伊丹十三が『女たちよ!』の中で、
おばあちゃんから梅干の漬け方と梅酒の造り方を聞くのを忘れて、
それを死んでから気付いて「しまった!」という、
「惜しいことしたエピソード」がありました。
真似をしても、
もうどうやっても同じ味にはならないみたいです。
ぼくにもそういうことがありました。
うちのおばあちゃんは大判焼きを焼き続けてウン十年。
外はサックリと、中はほどよくアンコがとろりと出てくる。
小さいころから食べ続けてきたのですけど、
食べれなくなってからその愛おしさに気付きました。
「ああ、ちゃんと聞いとけばよかった」と思います。
今どき「クックパッド」があるしレシピなんてなんとでもなる、
とそう言ってしまえば言えるわけなんですけど、
やっぱり試行錯誤の味で、
ウン十年かけて築いた味には色んな気配りがレシピに足されてます。
こういう個人がウン十年かかけた味が、
家の味とか思い出の味になるんでしょうね。
うちの母親にもそういう味があります。
アメリカ人ですけどラザニアをよく作ります。
挽肉とたまねぎのトマトソースに、
カッテージチーズとラザニアを何層かに重ねて、
オーブンでこんがり焼くと表面がカリッとした食感になる。
中身はラザニアとチーズでからまりあうので、
これをフォークでてきとうに切って食べる。
はみ出たトマトソースとかチーズはフランスパンですくったり、
サラダといっしょにして食べる。
小さいころはこれが好きじゃなくて、
食べるものがこれしかないから食べるというかんじでしたけど、
いつからか当たり前のように食べて、
いつからか進んで食べるようになりました。
そういえば前ぼくが営業の仕事をしていたときに、
関西人の取引先の人にラザニアの話しをしたら、
会うたびに「おまえんちのラザーニャ食べさしてん」
と100回ぐらい言われたことがあります。
それでとうとうラザニアをアルミホイルに包んで持っていきました。
「おまえんちのマザーのラザーニャおいしいわー」
と言いながら食べてましたけど、
こてこての関西人が食べるラザニアは何か別のものに見えますね。