになります。

画期的なところは刃が二本付いていることです。
というのは、フライドポテトにしたいと思ったらこうです。
ジャガイモを丸ごと容器に入れてスライドさせる。
一本の刃は水平に付いているのでそこで厚みを決めれます。
もう一本の刃は垂直に付いているので幅を決められる。

すなわち一回の上下運動だけで、
もはや揚げるだけの状態のフライドポテトが形成されるのです。
小さなジャガイモなら五回ていど、
大きなジャガイモでも十回ていどのスライドで終えてしまう。

もちろんこのスライサーはフライドポテト専用ではありません。
刃を入れ替えることによって、
ア・ラ・ポテト風もできれば、
ワッフルカットというサッポロポテト風なのもできる。
なんだ。ポテトチップス会社はポテトをあらゆる形状にしているな、
ということが今分かりました。

ともかくポテトじゃなくてもなんでもスライスします。
普通のスライサーみたいに危なくないところがいいです。
ちょっと実が少なくなってくると手が滑りやすいところを、
このマシーンなら勢いよく最後までいけますから。

まだポテトとタマネギぐらいにしか使ってないですけど、
他にも色々試してみようと思います。

2012年7月11日水曜日

マサル(下)

人に追い込まれるのはとても嫌なことです。
それが自分にとっての仕事や課題ならともかく、
やりたくもないことをやらされるのは尚更嫌なことです。

今度はSが逃げて、僕とNに彼を誘き出す指令が立てられた。
僕らはそんなことぜんぜんしたくない。
Sにはそのまま逃げ切ってもらいたいと思ってるし、
むしろ僕とNも逃げたい。
しかし誰か一人でもマサルの前から逃げ出す者がいれば、
彼の監視体制は強化されて、近くにいる僕らにも目を光らせる。
夜中になって家に帰ろうと思っても帰れないのだ。

「今日は帰らないといけないんですけど・・」
「お前ツレを見捨てる気か?
お前が諦めたらあいつ(Sのこと)悲しむだろうな」
マサルの論理はかなりおかしかった。
自分が加害者だとは微塵とも思ってないのだ。
「Sをもう見逃してください!」
しかしこんな心の叫びを上げようものならビンタをくらうので
黙ってマサルボンバーに従うしかありません。
そうです、彼のあだ名はマサルボンバーでした。
ビンタがボンバーのような破壊力を持っていたからです。

まず僕がSの家を訪ねる。当然居留守を使われる。
そこで、Sの親に手紙を渡すのです。手紙にはこう書いてある。
「二回ワン切りしたらマサルはいないってことだから、
電話出ても大丈夫だでね!」
マサルの言葉通り僕が書いた手紙です。

中学を出たばかりの疑うことを知らない僕らは、
こんなマサルの嘘くさいテクニックにいとも簡単に引っかかりました。
案の定、Sは何も気付かずに電話に出ます。
電話で僕が一人なのを信じるSは、
すんなりと家の外にいる僕のところに出てきました。

そして家の外に出てきたSは僕と笑顔の再会をした後、
口数も少なく気まずい僕の雰囲気を察して、
やっと路地の裏に隠れているマサルを見つけるのです。
そのときの、Sの絶望した顔。
持っていた携帯も手からすべり落ちてフリーズ。
誘き出した僕の気まずい顔。
そしてマサルの顎をたぷつかせて、ニヤニヤ笑う顔。
何て悪いやつだマサル!

僕らがマサルの魔の手から解放されたのは、
マサルが別の更に年下の後輩を引き連れるようになったからです。
「かわいそうだけど、ありがとう!」
マサルはある一定以上の年齢になる人間はコントロールできないので、
いつも若い後輩を引き連れているのです。
今も西尾市のどこかでは、
巨体をたぷつかせたマサルがのし歩いているかもしれません。
(おわり)

2012年7月10日火曜日

マサル(中)

追い込まれれば否応無しにアクションを起こさないといけない。
中学から高校にかけての僕の思い出を振り返ると、
どんな甘酸っぱい恋愛や友情を差し置いても、
恐怖の大王マサルが脳裏をよぎる。

