2012年4月9日月曜日

ヘビ屋(下の前半)

・ぼくがヘビ屋さんのドアを開いたのは、
去年の夏まっ盛りのころでした。
レポートを取るということが目的ですから、
短パンに半そでの家着じゃまずいと思いまして、
シャツにチノパンというそれなりの格好をしていきました。
どんな事態に遭遇するか分かりませんでしたし、
なにより脛をヘビに咬まれたくはありません。

小学生のころから引きつけられていた場所です
こんなに実家から近い距離なのに、
この一角だけは遠い世界の出来事のように見ていました。

待望の気持ちでガラス戸を開くと、
むわっとした熱気が顔を触る。
でもぼくを異次元に引っ張り込んだのはその熱気ではなく、
「臭い」でした。

特殊な臭いです。
焦げ臭いわけではない、
肉を焼いた臭いともちがう、
化学薬品のような刺激はない。


小学生のころヘビ屋の前を通るとき、
それを「奇妙な臭いだ」と思っていました。

その臭いはマムシの黒焼きをするときに出る臭いで、
それが店内中にしっかりこびりついています。
これまでぼくはその臭いのことを長い間忘れていました。

店内のその臭いが、
昔のときめきと不安の世界へぼくを誘います。
誰もいない店の真ん中までぼくは進む。
でも気配がある。
ずらっと並んだアルコール漬けのヘビの瓶がぼくを囲んでいます。
口を開けた猿の頭がずらっとぼくを囲んでいます。
それらが生の残り香をムワームワーと放っている。

「こんにちはー。
すいませーん」
ぼくは呼びました。