予め言っておきますと「マサル」は匿名なので好き勝手言えます。
この、腕力バカ、マサル!地獄へ落ちろ!
しかし推測されては大変なのであまり言うのはやめときます。
彼は自分よりも力の劣るものを支配することにかけては天下一品でした。

そうです、まさに支配です。
絶対にこの人の監視下からは逃げられない、そう思わされるのです。
僕の人生の中でこのタイプの人間とは二人密接に関わりました。
20代のはじめに東京の会社に就職したときの社長もこういう人でした。
「この人には絶対逆らえない」
知らないうちにそんな概念が植え付けられる人です。

二人とも支配の仕方にそんな違いはありません。
恫喝&フォロー、です。
恐ろしくて震え上がる恫喝からはじまって、
すごく優しく守ってくれるようなことを言う。

こうやって書くとあっさりしてぜんぜん伝わらないですけど、
震え上がる恫喝を文章で伝えるのは難しいです。
特徴としては、
①声がバカでかいこと
②目が血走ってること
③巨体であること
これが兼ね揃うととても威圧されてる感を覚える。

声がでかいって陽気な人じゃないの?
目が血走ってるって寝不足で頑張ってる人じゃないの?
巨体って後付けじゃないの?
そう反論する人はマサルに出会わずにこれまで生きて来れたことを
幸運に思って今後の人生をお過ごしください。

彼らは自分の武器が何であるのかを知っていて、
その武器を100%活用してくる。
マサルもその社長も悪行を上げれば際限がないです。
とにかく人を追い込む。
追い込まれた人は焦りと恐怖と幻想の義務感から、
その人の言葉に従ってアクションを起こす。

自分を追い込むことが人を成長させると書いてある本はゴマンとあります。
でもこれには勘違いをしてはいけないという注意書きが必要だと思います。
人に追い込まれるのと、
好きで自分を追い込むのとでは別ものだ、という注意書きが。

誰かに追い込まれた人間は自分でも予測しなかった行動を取ります。
僕ら後輩三人のうちいつも誰か一人はマサルの手から逃れようとしていました。
いつだったか僕はマサルを無視して家に閉じこもっていました。
一週間音信不通を決め込んで誰にも会わずにいたんですけど、
とうとう寂しくなって携帯をオンしました。

するとその日のうちすぐに携帯が鳴った。
僕の同級生のNからです。
絶対にマサルと一緒にいて電話をさせられている、
これまでもずっとそのパターンだったので出ないほうが安全です。
でも僕は寂しかった。

「あ、あ、いっしん?な、何してんだよー。で、電話もなくてさー」
とNは震え+どもりでわざとらしさ満点。
「今近くにいて、えーと・・あ、あー。イデッ!」
とNが張り手をくらった姿がまざまざと浮かんできたそのとき、
「いっしん、逃げろ!出てきちゃだめだ逃げろー!」
ボフッ、ドガン、ガチャンガランガランと、
電話の向こうはかなりのスペクタクル。
「おい、おれだよ、マサルだけ(プチ)」とマサルが出た瞬間、
僕は電話を切って再び布団にもぐりこんだ。
(つづく)

2012年7月9日月曜日

マサル(上)

頭の中で「できない」とかっていう言葉が反響していても、
何かに追われてるときは頭よりもからだが先に動くから、
とりあえず何かできる。

追われるといえば、時間に追われることが圧倒的に多い。
でも、時間に追われるのはまだマシなほうだと思う。
いちばんイヤなのは怖い先輩に追われるときだ。

中学から高校の頃、僕よりも五、六歳上の先輩にマサルという人がいた。
彼はいつも偉そうに、頭が弱い僕ら後輩をこき使っていた。
たとえば早朝、僕がまだ眠っている時間に電話がかかってくる。
「新聞とタバコを買ってこい」
こういう内容だとはじめから分かってるので、僕は携帯を無視する。

でもマサルは無神経というか神経が太いというか、
今度は家の電話にかけてくる。
そして巨体に似合わない猫撫で声で僕の家族を欺き、
結局僕は電話に出ないといけなくなる。
猫撫で声から一転、ドスを利かせた声で相手を支配する。
「お前、何で電話出ねえんだ」
「あ、いや、うーあー、ああ、ね!寝てたんっす」
威圧する声ってイヤなもんです。
嘘もバレバレになってしまいます。
「嘘付くなよおい。嘘だろ?」
「ほんとっす!」
「まあ、いいわ。新聞とタバコ買ってきてくれ」
もうこうなると心理的に追い込まれてるから断れない。
「りょ、了解っしゅ!」となる。

しかし追い込まれれば後輩でも何かしらアクションを起こす。
こき使われていた僕ら後輩はいつも三人だったけど、
いつもその中の誰か一人がマサルの魔の手から逃げていた。
携帯も電源オフ。
家電にも当然出ない。
誰が家に来ても居留守。
学校にも行かず完全引きこもり。

しかしマサルは蛇のようにしつこく、たぬきのようにデブだ。
思春期の男子は一週間も引きこもっていられない。
久しぶりの携帯電源オン。
ダムの決壊が起きる。何十件というマサルからの留守電とメール。
巧妙なのはその中に後輩である他の二人からもメッセージがあることです。
(つづく)

2012年7月8日日曜日

ガラス展二日目の日曜はまぶしい朝

昨日のガラス展オープン会と、
一周年パーティーはたくさん人が来てくれました。
国産のスパークリングワインや、
フランスのどこかの白ワイン、
イタリアのどこかの赤ワイン、
どこかの何色かの某ワインなどが振る舞われて、
色んなのを飲める会になってお酒好きは楽しめたと思います。

遅くまで盛り上がっていたので、
きっと今朝はみんな眠いかもしれません。
今日は天気が良さそうですから、
昼ぐらいにはまぶたも開いてきそうです。

ガラス展は昨日にぎやかになってました。
今日はガラス作家の方が2人お店にいるので、
お話も聞けますよー。
外でビールを飲んでいなければ。
柴田さんも梅田さんもそれぞれまったくちがう個性なんですけど、
一緒に作品が並んでてもそれが調和してます。

さあ、ぼくは遅刻しそうです。

2012年7月7日土曜日

辛抱こん棒

・今日は夜にガラスの展示会「ヒカリぶらさげる」と、
オープンイベントを兼ねて「オーシャン一周年記念パーティー」も開催します。
ワインの試飲会、豪華な内容そうです。
色々飲めそうで楽しみです。
ぼくも飲みます。
色んな味を知ることも仕事の一環ですからね。

昨日の夜はハワイで飲み切れなかったビールを飲んでました。
SIERRA NEVADAを二本だけ持って帰って来たんです。
日本に帰って来たらアメリカにいるぼくの母親からハガキが来てたんですけど、
それが丁度「Sierra nevada world music festival」のハガキでした。
今時はハガキも宣伝用にただでくれるんです。
DMにもハガキにもなる。

まあ好きじゃない会社のハガキを無料でもらっても出さないでしょうが。
このハガキはビールもおいしいから宣伝したくなります。
ハガキが無料っていう以上に、
ビールがうまいかどうかってのが肝心ですね。

家族が行ってたそのフェス、ぼくはぜんぜん内容を知らないですけど、
SIERRA NEVADAのビールがたくさん飲めるんだと想像すると、
うらやましくなります。

・さあ夜の楽しみまで辛抱するぞ!
辛抱ってちょっとネガティブな言葉ですけど、
響きがよくないですか。
ぼくは好きですね辛抱。
そういえばドラクエの最初の武器のこん棒も好きでしたけど、
とすると、「ぼう」が好きなんですかね。
「泥棒がこん棒で坊主殴ったけど坊主辛抱する」
どうですかこういう「ぼう」がたくさんある状況。

2012年7月6日金曜日

マカダミアンドリーム

ハワイで殻付きのマカダミアナッツを買ってこようと思って
KCCマーケットで探したんですけど無くて、
そしたらなんと空港に売ってました。

KCCマーケットの種屋のおっさんは、
「マカダミアを育てたい人はだいたい苗からやるのだ」
と言っていました。
それはそうですよね、
なんたって大木になってやっと実をつけるんですから。

しかしオーシャンでは10年後とか20年後とか、
人類が滅びてるかもしれないぐらい先の話しのことに
盛り上がる気持ちをみんな持っていますから、
殻付きマカダミアを畑に植えてしまいます。
それでしばらくの間みんなで、
寺部産マカダミアを夢に見るんです。

アボカドだって、
しばらく前に畑に捨てた生ゴミの種から苗が出て、
それが今じゃ植木鉢に引っ越して元気に大きくなってますよ。
寺部産アボカドはもう、
ぼくらの手の平に乗ったようなもんです。

大きい大木みたいな夢が一つあるよりも、
小さい種みたいな夢が色んなところに転がってるほうが、
楽しい気がする今日この頃です。

2012年7月5日木曜日

あの日あのときヨガの日

・今日は木曜日、ヨガの日です。
略して木ヨガです。
日曜日のヨガは、日ヨガです。
そして僕は昔こういう報告を友達からされたことがあります。
「◯さよが、◯さよが結婚したぞ!」
◯さよは昔、僕が恋心を寄せていた子で、
僕はショックを受けました。
これは◯さヨガの日です。

・こういうことしか考えられないのは時差ボケのせいじゃありません。
快眠&パッチリ目覚めです。
おはようございます。
今日もHabanero a nice day 。

2012年7月4日水曜日

夕陽を見るには根気がいる

・カウアイ島のKe'e beachから夕陽が沈むのを見ました。
沈む前から砂浜やジャングルっぽいとこを歩き回ったりして、
どこからきれいに見えるのかと高台や岩場に上がったりして、
夕陽を見るために席を探しました。

思えば、はじめてじっくりサンセットを眺めました。
夕陽が沈む瞬間は「マジックアワー」で、
腰を据えて見ればすごくいいものだって分かってるのに、
いつも後まわしにしていました。
ちらっと横目で見て「きれいだー、悩みが吹き飛ぶぜー」
なんて思ってそれでまた元の仕事やら遊びに戻っちゃいます。

普段の生活の中で、腰を据えて夕陽を見るには根気がいります。
見るヒマがないと決めてでもいるのか、
他にやりたいことが一杯あると思って腰が据わらない。
そんなわけで、まともに陽が沈む一部始終を見たことがないと思う。
でも、これが旅行の良いところですね。
普段の習慣とは離れたし、
夕陽を眺めることだけでも一大イベントになる。

夕陽が空全体を虹みたいにする。
青、緑青、黄色、オレンジ、赤、そんな配列が空にできる。
断崖も砂浜も赤く染まる。
夕陽が沈むにつれて青味がなくなって、
赤い面積が増えていく。

ぼくが岩場に体操座りをして夕陽が沈むとき、
オーシャンはランチタイムが終わった頃。
きっとみんなが一息ついていた頃、
夕陽が沈んでぼくのほうも「ふわー」とからだを伸ばしました。

・今日からまた仕事に戻ります。
キッチン用品を色々買って来たんですけど、
余計!と言われるか、
採用!と言われるか。

2012年7月1日日曜日

ニワトリ天下

カウアイ島にきています。
ネットがつながらないところにいたので、
久しぶりにヤフーニュースなどを見ています。
毎日開くことが習慣になっていたウェブなどを、
まったく見ていなかったので新鮮な気持ちになります。

カウアイ島には町中にニワトリがいます。
いや、町中だけじゃない。草原にもいれば、
海にもいて、ジャングルにもいる。
生い茂った森の中からガサゴソいいながら
雄鶏が羽をバタつかせて飛び出してきます。
いつもは弱い存在のニワトリが、
ここではたくましく見えます。

いつもは強い存在だと自分で自分のことを思ってましたけど、
旅先では色んなことのダメージに敏感になります。
すぐに決断できると思っていた頃の自分とはちがう自分、
自分が何を選べば良いのかを知っている自分ではない自分、
そういう解決も答えも何もないことに揺さぶられる、
今日このごろカウアイ島です。
アロハ。